食の原風景 学校給食

1997/5/25/日 日経新聞掲載記事(堤 篤史)

「脱脂粉乳がいやだった」「カレーシチューはうまかったな」「昼休み返上でニンジンを食べさせられた」…・・。戦後育ちにとって、学校給食の話題は格好の酒の肴(さかな)だ。世代差、地域差などをあらわにしながら、それぞれの胸中を幼いころの自身の姿が去来する。もう一つの食の原風景なのだろう。

 

学校食事研究会事務局長の阿部裕吉さん(63)は、給食研究一筋30年。学校給食評論の第一人者だ(第二人者がいるとも思えないが)。北海道から沖縄まで、1100校の給食を食べ歩いた。全国の栄養士にオリジナルメニューや提言を発信する。「高校教師を経て、たまたま入ったこの世界だけれど、知れば知るほど奥が深い」と語る阿部さんの持論は「給食から社会が見える」。時の政治や経済、社会の動きを実にビビッドに反映するのが給食の世界だという。

ところで、小中学校の給食体験は食の嗜好(しこう)に影響するのだろうか。阿部さんの答えは「その通り」。

阿部さんは戦後の給食黎明(れいめい)期を「ごった煮世代」、50年代に給食を食べた世代を「鯨の竜田揚げ世代」、60年代は「ソフト麺(めん)世代」と定義する。筆者が属するのは70年代の「ご飯世代」だ。米飯給食が実験的に導入された時期で、同時に「ジャンクフード世代」でもあるそうだ(筆者がカレーやハンバーグが好きなことを見透かされてしまった)。

ちなみに「竜田揚げ世代」は新しいものに飛びつくが、「おいしさ」の基準がないのが特徴とか。付け加えれば「おれが若いころは鯨なんか毎日食っていたぞ」という口癖で、深遠な捕鯨論争をかき回してしまったりする。

80年代に入って給食はぐっとよくなったんですよ」。ご飯の給食が本格的に始まり、横文字のメニューに変わって和食が増えた。給食にも郷土料理を、というプームが起きたころでもある。のっぺい汁に石狩鍋、長崎ちゃんぽんにひや汁と、阿部さん作成の給食日本地図はまるでデパートの物産展だ。

あまり知られていないが、東京の「深川めし」は学校給食で復活した。「東京でも郷土料理をと、栄養士さんたちが〃発掘〃したんです。それまでは下町の方にも一、二軒しか深川めしを出す店はなかったんですが、いまや門前仲町あたりでは普通です」。

新メニューの提案もするが、その中で「最大のヒット作」は「ミルクファイバーライス」だ。牛乳嫌いの子供たちにも良質なカルシウムをと苦心した末、牛乳で炊いたご飯が生まれた。評判は上々で、80年代当時は「タケちやんマンライス」の名で親しまれた(覚えていますか?)。

学校を訪れる時は授業から休み時間、放課後まで子供たちにつき合う。食事の環境全体を調べるわけだ。「かつての給食は栄養補給という一点が目的でしたが、現在は教育的な側面から給食の価値が見直されてきています」。全校生徒が一堂に会する食堂を設けたことで、非行が減った中学校の実例もあるという。

今頭を悩ませているのは○157対策。多くの学校では生野菜をメニューからはずしているが、それだとバリエーションに限りがある。おいしい加熱野菜の食べ方として目を付けたのが中華風にアレンジすることだった。ゆでた白菜と鳥のささ身あえに少しラー油を加えたマヨネーズをかける。温野菜とチャーシューをご飯に載せ、オイスターソースで伸ばしたマョネーズをかける。なんだかわからないが、実にうまそうだ。

さて90年代の今どきの子供は「デザート世代」だという。ホワイトシチュー、エビピラフ、タラのオランダ揚げ、豚肉とゴボウのご飯といったメニューに、リンゴゼリーや果物、菓子パン類のデザートが毎白つく(お父さんたちの社員食堂より豪華だ)。

自宅で味わえる給食メニューということで「ミルクファイバーライス」のレシピを聞いた。米に少し麦粒を加え牛乳、コンソメスープで炊きあげる。タマネギ、アサリ、ムキエビなどをいためてご飯に混ぜて地中海風。付け合わせのかき卵汁とサラダも用意した。さあ食べよう。先割れスプiンを用意しなきや。え、先割れスプーンはとっくに使ってないんですか?

 

【参考文献】

学校での私に対するいじめはエスカレートしていくばかりだった。(中略)椅子に敷いていた防災頭巾のなかに画鋲が忍ばせてあったりということは日常茶飯事だったが、いちばんこたえたのは給食当番の私がよそったシチューをクラス全貫が食べなかったことだ。  柳芙里著「水辺のゆりかご」