じゃないですか

 

「私は毎日犬の散歩に行くじゃないですか」というような、ちょっと耳障りな日本語を最近あちこちで聞く。「じゃないですか」とは本来、確認や主張の意味を持つが、今の用法は断定回避が主。若者がよく使うが、年齢の高い層にも広がっている。そこには、自信喪失、人付き合い下手といった現代人の抱える問題が深く関係している。

 

アナウンサーも連発

民放テレビの朝の情報番組。顔を整形して逃亡していた殺人事件の容疑者が時効寸前に逮捕されたニュースについて、出演者が次々と発言する。すると男性アナウンサーが「迷筥入り事件って、過去にいくつもあるじゃないですか」とコメント。間を置かず今度は、隣に座る女性アナウンサーが「顔は変わるけど声って変わらないじゃないですか」。

夜のプロ野球中継。野手同士が激突してフライを落としたプレーについて、解説者が、「久しぶりに出場すると選手は張り切るじゃないですか。だから、コミュニケーションが大切ですよね」。

「じゃないですか」はビジネスの場にも浸透している。大手電機メーカーに勤めるSさん(25、女性)は「通常の仕事中でも会議中でもよく聞こえてくる。私も上司に自分の意見を通したい時に使うが、無意識に出てしまう」。

社員の教育、ビジネス研修を手掛けるコンサルタント(50、女性)は、「グループ討議の発表会などの場で、『じゃないですか』を連発する人が増えた」と証言。「昔は発表というと一方通行の話し方が多かったが、最近は聞き手の目を見て同意を求めるような話し方が目立つ。聞き手との親近感を出そうとしているのではないか」と分析する。「あるじゃないですか、親近感を出したいことって」と本人も思わず口に…。

「じゃないですか」自体はけっして新しい言葉ではない。ただ、使われ方や意味するところが、従来とは大きく違っている。言語学の專門家らは、新しい使い方や意味の登場は九〇年代に入ってから。急速に使用人口が増えたのはこの二、三年の間とみている。

 

文化庁も世論調査

文化庁は今年一月に実施した「国語に関ずる世論調査」で、「『寝る前に歯を磨きます。その時に……』ということを、『寝る前に歯を磨くじゃないですか、その時に……』と言うことがありますか」という質問を設定した。

「最近よく聞くので、今回初めて質問に入れた」(文化部国語課)。ちなみに、「ある」と答えた人は全体で22.1%。世代別では二十代が最も多く、35.8%。三十代、四十代はそれぞれ、13.6%、8.0%だった。

梅花女子大学の米川明彦教授によると、「じゃないですか」は元々、「あなたそう言ったじゃないですか」という風に、「確認」や「主張」の意味で使われていた。それが今は、主に断定回避のためや敬語として便われているという。

「若い人は椙手と話す時、文を断定調に言い切るのは失礼だと思っている。それで言い切りを避けるため、語尾にまず『じゃない』をつける。それに丁寧語をつけて『じゃないですか』となる」(米川教授)。音感がいいので、今後定着するのではないかと、単なる流行語ではないことを強調する。

「じゃないですか」の普及ぶりに早速目をつける企業も現れた。現在、流れている味の素のコマーシャルでは、女優の山口智子さんが笑顔でこう話しかける。「だって自分でホントに欲しいものをあげたいじゃないですか」

 

実は自己中心的表現

しかし、「じゃないですか」を使う話し手の心理をさらに分析していくと、現代社会の直面するやっかいな問題も浮かび上がってくる。武庫川女子大学の佐竹秀雄教授は、「一見、相手をおもんばかっているように見えて、極めて自己中心的な言い方」と指摘。「例えば、『二人一緒にいて黙っているのはつらいじゃないですか、だから……』という言い方は、相手に同意を求めているように聞こえるが、実際は相手の意見を聞こうともせず話し続ける。話し手は相手の反論を予定していない」と話す。これは裏返せば、多様な価値観の中で物事をどう判断すればよいかわからなくなった、現代人の自信のなさの表れともとれる。

「自分の発言の正当性、妥当性に対する自信のなさからくる不安や、聞き手の考えとずれているのではないかという恐れ、それによって仲間から浮いてしまうということへの恐れが、断定調を避けた言い回しを生む」(佐竹教授)。

同じような背景で出てきた言葉には、「○○とか」「××みたいな」などの若者言葉がある。しかし、こうした言葉はいずれも、語感がいかにも子供っぽいという理由から大人には広がらなかった。これに対して「じゃないですか」は、摩擦回避や自信のなさを取り繕う便利な〃大人の言葉”として、それを必要とする大人たちが知らず知らずのうちに受け入れている。

1997/8/14/木 日経新聞掲載記事