基礎学力をめぐる現状と課題
学力低下をめぐる議論
1999年(平成11年)10月17日(日曜日)
県立高校受験生の一割が、主要五科目の少なくとも一科目で小学校レベルの学力が身に付いていない----。学力低下をめぐる議論が活発になってきているが、鹿児島県教育委員会はこのほど、県立高校の入試結果や校長アンケートなどをもとに、「基礎学力に揺らぎが生じてきている」と指摘した報告書を.まとめた。報告書は「県教委としても、基礎学力の定着に向けた取り組みの弛緩(しかん)を招いてしまったとすれば、率直に反省しなければならない」と述べるなど、強い危機感を示す内容となっている。
「基礎学力をめぐる現状と課題----今、足もとを見つめ直そう」と題された報告書は、鹿児島県教委が「基礎学力に関する対策委員会」(九八年十月設置)の議論を基に、今年六月にまとめた。いわば、鹿児島県版「基礎学力自書」で、特に県立高校入試結果の分析が注目される。
計算など誤答目立つ
同県の高校入試は国語、社会、数学、理科、萎胴の五教科で、満点はそれぞれ九十点。このうち、各教科ごとに、小学校程度の学力があれば正解できるような問題(英語は基礎的な内容)をいくつか設定し、その得点合計を目安点と呼んでいる。目安点は、国語十八点、社会十六点、数学十六点、理科十五点、英語十六点で、合計では八十一点になる。
九九年度入試の場合、目安点に達せず、小学校レベルの学力が身に付いていないと判断された生徒は、国語と社会で一・三%、数学で五・九%、理科で三・七%、英語で四・三%だった。総得点べーズで目安点(八十一点)未満は一・六%。目安点に達しなかった科目が少なくとも一つある生徒は、ほぼ十人に一人の九・五%もいた。
過去五年間のデータをみても、目安点に達しない生徒は年度によって多少のばらつきはあるもののほぼ一定割合で存在し、九九年度だけの傾向ではないことがわかる。
例えば、目安点未満の教科が一教科以上ある生徒は、九五年度11.2%、九六年度12.5%、九七年度13.3%、九八年度8.5%だった。目安点以上の得点の生徒でも、.「読み・書き・計算」など、基礎的問題の誤答が多い。「反応」という漢字が書けない生徒が28.7%、「5×8-14」が解けない生徒が3.1%。「空気中の酸素の割合20%」が回答できない生徒は46.6%にも達した。
また、九八年十二月、八十一の県立高校校長に尋ねた調査によると、最近十年間で新入生の基礎学力が「大幅に低下」とみている校長が二・一%、「やや低下」が七六・五%で、ほぼ九割が「低下」と回答した。「やや向上」は二・五%、「どちらともいえない」は九.九%で、「大幅に向上」.は皆無だった。「学力不振を背景として授業が成り立ちにくい状況」が「相当数のクラスで」みられると答えた校長は一・:%だが、「一部のクラスで」は三〇・九%もおり、「授業崩壊」が進んでいることをうかがわせている。
小中学校校長も実感
さらに、九八年七月の公立小中学校校長対象の調査によれば、「基礎学力が九割以上の児童(生徒)に定着」と答えた校長は、小学校で四・八%、中学で一・三%に過きず、以下、「七割以上に定着」はそれぞれ六七・五%、三七・九%、「五割以上に定着」は二五・四%、五四・九%、「三割以上に定着」は二・三%、五・九%だった。基礎学力が十分に定着していない児童生徒が相当の割合でいることを、校長自身も認識している。一方、九八年十二月に県内の小学三、五年生、。中学二年生を対象に行った調査では、授業が「よくわかる」「だいたいわかる」の合計は小3で76.9%、小5で75.9%なのに、中2では48.9%に激減。一方、「わからないことが多い」「ほとんどわからない」の合計は、それぞれ、5.8%、4.7%、23.4%だった。
こうしたデータをもとに、報告書は「時系列的に基礎学力が低下しているとは断定しきれないものの、様々な懸念すべき兆候が現れており、基礎学力に揺らぎが生じてきている」と分析している。
指導法の見直し急ぐ
その背景には、「自ら学ぶ意欲や思考力、表現力などを学力の基本とする『新しい学力観』に立った現行指導要領の下、『基礎的・基本的な内容を含め、知識を教え込むことは好ましくない』『子供への働きかけは指導ではなく支援でなければならない』といった誤解が、学校関係者などの間に少なからずみられる」と指摘。「『生きる力』.をはぐくむことを目指すこれからの教育においても、『読み・書き・計算』をはじめ、客観的に把握することが可能かつ必要な学力というものがあることをしっかりと認識する必妻がある」と強調している。
鹿児島県敦委はこうした分析結果を基に、
・民間の学力検査やチズト、ドリルなど多様な方法を組み合わせて、基礎学力の定着度をきめ細かく客観的に把握し、指導万濠の改善に反映させる
・TT(チームティーチング)や習熟度学習、放課後などの補充授業の充実、外都人材の活用など、・指導方法の弾力化を積極的に進め、生徒一人一人の能力、個性に応じた指導方法の改善充実
・客観的なデータや資料に基づき現状や指導方法を説明したり、家庭学習の習慣付けに向けた家庭への働きかけなど、保護者に対する説明を増やし、その意見を反映させる
----ことなどを通知、基礎学力の向上に本格的に取り組むことにしている。
我慢足りずいやな事避ける
現場教師の声
家で予習復習をしなくなった
学力低下について、現場教師はどのように感じているのだろうか。鹿児島県内の教師に聞いてみた。
県立和治木高校の園田米次教諭(数学)は「基礎学力低下を感じる。塾の問題やプリントをこなすのが勉強だと思っていて、家で自分一人でじっくり教科書の予復習ができない生徒が増えている」と言う。「ひらめきや自己表現能力は優れているが、無味乾燥なドリルをこなすようなことが苦手。読み・書き・計算といった力は、きちんと繰り返し学ばないと身につかないのに」と語るのは、鹿児島市立西田小の峰山泰学校長だ。
鹿児島市立武間中の堀正信教諭(国語)も「漢字の読み書きから、論理的文章の表現力など、書く力が落ちている」と嘆く。鹿児島市立天保山中学の藤田秀郷校長は「きちんとした文章を書いたり、本を読むことができない、かけ算九九を言えないような生徒が増えた。耐性がなくなり、いやなことはしたがらない傾向とも関係ありそうだ」と語り、県内有数の進学校、里開高校の東憲治校長は「学習時間が少なくなっている上、知的好奇心が希薄になっている」と指摘する。こうした危機感ぼ、全国の多くの教師にとっても共愚の思いだろう。加えて、鹿児島県が基礎学力低下間題に意欲.的なのは、同県特有の事情もあるようだ。鹿児島は元々教育熱心な土地柄。通塾率がまだ低いこともあり、高校などでは補習授業が盛んで、首都圏など大都市では塾が果たしている役割を学校が担わざるを得ない面もあるからだ。
ある県教委の担当者は、基礎学力問題に取り組む背景の一つとして、「学校週五日制や授業時数の大幅削減、総合的な学轡の時閥などを盛り込んだ新学習指導要領は、指導の在り方によっては基礎学力の低下や格差拡大のリスクをはらんでいるから」と指摘する。大都市で^学習塾が生徒募集のため使っているセールストークにどこか、相通じる言い回しでもある。
.実際、県の通知では、テストやドリルの多用や、補習授業の拡大などの記述が目を引く。「基礎学力が揺らいでいる」と率直に認め積極的に改善に取り組む意欲は評価できるが、学力の維持と詰め込み教育の弊害打破をどう両立させるか、難しい手綱さばきが求められているのも事実だろう。
(編集委員 横山晋一郎)
近年、若者の基礎体力の低下が指摘されているが、体力だけでなく基礎学力も低下しているようだ。どうも基本的な学習がおろそかになっているような気がする。例えば、英語を筆記体で書けない生徒が多くなった。聞いたところでは、今の中学では筆記体の練習をあまりやっていないらしい。おそらく、教科書をはじめとしてほとんどが活字体なので、筆記体を習わなくても学習上支障がないということなのだろう。
だが、これはどんでもない考え違いである。筆記体には習うだけの価値があるのだ。まず何より、筆記体のほうが速く奮ける。これは語学の学習においては非常に重要な利点である。単語にしろ文にしろ、確実に覚えるにはたくさん書くことが必要だ。ところが、活字体でしか書けないと、筆記体に比べて書くのに時間ががかるので面倒になり、書いて覚えようとしなくなる。最近、生徒の英語を書くスピードが遅くなり、スペリングの間違いがやたら目につくようになったのも、筆記体で書けないことと無縁ではないように思う。
同様のことが発音についてもいえる。ネイティブスピーカーの教師も増え、教材も豊富にあり、英語を習う環境は飛躍的に向上したが、その割には正しく発音できる生徒は極めて少ない。入学試験はほとんどが筆記試験なので正しく発音できるかどうかは合否には関係ないかもしれないが、発音をなおざりにしては何年学んでも話せるようにはならない。
しかし本当に間題なのは、このような基礎学習の怠りが、単に基礎学力の欠如にとどまらず、学習態度にまで影響を及ぼしているということである。最近の生徒を見ていると、短絡的にすぐ結果を求める傾向があり、少し努力して成果が上がらないと簡単にあきらめてしまう。基礎学力は反復学習して初めて身に付き、その過程で学習に必要な根気や継続力が培われるのだが、それが今の学生には欠けているようだ。
何事も基礎をおろそかにしては本当の力をつけることはできない。正しい発音や筆記体の習得は、いわば基礎の基礎であり、本来欠くことのできないものである。それがなおざりになっているとしたら、英語が「便えない」のも当然の結果である。
(松崎勝美)1997/8/6/水
サイエンスアイ
個性重視の多層教育
基礎額力の低下深刻に
日本シリーズで優勝したヤクルトスワローズの野村監督は、「最近、野球の乱れが気になる」と、繰り返しぼやいてきた。きちんとした野球をやるチームが勝たなければ、乱れは是正できないという思いが、知将を戦いに駆り立てているのかもしれない。
野村監督の言う乱れが具体的にどんなことを指すのか、門外漢にははかりかねるが、単に昔の野球に戻れという懐旧趣味とは違うはずだ。野球の高度化に伴い、技術も知識も感性も高い水準が要求されているのに、自覚に欠けるチームや選手が多く、その場限りのバフォーマンスばかりが目立つ野球への警鐘と解釈している。
科学の世界でも同じことが言えそうだ。最近会った理学部の教授は、入学してくる学生の学力不足を相当に深刻に憂えていた。受験生の負担軽減、あるいは個性とゆとりの教育などという美名の下、大学の受験科目を減らし、論文重視や一芸に秀でた生徒の発掘など、パフォーマンスにやや傾斜した選考基準が、学力低下の遠因と分析していた。
暗記が利かないので受験勉強がしにくい物理のような科目は、理科系の受験生も回避したくなる。物理学科の新入生が、高校でろくに物理を学んだことがないという例も出てくるわけだ。
科学はかつてとは比べものにならないスピードで進展している。学生が取り込まなければならない知識体系はますまず高度化している。若くて柔軟な頭脳といえども、基礎のできていないところには、高度な知識は簡単に入らない。
ゆとりが生まれるはずだった受験科目の削減は、少ない科目での激烈な点取り合戦を生み、個性化するはずだった科目の選択制は、面倒なことは素通りして、好きなことにしか目を向けないという、知的好奇心の退廃をもたらした。
優れた研究者を育てるためには、個性を大事にする教育が不可欠だとよくいわれる。突出した才能を発掘して伸ばずには、飛ぴ級のような制度も必要かもしれない。しかし、それは全体がある水準を保っていることが前提となる。日本の高校生の学カレベルは、世界的にみるとやや下り坂にあるという。
遇剰な平等主義や、知識の詰め込みが批判されている戦後教育。個性重視の多層的な教育を目指すのは結構だが、具体的な方法論を持たないと、知識もまともに入っていない幼い頭脳に個性の2文字だけが躍るという、恐ろしい事態を招きかねない。
学生を指導すべき教授にも、パフォーマンス過多の病状は広がりつつあるという。研究費の原資が増えたせいか、純粋に科学的な研究でも、何か世間に役立ちそうな名目を付け加えて研究費を申請することが多くなった。細胞分化の研究も発がんの機構解明と絡めて説明する。
これまで世間との関係がやや希薄だった大学や研究者が、研究の社会的な意味を考えることは歓迎だが、それがポーズならむなしい。ノーベル賞の受賞者などスーパースターを集めなくとも、戦略の確かなハイレベルの研究者がそろっていれば、研究ゲームには圧勝できることを、スワローズは教えてくれた。
(編集委員 塩谷 喜雄)1997/10/25/土