教師の授業を評価

1997/7/26/土 日経夕刊掲載記事

通信簿は教師が生徒に渡すもの。ところが、小中学校や高校で、児童・生徒が教師の授業を評価して〃通信簿”をつける試みが始まりつつある。これまで教師の「聖域」だった授業に、教えられる側が物申すことで、様々な波紋を広げている。子供たちと先生の新たな関係を築くきっかけになるだろうか。

 

授業終わりドキドキ

緑深い山と仁淀川の清流に囲まれた高知県吾北(ごほく)村。六十八人の児璽が学ぶ村立下八川(しもやかわ)小学校で、五年担当の本荘石水敦諭は授業が終わるとドキドキしながら、子供たちが書き込んだB4判の紙に目を走らせる。

同校が昨年度の二学期から導入した「授業評価表」。いわば児童による〃授業の通信簿”だ。「何を学習するかがはっきりわかった」「私たちの意見や考えを認めてくれた」など約二十項目を三段階で評価。ほぼ月二回、実施している。

本荘教諭が最も緊張するのが「先生のおしえ方について思ったことなど、どんなことでも書いてください」という自由記述欄。従来、子供たちが授業に物申すことはほとんどなかった。

五年生の北川雄也君(10)は、体育の授業について「バスケットボールの試合の時間がもっと欲しい」と書いた。すると次回以降は試合時間が長くなった。「先生に口では意見を言いにくいけど、書くのはやりやすい」と話す。

「これまで例えば分数が分からない時は、どこが分からないのか、はっきりしなくて質問しようがなかった」と言うのは六年生の西岡真紀子さん(12)。紙に意見をまとめれば、その混乱した様子も伝えられる。北川君は「評価を書くと休み時間がつぶれるし、僕らの意見を取り入れるにも限界があるだろうけど、試みが始まってから先生が身近になった」と、風通しの良さを歓迎する。

高知県は今年六月、県下445の公立小中学校で一斉に授業評価を開始。来年度から高校にも導入する。下八川小はこれに先立って昨軍度、モデル事業として始めた。

 

「独り善がりが判明」

授業評価はこれまでにも個別の試みがあった。九二年度から学校全体で進めてきたのは、東京都港区の私立正則高校だ。約千百七十人の生徒が六月末、年に一度の通信簿を作る。各科目を「声の大きさ」「黒板の書き方・使い方」「先生の熱意」など七つの点で五段階評価ずる。最上の五と低い評価の一、二をつける場合は理由を書く。この結果を参考に、教師は二学期以降の授業を改善する。

「いかに授業が教瓶の独り善がりだったか分かる」と苦笑いするのは、教科指導部長で社会科教諭の永原三千郎氏だ。自由記述では「注意の仕方が妙に気に障る」など厳しい声が続出。見やすいようにと色チョークで工夫した板善も「黒板の書き方が悪い。見にくい」と、不評だった。

他校の教師との研究会では「何でそこまでする必要があるのか。普段から腹を割って生徒と話せばいい」との批判が出る。だが話すだけでは表面化しない間題がある。教室の雰囲気が良くても、授業評価では悪い結果が出ることも。「高校生にもなると教師に面と向かって本音をぶつけないからだ」(永原氏)。親しみを込めたぞんざいな言葉遺いに予想外に生徒は抵抗を感じていることも分かり、「まさに目からうろこが落ちる思い」だという。ただ現在、授業評価は教師個人の参考資料。勤務評定と明確に切り離されている。

 

予備校は厳しい見方

対照的に、生徒の評価を教師側の待遇に直結させている予備校からは「生ぬるい」との声もある。代々木ゼミナール教育統括本部長の松田不鴇穂氏は「公教育の教師は終身雇用で競争がなさすぎる。生徒の評価を入れるなら、少しは信賞必罰の要素を盛り込まないと、仕組みが機能しないのでは」。

だが東京大教授の佐藤学氏(学校教育学)は「学習指導要領など学校には様々な縛りがある。予備校や大学と違って、教師が個性的でいい授業をするのに限界があり、信賞必罰は無理」と言い切る。

「先生から児董・生徒への一方通行である日本の授業は世界的に見ても遅れている。子供や親が授業を評価することは必要だ。だが評価を数値化して能力主義にすると、新たなマニュアルを生み、かえって授業が画一化する」と佐藤氏。

下八川小の岩塚忠男校藁は「最近、フリースクールなど学校以外に学びの場が増え、学校の役割が問い直され始めた。授業評価は、正直言って先生にも分からなくなりつつある学校の存在意義を、子供の目で見直す試みだ」と話している。