先生向けのマニュアル本
創意工夫一の余裕なく
あいさつまで”指南”
1997/7/30/水 日経新聞夕刊掲載記事
子どもへの口のきき方、しかり方のポイント、通知表の書き方……。書店の教育書コーナーには先生向けの「マニュアル本」がずらりと並ぶ。いじめ問題への対応など現場での実践的な手法が求められていることが背景だが、一方で「それぞれ違った個性を持つ子どもに対して、柔軟な対応ができなくなるのでは」と、懸念する声も出ている。
手取り足取り指導
----帰除をさぼっている子どもに対して
X好ましくない例
「また、あいつさぼっている。しかたない奴だなァ」「おいおい、たまには掃除をやったらどうだい、殿様気分でいるところ、水指すようで悪いけど−−」(陰気で皮肉っぽい)
○好ましい例
「こらア!さぼるなア」(明るく言う)「おい、○○くん、これ、やって」(仕事をみつけてやる)「OOさん、私と一緒にここの帰除をやろう」(敦師が一緒にやって見せる)
これは「教師のちょっとした口のきき方」(学陽書房)の中の一節。このほか、あいさつの仕方、家庭訪問での保護者との対話など、解説をまじえながら手取り足取りといった感じで子どもや親との接し方をアドバイスしている。
編集を担当した学陽書房の藤井雅子さんは「若い先生から『ことばのかけ方について具体的なハウツーを教えてくれる本をだしてほしい』といった要望が寄せられ、執筆を依頼した」と出版の理由を説明する。
教師向け本が売れる
「若手の先生の中にはあいさつや電話のやりとりといった基本的なコミュニケーションがうまくできない人が多い。この本を通じて、日ごろの自分の言動を見つめ直すきっかけになってくれればいい」と話すのは著者の聖徳大学・関根正明助教授。
束京・神田の三省堂書店。四階の教育書のコーナーには教師の話し方、学級通信の作り方、先生の話材集など先生向けの「マニュアル本」が千点近く並ぶ。こうした本はここ数年で出版点数が増えており、購入していくのは20〜30代の若い先生が中心。「科目別の指導法の本も含めれば、先生向けの本では売り上げの七割近くがマニュアル的な本になっている」(教育書担当の中條聡氏)。
なぜ、今「マニュアル本」が売れるのか。「教師のほめ方・叱り方パワーアップ術」(明治図書)などの本を編集した高階玲治・国立教育研究所企画調整部連絡協力室長は「教育の理論書には現場でどう対応すればいいのかあまり書かれていないため」とみる。「それでも、以前は理論を学びながら現場で先生が創意工夫して子どもたちと接していた。だが、70年代後半からしらけ世代といわれる子や校内で暴力をふるう子が増えるなど、先生が多くの問題を抱え精神的な余裕がなくなってきた。その結果、応用しにくい理論書よりも、現場ですぐに役立つ実践書の必要性が高まっている」
親の厳しい目を意識
とはいえ、型にはまったマニュアルがすべての子どもに通用するわけでもない。高階室長も「インスタント的な手法だけに安住するようなことがあれば、先生に個性がなくなってしまう」と警鐘を鳴らす。マニュアル本にある事例を実際に試したうえで、これを手がかりに創意工夫することが大切との意見だ。
親たちが高学歴になり、教育問題に対する目が厳しくなっている。それに対応するため、とりあえずの「とらの巻」としてマニュアル本が読まれている----。こう分析するのは尚美学園短期大学の深谷昌志教授(教育学)。ただ、「体裁だけを整えようとする先生が増えれば、子どもひとりひとりの個性を理解しようという姿勢がなくなり、柔軟な接し方ができなくなってしまう」とマニュアル本には批判的だ。
いじめや不登校などが問題になる中で学校はどうあるべきか、情報化社会に子どもの教育をどうすべきかなど考えなければいけない本質的な問題はたくさんある。だが、「あいさつも満足にできない先生が増えていることを考えれば、マニュアル本の手法を実践することで、先生の資質の最低限の底上げにはつながるだろう」と、現状に理解も示す。
書店では、「通知表の所見の書き方」といった本も多く並んでいるが、八王子市内にある小学校の教諭(45)は「普段から子どもと真剣に接していればこういう本に頼ることはないはず」と話す。
親が読めばあいさつのし方など、こんなことまで先生に指南しなければならないのかと思わせる内容も目立つマニュアル本。「自分のことばで子どもに語りかけることができない先生が増えなければいいが−−」と、この教諭は危倶(きぐ)している。