|
新しい学習の動機付け
1999年(平成11年)5月16日(日曜日)
十年後には大学の全入時代が到来する。天野郁夫国立学校財務センター教授は、これまで日本の子供たちの学力が高水準にあった最大の要因は受験競争だったと分析。入試に代わる新しい学習の動機付けや、大学教育改革が必要だと指摘する。
学級崩壊や学校崩壊が一言われている。しかしそれだけではない。子供たちが身につける学力もまた崩壊に向かおうとしているのではないか。
ゆとり重視、競争緩和
わが国の初・中等教育段階の子供たちの学力の高さは、ごく最近まで世界の称賛の的であった。国際的な学力調査で日本の子供たちは常に上位を占めてきた。「ジャパン・アズ・ナンバいワン」と言われた時代、日本の成功を可能にした最大の要因は初・中等教育の質の高さにあり、それは国際的に見た高等教育の水準の低さを補ってあまりあるとされてきた。
その初・中等教育に今、水準切り下げの大風が吹いている。文部省の定める「学習指導要領」が子供たちに要求する学力は高きに過ぎた。その結果、詰め込み主義の教育が横行し、ゆとりが失われ、多数の落ちこぼれが生じた。そうした認識に立った反省のもとに、学習指導要領改訂が進められ、授業時数や教育内容の削減が実施されてきた。今回の改訂が施行されれば、義務教育段階の教育量は、ピーク時より五割近く減ると指摘する関係者もいる。
それだけではない。子供たちが家庭で勉強しなくなった、勉強時間が大幅に減った、今や国際的に見て日本の子供たちの学習時間は上位にはないという調査結果もある。
さらに重要なのは、子供たちの学習への動機付けの変化である。日本の学校は長い間、それを学校の外に求めてきたと言ってよい。初めはそれは「立身出世」だった。それが次第に「入学試験」に置き換えられ、戦後は入試が子供たちを学習に向かわせる最も重要な手段となった。教師も親も、子供たちを勉強へ駆り立てる手段として、それを積極的に利用し続けてきた。
高校や大学の間に社会的な評価や威信の序列が作られ、ピラミッド状の構造が存在する中で、年々子供の数、ひいては進学希望者の数が増え続ければ、進学競争は激化せざるを得ない。競争に勝ち抜くために子供たちはいや応なく学習量を増やすことを求められ、教師や親は入試を理由に勉強を強いることが可能になる。日本の子供たちが、国際的に高い学力水準を達成してきた最大の原因は、高校と大学への受験競争にあったと見るべきだろう。
〃ツケ〃は高等教育に
しかし、この明治以来の動機付けの手段は、すでに何年も前から十分に機能しなくなり始めていた。社会が豊かになり、平等化が進めば、それだけ人々の間の、特に子供たちの間の競争心は弱まり、失われていく。しかもそれに拍車をかけるような事態が進行し始めた。一つは少子化の進展、もう一つは進学率の頭打ちである。二つの相乗的な結果として、大学(ひいては高校)への進学競争が著しく緩和されたのである。
もちろん、厳しい受験競争を伴う大学は依然として一定数存在する。しかし、事実上、無試験、無選抜で進学可能な大学が着実に増えているのは、紛れもない事実である。文部省が打ち出している「入試の多様化」政策や、先ごろの推薦入学枠の大幅な緩和の方針目体、そうした現実をふまえてのことにほかならない。
こうした一連の変化は、明治の初めから一世紀余にわたって、子供たちの学力を高め、保証する役割を果たしてきた一連の装置、あるいは仕組みが今や音を立てて崩れ始めたことを意味している。それは、放置すれば学力の崩壊、さらにはわが国の学校教育全体の崩壊をも、もたらしかねないほどの変化と言っても言い過ぎではない。
学力低下のつけは、最終段階の教育機関に回される。大学生の学力低下が言われるようになって久しく、今は大学院生のそれが言われている。学力崩壊はすでに進行し始めているというのが、大学関係者の実感であり、今のままで行けば、それが今後さらに加速されることはほぼ間違いない。
問われる「学力の質」
その学力崩壊を阻止するには、指導要領の再検討や多様化の一途をたどる入学者選抜方法の新しい視点からの見直しを考える必要がある。中学や高校は、入試に代わる学習への新しい動機材けの手段を、学校自身の内部につくり出さなければならない。しかし、それと同時に、いやそのためにも、今大学関係者に求められているのは、いたずらに学力低下を嘆くことではなく、学力の問題に正面から取り組み、積極的にかかわっていくことであろう。
考えてみれば、これまで長い間、学力の問題は事実上無視され続けてきた。そんなことはない、入試問題はまさに学力問題ではないか、と言われるかも知れない。しかしそこでの関心は、学力の絶対的な水準よりも相対的な水準に、中身よりも序列に向けられてきたに過ぎない。一点を争う厳しい学力試験は、進学希望者を序列づけ、入学定員に合わせて選別するための手段として使われてきたのであり、学力の中身や実質的な水準それ自体は、重要視されてこなかった。初・中等教育の質の高さの上に、大学はいわば安住することを許されてきたのである。
しかし、高校までの教育・学習量が低下し学力の質や水準が変化する中で、これまで通りの実質的な学力無視の入学者選抜を続ければ、志願者、進学者数の減少と相まって、学力崩壊が大学内部にまで及んでくるのを避けることはできない。また従来通りの大学教育の在り方では、学力崩壊の進行に拍車をかけるだけで、防ぐことはできない。そしてそのことは、わが国が激化する一方の教育研究面での
国際的な大学間競争に、ひいては科学技術競争や経済競争に、大きく後れを取ることを意味している。大学は入学者にどのような学力を期待するのか、またどのような学力を身につけた卒業者を送り出すことを目指すのか。進行中の「教育」改革や入試改革の中で、大学はその底に潜む最重要の問題が学力にあることを.十分に認識し、この問題に対する自らの立場と責任を自覚し、明確化していくことを迫られている。初・中等教育に始まる学力の崩壊は、それなしには阻止することは難しいだろう。
|