イギリスのいじめ問題

 

子どものいじめは、日本だけの問題ではない。イギリスでも年間に十数人の子どもがいじめを苦に命を絶っている。子どもに救いの手を差し伸べようと、二十四時間の電話相談を行う民間団休も活動中だ。先ごろ現地を訪れた、教育ジャーナリストの保坂展人氏にリポートしてもらった。

 

三月上旬に、家出をして矢跡。三十六時間後にガトウィック国際空港で発見されたサイモン君(12)は、自宅に「毎日が地獄の苦しみだ」と書いた日記を残して、いじめに悩んできた日々を訴えていた。このニュースは新聞やテレビが大きくとりあげ、彼もテレビのニュースショーに出演したほどに関心を集めた。

会ってみると、心やさしくてひかえめな少年だった。クラスの中で悪口を言われたことから不愉快ないじめは始まり、やがて暴力をともなうものへとエスカレートしていく。放課後に待ち伏せされて暴行を受けケガをしたことで、いじめの実態は親や教師が知るところとなった。

けれども、いじめは終わらなかった。サイモン君はいじめの苦痛を胸のうちにしまいこみ、ただひとりで耐えた。「どんどんひどくなっていく。ぼくはただの犠牲者にすぎない」と日記に書き残していた彼は、ついに家出をしてしまう。家を出ていく時に、どんな気持ちだった?と尋ねた。「だれもぽくを必要としていない。混乱していて、お父さん、お母さんのことを考えて…・,」

そこまで言った時にサイモン君はこみあげてくる涙にくちびるを震わせて、隣にいた父親の膝に伏してしまった。思い出すだけで辛いことを聞いたことを心の中で詫(わ)びながら、私は彼にこう伝えた。「ちよっと危険だったけ

ど、とにかく冒険をしたことで両親にサインを出したことは良かったと思うよ。いじめで生命を絶った子は日本にもたくさんいて、親たちはどんなことがあっても生きていてくれれば、と嘆いている。家出して戻ることは出来るけど、命を失ったら戻れないからね」

新聞の記事になるだけで、いじめを理由として生命を絶つ子どもたちは、イギリスでも年間十数人という。サイモン君は生還して、これまでの学校に見切りをつけて、別の学校に入り直した。子どもたちが、心の居場所を求めてさまよう現実は、日本の状況と重なってくる。

私が次に訪ねたのは、二十四時間休むことなく子どもたちから電話相談を受け続ける民間団体『チャイルド・ライン』(八六年創設)だ。死の直前で悩む子どもたちにとって、匿名でいつでも話ができるこの電話の存在はきわめて大きい。

ロンドンのオフィスを訪ねた私は、その広さと事業規模に鷲かされた。専任のスタツフが二十人あまり、年間に八億円あまりの寄付金を集める。子どもたちからの電話はフリーダイヤルで『チャイルドライン』が負担する。学校や子どもたちの集まる場には、大きく電話番号を書いたポスターが張ってあるし、ロンドンの公衆電話にもフリーダイヤルの番号が刻まれている。

一日に三千〜四千本の電話が入り、その約一割が具体的な相談内容を持つという。約八百人を数えるボランティアが登録していて、訓練の後に四時間交代で、子どもの声に耳を傾ける。大変な人気で電話がかかりづらく、BT(ブリティッュテレコム)の調べで、一日一万件のコールがあるのだという。運営経費は企業の寄付と個人寄付によってまかなわれている。

子どもたちからの電話の中では、虐待や性的暴力を訴える声がもっとも多いが、いじめも上位をしめている。九四年には、一万二千件に及ぷいじめについての柑談があったという。

「『チャイルドライン』は、子どもたちの間でいじめが深刻な事態となっていることを、社会に伝える役割を果たしました。この電話がなけれぱ、この問題は以前と同じように放置されていたかもしれません」責任者の言葉には、イギリス社会でも伝統的に「いじめぐらいのことで悩むな。そんなものは乗りこえろ」という傾向が根強かったという背景が見える。ボランティアは、次々とかかり続ける電話に、静かでていねいな言葉で応対していた。私はそれを見ながら、十分機能しているとは言い難い、日本の「官営」電話相談の場をだぶらせて、考えてしまった。相談への対応もバラバラで夕方四時、五時には早々と終わるところが多い。

日本の子どもが、追いつめられた時に命綱のように頼ることのできる電話相談機関を民間主導で一日も早くつくりたい。次の世代を大切にできない社会は、やがて自壊していくに違いない。そのために個人も企業もお金と時間と心を惜しみなく使う時期が来ているのではないだろうか。

1996/7/24