作文で子供の心を探る
「本当に書きたいことを書いてごらん」----。作文という昔ながらの手段で、最近の子供の「荒れ」や「ムカつき」がどこからくるのか探ろうという試みが注目を集めている。時にはナイフ事件など生々しいテーマについても書かせてみる。学校の型通りの授業では優等生的な作文しか書かない子供が、自分の殻を破って「キレて」しまいそうな自分の心を原稿用紙にぶつけることもある。学校で、町の作文教室で、子供がどんな叫ぴをあげているのか探ってみた。
東京・神田神保町にある「国講作文教育研究所」は、作文教室の形で表現教育を行っており、小学生から高校生までが毎回テーマを決めて作文を書く。ある日のテーマは「同情」。寓川俊彦所長(44)が「同情って何?」と尋ねる。「その人と同じように悲しむこと」。答えが飛ぶ。ひとしきり意見が出ると宮川さんは「行き過ぎた同情はどうしたらなくなる?」と本題に入り、子供たちは作文を替き始める。
宮川さんは子供の作文と向き合って二十年以上になる。「こう書け、これはおかしいなどとは言わない。とういう考え方もある、という体験ができればいい」が持諭だ。十五分ほどで、最初に書き上げた子が作文を持ってくる。「この世は冷たい人ばかり」というフレーズに宮川さんは思わず苦笑する。
時折、胸を突かれるような表現にも出合う。「正しい人、正しい物はない。だけど、人々の心は正しくできるし、正しいという言葉もある」。小学六年生の小宮萌さん(11)は昨年、「正しいとは」という題でこう書いた。「ナイフ事件や、人を殺すことをやめてほしいと思って」。学校の作文よりここで書く作文が好きだという。「自分の思っていること、感情をそのまま表せる」からだ。
伊藤ゆりさん(11)は「がまん」という作文で、「犯罪者が出てくるのはがまんがあるから。がまん病の原因は常識」と書いた。「中学生の殺人事件も大人が悪い。みんな同じにして、少しでもちがうとおこったり、けいべつしてのけ者にする」というフレースにはお仕着せの常識への抵抗感がにじむ。伊藤さんは「ここで書く作文には正解がないのがいい」と話す。
宮川さんは「こうした繰り返しの中で、子供は自分の言葉を取り戻す」と、自信を見せている。
学校教育の現場でも、型通りの行事作文ではなく、子供の心の揺れを直視するテーマを取り上げる動きが見られる。「日本作文の会」のメンバーでもある埼玉県の小学校教師、保田儘宏さん(仮名)はこの一月、四年生のクラスで「不安・イラツキ・ムカツキ・キレル」をテーマに作文を書かせた。通常は学期中に何回か、一時間ずつしかない作文の授業を連続で実施。いつもならすぐに書くことが尽きる子供たちがこの時は様子が違った。初日が三時間、二日目が二時間、それでも足りずに、子供たちからは「もっと書かせて」との声が出た。結局、三日連続という異例の作文授業になり、、六作に分けて書いた子や、原稿用紙二十数枚の大作を書き上げた子供もいた。
ある児童が書いた作文では、友逢四人組の会話でこんな場面が登場した。「いっしょに(中学)じゅけんをうけよ」という友人に対し、一人は「じゅけんをかってにうけてろよ。おれたちセブンイレブンだから」と吐き捨てたどいう。友人が私立中学に進学する一方で、自分は町のコンビニェンスストアでたむろしている。そんな近い将来の見通しへのいらだちだと保田さんは解釈した。
子供の本音をすくい取るのは一朝一夕には難しい。保田さんは「子供は、親や教師の『こう書かせたい』という期待が分かる。だからうまく建前をまとめてしまう」と指摘する。
保田さんも今のクラスは三年生からの持ち上がりで、「ちゃんと受け止めてくれる、という安心感が育たないと子供の率直な考えは出てこない」と言う。子供の書いた作文が平板だと感じたとしたら、周囲の大人は自分が信頼されているかどうか見つめ直すべき時なのかもしれない。
1998/5/29/金
子どもの居場所
子どもを伸び伸びと育てるには、地域の中に彼らの居場所をつくることが大事11。国立婦人教育会館の調査研究活動の一環として「地域の教育力」について横浜、沖縄の事例を調べたお茶の小女子大学教授の天野正子さんは「社会的なアニキ、アネキ」や「社会的なオジサン、オバサン」の果たす役割が大きいことを強調する。
「まず大人が楽しむ」
「子どもたちのため?とんでもない。自分が楽しいからやっているだけ」
横浜市戸塚区の高層住宅団地に生まれた「すぎのこおやじの会」のメンバーの一人にインタビューしたら、そういわれた。おやじの会と名乗るからには、てっきり子どもの「健全育成」だとか「教育的配慮」だとか、父親たちが「役にたつ」ことをしている会だろうと思いこんでいた。ところが「せいぜい、子どもたちの社会的なオジサンになれたらネ、僕らのユメはその程度」だ、という。
「学校はさぼっても、エイサーの練習はさぼれない。なにせ、社会的アニキとして頼りにされているから」こちらは沖縄県浦添市の内間小学校の体育館。青年会のメンバーの高校生は、学校を休んでも、毎土曜日の夜、子どもたちとのエイサーの練習には必ず顔を出す。
内間青年会は二十年以上も途絶えていた伝統芸能エイサーを苦労の末、復活させた。そのころ、いじめのため生徒が死亡する事件が地元の中学校で起こった。エイサーを通して「からだの記憶」を共有することから、同じ土地に生きるもの同士の共感を育てようと、子どもたちへのエイサー指導が始まった。大太鼓とともに踊る勇壮な姿はカッコいい。
「社会的なオジサン(オバサン)」「社会的なアニキ(アネキ)」とは、いったい何者なのか。教育の世界には、はやり言葉が多い。「ゆとりの教育」「心の教育」など、さまざまな言葉がはやり、やがて消えていく。「地域の教育力」もその一つ。具体的な実践が問われぬままに、はやり言葉として捨てられてしまうのは、なんとも惜しい。地域のなかに子どもの居場所をつくろうとする試みが、どこかにあるはずだ。さがしまわって出合ったのがこのキーワードである。
餅つきや銭湯めぐり
平均五十歳前後の会社員が主役の「すぎのこおやじの会」には、いろんな活動のレパートリーがある。市から田んぼを借りて米をつくり餅(もち)をつく。近所の祭りに参加してみこしをかつぐ。子どもを連れて地域の銭湯めぐり。コーラスグループを結成して卒園式で美声(?)をきかせる。みんなが同じことをするのでなく、自由自在に、自分の得意種目で参加する。「何々のために」から解放された伸ぴやかさのゆえに、会はもう十数年続いている。
「おやじ」自身がワイワイ楽しんでいるのを、はじめは遠巻きに「あんなこと、よくやるヨ」と胡散臭(うさんくさ)げに見ていた「ヨソ」の子どもらが、いつの間にか仲間に加わった。今では親にはいえない相談も社会的なオジサンたちにもちかけるようになった。親(タテ)でもない、仲間(ヨコ)でもない、その中間のナナメの関係の、社会的オジサン・オバサンが子どもたちには必要だ。遊びを通して、子どもに「キミにも味方がいるよ」とメッセージを送っていると、子どもからシグナルがかえってくる。親や教師に「告げ口をしない」のが社会的オジサンの最も重要な資格要件だ。親や教師の知らない「秘密」を共有する関係がオジサンとの距離を一気に縮める。
学校・家庭・地域の連携をはかるまえに、学校的な価値や親の熱い教育愛から逃れて、ほっと息をつき、憩い、自分をたて直すためのスペースが子どもたちに大切なのだ。
経験をわかちあう
きょうだいの少ない子どもたちにとって、おとなと子どもの中間の、「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」たちも、親や教師とはひと味違った存在になる。いま、子どもたちがぷつかっているいじめなどの困難は、少し前に彼ら自身が経験したものだ。「わけ知り顔」の大人と違って「わがごと」の延長線上に受けとめることができる。触れたくない過去も、子どもとなら共有できる。
ときには「悪い」ことも教える。ちょっとしたいたずらや悪巧み。「悪い」こともしておくことが大人になるうえで大切である。お姉ちゃん・お兄ちゃんの方も社会的なアネキ・アニキとして頼られることで自信をもち、自立していく。子どもが育つ生活空間としての地域は、子どもの記憶に残る生涯の原風景を形づくる。親とはちがった立場で肯定的に受けとめ、認めてくれる居場所のあることが、子どものなかに他者と向き合う力、楽しむ感覚をつくりだすのである。
1998/12/19/月 夕刊
教育コラム ホワイトボ−ドより
子供が先生に求めるのは優しさ
昭和初めの教育雑誌を閲覧しているときに、子供がどんな教師を望んでいるかを調べたデータが目に留まった。
昭和8年に小学校の高等科生を対象に行った調査によると、「好きな先生」の上位3位は@親切で優しいA話が面白いGにこにこしている−−。嫌いな先生は、@すぐに怒るAすぐに殴るBえこひいきをする−−であった(「帝国教育」昭和9年1月号)。
ここ数年、子供がどういう担任を求めているのか、調査を重ねてきた。その結果、子供が好きなのは、自分を励ましてくれたり、悩みの相談にのってくれる先生。嫌いなのは威張ったり、嫌なことをいう先生という傾向が分かった。子供たちによると、担任の教え方がうまい・下手はそれほど問題ではない。人間的に優しくて信頼できる先生が好きだという。
現代の子供は甘えるタイプなので、厳しさを避けて、優しい先生を望んでいる。でも、昔の子供たちなら、厳しい先生を求めているのではと、思っていた。それだけに、60年以上昔の調査に非常に関心を持ったが、実は昔の子供も、現代と同様、優しい人間的な教師を求めていたようだ。
教師はものを教えるのが仕事なので、教え方にこだわる。しかし、子供は教師に人間性を求めている。教師は、教えることにのみ意識を集中させずに、子供の心を育てるつもりで、良き励まし手を心掛けてはどうか。
1997/3/9/日 掲載記事
子供とどう向き合ったらよいか
子供にどう社会のルールを教えるべきか、家庭も学校も悩んでいるように見える。大人と子供はどう向き合ったらよいのか。相談コーナー「Q&A」の回答者で、ヤングアダルトと呼ばれる青年層の生活環境を研究している千葉大学教授・宮本みち子さんに、いくつかのヒントを示してもらった。
町作りからスタート
ルーズソックスやキャラクターグッズなど、子供たちの間に新しい流行が瞬く間に広がっていく。十代半ばくらいまでの子供がビジネスのターゲットになる一方で、子供たちの方も流行に簡単に感染していく。子供たちは生活の”根っこ”を喪失したように見える。
子供は家庭でも地域社会でも、何の役割も責任も課されていない。いつ、どうやって親離れをし、自立するのか、という道筋が見えない。いつまでも親に頼ることが許される雰囲気が、家庭にも社会にもある。
その上、子供の視界から地道に働く人々の姿が消えた。見えるのは金銭で動く現実だけだ。どうしたら子供たちに自立までの自分の末来図をイメージさせられるだろうか。参考にいくつかの例を挙げてみよう。
米国の小学校で高い評価を受けた「ミニ社会」という授業があった。私は毎年、大学で学生にこの授業のビデオを見せるが、面白いことに「ミニ社会」に興味を示す学生が年々、増えている。
小学二年生が「ミニ社会」の授業の中で、まるで主人公のように生き生きと活動する姿に、受け身の教育を受けてきた学生は感動するようだ。「ミニ社会」の授業は初めに教室に一つの町をつくるところから始まる。議会、銀行、郵便局、企業、商店など、実社会がそのまま縮図として映される。子供たちは法律(ルール)に基づき、疑似通貨を使って、一年間、町を運営しながら暮らしと社会の仕組みを学ぶ。
例えばクラスメートのコートを管理する「コートケア」という企業。ロッカーで、友人のコートをクロークのように整理し、コートが落ちたりすると拾ってそろえて掛けるかわりに、請求書を持ち主に送る。それを通して子供たちはサービスにお金がかかることを理解していく。
一年間の締めくくりはグランドセール。今度は現金を持って実社会に飛び込む。郊外の卸問屋にスクールバスで出かけ、校内セールで売るための商品をなるべく安く仕入れる。こうした「ミニ社会」の運営には、卒業生や親、地域社会の応援が欠かせない。
親の責任は18歳まで
米国では、共働き家庭や離婚による一人親家庭が一般的だ。親に守られて育つ「古き良き子供時代」は終わり、子供も家族の一員として仕事を分担することが求められる。だからこそ、子供に生活管理のノウハウをきちんと教えるべきであり、こうした教育が社会の主人公としてより良く生きる市民をつくる。これが「ミニ社会」教育の精神だ。
欧米では元々「親の責任は、子供が十八歳になるまで」という考え方がある。十八歳までに子供が独り立ちできるよう支援するのだ。女性の社会進出や離婚の増加で家庭が劇的に変化した社会では、子供は親から一方的に世話を受ける立場ではなく、家事を分担し、時には親の相談相手となり、アルバイトで経済的責任の一端を担う共同生活のパートナーになってきた。
ところが日本では、母親が子供の身の回りの世話をすべて担っている。三十歳近くまで親を頼るヤングアダルトが珍しくない。
目本でも模索の動き
こうした状態への危機感から、日本でも、子供が巣立つ日に向けた教育を模索する動きが出ている。例えば酪農を基礎とする北海道のフリースクール「瀬棚フォルケホイスコーレ」。雑誌「自然と人間を結ぶ」(農山村文化協会)で昨年紹介された。人生の目標につながるものを探し、学びあう一年制の学校だ。ここで子供たちは酪農という肉体労働を通して、自信や思考力、バランスが取れた健全な判断力を養う。一年たつと、物静かな大人の雰囲気が備わる。
今、家庭の子育てに必要なのは、わが家のルールを作ること、そして子供の役割と責任を家庭の中ではっきりさせることだ。自律、自尊の精神はそこから生まれる。個人主義の時代には、自分の頭で考え、解答を見つける力をつけなくてはならない。
親や社会の役割は、子供を保護するばかりでなく、親の家から自立するというゴールに向けて、人間としての〃根っこ”を身につけさせ、旅支度をさせることではないだろうか。
1998/1/7/水
子どもセンター
1999/9/17/金
「親子で参加できる週末の催しは」「子供向けキャンプ情報を知りたい」。親たちのこんな要望にこたえて情報誌の発行などを行う「子どもセンター」が、今年度から全国で設置されている。民間ボランティア団体などが文部省の委託を受けて運営するもので、すでに三百六十三カ所で活動が始まった。二〇〇二年度からの学校完全通五日制を控え、地域ぐるみの子育てを支援するのが狙い。二〇〇一年度までに千カ所の設置を目指している。
全国で数カ所活動
子どもセンタiは市や郡などの単位で設置。一つのセンターが複数の町や村をカバーするケースもあり、文部省によると、現在活動している三百六十三カ所の.活動範囲は全国の約三割にあたる計959市町村に及ぶという。運営は、教育関係者や子育てにかかわる市民団体などが協力して作る協議会が文部省の委託を受けて行う。同省からの予算を基に、実際の活動はボランティアの市民らが担っている。
センターの主な役割は地域の情報発信基地となること。全国、都道府県、市町村の各レベルの子育て情報を収集し、年四回程度、情報誌にまとめて提供する。特に、地元の子育てサークル紹介など、市販の情報誌には載りにくい地域密着型の情報に力を入れている。保護者や子供からの問い合わせに対し、相談機関などの紹介もするという。
各センターでは夏休みを前に今年七月、創刊号を発刊。A4判で四汀ほどの冊子に、科学鏑など公的機関の催しや、市民団体が開く親子自然体験講座などを掲載した。「子どものための遊びと学びの情報誌」「楽しい子どもニュースアッタくん」「子育てサロンCIA0」など、情報誌の名称は各センターのオリジナル。内容も、官民にとらわれない幅広い情報を盛り込むことになっているが、編集方針の違いなどから出来具合にはばらつきもあるようだ。
ボランティア活躍
千葉県酒々井町で今年五月から活動を始めた「B-Net子どもセンター」でボランティアスタッフとして働く順天堂大学スポーツ健康科学部(同県印旛村)の三年生、古川咲子さん(20)は「子供に読んでもらえるようレイアウトに気を使った」と創刊号づくりの作業を振り返る。編集には、ミニコミ誌の編集経験者や地元の主婦、小学生らも参加し、インターネットや独自の取材で情報を収集。創刊号四万二千部は活動地域(十市町村)にある九十の小学校を通じて約四万人に配布、次号からは十円で販売するという。
ほかの地域では行政主導型で設立されたセンターも多いが、BーNetの場合、同大学の学生ボランティアが立ち上げから参画した。学生たちは以前から、地元商店街と住民とのかかわりを深めようと情報誌を作成したり、フリーマーケットを主催するなど街づくりにかかわってきた。その実績を基にセンター運営を行政側に申し出たところ、認められ、文部省から経費として約百七十万円の予算も下りた。
順天堂大学教授で同センターの顧問も務める宮下柱治さん(64)は「何かやってみたいと思った子供が自分で情報を探し、体験して、主体性をはぐくんでいく手助けをしたい」と話す。宮下さんは、地元の竹細工名人を訪ね、子供向け体験教室の開催を依頼するなど、地域のネットワークの掘り起こしにも力を入れている。住民が有機的に結びつく街づくりが、子供が生き生きと育つ環境づくりにつながると者えるからだ。
ホームページも開設
各センターの情報誌は地域の社会教育施設や郵便局、一部のコンビニエンスストアなどで入手でき、インターネットのホームページを開設しているセンターもある。「家に開じこもってゲームばかり」などと評されがちな現代っ子に、外遊びの楽しさや地域の人々と触れ合う面白さを提案していけるか、各センターの努力だけでなく地域の大人たちの姿勢も問われている。