いじめと闘う

教師の言葉でクラスは一変

 

「このクラスの子は、覇気がない。自発的に発言する子が少ないんです」−−ある担任教師はこんなふうに予どもたちを批判する。しかし子どもたちの間には担任教師への不満がたくさん潜在していた。「どんどん進むため、授業がわからない」{いつも前にいた学校の子と比較して嫌みを言う」「答えを問違ったりすると、いろんなことをしつこく言われる」。

その教師は授葉の革備もよく行い、脱線もせずきちんと教える。「流れるような授業」が目標だという。しかし、子どもたちは失敗を恐れて次第に発言しなくなり、教師からの質問にも「わかりません」で済ましてしまう。授業中の重苦しさを払いのけるかのように、休み時間や掃除の時間は男子の粗野なふるまいが多くなる。身体の小さな子を相手にプロレスを無理強いする。級友のちょっとした矢敗に容赦のないからかいや冷やかし、非難が沸き起こる。教師の目の屈かぬところで子どもたちは欲求不満からくる激しい攻撃性を発揮するのだ。陰湿で執ようないじめの土台がこうしてつくられていく…・。

まるで対照的なクラスに出合ったことがある。子どもたちは授業中も休み時間も変わりなくのびのびふるまっていた。友違の失敗や答え間違いを冷やかしたりからかったりする子もいない。そんなクラスの授業風景をビデオで撮らせてもらったことがある。ファインダ−越しに、「このほっとする雰囲気は何なのだろう」と不思議に感じた。そんな雰囲気の中で子どもたちはあれこれ考え,子どもらしいユニークな答えを積極的に発

言している。

ビデオを何度か再生するうちにその秘密がつかめた。その教師は子どもたちの心を変に刺激する言葉を一切言わないのである。どんなに準備して流れるような授業をしても、不安がらせたり、逆なでしたり、元気を奪ったりする言葉をたくさん発したなら、子どもの心は勉強どころではなくなるだろう。心の中のかっとうと闘うことにエネルギ-をすり減らしてしまうからだ。

ビデオの中の教師は丁寧に子どもの言葉に耳を傾けていた。子どもたちも教師同様、仲間の発言を静かに聞いている。安心できる時間と空間が、そこにあった。

(菅野  純  早稲由大学助教授)

1997/02/05//掲載記事