パラサイト親子
いつまでも親元を離れず、援助を受けて優雅に暮らす「パラサイト(寄生)シングル」。困った若者の代名詞として否定的に語られがちだが、実は親の態度がそう仕向けているとの指摘もある。親子関係に関する調査を続けている明星大学人文学部の岩上真珠教授(家族社会学)に報告してもらった。
一九九一年にあるプロジェクトで、二十代の未婚者と五十代の観世代を対象に、ベッドタウンと言える東京・府中市で親子の経済関係について調査をした。そのころ、「新人類」と呼ばれた若者たちが年齢不相応にリッチに暮らしているのを目の当たりにして、彼らの金銭感覚を疑った。
奇妙な仲良し親子
そこで「発見」したのは、親元にとどまり続けている大量の男女の未婚者たちと、他方で、二十代半ばの娘や息子の世話を文句も言わず引き受けている専業主婦の母親、さらにその状態をさして不満にも思わない父親の姿だった。
家に入れるのはたかだか月三万円程度。それで大手を振って親元に居座っている子と、そのお金でさえ子供名義で貯金してやっている親。なんとも奇妙な仲良し成人親子がいたのである。それまでにない、新しい親子関係の出現だった。
時代はまさにバブル絶頂期。分析結果は九七年に『未婚化社会の親子関係1お金と愛情にみる家族のゆくえ』(有斐閣)で示したが、共著者の一人、山田島弘さんはこの現象を「パラサイト・シングル」と名付け、流行語にまでなった。
私の大学ではその後も毎年、府中市で社会学科の学生と一緒に様々な年代層の親子関係について調査してきた。特に一昨年と昨年は、五十代になった団塊世代(四七-四九年生まれ)の男女五百人ずつを対象に、二十代になった団塊ジュニア世代との関係をインタビューも交えて調査した。
日本では、この十年間にバブルが崩壊し、限りなく発展するかに思われた経済の先行きも不透明になった。親たちの年齢層も、三〇年代生まれの戦中派から団塊世代へとスライドしてきただけでなく、親を取り巻く環境も企業倒産やリストラなど、若者に劣らず厳しくなっている。「援助」の認識のなさこのような状況の中で、団塊世代について行った調査結果を見ると、グラフにもあるように、相変わらず二十歳を過ぎた未婚の子との同居率は高いものの、子への援助は「していない」という回答が多かった。これによれば、団塊世代の親のもとでは「パラサイト」現象は消失したかのようにみえる。
しかし、インタビューしてみると、この数字にはワケがあると判明した。それは「援助」に対する認識の甘さである。つまり、月々小遣いを渡すといった直接的な援助でない限り、自分が援助をしているとは考えていないのだ。食費、光熱費、住居維持費……。子との同居に要する様々な経費、生活費を親が負担することは、援助の内に入れて考えてはいないのである。
さらには、学生である限り、学費だけでなく小遣いを援助することは当然とも思っている。「小遣いは月々七万円くらい出している。それとは別に大きな出費のときは出してやる。当然の義務だと思っている。まだ学生だからね」(五十一歳父親、二十歳息子に)といった具合だ。
子供が働き始めた親でも、変化はない。「食費ということで毎月多少はもらっている。援助しないで生活しているわけだから、経済的には自立しているといえるのでは」(五十二歳父親、二十六歳の息子に)、「援助は別にしていない。食べるのと住むのはここだが、特に何かを買ってやるわけでもないし」(五十三歳母親、二十八歳の娘に)
まあ何と「寛容」な親たちであろうか。団塊世代の親たちは、成人した子どもは自立すべきだという規範意識は持っている。その一方で実際には、十年前と同様、卒業後も同居を続ける子に対して生活費を実費で要求することも、応分の経費を負担させることもしていないのである。
団塊世代が属する中年世代は、ことあるごとに「今どきの若い者は甘っだれだ」と嘆くが、そう仕向けてきたのは他ならぬ自分たちであることに案外気づいていない。ここにパラサイト現象の一因が見えてくる。
現在の日本では学費や生活費を本人だけでまかなうことは確かに難しい。しかし若者が「大人になる」ことのけじめは、まず親から独立することでつけられるのであり、その時初めて大人への歩みが始まるのではなかろうか。大人になる道筋を示してやる文化を、日本の社会はどこかで忘れてきてしまったようだ。
けじめ問われる時
かつて「異議申し立て」で鳴らした団塊世代も、ある意味では「甘ったれ」世代のはしりであったのかもしれない。かく言う私も団塊世代である。親として子供たちに何を残すか、大きなツケを支払う時期がきたように思う。来し方行く末を見つめて、たまには夫婦で話し合ってみてはどうであろうか。
2001/6/13/水