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総合的な学習の時間
新学習指導要領の目玉である「総合的な学習の時間」に対し、現場には様々の期待と不安が交錯している。日本総合学習学会会長を務める上野健爾京大教授に、「総合的な学習の時間」の課題を寄稿してもらった。
新指導要領は、新たに導入される「総合的な学習の時間」の狙いは
・自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる
・学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする
----ことであると述べている。この狙いは教育そのものが本来目的とすべきものであり、「総合的な学習の時間」を従来の教科学習の時間を削減してまで作らなければならない現実は、教育の荒廃の表れといえよう。事実、最近の大学生の多くはこの二つを身に付けずに大学へ入学しており、.大学教育が十分に行えなくなっている。大学生の学力低下の本質はここにある。最近相次いだ、東海村の臨界・事故も、JR西日本のトンネルのコンクリート亀裂の点検漏れも、H2ロケットの失敗も、「自ら考え、主体的に判断」できなくなっている多数の大学生の存在と無関係とは思えない。
希薄な新指導要領
生徒が中心になって主体的に学習していく「総合的な学習の時間」は、今までの初等・中等教育になかった新しい試みではあるが、問題点も大きい。ほとんど何の準備もないままに、来年度から試行的に導入されることになっており、現場での戸惑いは大きい。
さらに、これに追い打ちをかけているのが、新指導要領による教科学習内容の希薄化である。新指導要領はゆとりの教育をうたい教科内容を厳選したが、授業時間も大幅に減少し、基礎学力の低下を招きはしないかと深刻な疑問が提出されている。生徒が主体的に学ぼうと思っても、それを裏付ける基礎学力がなくては自ら学ぶことは不可能で、基礎学力の充実なくしては「総合的な学習の時間」は死んでしまう。
「総合的学習の時間」が従来の教科学習と根本的に異なるのは、授業の内容や組み立てに関し地域や学校の特色を生かし各学校の主体性に任せる点である。また、点数によらない生徒の評価も求められている。これは、これまでなかった試みであり、ここから初等・中等教育の新しい流れが出てくることが期待される。
しかし、ただでさえ多忙な教育現場で、人的にも資金的にも十分な援助がないまま学校の主体的な取り組みばかりが強調されても、こうした試みが十分に成果をあげるとは言い難い。荒廃の背景に安易さところで、現在の教育の荒廃を知育偏重に陥ったせいであるという論評をよく見る。だが、私には現在の荒廃は知育がきちんと行われていないことに起因するように思えてならない。知育とは事実を教え、暗記させ、テストで良い点をとらせる教育を行うことではなく、考え方の道筋を生徒一人ひとりが学び自分のものとすることにある。しかし、現実にはテストでよい点数をとることのみが教育の成果と見なされ、生徒自らが考える努力は推奨されない。生徒たちは驚くほど本当の学問に飢えている。真の学問は、生徒一人ひとりの魂に語りかけ、興味をわかせ、学問に対する畏(い)敬の念さえ抱かせる力をもっている。教科の持つ真の学問的背景を忘れ、安易な教育が行われていることこそ教育の荒廃なのである。
リトマス紙の役割
このような観点からは、「総合的な学習の時間」の導入は、「自ら学ぴ、自ら考え、主体的に判断する」先生であるか否かを生徒の前にはっきりと表させるリトマス試験紙の役割をするであろう。生徒は先生を恐ろしいほど冷静に見ている。「自ら学び、自ら考え、主体的に判断する」先生でないと生徒が判断すると学級は崩壊するであろう。生徒に「自ら学び、自ら考え、主体的に判断する」ことを要求する前に、先生が自らそのことを実行する必要がある。「総合的な学習の時間」では先生の学力の充実こそがまず必要とされる。それと共に,分からないことは分からないと生徒にはっきり言える先生でなければならない。学問に不誠実であることは教育に対しても不誠実ということである。
私は「総合的な学習の時間」は実は先生の学習の時間でもあると考えている。先生は、自己の専門を基礎にして、そこから生徒と共に、しかも生徒以上に深く広く学ぶ必要がある。
このように考えれば、「総合的な学習の時間」の導入は混迷する教育に新しい光を投げかけるだけの力を持っているといえるであろう。しかしながら「総合的な学習の時間」が、生徒の基礎学力の不足から、ともすればイベント的、お祭り的な時間に終わることが最も心配される。例えば、環境問題の学習と称して学校近くのゴミを拾い、それでよしとすることなどがその最たるものである。ゴミを拾うことだけでは解決できない重大な問題があるからこそ環境問題なのである。
こうした事態を少しでも緩和し、「総合的な学習の時間」を意義あるものにするために、日本総合学習学会が昨年発足した。二十七日、二十八日の両日、東京大学数理科学研究科(駒場キャンパス)で第一回年会を開催している。
会員の活動の発表を通して、これからの総合学習のあり方を皆で考える会合にしたいと期待している。特に、小学校から大学の先生までが一堂に顔を合わせ、専門分野を越えて議論し、助け合うことのできる場を提供することができることは画期的な試みといえ、こうした試みの中から、教育再生への新しい動きが芽生えることを期待している。
今、全国の小中学校の大きな関心事の一つが、「総合的な学習の時間」をどのように自校で展開するかであろう。教師向けに総合学習の解説本が相次いで発売され、公開実験授業を行う学校には数多くの見学者が訪れる。「環境」をテーマにした総合学習の実験授業に取り組ん.でいる公立中学教師は、
・予想以上に生徒の興味・関心や問題意識は高い。これをいかに高めながら個人のテーマに沿った学習計画を自ら立て問題解決を進める力を養っていくか
・創意工夫を生かした授業とするには、教師と地域の連携が欠かせない・テーマに対し、個々の教師が問題意識を持つとともに、研修や研究が必要
・図書館などの整備推進
----などの課題を感じ取っているという。ただ実際には、学校の中で総合学習に熱心なのは「担当」になった教師だけで、一般の教師の関心はそれほどではないという話もよく聞く。前出の教師も「実際に授業を進めてみると、担任教師の姿勢の違いなどによるのか、他の授業に比べて学級差が大きいように感じる」と言う。新指導要領への移行措置で、準備の整った学校は来年度から総合学習が始まるが、「総合学習は教師の力量を問われる」という指摘が早くも現実のものとなりつつあるのかもしれない。
総合学習実験授業
2000年度から小中高校で前倒し実施が可能になった「総合的な学習の時間(総合学習)」をにらみ、ユニークな実験授業を先行して始める学校が増えている。「国際理解や環境問題など、これまでの教科の枠を超えた学習」が総合学習の目的だが、実験授業では保護者が先生役になる試みも。ただ、中学校では教科担任制や受験対策のため対応が遅れるなど、課題も浮き彫りになっている。
六月上旬の火曜日。手業県浦安市立南小学校で努餌七時半から、カヌi郡国駆朝練に励んでいた。プールに浮がぶ四そうのカヌーのうち、杉材の一そうは児童の手作り。江戸川と境川に挟まれた同校が「川」をテーマに取り組む総合学習の一様だ。
同校では昨年,林間学校で訪れた黒部川でのカヌー体験を機に、五年生が地元の境川で生物や水質汚染を調査。さらに、べか舟と呼ばれる海苔(のり)採集の小舟が行き来した境川の歴史も学習。源流をたどるうち、江戸時代からの杉の産地、埼玉県名乗村と交流を深め、同村からカヌーキットを取り寄せた。五カ月かけて完成、プールでの練習を経て夏には境川に浮かべる予定だ。
今月には五年生が同村で地元小学生と交流するなど、川をめぐる探求は環境、歴史、体力作りといった教科にまたがる学習だけでなく、友達作りにも発展。村瀬光全校長は「まるで旅をするように自由に学べるのが総合学習のだいご味。自分の人生を方向付ける〃生き方教育"が実践できる」とメリットを強調する。
大阪府の箕面市立萱野小学校では先月、ペルー人音楽家のセルン・カセレスさん(43)を家庭科の授業に招き、六年生がペルー料理作りに挑戦した。「トウガラシたくさん入れると辛いんちゃう」。児童の質問に「ペルー料理にスパイスはつきもの」とカセレスさん。「ペルー料理なんて初めて。家に帰って作ってみたい」。にぎやかなおしゃべりも、れっきとした国際理解教育だ。
保護者が教壇に立ったのは京都市立高倉小学校。五年生のある班は伝統的な街並みコ泉町家の変遷」をテーマに選択。歴史に詳しい保護者の指導で町家の模型を完成させた。
授業の性格から身近な体験を取り込みやすい小学校に対し、中学校での取り組みの進展は今一つ。文部省は「担任が主要教科を受け持ち生活科の素地がある小学校に比べ.、中学では教科担任制で教師間の調整が必要なのも一因では」と話す。受験優先で実験授業をする余裕がないケースもあるといい、大阪府教育委員会は「受験が大きな壁となっている」と認める。
小中学隆での全面実施は三年後だが、導入を急ぐあまり「本来の目的を外れ、珍しい体験をすること自体が目的になっている」との批判も。東京都教育庁の担当者は学校を視察する度に、「目新しい取り組みに目を奪われて各教科の基礎をおざなりにしないようお願いしている」という。
※ 総合的な学習の時間
文相の諮問機関、教育課程審議会(三浦朱門会長)の九八年の答申を受け、学習握導要領に盛り込まれた。各教科で身に付ける知識や技能、態度などを相互に関連づけ、深めていくことを目的としている。特定の教科書はなく、環境教育や国際座解、福祉などの教科横断、的なテーマを扱い、体験的な学習,問題解決型の授業を目指している。二〇〇二年度に全国の小中学校で完全実施されるが、二〇〇〇年度から先行実施してもよいことになった。
新学習指導要領「総合的学習」の課題
2002年度から実施される新学習指導要領の目玉が「総合的学押し。学校の授業に新風を巻き起こすとの期待がある一方で、学校現場の戸惑いも根強い。川村学園女子大学の古藤泰仏教授に、総合的学習の課題について寄稿してもらった。
教育は結果が直ちには見えない実践だけに願望やスローガンが先行しがちであるが、総合的学習では特にこの傾向が強い。「明治以来変わらなかった教科主義をやめる大事件」とか「従来の一方通行的スタイルの授業を180度転換」といった言い方は極端だとしても、ユートピア的賛辞でもって語られる場合が多い。
抽象的な「生きる力」
総合学習に関する研究会に参加した先生方に感想を尋ねると、「どんな授業なのか知りたくて参加した」との答えが大半だが、「準備が大変そうだ」「果たして授業といえるのか」「学力がつくのか」「生きる力との関連がみえない」などと戸惑いの声も多く返ってくる。一年間、先行的に総合的学習に取り組んだ小学校が子供たちの反応を調べたところ、「おもしろかった」という回答が六四%あった半面で、「つまらなかった」(一七%)、「わからなかった」(一九%)という回答も少なくなかったとの報告もある。
総合的学習といっても実践の中身は様々で、教師も子供も戸惑っているのが実情。共通のキーワードである「生きる力」にしても極めて抽象的だ。こうした戸惑いが、学校現場で「様子見」の傍観につながる危険性は大きい。先行的実験が一段落した今、総合的学習の特質を検討し、実践上の課題や可能性を探ってみる必要があろう。
総合的学習は「統合化・総合化」と「生活化・体験化」の二つのベクトルを持っている。この二つのベクトルに、総合的学習の特質や課題を解きほぐすカギがある。
国際理解など具体例
新学習指導要領は「統合化・総合化」を「横断的・総合的な課題」と提起、「国際理解、情報、環境、健康・福祉」などを具体例に挙げた。
これまで各教科は、基本的にはそれぞれ基礎学問(科学)を背景(横軸)に持ち、学習者の発達段階(縦軸)に対応させて系統的・体系的に学習できるよう編成されてきた。だが、近年の諸学間の発展は著しく、多くの専門領域や境界領域の誕生を促し、既存の教科区分では対応しきれない領域や間隙(かんげき)が数多く生まれた。こうした変化に、従来は学問や科学間の広領域的統合(例えば社会科や理科)や内容融合(生活科)をもってこたえてきたが、もはや、そうした対応ではカバーできなくなってきた。これが総合的学習が生まれた背景にある。
実際に、児童・生徒の興味・関心に基づいて総合的学習の授業を行っていく場合、こうした背景や意図を.踏まえて、追究課題(内容)の設定や展開を図っているのかが、第一のポイントである。その際に重要なのは、いわゆる教科至上主義が陥りがちな排他的傾向に、どう対処するかであろう。複数教科・領域にまたがる学習対象に対して、各教科や個々の領域の分化的・横断的な関与で済ませるようでは、「総合」の名を借りた個別教科学習の寄せ集めに過きず、個別教科的な知識や技能の習得に終わってしまう。総合的学習は単なる教科学習の延長ではないのである。
教科の偏狭的性格に正面から立ち向かい、横断性や複合性を保持したまま全体を統合し、総合的課題として取り組めるよう、いかに組織化を図るか--。総合的学習の狙いである総合的・応用的(従って創造的)な資質や能力の育成に欠かせない視点だろう。
次に、「生活化・体験化」について考えたい。教科は内容の系統性を尊重する性格上、学習と生活が遊離し、体験的な学習活動が不十分になったり、受け身の学習に陥りやすい側面を持つ。これを克服する一つの手法は、子供の生活体験をどう生かし、興味・関心をどう吸い上げていくか、地域や学校など身近な生活課題をどう取り上げるかということである。
とは言っても、「やりたい」「したい」とか、「おもしろい」だけでは課題になり得ない。児童生徒の意見や考えを取り入れる際、「統合化・総合化」の背景や意図を踏まえながら、どれだけ意味(内容)のあるテーマや活動に高められるかが、もう一つのポイントだ。先行研究の中には児童生徒の「やりたい」「したい」という声を生のまま受け入れ、課題性の乏しい活動が散見される。「子供を中心に置く」ことと、「やりたいことをやる」ことは違うのである。
このベクトルのもう一つのポイントは、体験活動であればそれでよいのかという問題である。新学習指導要領は「自然体験やボランティア活動などの社会体験、観察・実験、見学や調査、発表や討論、ものづくりや生産活動など体験的な学習、問題解決的な学習を積極的に取り入れること」とし、実体験を極めて重視している。
実体験は原体験として重要であり大切であるが、そこで得た体験知だけでは高次の精神活動には発展しない。問題解決的な能力に高揚していくには、体験知を総合的な認識に高める知的な営みが欠かせない。追究したり発表したりする活動があれぱよいのではない。コンピューターやインターネットを活用すれぱよいのではない。各教科での学習成果が統合的に反映されるような手だてが必要なのである。どんな知的な手だてを施すか、現場には真剣に検討してほしい。
特に個人の興味や関心に基づく追究活動の場合は、内容(統合化・総合化)との関連を十分に把握しないと、課題性を失った「お遊び」に終わってしまう恐れがある。
教科学習と補完を
以上、二つのベクトルの相関で検討してみると、・総合的な学習は、教科学習と補充・補完関係ないしほ克服関係にあるのであって、敵対関係にはないこと。従って教科学習を軽視してはならない ・二つのベクトルの大小関係によって、さまざまなレベルの総合的学習が存在する ・両ベクトルの合力が目指す能力(学力像)になる----ことがわかる。私は、これらを満たすものでなければ総合的学習とは言えないと考える。
最後に強調したいのは、大言壮語に惑わされず、自分の学校や地域の条件(特色)を基に、二つのベクトルの力関係を検討しながら等身大の実践を試みることである。他校のカリキュラム模倣からは、総合的学習は生まれない。
※ 教師"情報収集"に懸命
文部省は六月初旬に告示した新学習指導要領の移行措置の中で、「総合的な学習の時間」を二〇〇〇年度から先行実施できることを明記した。各学校の準備状況が異なるため全国一斉というわけにはいかないが、かなりの数の学校で一年後には総合的学習の時間が始まることになる。小学校三年生以上で導入される総合的な学習は既存の科目の枠を超え、体験学習などを通して、児童・生徒が自ら課題を見つけ考える力を養うことが狙い。「学校再生の切り札になりうる」(寺崎昌男桜美林大学教授)との期待が集まる一方で、手探り状態でのスタートに不安を隠せない教師も多い。全国の学校現場は今、急きょ総合的学習の解説書を買い求めたり、研究会への参加、試験的に実施している学校の視察などを通して〃情報収集〃に懸命だ。
しかし、現場教師や保護者の間に、総合的学習の趣旨がどれだけ浸透しているか懸念が残る。
各学校や教師の創意工夫が一段と求められているにもかかわらず、近隣の学校の動向をにらんだ〃横並ぴ授業〃や、評判になった取り組みを模倣する〃コピー授業〃の横行、入試対策への流用などを心配する指摘も聞かれる。総合的学習が狙い通りの成果をあげられるか、学校現場の責任は重い。
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