ストレス社会で1
七九年冬のある日の夕方だった。自社の商品を売り込もうと懸命になっていた商談の最中に、全身を震えが襲い、激しいめまいがして話ができなくなった。「自分の体にいったい何が起きたんだ」。東京都内の会社に勤めていた松本始さん(仮名、54)は予期 しない体の異状に気持ちが動揺した。
商談相手は驚いて懸命に体を気遣ってくれるが、震えが止まる気配はない。商談はとても続けられなかった。会社の近くの病院に駆け込み、翌日には自宅近くの総合病院に入院させられた。
「これは普通ではないな。自分の体はどうなっているんだ」。自分の体には自信があった。これまで病院に行ったことはほとんどなかったし、最近体調の変化があったわけでもない。当時三十代半ばの働き盛りの体を武器に、得意先の接待には深夜まで付き合い、自社の商品を売り込んでいた。
体に今まで経験したこともないようなけん怠感、脱力感がつきまとい、なかなか抜けない。約一カ月後に出た検査結果は「異状なし」。退院後は自宅療養することになったが、「気分は悪いままなのにどうしてあんな診断なんだ」と納得がいかなかった。
一カ月以上も会社を休むのは初めてだっただけに、療養中でも「自分の仕事は今どうなっているのだろう。会社への復帰に備えなくては」と、気がはやる。症状はあまりよくなかったが、ある日、長男を連れて会社まで行ってみようと通勤経路をそのままたどってみた。
すると、体は会社に行くことへの「拒絶反応」を示した。人込みでごった返すターミナル駅に降り立った途端に、吐き気がし、足がわけもなくガタガタ震えて立っていられなくなったのだ。「前の発作の時とも、けん怠感とも違う。 でもこんなことは会社には言えない」。仕事の行方が気になっていたこともあり、翌年春には会社に行き始めた。
しかし、バリバリの営業マンとして残業をいとわず働いていたかつての自分にはとても戻ることができなかった。得意先を飛び回り自社の商品を懸命に売り込むどころか、会社にいたままでも気分が悪くなり早退することの繰り返しだ。調子が悪いのは勤務時間中だけではない。通勤の時に、駅や会社の近くの人込みに交じると息苦しい感じがし、風邪もひいていないのにマスクをしないと歩けなかった。「自分は何か得体の知れない病魔に侵されている」。約一カ月後には別の総合病院に入院することになった。
1998/3/18/水
ストレス社会で2
原因不明の病気に悩まされるようになって約四カ月。仕事に全く集中できないこともあり、東京都内の会社に勤めていた松本始さん(仮名、54)は、自宅近くの総合病院に入院した。前に入院した時とは別の病院を選んだのは、この病院なら自分の病気をちゃんと治してくれるのではないかと期待したからだった。
検査結果はまたも「異状なし」だったが、この病院は松本さんに精神科での診療を勧めた。「自分には心の病にかかるような心当たりはないのに」と思いながらも、不眠やいらいらなど、精神的に不安定な面もあったことは事実だ。医師の指示に従い、通院を始めた。
精神科では投薬による治療が中心だった。医師は病名について説明をしなかったが、症状は改善されていった。発病から一年後には仕事も発病前とほぼ同じようにこなせるようになってきた。
ところが、自分が原因不明の病にかかっていたことがあまり気にならなくなった、その年の秋。出張中に頭にガーンというこれまでにない激しい痛みを感じた。頭痛は何日たっても治まらなかった。仕事は再び満足にできなくなった、頭痛のせいで集中力を欠き、商談中にも「こんな仕事は早く終わってほしい」と考えてしまうようになうたからだった。
自分に対する会社の対応もこたえた。病状が安定せず、出勤が不規則になってきた松本さんに、営業に必要な情報を回さなくなってきたのだ。「自分がこんな病状では、どうしようもないか」。三年後には社長に自ら辞表を出した。
「病気はいったい何が原因なんだ」。答えはなかなか見つからない。通院先を別の病院の精神科に変えても、「あなたは会社に行っても大丈夫」と言うばかり。「何をやっても治らない」という、強い絶望感から、頭痛だけでなく不眠症にも陥り、注射を打ってもらってやっと寝付くことも多くなった。
そんな松本さんに夫人がある日、「仕事のしすぎでそうなったんじゃないの」と問いかけた。。発病前の自分の生活を振り返ってみると、休日も含め連日のように得意先とマージャン、ゴルフなどの付き合いが続いた。まさに会社中心の生活だった。
睡眠時間は平均四〜五時間ぐらいで、午前様の日も多かった。病気が自分を襲ったのはいずれも勤務中だ。「得意先との関係や付き合いを気にしすぎて働き過ぎ、気が付かないうちに自分に過大な負担をかけていたのかも」。それでも、それが自分の体をむしばんでいる根本的な要因とは思えなかった。
1998/3/21/土
ストレス社会で3
東京都内の会社を辞職してから約半年後、原因不明の頭痛がややおさまり、松本始さん(仮名、54)は都内の別の会社に再就職した。頭痛は続いていたが、病歴については就職先の会社に隠した。
この会社では、客からの突然の商品の注文もあり、社用車で自ら客のところまで商品を配送しなければならない。何とかして客のところに商品を届けなければ、という気持ちで仕事をするのだが、松本さんにとってはそれがいい意味でのブレッシャーになっているように思えた。
「常に責任感と向かい合わせになっているこういう仕事はおれに向いている」。病院の精神科に通い、薬は飲み続けていたものの、仕事に慣れていくに従って、これまで出ていた症状はあまり出なくなっていた。実績もあげ、しばらくして管理職にも抜てきされた。
一方で、生活は再び不規則になった。会社の同僚と、近くの酒場で飲んで騒ぎ、そのままマージヤンに、というパターンが毎日のように続く。自分では特に意識はしていなかったが、いつのまにか病気に襲われる前の会社中心の生活に戻っていたのだった。
飲んだりマージャンをしたりするのも、心のどこかで仕事にストレスを感じているからだった。入社三年目には肝臓の調子が悪くなった。体が示した警告とも言えたが、それを省みることなく、肝臓が元に戻ったら、会社中心の生活パターンに戻った。
そんな生活を続けていた九〇年代前半のある夏のことだった。自宅を出て駅に着くと心臓が締め付けられるような痛みを感じた。二週間後には心臓発作を起こし入院。その時、常用していた精神科の薬を医師から止められたのが思わぬ結果を招いた。
「心臓を悪くしたうえに、薬まで止められたらどうなるかわからない」。なぜかひどい不安感に絶えず襲われて激しい頭痛が再発した。人にあたりこそしないが、いらいらも相当なものだった。大量の睡眠薬をまた服用するようになり、発汗も多くなった。休みがちになり、出てきてもメッセージボードにすら手が震えて字が書けない松本さんをみて、会社は「現職では無理」と判断し、仕事の少ない管理部門に配置替えした。心臓は良くなり退院はしたものの、茶わんを持ったりすることもできなくなり、食事さえとれなくなった。
「心臓が悪くなるのと精神的にうつ状態になる悪循環になっている。メンタルな面を根本的に直さなければ、どうにもならないのではないか」。自分でそんな風に感じるようになったちょうどそのころ、通院先の医師は心療内科への通院を薦めだのだった。
1998/3/23/月
ストレス社会で4
「心療内科に行ったからといって、これだけ長い間自分を苦しめているメンタルな病は治るのか」。会社中心の不規則な生活からストレスがたまり、原因不明の頭痛に悩まされ続けた松本始さん(仮名、54)はずっと通院していた病院の紹介状を手に、不安のま ま都内の心療内科を訪ねた。
心因性とみられる病気に悩まされ続けて、すでに十年以上が経過している。その間、精神科、神経科と名のつくところに通院し、結局ぶり返すという繰り返しだった。自分のこの病気は治ることはないのではないかという絶望感も頭痛やいらだちを一層助長していた。担当医は詳しく問診したうえ、約100項目の心理テストを5回にわたって行った。これまでに経験したことのないような細かい診療だった。「あなたは明らかにうつ状態です。心の中で強いストレスを感じていて、それが頭痛などの原因になっています」
今まで自分の病名すらわからなかっただけに、「うつ状態」という明快な診断結果に、「やはり精神的な病気だったか」と、幾分ほっとしたような気がした。「大丈夫、すぐ楽になります。薬もそんなにたくさん飲まなくても自然に治ります。自宅で静養に勢めるようにしてください」。
言葉通りになるかはわからなかったが、これまでとは違うはっきりとした診断に光明が見いだせたような感じを受けた。
自宅での静養といっても、こたつでごろごろしたり、テレビをぼんやりと見たりといった生活で、世間からは疎外された寂しい感じがした。そんな中で先日行った心理テストのある一問を思い出した。「パチンコをやるとき、できれば勝ちたいと思いますか、負けてもいいと思いますか」。自分が選んだのは「できれば勝ちたい」の方だった。似たような質問でも同じような選択肢をとったような記憶がある。診断で、心の中で強いストレスを感じているという結果が出たのは、何でも自分でやらなくてはならないと考えがちなところからくるのではないかとふと気付いた。仕事も無意識にそういう考えで打ち込んでいたのだ。
大量に飲まなければ眠れなかった睡眠薬などこれまでの服用薬を捨て、二週間ほど心療内科の医師の処方した薬を飲んでいると、医師の言うとおり頭痛などの症状はおさまってきた。二度目の診察の時の医師の言葉は「だいぶ良くなりましたね。もう会社にも行けるんじゃないですか」だった。
1998/3/24/火
ストレス社会で5
東京都内の会社に勤めていた松本始さん(仮名、54)は心療内掛の二度目の診察から間もなくして会社に顔を出した。だいぶ気分的に楽にもなり、自分でもそろそろ出勤しても大丈夫ではないかと思い始めたからだった。「見てる限り元気そうじゃないか。早く会社に来てよ」。松本さんが病気のため新たに移された管理部門の部署は人手不足で、会社としても松本さんには早く職場復帰してほしかったのだった。
会社が決めた配置転換は、自分としては冷遇されているように感じ、悩みもした。しかし、病状を承知で仕事の負担がかからない部署に異動させたのは温情ともとれる。まだ一日中体の調子が万全というわけではないが、勤務につくことを決めた。
新しい部署では元に自分がいた営業部門と意見が対立することがあれば、堂々と自分の意見を通した。前ならば仕事のミスがあったりした場合、最後には自分が責任をかぶっていた。「自分で何でもかぶることはない」。おれがおれが、と何でも自分でやろうとして知らず知らずのうちにストレスがたまり、うつという形で様々な心因性の病気を併発した過去の自分を冷静に見つめ直した結果だった。
二人の子供の存在も支えになった。病気に悩む自分に、就職の時期を迎えた長男、長女が相次いで真剣に就職の相談を持ちかけてきた。適切な答えは与えてやれなかったかもしれないが、自分を頼りにしてくれたことが、ぼんやりと脳裏に残っていた疎外感を払しよくした。
そうしているうちに、これまでさんざん悩まされた不眠、頭痛はそれほど感じないようになってきた。薬の量も通院する回数も減っていった。二年後には営業の管理職に復帰したが、仕事はなるべく部下に任せるようにした。「難しいことを一人で抱え込めばストレスがたまるだけだ。部下がいるのだから自分は最終チェックするだけでいい」と考えるよう心がけた。
昨年暮れ、心療内科医に定期診断を受けた時には改めて「主義主張を自分の中で貫き通そうという生き方はくれぐれもやめた方がいい」と言われたが、「おれがおれがと意気込んでやることはもうないですよ」と応じた。最近では酒席に無理に付き合うのもやめた。長い間苦労をかけた夫人をねぎらうため二人で旅行に出かけたり、心が安らかな時に短歌を詠んだりすることが新しい趣味になった。
「会社がなくなっても、家庭をなくすわけにはいかない」。松本さんにとってのストレスとの闘いは、そのまま「会社人間」からの脱却の道のりでもあった。
ストレス社会で6
東京都内の医療機関に勤める前橋めぐみさん(仮名、29)が、職場での悩みなどが重なり何も食べられなくなったのは九五年七月ごろのことだった。何か食べようとすると吐き気さえしてくる。「体にまで変調をきたすとは」。精神的な苦痛から来たとしか思えない拒食症状にどうしていいかわからなくなった。朝にコーヒーを飲んだ後は全く食欲がわかない。昼食時になると空腹どころか気分が悪くなるほどだった。
前橋さんは前年の冬からこの医凝螢関に助手として勤務し始めたが、院長は仕事に厳しい人だった。「今度の受診の予約はどうされますか、ではなく、どう致しますかじゃないか」「患者にはそんなに親しげに接する必要はないだろう」。人数の少ない職場だけに、時には自分一人だけが集中的に注意を受けることもある。どんな小さいミスでも見逃されることがなく、「監視されているのでは」とさえ思えてきた。たまる不満をその場で忘れようと努めたが、「なんで自分ばかりが」と、うっ屈がたまっていた。
そのころ、付き合っていた男性から容姿のことを悪く言われたのも苦痛に拍車をかけた。幼いころから「かわいらしくて出来がいい」妹となにかにつけて比較され、自分は人より劣っているのでは、と考えがちだった。こうしたことが重なり「自分はものを食べる価値もないほどの人間なのでは」と、今まで以上に自分を強く否定するようになっていた。
しかし、周りにはこんな悩みを理解してくれる人はいなかった。むしろ、人から相談を受ける方だった前橋さんが悩んでいると「めぐみらしくないよ」などと言うだけだ。本来それほど頼りにならないはずの自分に相談を持ちかける友人なんて、自分の気持ちをわかってくれるわけがないと考え、孤独感が強まるだけだった。
拒食で悩み始めて以降、ストレスに悩む女性を取り上げた雑誌の特集がよく目につくようになった。そこで挙げられている女性の例は自分と似通っている。テストをやると、何度も「仮面うつ症の疑いがある」などという結果が出た。皮膚病で通っていた病院から紹介状をもらい、都内の心療内科を訪ねた。
診断結果は自律神経失調症だった。やはり公私両面にわたる強いストレスが自分の体に変調をきたしていたようだ。投薬で症状は改善するというが、通院を始めたからには早く治したい。「投薬だけでは治療は前に進まないのでは」「それなら、自分が今いやだと思っていることを書いてきて下さい」。以後、毎回リポート用紙に自分の思いを書きつづる「診療」が始まった。
ストレス社会で7
「院長が言葉遣いなどについて口うるさい」「自分がいやで仕方がない」。職場の東京都内の医療機関でのストレスなどから自律神経失調症となった前橋めぐみさん(仮名、29)は九六年夏以降、心療内科で受診する度に、リポート用紙に不満や悩みを書いて提出した。
周りに相談に乗っでくれる人がいないと思い込んでいた前橋さんにとって、自分が感じていることを字に書き、專門の医師に相談に乗ってもらうことはありがたかった。「この方法なら、つまらない悩みでも聞いてもらえる」。相談椙手がいるという安心感が、「自分はだめな人間なのでは」という強い自己否定感を徐々にやわらげ、拒食症状を改善に向かわせた。
そのうちに、自分が書いた「嫌なこと」をリポート用紙を手に冷静に考え直し、見方を変えれば違う一面が見えてくることがわかってきた。例えばあれほど口うるさいと思っていた院長についても「まじめで仕事をしているからこそ、あのような態度を取るのだ」と考える一方で、「といってその要求に無理に完ぺきにこたえようとすることもない」と気持ちにゆとりを持てるようになった。
容姿の問題にしてもそうだ。恋人から悪く言われようと自分のせいではない。「そ んなに容姿が不満なら別れればいい」と考えれば気が楽になる。いずれにしても、これまでずっと取りつかれていた「自已否定」の観念から抜け出せたからこそ、得られた結諭だった。医師にこの話をすると「いいことに気づきましたね」と言われた。
元々仕事自体がいやになったわけではない。口うるさい注意にいちいち感情を高ぶらせず受け流すように勢めると、気負いなく仕事に取り組めた。そんな姿勢の変化を感じたのか、院長も前橋さんに厳しく接することもあまりなくなっていった。
昨年秋に受けた心理テストで、自分がとりわけ低いと思い込んでいた「大人としての成熟度」を示す値が、平均値より高いという結果が出た。「自分を卑下する気持ちがなくなっているからだ」と確信を持てた。
最近、昔撮った自分の写真をまとめて見る機会があった。今とは明らかに顔つきが異なっている。写真の中の自分は表情にどこか自信のなさが出ている。「いいところがない人なんていない」。今はそう割り切って考えられる新しい自分がいるのだ。
(第453話 おわり)
ストレス病には やすらぎが薬
「胃が痛い!背中さすって」。中学三年のA男が飛び込んで来た。気の弱い優しい子供で、何かあると時々胃けいれんをおこす。成績が悪く担任の先生に怒られたらしい。
筒易ベッドに横にならせ、話を闇きながら背中を指圧し、さすってあげる。α(アルフフ)波が出るというCDをかけ、ゴリラ君の縫いぐるみと一緒に静かに休ませた。小一時間もすると元気になり、教室に戻って行った。
保健室には、ストレスが体の症状となって出る子供たちがたくさんやって来る。本当の病気ではないが、体調が悪くて授業に出られない、そんな子供たちがちょっと羽を休めに。そんな時、熱いお湯やお茶を一杯飲ませたり、ちょっと背中を指圧してあげたり、痛い頭をさすってあげると、半分くらいは治ってしまう。
後の半分は小物の出番。一番人気はリリイオイルという香港みやげのハッカ油で、頭痛の子の耳の後ろやこめかみに少しつけマッサージしてあげると、たちどころに冶ってしまう。眠たくてがまんできない子供は目の横につけ眠けざましに、皮膚がかゆくてたまらない時の一時しのぎに……。
α波が出るというCDの人気も高い。深い森の中の色々の小烏の声や、せせらぎの音、風の音まで聞こえてきそうだ。最後に、犬、うさぎ、ゴリラ、羊の縫いぐるみたちが子供の心をほぐす役を引き受けてくれる。もっとも、余り心地が良すぎると保健室がいつも満員になってしまうので、小物は本当に必要な時だけ使うようにしている。
1997/1/5/日 掲載記事
今どきの相談相手考
何か大きな問題に直面したどき、あなたに相談相手はいますか−−。競争社会を生きるサラリーマンには、悩みを打ち明けられる相談相手が意外に少ないとの調査結果がある。長引く景気低迷、相次ぐリストラ。弱音を吐きたくなったら、どうしたらよいのか。今どきの相談相手考を。
ついには心身症に
「いま振り返れば、なぜ一人で悩んでいたのかと思います」と神奈川県に住むサラリーマンA氏(38)。二年前まで勤めていた中小企業で「いじめ」に近い状況に置かれた。もともとA氏は大学卒業後、大手メーカーに就職。その中小企業には営業マンとしての手腕を買われ、九四年に転職した。しばらくは順調だった新会社の生活だが、上司の異動で一変した。新しい上司は人事管理にうるさく、大ざっばな性格のA氏と正反対のタイプだった。ある日、二人は衝突し険悪な仲に。人間関係の悪化が響いたのか、営業成績も下降線をたどった。
こうなると上司の介入は激しくなる一方で、A氏はついに内勤を命じられる。朝から晩まで自分の机に座っているよう求められた。半年後、A氏は心身症になり出社できなくなった。この間、A氏は家族にも友人にもこのことを話していない。「転職を機会に一戸建てを購入したばかり。妻には心配を掛けたくなかった。かっこ良く転職した手前、友人にも話せなかった」と打ち明ける。
複合的に表れる悩み
社会経済生産性本部は咋年、全国上場企業の課長(約1200人、うち男性が98.7%)を対象に意識調査をした。仕事上の悩みや不満を相談する相手がいるかを聞いたところ、「少ない」(61.3%)が「多い」(36.4%)を上回った。「少ない」の中には「相談相手はいない」(7.7%)も含まれている。
東京都精神医学総合研究所の精神科医、高橋祥友氏は「女性と比べて、中高年男性は悩みを内にこもらせてしまう傾向がある」と指摘する。職場でも責任を背負い、家庭の大黒柱である自分は、悩みを周囲に打ち明けるべきではないと自已規制してしまうという。
警察庁によると、96年の自殺者は2万3104人。そのうち企業・団体などの役員や管理職の自殺は478人で前年比16.3%増えた。最近も経営者らの自殺が相次いでいる。「もし心から相談できる相手がいれば、違う結果もあったのではないか」と高橋氏は見る。
サラリーマンの悩みは複雑だ。約100企業にカウンセラーを派遣している日本産業カウンセラー協会の機関誌編集長、後閑誠氏は「仕事がうまくいかない背景に家庭問題があったり、逆に会社での悩みが夫婦関係に影響したりと、悩みは複合的に表れる。しかしリストラの時代は職場の仲間も競争相手。社内では弱みを見せられない」と、彼らの胸の内を代弁する。
「男性は悩みの訴え方がどうも下手だ」と首をかしげるのは、ボランティア組織「いのちの電話」の常務理事、斉藤友紀雄氏。電話に寄せられる悩み相談は年間約2万6千件。女性が「つらい」「許せない」と情緒的な表現をするのに対して、中高年の男性は淡々と事実関係を話すだけだという。「感情を表に出せば、具体的な解決策が見つからなくても、気持ちは楽になるのに。それさえ男性はためらう」
苦しみ受けとめて
率直に感情を吐き出すこと。実はこれは、上手な相談の受け方を考える際にも大事なポイントとなる。相談をもちかけられたら、安易な励ましや助言より、全面的に相手の苦しみを受け止めることが先決だ。「それはつらいですね」「悔しかったでしょう」と相手の感情をくみ取り、相づちを打ち、心情の表出を助ける。「それだけでも、ずいぶん相談者はいやされる」(斉藤氏)
ではここで、相談相手を選ぶ場合の注意点を押さえておこう。新潟大学名誉教授の石郷岡泰氏(社会心理学)の助言によれば、まず自分が抱えている悩み・問題と全く関係のない人を相談相手にする方が良い。「事情を理解してもらいやすいようにと、例えば職場の上司とのトラブルだと身近な同僚に相談しがちだが適切ではない」という。相談相手も問題の当事者に近いと、共感を得られやすい代わりに、一緒に感情的となり、冷静な対応ができなくなる。その結果、いざこざが大きくなる危険性がある。
これに対し「相談相手が白紙の人だと、自分の真意を伝えるために事実関係を頭の中で整理する必要が出てくる。その過程で問題を客観視でき、むしろ解決策を見つけやすくなる」
もう一つ、相談相手は複数持つこと。「相談は聞く方にも大きなストレスを伴う。特定の人に何でも相談していると、いずれ聞き手はつらくなる」。それは相手が妻でも同じだ。「妻は大切な相談相手だが、妻ばかりに頼らず、家庭外にも相談相手を持つこと」を勧めている。
1998/3/17/火
トラブルの解決に
「約束が違うじゃないか……」「ですから、先程も申し上げましたように……」だれもがこんなやり取りに、一度や二度は頭を抱えたことがあるに違いない。そう、クライアントとのトラブルである。事の発端はちょっとしたこと。例えば「月曜までに」と締め切りを定めた用件が、月曜の朝までなのか、月曜日中になのかといった解釈の違いや、書類を渡した、いや受け取っていないなどといういき違いが多い。
こんなトラブルも初期の段階に「もう一度調べてみます」「当方の勘違いのようです」と、こちらが低姿勢で対応すれば、あまり事は面働にはならない。しかし、場合によっては「譲れない」という双方の感情が、どうにもならない程のやっかいな結末を招くことになる、いくら当事者間で、ああだこうだと言い合ったところで、その中身は水掛け論に。そこから脱出して、前向きな展開を導くことは難しい。そんなときには、こんな言葉を思い出して欲しい。「人を変える、場所を変える、時を変える」と。
「人を変える」とは、強引に自分だけで解決しようとせずに、対応する人間を変えてみること。上司など周囲の第三者に事情を話して、自分はその場から引き下がり、上司に対応をバトンタッチする。「場所を変える」とは、ロビーなどにしつらえられた簡易応接でやっかいな事になったのなら、「では、ちょっと奥へ」と別の応接室に場所を変えるということ。そして「時を変える」とは、その場で無理に解決しようとせずに、「改めて」と断った上で、後日その解決を試みることである。
人間、環境が変わると、物の見方が変わることも多い。「こうだ」と思い込んでいたことが、「どうでもいいこと」に変わり、解決の糸口を見いだす可能性は高くなる。
(秋葉ふきこ)
1998/6/8/月