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大昭小学校 佐藤先生からの要望でADHDに関する資料を提供します。提供は「えじそんくらぶ」という組織で,無断転載については制限を設けていますから,ご注意ください。以前にお知らせした通り,ADHDの資料は少なく,あとは,保護者の記録があるのみです。読んでわかる通り,ADHDの児童・生徒だけに関わる問題ではない様な気がします。

転載:風巻

薬にできること,できないこと

ADHDをもつ子どもへの効果的対応法


この報告の複写,転載,二次利用などについては,著作権を所有するえじそんくらぶの許諾を得てください。内容に関するお問い合わせは,えじそんくらぶへお願いします。

えじそんくらぶ 高山恵子

埼玉県入間市下藤沢1319

FAX 042-962-8683

URL http://www.e-club.gr.jp/


目  次

1.障害とは
2.ADHD の原因と薬物療法
3.薬にできること,できないこと
4.実行機能とは
5.ワーキングメモリとは
6.心理的対応
…… セルフエスティームと二次的情緒障害
7.教育的対応
……学習障害と7 つの知性

1 .障害とは


私が一方的にお話しするのではなく,皆さんに参加していただくかたちで進めたいと思います。そこで,まず,お手元のプリントにある「ADHD 」という言葉から,何を思い浮かべるか,自由に書いてください。

(間)

皆さんに書いていただいたものを見てみますと,「コミュニケーションがとりにくい」「うるさい」「いっときも黙っていられない」「忘れものが多い」「しつけの悪い子」「先生に嫌われる」というようなことがイメージされていますね。
これらは,2 つに分けて考えることができると思います。ひとつは「器質的」に何かができないということ,たとえば「落ち着きがない」「片づけができない」「人の話が聞けない」「忘れものが多い」などがこれにあてはまります。
もうひとつは,二次的なもので,「しつけの悪い子」というふうにレッテルを張られる,それから,いろいろできなくて「先生に嫌われる」ということがあります。
私は,ADHD を考えるとき,「2つの障害」ということを考えなければいけないと思っています。それはどういうことかと言いますと,「障害」というのは,日本語では1 つの言葉ですが,英語ではいくつかあります。
その中の1 つは,ADHD の最後のDである「disorder 」です。これは,秩序正しく何かが機能しない,器質的なものを呼ぶときの障害ですね。もう1 つは「handicap」です。これは,日常生活に支障をきたす,という意味での障害です。英語ではこの2 つが別なんですね。これは,きちんと分けて考えるべきだと思います。
disorder というのは,自分の努力とは関係なく何かができないことです。たとえば,足が不自由な方は,そのこと自体は英語ではdisorder ではなくdisability と言いますが,自分の努力とは無関係に歩けないわけです。しかし,車椅子があって,エレベーターがあって,スロープがあって,助けてくれる人がいたら,日常生活で困りません。そういう場合は,handicap がないわけです。ADHD をもつ子どもの場合にも,この2 つの障害を区別して考えていくことが大切だと思います。
つ ぎに,「おっちょこちょいとADHD の違い」ということを考えたいと思います。まず,disorder の部分を,自分でコントロールできるかできないか,で見てみます。コントロールできれば,「ADHD 傾向」とか「おっちょこちょい,気が短い,落ち着きがない」という「性格」と呼んでいいわけです。ある程度コントロールできるわけですから。しかし,自分でコントロールできないとなったら,「障害」という名前がつくわけです。「ボーっとしてしまう,忘れ物が多い」というのは,「注意欠陥障害」と言われています。そして「気が短い,衝動的,落ち着きがない」というのは「多動障害」の中に含まれます。それらが,日常生活に著しい問題がなければ「性格」。笑ってすませられれば「性格」です。これが,本人が努力しているにもかかわらず笑ってすませられない,学校や家庭で支障をきたすようであれば,「障害」です。DSM −4 というアメリカの診断基準には,このことが書いてあります。いろいろな項目がありますが,それらに該当しても,日常生活に著しい支障をきたさなければADHD と呼ばない,と。
自分でコントロールできないから障害なわけですから,本人の努力,周りの人たちの努力とは無関係です。
ここのところをよく分かってくださらない方に出会ってしまうと,「お母さんのしつけが悪い」とか「その子の努力不足」だとか言われてしまいます。私たちは,日常生活に支障をきたすというこの問題をどうしたら少なくできるか,それを考えることが大切だと思います。ADHD のdisorder の部分は,基本的に完治しないと言われていますが,快適な生活を送り,うまくつきあっていくためには,handicap をなくすということが大切なのです。
そしてはっきり言えることは,二次的情緒障害,たとえば不登校や鬱傾向が出てきたり,暴力的・反抗的になるというときには,本人をとりまく環境,周りの人々の対応にも問題があることが多いのです。日本でも,30 年前,50 年前に,ADHD をdisorder として持っていた人はいたはずです。しかし,その時代,ADHDという名前は必要なかったのです。なぜならば,ADHD 的要素がかなり強い人でも社会が「受け入れていた」からではないでしょうか。1 つの個性として,あるいは「ちょっと変わってるね」という感じで,「受け入れる」土壌があったのです。それが今,なぜこのような状況なのか。それは,ADHD が受け入れられなくて,「障害」として日常生活に著しい支障をきたす状況が,たくさん出てきているということなのだと思います。

2 .ADHD の原因と薬物療法


つぎに脳のお話をしたいと思います。脳の細胞はおたがいにくっついてはいません。神経細胞のあいだには,シナプスと呼ばれるせまいすきまがあります。このシナプスを経由して神経伝達物質がとおることによって,神経細胞はとなりの神経細胞に刺激を伝えていきます。神経細胞にはこの神経伝達物質を受け取る部分があって,それは「受容体」とか「レセプター」と呼ばれます。
神経伝達物質には,ドーパミン,セロトニン,ノルエピネフリン,ギャバなど,いろいろありますが,今日は,この中から2 つについてお話します。
ADHD の説明によく出てくるのがドーパミンです。ドーパミンは,達成感を感じているとき,また「集中しているな」「いい気持ちだな」という感覚をもっているときに,たくさん分泌されると言われています。ドーパミンが快感物質とも呼ばれるのは,このためです。
このドーパミンの受容体が変形していてうまくドーパミンを受け取れないことが,ADHD の原因のひとつだろうという説があります。これには遺伝子が関与していて,変形遺伝子は3 種類あるらしいことも分かっています。この3 種類全部がかかわっていると重度のADHD になる確率が高く,かかわっている遺伝子の数が2 種類,1 種類と減っていくにしたがって,症状は軽くなるようです。そして,1 種類しか関与していない人は,多動が思春期前に治る確率が高いとされています。ただし,これはあくまでも確率の話であって,全員に当てはまるわけではありません。
また,受容体の変形だけがADHD の原因なのでもありません。DNA 検査で受容体の変形をもたらす遺伝子をもっているかどうか判定できるところまできていますが,この遺伝子をもつ人が皆ADHD だとはかぎらないのです。
それでも,ここまでお話で,ADHD はしつけの問題ではなく,本人の努力とも関係がない,器質的な問題なのだということが,お分かりいただけたと思います。
では,器質的な問題ならば,薬がきくのかどうか,ということに当然,関心が向きますが,中枢刺激剤とか中枢興奮剤と言われる薬が効果があります。商品名でリタリン,成分名でメチルフェニデートと言われる薬が,その代表的なものです。このリタリンが,ドーパミンをより多く分泌する薬なのです。ドーパミンの受容体が変形していて,ドーパミンを受け取りにくくなっているのなら,ドーパミンがたくさん分泌されれば,受けとる量もふえますから,リタリンがきくというのは,納得できますね。70 〜80 %のADHD の子どもに中枢刺激剤がよくきくというのは,理解できることです。
どれだけの量のリタリンを飲めば効果が出るかは,個人差が大きくあります。薬にくわしいお医者さまが,日本では,リタリンはADHD の子どもの3 分の1 に効き,3 分の1 はきいているかどうか分からない,3 分の1 は効いていない,とおっしゃっています。これはたぶん,日本ではまだ処方例が少ないために,使い方が子供に合っていない例が3 分の1 ほどあるからではないか,と私は思っています。アメリカでは70 〜80 %のADHD の子どもに効果があるとされています。
つぎにセロトニンの話です。セロトニンは,鬱と関係のある神経伝達物質です。ドーパミンと同じように脳の神経細胞に受容体があります。最近,SSRI という薬が出ました。商品名はルボックスです。これは,選択的セロトニン再吸収阻害剤と言われるものです。セロトニンが少ないと人は鬱傾向になりますが,SSRIというのは,セロトニンを選択的に取り込むのを阻害する薬なのです。どういうことかと言いますと,まず神経細胞の末端からシナプスにセロトニンが分泌されます。そのセロトニンが伝達方向へ向かわず,再び神経末端に戻って再取り込みされてしまう,その再取り込みを阻害する薬がSSRI なのです。ADHD で鬱が出ている方には,SSRI を飲んでいる方がいらっしゃると思います。
ADHD のdisorder の部分には器質的な背景があるのですから,これに合った薬を服用する必要がありますが,日本での処方数はまだ少なく,試行錯誤の段階のように思われます。

3 .薬にできること,できないこと


さて,薬には,できることとできないことがあります。薬にできることとは,医学的対応です。そして,薬にできないことは,心理学的・教育学的対応でカバーしなければなりません。ここもしっかり理解しておく必要があります。たまに病院で,薬を与えたからそれでよい,という応対をされることがありますが,ADHDの場合,それでは不十分です。心理的ケアと教育学的サポートなしでは,薬の効果も半減させることになります。
具体的に見ていきたいと思います。まず「活動レベルを下げる」。これは,薬の量と飲み方が適切であれば,できます。じっとしていられる,座る時間が長くなる,走り回らなくなる,などの変化が期待できます。
「集中時間を長くする」。これも,飲む量などが適切なら,薬にできます。持続して集中していられる時間が長くなれば,仕事や学習がより正確にできるようになります。また,人の話を聞けるようになり,注意力が増します。
それから,「衝動性を減らす」こともできます。少し間をあけて,考えてから行動することができるようになるわけです。
また「攻撃的な態度を緩和させる」こともでき,ぶったりすることなどを落ち着かせることができます。
リタリンに代表される中枢刺激剤が,上にのべたような改善をもたらすとされています。しかし,日本では,リタリンは,ADHD の治療薬としては承認されておらず,保険も適用されていません。アメリカでは,ADHD にきく薬として第一選択薬とされていて,たくさん使われています。大統領夫人のヒラリーさんが,使われ過ぎて問題だ,と発言したと伝えられたくらいです。
リタリンは,ときどき誤って覚せい剤と報道されますが,法的には覚せい剤ではありません。マスコミでときに覚せい剤という言い方をするときがありますが,これは間違いです。
ま た,リタリンは,お医者さまがきちんと処方すれば,身体的依存は子供にはおこらないと言われています。
しかし,大人では,精神的依存がおこるとことがある,とされています。身体的依存というのは,薬がないと手がふるえるなど,身体に症状が出てくる場合です。精神的依存というのは,「薬がないと成功しない」「薬がないと僕はだめだ」と思ってしまう場合を言います。ですから,薬を服用するときには,同時に,心のケアを大切にしなければいけないのです。
アメリカでは,大人になるとリタリンがあまりきかなくなると言われ,量を増やすようになるとされており,精神的依存を考慮して大人にはあまり使いません。では,何を使うかというと,アンフェタミンという薬を使います。これは覚せい剤の一種ですが,薬品としてきちんと作られたものをお医者さまの処方のもとにきちんと飲むわけです。日本でこれが商品化されることはないかもしれませんが,大人にはこのアンフェタミンがきくと言われ,アメリカでは,思春期の子どもから青年期の人たちにも処方されています。
リタリンもアンフェタミンも,ドーパミンを出す作用があります。ここで気をつけなくてはいけないのは,ほかにもドーパミンを出す物質があるということです。カフェイン,アルコール,たばこ,そして大麻などの麻薬。これらがそうです。こういうものにはまらないように,気をつけなければなりません。
アメリカで今問題になっていることがあります。アメリカでは,残念ながら小学校でも覚せい剤のアンフェタミンが手に入ってしまいます。ですから,ADHD をもっていて,そうとは診断されていなくて,薬物治療も受けていない子どもが,たまたまもらったアンフェタミンを飲んだら,今まで自分でも悩んでいた症状が全部消えてしまい,「すごい!」ということになって,一気に依存してしまう,ということが問題になっています。日本では,まだここまで問題になっていませんが,この先,その可能性が全くないとは言いきれません。
気をつけなければいけないと思います。つまり,専門医にきちんと診断してもらい,薬が必要なら処方された薬を服用する,ということでないと,薬物依存になるおそれがあるかもしれない,ということです。

それではつぎに,薬にできないことを考えてみたいと思います。
まず,「良い行動をさせる」こと。これは薬にはできません。つまり,悪い習慣を取りのぞき,善悪の判断をつけるには,何が良くて何が悪いかを教えなければなりません。
では,薬はどのように関係しているかと言えば,薬を飲むと,活動レベルが下がり,集中時間が長くなりますから,これらのことを教えやすくなります。
薬は,これらのことを教えやすくしているのです。そこを間違えてはいけません。
それから「スキルを上げる」こと。ソーシャルスキル,人間関係をうまくやっていく技術を向上させることは,薬ではできないのです。つまり,これも教えなければいけないわけです。ひとりひとりに合った勉強方法を教えなければいけませんし,もう1 つのポイントとして,「何に集中すべきか」を教えなければいけません。
ADHD の子どもは転動性があって,何かやっていてもポッと別の方向に移ってしまうことがあるので,今はこっちに集中するのだ,ということを教えるのです。よくADHD の子どもの指導方法としてサインを作っておいて,ボーッとしていたり,よそに注意集中がいっていたら,肩を叩くなどして促してあげる,というやり方があります。肩を叩く方法がよいのは,「なぜ集中していないの」とクラス全体の前で言わなくてもすむからです。前もってそのサインの意味を説明しておいて,さりげなくトントンと肩を叩いてあげるのです。
薬にはできないことの3 番目は,「悪化した感情を改善する」ことです。これはとても大切です。リタリンでは,傷ついた心はいやせません。ですから,できるだけ早く,人間がケアしてあげなければいけないのです。
そして,心が傷つくまえに,そうならないように工夫しなければいけません。心が傷ついて,二次障害と言われる不登校などが出てから薬を飲ませても,効果が低い場合があります。傷ついた心はリタリンではなおせないので,ききにくいのは当然です。人間がケアしてあげなければいけません。そして大事なのは,その子どものセルフエスティームを上げるように周囲がサポートすることです。
4 番目にあげられるのは,「怒りをコントロールする」ことです。薬は,衝動的な行動は減らせますが,怒りという感情をコントロールすることはできないのです。なぜかと言うと,コントロールするためには,自分の怒りのレベルを認知して言語化し,それをおさえるという訓練が必要だからです。このあたりで,カウンセリングが必要になってきます。
そして5 番目は,「やる気を出させる」ことです。これも,基本的に薬にはできません。成功体験がとぼしくて自信喪失している子どもに,新しいことにトライさせることは,薬にはできません。抗鬱薬とかSSRIなど鬱にきく薬というのは,ある程度やる気を出させる効果があると言えます。たとえば,ボーッとして,ご飯を作るのも嫌だ,食べるのも嫌だ,という状態を,食べるようにさせることまではできます。しかし,新しいことにトライさせるまでにはいかないので,周りの配慮が必要になるわけです。

4 .実行機能とは


これから,「実行機能」とか「遂行機能」と呼ばれる脳のはたらきについて,お話したいと思います。この機能の障害がADHD の本態だという説を,アメリカのADHD 研究の第一人者であるバークレー博士が提唱しています。これはまだ仮説ですが,ADHD の人では,この機能をつかさどる脳の部分が小さく,活性レベルが低いということが,PET スキャンやSPECT などの検査で出ているということです。
では,「実行機能」とは,どういうものでしょう。それは,いろいろな情報が入ってきたときに,その情報をうまく集約して効果的な行動をとるためにどうしたらよいか,という部分をつかさどっている機能です。レザックによれば,この機能には4 つあって,それぞれ@「意志」,A「計画立案」,B「目的遂行」,C「効果的行動」,と名づけられています。
@「意志」とは,目標を設定し,それに対する動機づけをおこない,自分自身や環境の条件を認識しながら自分のすべきことを明確にすることです。この「意志」の部分が,ADHD の子どもでは,なかなかはたらきません。これは,動機づけが弱いからです。「自分でやらなくてはいけない!」と思えないのです。だから,外部からの動機づけが必要になります。それが「行動療法」すなわち「ごほうび方式」なのです。目標を設定し,それに対する動機づけを自分の力ではできないので,「この宿題ができたら何かをあげよう」という外からのさらなる動機づけを与えてあげなければいけないわけです。
A「計画立案」とは,目標達成のために必要な情報を収集し,時間やシステムをきちんと管理し,細部に注意をはらって評価・選択することです。ADHD の人は,これも苦手です。だから,物がなくなったり,忘れたり,延ばし延ばしにしておいてあわててやる,ということになります。時間の観念がなく,朝,遅刻してしまうのは,そのよい例です。
B「目的遂行」とは,立てた計画を秩序だてて実行すること,衝動的な行動をとらないようにコントロールすることです。ADHD の人は,これがまた苦手です。「転動性」があって,何かに興味をひかれると,本来やっていたことを実行しなくなってしまうのです。
C「効果的行動」とは,セルフモニタリングすなわち自己監視をし,行動を修正したり調節したりすることです。「今はこれをやらなくてはいけないのに,違うことやっているな」「元へ戻らなくてはいけないな」と自分で自分を監視し,行動を修正していくわけですが,ADHD の人は,「過集中」の状態になると,自己管理がおろそかになってしまうわけです。
ADHD とは以上のようなことがうまくいかない機能障害なのだ,と説明されて,ADHD をもつ人を知っている人は,「まさにそう!」とうなずかれると思います。「実行機能」というものを理解すれば,効果的なサポートのし方が見えてくるわけです。

5 .ワーキングメモリとは


つぎに「ワーキングメモリ」についてお話します。脳にはいろいろな感覚器官をとおしてさまざまな情報が入ってきます。それらは「短期貯蔵庫」にいったんたくわえられ,そのあと,「長期貯蔵庫」にたくわえられるか,それらの情報にもとづく行動すなわち「反応出力」として取りだされるかします。ワーキングメモリというのは,情報を一時的に記憶しておく部分を言います。これが弱いと,とくに実行機能の・「目的遂行」と・「効果的行動」がうまくはたらきません。
この話は少し複雑ですが,これをわかりやすいようにこれからご説明します。「ワーキングメモリ」というのは,「今,自分が何をしなければならないか」を覚えていることなのです。ADHD の人は,ワーキングメモリがしっかりはたらいていない,と言えます。授業中,勉強しなければいけないときに,教室の外の音に気をとられ,そちらに注意が移ってしまう,というのは,このワーキングメモリがしっかりはたらいていないからだ,と言えるわけです。
大人だとどういう形であらわれるでしょうか。たとえば,朝,お化粧の最中に「そうだ,今日はあれをやらなくては!」と思ったら,そっちのほうに作業が移って,お化粧をやりかけのままで,眉毛を書くのを忘れて外出してしまう,などということになります。これは,ワーキングメモリがうまくはたらかず,「化粧の途中だから化粧に戻らなければいけない」という反応出力を出せなかった笑い話ですが,話をしていて話題があちらこちらによく飛ぶというのも,ワーキングメモリがはたらいていない例です。
もう少し具体的に考えてみます。ADHD の人は「なぜ掃除が苦手か」。掃除をしていると,おもしろいものがいろいろ出てくるので,掃除をしていることを忘れてしまいます。ワーキングメモリが弱いからです。掃除をしようという意志を強く持てない。これは@意志の欠如ですね。そのつぎに,掃除をするためには不要なものと必要なものを分けなければなりません。分類するときにどのくらい時間がかかるか,把握しなければなりませんが,A計画立案がうまくいきません。掃除を始めたのはいいけれど,範囲をひろげすぎて,あちこち手をつけたのはいいけれと,結局時間切れ,ということもよくあります。また,掃除を完了させるためには,まず開始して集中してやらなければいけないのですが,ここがダメです。延ばし延ばしにして,ほかのことに気が移ったりして,最後までいきません。これはB目的遂行力がたりないのです。そして最後には自己コントロールをしなければいけないのですが,「一生懸命やったから10 分間休憩しようか」といっても,これが30分くらいになってしまう。集中できずにムダな動きが多く,C効果的行動ができないのです。

子どもの場合はどうでしょう。「なぜ宿題ができないか」。これは何かおもしろいものがあったりして,「宿題をやろう」という強い意志を持てないのです。結局,ADHD というのは,自分に興味のあることにしか集中できないということですので,「意志の欠如」の部分がすごく問題になってきます。そこで「ごほうび方式」などにして,この意志を強くしてあげるわけです。それから,「どこをやるかわからない」「宿題やるのに必要な物がない」など,準備が不十分,ということがよくあります。そこでチェックリストなどを用意するわけです。また,ほかのことが気になり,宿題が始められなかったり,継続できません。ですから,目的に向かって実行できるようにペースメーカーになってあげる必要があります。コーチングは,まさにこれなのです。そして最後に,結局自分でコントロールできないから,「これをやっていてはいけない!」と思っても戻れない,セルフモニタリングができないのです。ですから,トレーニングの中でセルフモニタリングを強めることに重点をおきます。
これらがADHD の子どもの特性ということになります。これらの点が弱いことを念頭においたサポートがいかに重要か,ご理解いただけたと思います。また,ADHD をもつ子どもは,とくに聴覚性の短期メモリが弱い,と言われています。だから視覚に訴えなくてはいけない,と言われています。言っても忘れてしまうので,書くわけです。しかし,小さいメモだとすぐになくしてしまうので,大きく書いて壁に貼っておくようにします。このようなサポートをしてあげるわけです。
これで日常生活にあまり問題がなければ,「性格」や「個性」としてとらえられますが,日常生活にいちじるしい問題が出てくると,それは障害として考えなければなりません。

6 .心理的対応・・セルフエスティームと二次的情緒障害


◆ セルフエスティームとは?

先ほど「セルフエスティーム」という言葉が出てきましたが,これから,この言葉についてお話していきます。セルフエスティームというのは,専門家の間ではもちろん大切な概念ですが,最近聞くことが多いのではないかと思います。とくにADHD やLD のような障害をもつ子供たちには,とても大切な概念です。
「セルフエスティーム」の「セルフ」とは,自分・自己を意味し,「エスティーム」は,考える・評価する・尊重するなど,たくさんの意味があります。「セルフエスティーム」にあたる日本語としてよく聞かれるのは,「自己評価」「自己有能観」という表現だと思います。しかし,英語の原語には,もっと深い意味が含まれています。結局,概念がなければそれを示す言葉も存在しないのです。

つまり,これまでの日本の教育では,セルフエスティームという概念は必要と思われなかったのです。それでセルフエスティームを説明する日本語がないのです。この概念を理解するには,原語にもどらなければなりません。
セルフエスティームには,3 つの概念が含まれています。すなわち,「考えること」「評価すること」「尊重すること」です。そこで私が作った定義を申しあげます。「性格・長所・弱点・障害・特技・外見など,自分のすべての要素をもとに作られる (1)自己イメージに対して, (2)自分の価値を評価し, (3)自分を大切にしようと思う気持ち」これがセルフエスティームです。3 つの概念ががすべて含まれています。これが高いということは,自己イメージが高くて,自己価値観が高くて,自分を大切にしようと思う気持ちが強いということ
です。このコンセプトをぜひ皆さんに理解していただきたいのです。
なぜこの話をするかと言いますと,ADHD をもつ子どもたちは,叱られやすいからです。だから自己イメージが下がり,自己価値観が下がり,自分を大切にしようという気持ちが弱くなるのです。これが最大のポイントです。ここまでのご説明で,日本語訳がいかにセルフエスティームの一部しか伝えていないかが,お分かりいただけたと思います。「自負心・自己評価・自己有能観・自尊心・うぬぼれ」うぬぼれがなぜ出てきたのか分からないのですが,辞書にはそう書いてあります。うぬぼれとは,セルフエスティームが異常に高い状態を言うのでしょう。
セルフエスティームが低いと,悪い自己イメージを持つことになります。ADHD の子どもは,そうなりやすいのです。要するに,二次的障害を引きおこすのは,セルフエスティームが低いからなのです。自分は価値のない人間だと考えてしまう。これは最悪の場合,自殺という方向へ行ってしまいます。自分を大切にしない。これが他人へ向かったとき,他人に危害を加えることがあります。恨んだり,怒ったり,そういう気持ちが相手に出てしまうのです。皆が普通にできることがADHD の子どもにはできませんから,どうしてもセルフエスティームが下がってしまい,努力して自分を向上させようとしません。逆にセルフエスティームが高まると,子供は伸びるのです。

子どもは,叱って伸びるときと,叱って駄目になるときがありますね。その違いは,その子どものセルフエスティームのレベルがどこにあるかによるのです。その子どものセルフエスティームがある程度高かったら,自分は価値ある人間だと思っているので,言われたことに対して,自分を向上させようと思います。しかし,「いつも叱られているし,自分はいないほうがいいんだ」と思っている子どもを叱ってしまうと,ますます「駄目なんだ」追いこむことになるのです。ですから「きつく叱責しない」というのは,こういうことなんです。
私は実際にカウンセリングもしますが,ショックで二の句が継げなかったことがあります。「僕って生きていても良いの」という小学生の言葉。ほんとうにショックでした。そのくらい傷ついているのです。それから,「どうやったら死ねるのかな」「硫酸とかかぶると死ねるのかな」と小学生が言うのです。それが案外,何気ない言葉「なんでこんなことができないの」「こんなことは幼稚園児でもできるわよ」を多くの人にくり返し言われることで,彼はそこまで追いつめられてしまうのです。
それから,小さな子供は,叱られると,その人から嫌われていると思ってしまうのです。だから,いろいろなことで感情的に叱責しないことは,大切です。子供がやった「行為」に対して私たちは叱るわけですが,言葉かけの内容によっては,その子どもの心を傷つけてしまう。それが分かっていながらできないのですね。
また「以心伝心」と思っている部分があります。「お母さんが子供のことを思っているなんて,あたりまえじゃない。だから叱るのよ」でもこれは,親側の論理なのです。子供は,そういうのは分かりません。口で言ってもらわないと分からないのです。また,人間は言葉だけでなく,顔つきや仕草などいろいろな形でコミュニケーションをとり,メッセージを送っているのですが,ADHD の子どもは,それをADHD でない子どものようには受け取れないのです。ですから,言葉でしっかりほめてあげたり,「本当は好きなんだよ。だけどこういうことをしてしまうのは,悲しいね」というメッセージを,指導するときや注意するときに入れてあげることが大切なのです。

◆社会の価値観の反映

セルフエスティームという概念が,アメリカで重要視されるのは,アメリカがさまざまな人種の人たちから成り立つ国だからではないかと思います。アメリカでは,1 つの教室に黒人,白人,黄色人種などさまざまな人種の子どもたちがいます。彼らの中には,肌の色が違うという,それだけの理由で差別を受けて育った子どもたちがいて,その子どもたちはセルフエスティームが低いのです。それを上げるところから学校教育を始める必要があります。セルフエスティームの概念をしっかり理解し,子どもたちのセルフエスティームを高めることは,アメリカの教師が最初に考えなければいけない「教育目標」となっています。ですから,教職課程で徹底的に教えます。
また,肌の色は変えられないのですから,違っていてよいのだという教育が基本となっていて,"Be different." と教えています。
逆に日本の場合は,同じでないとだめじゃないか,という雰囲気があります。これは,日本語の「違う」という言葉の意味を考えてみると分かります。日本語の「違う」という言葉には,2 つのまったく異なる概念が含まれているのです。英語では別の単語であらわされる概念が,日本語では1 つの言葉であらわされます。これは「障害」という言葉もそうでしたが,概念を分けるところに焦点が合っていないから,同じ言葉として表現されているのです。
日本語の「違う」には「同じではない」という意味がありますが,これは英語では「different 」です。たとえば白と黒は単に色が違うということですから「different 」です。そして日本語の「違う」には,もう1つ「間違っている」という意味が含まれていますが,これは英語では「wrong 」という別の単語です。「違う」という言葉に「善悪」の概念が加わると,たとえば,「キミははだが黒くて違うね」と言ったとき,黒いことはいけないこと,黒いことは間違っていること,となってしまいますから,単語のレベルで「different 」と「wrong 」を分けなければ,人種差別になってしまいます。
「普通であること,同じであることが良いこと」という価値観が主流である日本では,セルフエスティームという概念が必要でなく, different =wrong ととらえる傾向があるのでしょう。つまり,日本では,「君がやっていることは違うよ!」という言葉は,ただ単に「同じじゃない」という意味で大人が言ったとしても,子供は「間違っている」ととらえてしまいます。ADHD の子どもは,「僕はどうして集中できないの?どうして人と同じ事ができないの?それは間違っているの?」と思うわけです。
同じようなことが「普通」という言葉にも言えます。「普通の」というのは,皆に「共通の」という意味です。この意味では「善悪」の価値判断は入っていません。大多数の人にとって共通だということです。ところが日本語の「普通の」という言葉には「正常な」という意味も入っているのです。そうすると,「普通」でないことは「異常」なこと,となります。英語では「common 」と「normal 」という別の単語であらわされる概念が,日本語では「普通の」という1 つの単語に含まれているのです。
したがって,人に言葉をかけるときは,十分に気をつけるべきだと思います。セルフエスティームに大きな影響を与えますから。日本には,そもそも「セルフエスティーム」という概念がなく,「違う」と「普通」という言葉に,今お話ししたようなニュアンスが含まれていますから,心して言葉を選んでください。よかれと思ってかけた言葉が,意図に反して相手のセルフエスティームを下げることもありますし,気がつかずに相手のセルフエスティームを下げていることもあるかもしれないのです。
セルフエスティームが下がると,二次的障害が出てきます。それが高じれば,不登校,自殺,非行や犯罪にいたることもあります。ですから,しつけや教育の場で,ある方法が子供に良いか良くないか悩んだときは,それがセルフエスティームをあげる方法であるかどうかを考えて,判断していただきたいと思います。
具体的なお話をすれば,たとえば学校で児童・生徒に接するとき,「注意するときは個人的に。ほめるときはクラスの前で」・・これをやってあげるだけで,子どもたちの反応はほんとうに違ってくるのです。親御さんの立場からは,「きょうだいのいるところでけなさない」ということです。日本は,自己評価よりも他者評価が優先する社会ですから,自分ではけっこう良い線いっているかなと思っても,他者にダメだと言われると,セルフエスティームが下がってしまいます。子供も親も納得して特殊学級に入ったら,「特別な親子」だからと付きあいをやめていく親が増えた,という話があります。この親子は,自己評価はよくても他者評価が悪くて,セルフエスティームが下がってしまうのです。
最初の話にもどりますが,日常生活に支障をきたすということが,ADHD の診断基準の1 つでした。その「日常生活に支障をきたす」かどうかは,社会とのかかわりがすごく強いわけです。社会がADHD を受け入れるかどうか,そういう心がけが社会のひとりひとりにあるかないか,それ次第で,ADHD は増えもすれば減りもします。そこをぜひ考えていただきたいのです。つまりADHD の診断には社会の「価値観」が関わってくるということです。30 年前,50 年前の日本に,ADHD という名前は今日ほど必要なかったことを,思いだしてください。
最近,ADHD が増えている,という指摘がマスメディアで専門家によってなされることがあります。ほんとうに増えているかどうかを科学的にきちんと検証・評価する必要がありますが,評価は尺度のとりかたしだいで変わり,その尺度には社会の価値観が反映しています。環境汚染物質とADHD の関係はまだ推測の域を出ていません。今後もADHD に関しては不正確な情報がいろいろ出てくるかもしれませんが,それらを鵜呑みにするのではなく,冷静に,ときには批判的に,読んでいただくことが必要だと思います。

◆マズローの表

ちょっと具体的なお話をします。「マズローの表」というのをご覧ください。この表は教育心理学で学びますから,すでにご覧になった方もいらっしゃると思います。これはとても分かりやすい表です。人間のいろいろな欲求には階層があり,その欲求は,マズローの表の下の欲求から順に満たしてあげなければいけない,というのが,この理論です。私たち,また学校の先生方がやろうとなさっているのは,「知的関心・学習意欲」の「認知的欲求」という部分で,5 番目の欲求になります。この5 番目の欲求が満たされるためには,それより下の部分の欲求がみたされていなければいけません。そのことを無視して,5 番目の欲求を満たすことだけをやっていることがないだろうか,もしそうだとすると,それは効果的ではないですよ,ということを,この表は表現しています。
そこで「学習以前に必要なこと」を考えてみたいと思います。まず (1)生理的欲求を満たしてあげ,安全な場所を提供することです。これは,マズローの表のいちばん下の2 つの欲求を満たすことです。生理的欲求とは,食事とか睡眠です。食事は,とくに炭水化物をきちんと摂取することが大切です。炭水化物の不足は低血糖をまねきますが,そうなるとアドレナリンという興奮させるホルモンが出ます。そのために,低血糖だと多動になるのです。ですから,ADHD かもしれないと疑われる子どもにきちんとご飯を食べさせたら症状がおさまる,という場合もあります。これはADHD とは呼びません。一時期新聞などで「落ち着かない,集中できない子が増えた」,「その子供達は朝食をとっていなかった」という報道がありましたが,それはそれで当たっているわけです。しかし,朝食を抜かしているためにADHD になることはありません。また,いじめや虐待を無視して,勉強させることは無理です。これらにはきちんと対応してあげないと,マズローの表の2 番目の「安全の欲求」を満たしてあげることはできないのです。
そして (2)信頼関係を築くことです。これには,「共感の公式」というのがあります。これはとても大切なので,ご紹介します。子どもたちと話をする時間がとれない方がたくさんいらっしゃいますが,短時間で信頼関係を築ける「魔法の公式」をお教えします。それは:
「○○なので(感情の原因),○○なのね(感情の言葉)」
です。
この言葉かけで,相手の感情を言語化するのです。「感情の言語化」を自分でできない子どもを助けるのがカウンセラーの仕事ですから,この公式はカウンセリングの基本と言えます。たとえば,「一生懸命努力したのにテストで百点とれなかったので,がっかりしているのね」とか「お友達になりたいのに無視されたので,寂しいのね」とか。何か感情の原因があって,感情があるのですから,感情に名前をつける必要があるのです。
たとえば,3 歳くらいの子供が泣いていたとします。その子は,なぜ泣いているのか自分で分からないことが案外あるのです。そのとき「足が痛くて泣いているのね」とか「独りぼっちで寂しかったのね」と言うと,ピタッと泣きやむことがあるのです。自分で何がなんだか分からずに興奮したり,イライラしてぶったり蹴ったりする思春期の子どもたちがいますが,そのときは,イライラする原因があるわけです。それを分析して言語化してあげることで落ちつくことが,かなりあります。共感すること,これが,信頼関係を築くための最大のポイントです。
5 分でも10 分でも子供と話をするときに,「何をどこでどういう風にやった」と事実に焦点を置いて何時間かけて話をしても,「心が通い合う」状態になるのは,なかなかむずかしいことです。「心が通い合う」というのは,「共感する時間を増やす」ということですから,感情にポイントを置き,相手の感情を分析して,それを言葉に出してあげる。「あなたが思っていること,その時思っていたことを,私も今,同じように感じているよ」というのをメッセージとして出してあげることが大切なのです。このように共感を示すと,「お母さん,優しくなったね」とか「今日の先生,すごく僕のことを理解してくれる」と思うのです。そうすると,次の指示がスッと入っていくのです。
また「どんなことがあっても,まず信じてあげる」ということも大切です。ADHD の子どもはワーキングメモリーという脳のはたらきが弱いので,たとえば,自分でも気がつかないうちに,他人の持ち物を持っていたりすることがあります。「気がついたら,人のものをとっていた」ということがよくあります。そんなとき,最初に対応してくれた人が信じてくれず,「嘘をついているでしょ,そういう嘘はばれるのよ」という言い方をお母さんや先生がしたとしたら,その子どもは,ほんとうのことを話しているのに分かってくれない,と思い,それでその人との信頼関係は切れてしまいます。それだけではなく,人間すべてを信じられなくなってしいます。こういうことから二次障害も出やすくなります。このようなときは,「そうだったんだ。じゃどうしたらいいか考えてみよう」と言ってあげるのが良いのです。なかなかむずかしいことですが,このように,まず子どもの言うことを信じていただきたいと思います。そして (3)セルフエスティームを高める,ということになります。そのポイントは,叱るよりもほめてあげること,良いところを見つけて伸ばしてあげることです。
これら3 つがきちんと満たされていないと,学習にとりかかれませんし,しつけができません。そして,セルフエスティームを高くしないと,鬱になったり,不登校になったり,反抗的になったり,そして自暴自棄になって相手に危害を加えるようになってしまうこともあるのです。

◆虐待について

ここで,虐待について少しお話をしたいと思います。
親から子への家庭内暴力が,虐待です。その虐待には4 つのタイプがあります。1.身体的虐待,2.精神的虐待,3.性的虐待,4.ネグレクト,です。
簡単にご説明すると,1.は体罰です。2.には,子どもの人格を傷つけセルフエスティームを低下させるような言葉かけを何回もくりかえすこと,などが入ります。3.は,ポルノ雑誌を見せたり,性的な身体接触をおこなうこと,などです。4.は,食事や清潔な環境を与えない,学校や病院に行かせない,などです。

つぎに,イギリスのジョーンズなど(1995 年)による「虐待する親のタイプ」をご紹介します。
タイプ1 「子どもの特性による」
手のかかる赤ちゃんで,軽い鬱,不安の状態になる親たち。
タイプ2 「強迫観念」
非現実的な期待をもつ完全主義者。
タイプ3 「独善的で過度のしつけ」
親は成功者で,他者に対して非現実的な期待をもつ完璧主義者。
タイプ4 「一次的な拒否」
ほかの子との愛着はあるが対象児には拒否。

ADHD の子どもたちは,タイプ1 とタイプ3 のケースになりやすく,タイプ2 やタイプ4 の場合もあります。
あるデータでは,身体的虐待をする親の動機の33 %が子どもが気にいらないためのもので,24 %がしつけのためのもの,という数字もありますから,ADHD と虐待の関係は深い,と私は考えています。ADHD をもつ子どもの親が,親戚や地域の人々,教師に「あなたは子どものしつけがなっていない」と言われつづけて追いつめられ,子どもをたたくというケースもあります。周囲からのプレッシャーが虐待を引きおこしている事実を,もっと深刻に考えてあげなければなりません。また,忘れものか多い,集中できない,ケアレスミスが多い中学2 年生の男の子に対して,親が,それらを努力不足だと考え,きびしくしつけなければならないからと,「ケガをしてでも,このなまけた態度を直してやるのが親のつとめだ」と体罰を続けたケースがあります。親子関係は当然悪化し,この少年は反抗的になって,万引きなどのマイナスの行動が逆にふえてしまいました。のちに彼はADHD と診断され,家族カウンセリングで父親に,1.ADHD を理解する,とくに,親には努力不足とうつる生活態度や行動は彼の努力不足のせいではないことを知る,2.体罰は信頼関係をくずし,セルフエスティームを低下させ,やる気をなくさせ,問題行動をさらにふやす悪循環を生む,などを知ってもらうことにより,体罰はピタリととまりました。同時に親子関係も改善し,問題行動は減少しました。
このように,虐待をなくすこと,安全欲求を満たすことの大切さが,分かっていただけたと思います。

◆ADHD の子どもにやる気を出させるには

さて,以上のことをふまえて,「ADHD の子どもにやる気を出させる条件」を考えてみたいと思います。まず「良いところを伸ばしてあげる」ことが大切です。ただし,口先だけでほめても,子どもは喜びません。とくに高学年になると,大人の本心でない言葉を見ぬきます。ほんとうに何かできて,自分でもできた! と思えるときに,すかさずほめてあげることが大事です。
それから「弱点を1つ1つ,根気よくトレーニングする」。1度のトレーニングで,すべてはできませんから,簡単な課題からだんだんにやっていくのです。スモールステップの積み重ねです。また「根気よくトレーニングする」というのは,よく,ごほうび方式とか行動療法というのがありますが,この方法は結局,良い行動を引きだすためにごほうびを与えるということです。ADHD のない子どもなら,ある程度トレーニングを続けていけば,ごほうびがなくてもできるようになりますが,ADHD の子どもは,それがむずかしいのです。
ADHD のない子どもより「自己コントロールの力」が弱いからです。ごほうびがなくなってしまった段階で動機づけがなくなってしまうのです。ADHD をもつ子どもの場合は,とても時間がかかりますから,とにかく「根気よく」です。
それから「ルールなどは箇条書きにして,よく分かるところに貼っておく」。ADHD の子どもはワーキングメモリーに弱点があるので,言われたことをすぐ忘れてしまいがちです。また,何かに気を取られて,授業などでも皆と同じことをやることができず,スタートが遅れることがあります。そのとき,「今は何ページをやりなさい」と言葉で言うだけの指示だと,追いつこうと思った時にうまくいきません。それが,メモがあれば,遅れても自分でスタートできるのです。
また「箇条書きにする」ことがとても大切です。ADHD の子どもは気が散りやすいので,いろいろなことを一度にやりたくなってしまいます。だから,どれが大切なのか分からないし,順序を飛ばしたりすることがよくあります。ワーキングメモリーの部分が弱いために,その部分のフォローが必要になってくるのです。小さい子供に「歯を磨いて,顔を洗って,服を着替えて」と一度に言わず,一つずつに分けて指示していくのと同じ要領です。大人でも,多くのことを一度に指示されると,どれかを忘れてしまうことがありますね。それが1 ,2 ,3 ,と箇条書きになっていれば,確認しながらやっていけるわけです。
それから「その子どものレベルに合わせた課題を与える」。これはセルフエスティームに関わってきます。何かができたらごほうびを与えるという形で,その子のレベルにあった,レベルの高すぎない課題を与えていくやり方が良いのです。学校のカリキュラムはあくまでも文部省が決めたものであって,じっさいには,人それぞれ個人差がありますから,やるべき課題のレベルもひとりひとり違っていていいはず,という発想が,本来あってもいいと思います。大事なのは,セルフエスティームを下げてまで学ばせる必要があるか,ということです。たとえば,きびしい叱責や体罰をおこなって心の傷を深くしてでも皆と同じように九九がスラスラ言えるようにさせたい,と考えることは,子どもに悪影響をおよぼす,と私は考えます。セルフエスティームが高いままで成長していけば,ほんとうに勉強したいものが出てきたときに,できるのです。このように発想を変えられたら,と思います。画一的な日本の教育現場では,なかなかむずかしいことですが,「個人差を考慮した,その子どもにあったプログラム」これがつまり,個別学習プログラム(IEP :individual educational program )と言われるものです。
それから,子どもが何か問題をおこしても,その子どものことを「好きである」という言葉で表現する。とくにプラスの内容は,どんどん口に出して言ったほうが良いですね。「以心伝心」ということは,言葉以外のメッセージを理解する,つまり「察する」のが不得意な子どもたちとのコミュニケーションでは,あまり信じないほうが賢明です。また,必ずしも周囲と同じでなくても良いということを伝え,学校でならほかの生徒,家庭でなら兄弟姉妹と比較しないことです。比べるときは,その子どもの3か月まえ,6か月まえと比べて,プラスの評価をしてあげてください。これはむずかしいことです。しかし,アメリカではこれができます。
再び言葉の問題ですが,「special education 」は「特殊教育」と訳されますが,この「special 」は良い意味なんです。 "You are special." は「あなたは特別」という,ほめ言葉なのです。日本語で「特殊学級」といえば,「あなたは特殊ね」と,ほめ言葉にはなりません。そのあたりは,価値観と関わってきて,集団生活を重んじる日本の国民性の中で,ADHD はつらい部分が多くあります。
ですから,最後にもう1 点,重要なことをあげますと,親御さんも学校の先生も,自分のストレスを自分なりに減らす努力をすることです。学校の先生もお母様方も,ストレスを持っていると,子供が何か問題をおこしたときに,怒ることで子どもを自分のストレスのはけ口にし,注意するのではなく感情的に叱ってしまう場合も起こりえます。気をつけていただきたいと思うところです。

7 .教育的対応・・学習障害と7 つの知性


◆ 学習障害とは

これから,ADHD をもつ子どもへの教育的対応についてお話していきたいと思います。まず学習障害について,お話します。文部省が1999 年に最終報告を出し,日本でのLD の定義が定まりました。基本的に,全般的な知的発達に遅れはなく,IQ は低くなく,聞く・話す・読む・計算するまたは推論するという特定の能力に問題がある,ということです。そして視覚障害・聴覚障害などはないが特定のことができない場合はLDと呼ぶわけです。これは,ADHD とは基本的に異なる概念です。ADHD は,注意欠陥と衝動性と多動に問題がある障害で,学習障害は学習するときに一部の能力にアンバランスがあるのです。この「アンバランス」というのがポイントで,知能テストで見ると,テスト項目の得点の高いところと低いところのギャップがものすごく大きいわけです。全体的に得点が低ければ,それは学習障害と呼びません。
それでは,具体的にどういうものかをご説明します。
LD の定義は,本によって違います。各専門家によって違うということですが,1例をあげると,まず,読み・書き・算数の障害があります。これは,アメリカのDSM −4 にも書かれている「純粋な学習障害」です。
つぎに,話し言葉の遅れ。それから,社会性の問題。このソーシャルスキルが欠けている子どもたちも日本ではLD と呼びます。それから運動能力の問題。これは具体的には,身体全体の筋肉を使う運動ができない,そして手先が不器用,という状態を言います。最後にADHD が入っています。本来はここに入らないのですが,日本でLD というと,このように定義されている場合が多いと思います。
LD は,心理テストなどで判定するのですが,簡単なチェックリストがいくつかありますから,参考になさるといいと思います。LD の傾向が疑われるとき,専門家に精密な診断チェックをお願いするまえに,親や教師が先にスクリーニングに使うチェックリストとして使えます。このチェックリストでLD の傾向が見られた場合,専門家にお願いするという流れになります。
学習障害では「認知の偏り」ということがよく言われます。これはどういうことか,お話したいと思います。
まず「視覚」ですが,私達は何かあるものを見たとき,それを図形として認識して,これはどういう形か,頭の中で認知します。錯視図形とかあいまい図形と呼ばれる絵をご覧になったことがあると思います。見方によって若い女性に見えたりおばあさんに見えたり,直線が背景の模様によって曲がって見えたりする絵です。
このような絵をとおして分かるのは,図形を見ることと認知することは,ずいぶん違うということです。LDの子どもの中には,この認知の力がとくに弱い子がいます。見ているのだけれど認知ができない,これが「ディスレクシア」と呼ばれる1つの症状です。ちゃんと見えていますから,「視覚障害」はないのです。しかし,それが何であるかを「認知」する部分が弱いということなのです。
似たようなことが,聴覚についてもあります。たとえば日本人は,英語の「l 」の発音と「r 」の発音を区別するのが苦手だと言われます。これは,皆さんの耳が悪いのではなく,認知に偏りがあるということですよね。私たちは通常,lとrを区別しませんから,その部分の認知のトレーニング していないために退化してしまったわけです。lとrを区別できなくても,日常生活でとくに問題はおこりませんが,「m」と「n」,「p」と「b」,「s」と「t」などで,多くの音の認知ができないケースがあり,これも「ディスレクシア」のひとつなのです。ディスレクシアには2 種類あるとされています。聴覚性のディスレクシアと視覚性のディスレクシアです。日本ではこのあたりを明確に分けていませんが,アメリカでは最近,はっきりと区別しています。

具体的にどんな障害となって出てくるのか,つぎにお話します。
視覚性のディスレクシアでは,よく「b」と「d」を間違えるお子さんがいます。小さな子どもはよく「し」や「の」を間違えて鏡文字に書くことがありますね。これは,右と左の概念が分からないために起こることがあるのです。私たちは「し」や「の」の鏡文字を見ても理解できますよね。しかし,「b」と「p」の鏡文字はそれぞれ「d」と「q」でまったく別の文字になってしまうので,英語圏ではディスレクシアが多いと言われています。つまり私たちの日本語は言語的に幸運なのです。反対に書いても違う文字になりませんから。
視覚性ディスレクシアには,いろいろな種類があります。文字の上半分が認知できない,あるいは下半分が認知できない,という症状もあります。日本ではまだあまり研究が進んでいませんが,もし上半分が認知できないディスレクシアがあったら,どうなるでしょうか。日本では問題が多く出そうです。もし漢字の上半分が認知できなかったとしたら,「学」と「字」,あるいは「百」と「白」を区別できなくて,間違えて認知してしまうわけです。
また,こういう例もあります。極端に左右が分からない子どもがいます。その子は小学校6年生ですが,漢字の「はらい」が,どちらに「はらう」か分からないのです。たとえば「板」という字を,何回,何十回と練習しても,手本を見ずに書いてみると,どっちに「はらう」か分からなくなるのです。この子は知能が低いわけでなく,単に字が書けないのです。それも,「山」「田」「本」など左右対称の字なら覚えられるから,不思議です。「板」のように,右にはらうか左にはらうか分からない字は,何度練習しても,努力と関係なく覚えられません。とても不思議であり,気の毒です。そういう子どもに対して,クラスの子が「自分の名前も書けないの」と言う。先生が「どうして10 回も書いているのに,覚えられないの! しっかりやりなさい」と言ったら,どうなるでしょう。これが視覚性のディスレクシアです。
このほかにも,行を飛ばして読んだり,逆に読んでしまったり,文字がそのように書いていないのに違う字として読んでしまったり,英単語を別の単語として読んでしまったりと,いろいろな形で出てきます。
このように,漢字が書けない,英語ができないという子どもの中には,「認知の偏り」が原因でできない子どもがいるので,このことはよく理解してあげる必要があります。
聴覚性ディスレクシアは,先ほど「m」と「n」が聞き取りにくいという例をあげましたが,「来て」と「切手」の区別ができない子どもがいます。これは,音声学的には「mora」といわれる「間」が認知できないというものです。それから「しゃ」と「ちゃ」の区別ができない子どももいます。これは「子音」の区別ができないということです。日本語は,たとえば高山だと「ta 」「ka 」「ya 」「ma 」と,子音・母音の組み合わせになっています。ですから聞きやすいのです。聴覚性ディスレクシアでは子音を聞きとりにくく,英語には,子音だけ続く場合,母音がない場合がたくさんあるので,英語圏には聴覚性ディスレクシアが多い,と言われるのです。
日本で問題になるのは,英語の勉強を始めたときに突然分からなくなる子どもがいる,ということです。日本語では問題が目立たなかったのに,英語を勉強すると突然,発音が分からないという現象が起こります。それは子音の音で発音を判断しなければいけないからです。また「sha」と「cha」の例をあげましたが,日本語でも「拗音」では「s」と「c」の子音を認知しないといけません。拗音が聞きとれない場合,ディスレクシアの傾向があるといえるでしょう。
先ほどの「r」と「l」は日本人特有のものですが,ディスレクシアの場合,「m」と「n」を間違って聞き取ることもあります。ワープロを打つときに上手に入力できないことが生じるのは,音声を分解できないからなのです。また「ま」と言ったときに,「Ma」なのか「Na」なのか混乱してしまう。こういったことを理解してあげることは,とても大切です。こういうことをご存じの先生がまだほんとうに少なく,単に「もの覚えの悪い子」として片づけられてしまっている子どもがけっこういるのではないかと思います。これらが読み書きの問題です。

◆LD をもつ子どもの個別教育

それでは,このようなLD をもつ子どもに具体的にどう対応したらいいでしょうか。たとえば,「来て」と「切手」をどのように区別させるか,です。この場合,「来て」は2音節です。「切手(きって)」は間に1つお休みがあるよ,と,「来て」のときはてを2回たたきながら,「切手」のときは手を3回たたきながら発声させて,教えるわけです。
視覚の認知が弱いときは,ほかの感覚を使うことが良い方法です。五感を使えば使うほど,記憶力は良くなると言われていますから,さまざまな方法をとるわけです。子どもたちも,おもしろがって勉強します。
それから,視覚認知の弱い子どもたちは,漢字の書き取りを何回練習しても,手本を見ないで書くことができません。「漢字のテスト」はたいへんむずかしい課題になります。しかし,今はワープロがありますので,自分で書けなくても文字を選べれば良い,と目標のレベルを落としてやれば,LD をもつ子どもたちでも漢字を覚えることができます。
具体的にどうするかと言えば,まずカードを作ります。これはフラッシュカードといって,単語カードのようなものです。そのカードに,たとえば「(さんずい)」を書いて,別のカードには「毎(つくり)」の部分を書きます。これらをまぜて「海」という字を作らせてみる。当然できた,という感覚が芽生えますので,「漢字を覚えられる」という達成感を味わえます。しかも,じっさいに漢字をけっこう覚えることができるのです。
このようにして,視覚性ディスレクシアの場合は,漢字を組み合わせられればOK ,というレベルの目標を設定をすると,子どもたちも達成感が味わえ,かつ認知できるまでになるのです。「手本を完全に見ないで書く」のはむずかしくても,このような方法をとると,子どもたちも喜んでやります。
この方法は英語にも使えます。またできれば,カードの色を変えたり,いろいろと工夫を加えることで,さらにやり方が広がります。その子供のとくに認知の弱い部分については,形だけの認識に加えて色の認識を増やし,さらに可能性を広げてあげます。色を変えることで,とくに注目を引けるように工夫するわけです。LD の子どもは,見えないのではなく,注目する力が弱いわけですから。
それから,算数に弱い子どもがいます。それは数の概念を認識できないことが原因です。高学年になるに従って,物ではなく数字だけで考えるようになりますが,それが良くないのです。じっさいの物を使って学ばせることによって,このような子どもたちは「数の概念」を修得することができます。
具体的にいちばん良いのは「お菓子」で,答えが合っていたらそのお菓子をあげるよ,とするわけです。割り算でも,足し算でも,じっさいにキャンディーを9個出し,3人の子供がいたら,皆に分けさせてみる。じっさいに手を使ってやらせることで,9÷3 の意味が分かります。割り算とは「グループを作ることなんだ」と,体験的に理解させるわけです。とにかく「具体的に教える」ことが大切です。ジュースを使う方法もあります。食べ物を使うと,子どもたちもよく理解します。ガラスのコップに目盛を入れ,たとえば分数の1/4 なら,コップに4 つの目盛を入れて,「これは4つに分けたうちの1つですよ」と教えるわけです。ケーキでもピザでも,使える物はいろいろありますし,家にはたくさんの教材があるのです。これらを使って,机の上の勉強ではなくて,実物で数の概念を教えるのです。そして,答えが合っていたら食べてもいいよ,飲んでもいいよ,とすると,ひじょうに興味をもって学びます。今までつまらなかった算数が,とてもおもしろくなるのです。とにかく具体化した教え方が大切です。
それから,話し言葉に問題のある子どももいます。それは「自分の思い」を適切な言葉で表現できないことなので,「モデリング」といって「こういう時はこのように言うのだ」と具体的に教えてあげます。道具としていちばん良いのは絵本です。絵本の読み聞かせは,昔から行われてきたと思います。幼稚園でも家庭でも。絵本が良いのは,その子どもの理解の速度に合わせられるからです。ビデオは,ついていけない子どもが出てきますし,いちいち止めることがむずかしいから,良くありません。
発音ができない子供については,たとえばサ行はむずかしいものです。3 歳の子供に何歳か聞くと,よく「タンタイ」ということがあると思います。そこで気をつけなければいけませんが,「タンタイなのね?」と確認したとき,子どもが「違う」と言えば,「タ」と「サ」の違いの聞きとりができていることになります。「タンタイなの?」と聞いて「そう」といえば,それは「タ」と「サ」の違いの聞きとりができていないことになります。もし聞き分けができていなければ,発音は絶対にできません。インプットがしっかりしていなければ,アウトプットはできないわけです。そこ無視して,ただ「もっと練習しなさい」と言っても,ダメな場合がありますから,注意が必要です。音に敏感になるためには,擬態語や擬音語を使って音になじませる,という方法もあります。
ソーシャルスキルについて大切なことは,「共感能力」を育てることです。そして,共感するには,感情に名前があることを理解しなければいけません。感情の名前は,ものに名前があるのと同じように教えなければならないのです。母親は,ものの名前をいろいろ教えます。「これは卵よ」「これはミカンというのよ」というように,ものと音を同時に提示することで,教えます。感情はものではありませんから,その「雰囲気」「心の状態」に名前があることを教えるのです。それを教えないと,共感はできません。相手の感情や意図に気づきにくい,ということがありますが,それは「非言語的情報をキャッチできない」ということです。それは,親や先生が「今はこういう意味なんだよ」「あの子が急に黙って何も言わなくなったのは,怒っているからなんだよ」と言ってあげる必要があるということです。
運動能力については,手先がちょっと不器用という場合,手先の練習でとても良いのは,折り紙です。折り紙は,2次元から3次元の立体を作り出し,空間能力を育てるので,とても良い訓練になります。
空間の把握が苦手な子どももいます。ADHD をもつ子どもの中には,空間の把握がものすごく秀でている子どももいれば,極端に苦手な子どももいます。この訓練に日本古来の折り紙を使うのは,まさに効果的です。なぜ良いかと言いますと,折り紙の本というのは,折り方が平面に2次元で書かれています。そこからできたものは,3次元の立体です。2次元のものを見ながら3次元のものを作るのは,思考の面で言えば,高度な認知力が必要になります。簡単な図形のうちはよいのですが,中学生以上になり複雑な図形が出てくると,それを認知できない子どもが出てきます。そのような場合は,牛乳パックを使うなどして実際に立体を作って見せてあげることが大切です。理解ができにくいので,認知に問題がある人には,何度も実物で説明する必要があるのです。
それから協調運動について言えば,たとえば板書は,目と筋肉の協調運動なのです。この協調運動というのは,ひじょうに高度な仕組みですが,その部分がうまくいかない子どももいます。そのような子どもは,板書がうまくできず,人より遅いということになります。そのあたりを配慮してあげないと,「なぜ,たかが写すだけのことができないのか」となってしまうわけです。
一説によると,LDの人は,右脳と左脳がうまく連携していないと言われています。左脳は,言語や論理的な思考をつかさどっています。右脳は美術や音楽,直感,ひらめきなどをつかさどっています。一時,ディスレクシアには左利きが多いというデータがあり,身体の左側をコントロールしているのは右の脳ですから,右脳が活性化している,逆に左脳が活性化していないために,言語が遅れるのではないか,と言われたわけです。
知能テストでものすごいアンバランスが出るのは,両方の脳がうまく使われていないからではないか,という説もあります。アメリカには,右脳と左脳を交互に使う訓練をすることによって活性化をうながせる,という理論があります。両方の脳を使うことで,集中力が高まったり,バランスをとるということがあるのです。じつは「空手」にはこの訓練がたくさん含まれています。えじそんくらぶでは今,試験的にADHDとLDをもつ子どもたちのための空手教室をやっていますが,効果はあるようです。私たちは「東洋の知恵」を活かすべきですね。左右交互に何かをやることは,とても大切なんですね。
それから「ブレイン・ジム」といって脳を活性化するトレーニングがあります。まず8の字を書きます。その時に目も8の字を追うというものもあります。意外と手軽にできるものも多いので,ぜひためしていただきたいと思います。
運動能力の問題としては,文字を書くときに鉛筆を持てない子どもがいます。またキャッチボールも,どのくらいの速さでボールがくるか,どこで待っていたらよいか,など,高度な認知のシステムが必要です。ですから,小さな子どもには大きめのボールでやってあげる。また,ビーチボールなどを使って遊んでみる。できれば,ふだん子どもとの交流が少ないお父さんが,いっしょに遊んであげて,運動能力,協調運動能力の向上を手助けしてあげられるといいと思います。
子供というのは,「苦手意識」をどこかで植えつけてしまうと,やらないと言いだします。それをうまく「ほめて」,その子どもの発達レベルに合わせたものを使って,やってあげることが大切です。そして,これら1つ1つのことをやるときに,セルフエスティームがひじょうに関係してくるわけです。
そこで皆様にぜひ考えていただきたいことがあります。それは「遊びと学習」です。子どもは遊びの中で学習します。遊びと勉強は,どう違うのでしょうか。両方ともいろいろなスキルを「学べる」のですが,これには大きな違いがあるのです。「遊び」は,好きなときに始めて好きなときに止められます。「勉強」は,なかば強制的なのです。ですから,同じことを教えるにしても,遊びの中で覚えさせる,興味を持たせ,ストレスを与えないように教えることが,とてもプラスになるのです。今は「質の良い遊び」がなくなったと言われていますが,これはほんとうにそうだと思います。ソーシャルスキルも当然,遊びの中から学んでいったものでした。今はその「質の良い遊び」を意図的にセッティングしなければいけないわけです。ゲームをしながら社会性を身につける,しりとりで音の認知を高めるなど,さまざまな方法があります。

◆ADHD をもつ子どもへの効果的な対応法

ADHD をもつ子どもを指導するときにいちばん考えなければいけないことは,「管理」と「自由度」のバランスです。自分で自分をコントロールしにくく,システムを作ることが苦手というのが,ADHD という障害の本態なのです。ですから「管理」は必要です。しかし,その中にある程度の「自由度」も必要です。そのバランスがうまくとれているときに,ADHD をもつ子どもは伸びるのです。
また「枠組み」を作る,システムを作ることがひじょうに大切です。「システム」とは何かと言うと,たとえば,いろいろなものをシステマティックに分類する,何かを順序正しくやる,ルールを守る,というようなことです。これらを自分でやることが苦手なので,作ってあげることが大切になります。このあたりのことを,少し具体的に説明します。
まず,教室では,先生の近くや最前列に子供をすわらせる,というのが,よい方法です。こうすると,細かい「サイン」を送ることができます。たとえば,ボーッとして何か別のことをやっていると思われるときに,「ちゃんと教科書見て」と言葉で言ってしまうと,クラスの皆の前に叱ったことになります。しかし,「君は授業中,ボーッとしてほかのことを考えているときがあるから,肩を叩くのをサインとして,叩かれたら集中するようにしようね」と前もって話すようにします。そうすれば,皆には分からずに本人に注意を喚起しやすくなります。サインがたくさんありすぎると,分からなくなるので,シンプルにすることも大切です。それから,気が散りやすいので,刺激を少なくすることが大切です。いちばん良いのは,何もない個室です。音が聞こえない,何も置いていない部屋です。学校で個別の指導をしている場合がありますが,職員室でするのではよくありません。人が入ってくる,電話がかかってくる,と刺激が多すぎるのです。ですから,誰もいない相談室などで個別指導することが大切です。気が散るものが置いてあることが,よくありません。置いてあるものに「触るな」と言うより,置かないことが肝心です。
また,「言葉だけでなく,目やカードでの合図」これも大事です。ADHD の子どもの中には,聴覚の認知に問題があり,ワーキングメモリーが弱い子どもがいます。このような子どもには,言葉での指示や小さなメモではうまくいかないことが多く,何か大きめの紙に書くか,ノートを作るかする必要があります。それでも,ノートを忘れてしまうこともあるので,ノートを持ったかどうか確認するところまでが,親や先生の仕事になります。それから言葉で指示をする場合は「適切な短い言葉で」指示をするようにします。
さらに「子供が上手にSOS を出せるように援助する」ことです。何かが起こってから処理するのではなく,「起こるまえに」手を打つ。これが大事です。それはセルフエスティームを下げないことにもつながり,クラスの中で目立ってしまうのを避けることもできます。これがポイントです。子供がパニックを起こすまえに,先に助けてもらえるような雰囲気やシステムを作っておくことがとても大切なのです。
ADHD をもつ子どもの場合は,全体的に量より質を重視することが大切です。たとえば,漢字とか簡単な算数の問題などをたくさんやる宿題は,意味がありません。頭の良い子などは,すぐ分かってしまってばからしくなります。分かる漢字をなぜ10 個も書かなくてはならないのか,となるわけです。ですから「分かれば良い」として量より質を重視するのです。このようなときには,10 問の問題があったら,「奇数」だけやってごらんなさい,と指示します。奇数番号の問題が正しくできたら,偶数番号のほうはやらなくても良いことにします。そうすると,細かいところに神経を集中してやれるのです。その方法でうまく正解できなければ,それから偶数番号の問題もやるわけです。なぜ奇数と偶数に分けるかと言いますと,最初のほうは簡単で後ろのほうがむずかしいという配列になっていることが多いので,難易度のバランスをとるために,前半と後半で分けるより,奇数と偶数で分けたほうが良いのです。それから,色で認知を強化するために,ラインマーカーなどを使って,それも1色ではなく3色を使うなどして,視覚から入る情報を多くしてあげると,分かりやすくなります。
もうひとつ,ADHDの子どもを指導するうえで,大切でむずかしいことがあります。ADHDを持っていると,何かをきちんと分類して管理することがほんとうに苦手です。あまり分類が細かすぎると,それだけで混乱して,さらにできなくなってしまいます。お母様が,お手伝いという形で分類するなどして,システムを作ることはよいのですが,あまり細かすぎると子どもが混乱してしまうので,簡単なシステムを作り,それができていなかったらまた手伝ってあげる,というようにするとよいでしょう。たとえば,「今やっているもの」「これからやるもの」「終わったもの」と3つのファイルを作るくらいがちょうどよいと思います。ファイル化することはとても大切だと思います。そのファイルも,バインダー式に綴じこむものより,箱型でただ入れればよい簡単なもののほうが良いでしょう。なぜ分類できないかと言えば,いろいろなことを同時にやりたいからなのです。1つのことが終わってから次のことに移れば混乱はないのですが,1度に複数のことを考えたりするために,頭の中が混乱してしまうのです。しかし,色別など分類するファイルがしっかりしていれば,複数のことを同時にこなすにしても可能となるわけです。それから,システムを作ることと続けることは大きく違うのですが,ADHDの子どもはその両方に弱いので,フォローが必要になります。

◆学習スタイル

学習スタイルというものを,ちょっとお話します。たとえば,新しいコンピュータやビデオデッキを買ったときに,使い方を学習しなければいけません。そのとき,まずじっくり取扱説明書を読む人は,学習スタイルが「視覚型」です。何だか分からないけれどとにかく触ってみようという人は,「体得型」です。だれか分かっている人に話して説明してもらうほうが分かりやすい,という人は「聴覚型」です。つまり,人はそれぞれ異なる学習スタイルを持っているのです。この個別の学習スタイルがあることを考えてあげるのが,とても大切です。
アメリカでは,個性を大切にしますから,この学習スタイルを教師がしっかり把握しています。どの学習スタイルの子供でもきちんと学習できるようなカリキュラムを作ることが,教師の仕事となっています。日本では,何となく「視覚型」中心ではないでしょうか。
学習スタイルは,教えるスタイルにつながる可能性もあります。親も先生も,ご自分の学習スタイルがいちばん効果的だと思いこんでいることがあり,ご自分の学習スタイルを子どもに押しつける可能性があります。そうすると,その先生,その親の学習スタイルに合っていない子供を否定することになりかねません。たとえば,「うちの子どもはラジオを聴きながら勉強する。あんなのでなぜ集中できるのか分からない。しかも寝ころがりながら教科書を読む。それが気にくわないのです」という親御さんがいらっしゃいます。その方は「視覚型」で,静かなところでじっくりやるタイプなのですが,お子さんは「体得型」なのです。音楽があったほうが,学習できるのです。
ADHDの子どもには,傾向として「体得型」が多いと言われています。またLD の子どもにも「体得型」が多いと言われています。これはなぜでしょうか。「視覚型」は,視覚認知が高くないといけません。また「聴覚型」は,聴覚認知が高くないといけません。ですから,これらの認知が弱いADHDやLDの子どもでは,「体得型」が多くなるのです。つまり,視覚や聴覚の認知が弱い子供には,「体得型」で教えるのが効果的です。先ほど,分数の学習で実際のものを使って教えるというお話をしましたが,これは「体得型」で教える例です。低学年にはこの「体得型」をよく使っていますね。身体を動かしながら何かができるというのは,多動傾向の人に多いものです。「総合的な学習の時間」が2002 年度から実施されますが,学校の先生方にそこでぜひやっていただきたいのは,この3つの学習スタイルをすべて刺激するカリキュラムをつくる,ということです。

◆7つの知能・・MI 理論(Multiple Intelligence )

皆さんに考えていただきたいことをもう1 つ,最後にお話します。それはMI 理論というものです。これは,最近アメリカで有名になったものです。私たちは,知性や知能というと,どうしても言語的,数学的なものを考えがちで,とくに学校では,この2 つが優れていると「優秀な子供」と考えがちです。しかし,知性や知能にはもっといろいろなものがあるということを,ガードナーは示しています。学校でも家庭でも,この2つにかたよらず,いろいろな知性,知能を伸ばしてあげることが大切だと彼は言っています。
アメリカでは「総合的学習の時間」を何年も前から実施していますが,その中で,この7 つの知能を全部刺激するプログラムを実行しています。それぞれの教科の壁を取り払ってプログラムを作っているのです。この理論が分かると,レッスンプランを作りやすくなりますが,日本では,「総合的学習の時間」で何をしたらいいのか,困っている先生がたくさんいらっしゃると思いますが,この7つの知能を全部刺激する要素を入れて授業を行うことなのです。
これらすべてを遊びの中で網羅できるようにと考えるのが,「家庭でできること」です。一方,これらを「教科」として「総合的学習の時間」にしっかり組み込むことが,「学校でできること」です。それでは,どういうレッスンプランがあるか,例を出してお話します。
まずは,たとえば「リサイクル」というトピック,テーマを決めます。そして,このトピックに沿って,いろいろな刺激が入るように考えていきます。家庭では,ゴミの処理など,リサイクルは毎日のことなので,さまざまなことが学べるよう考えられるわけです。では,ゴミのリサイクルをトピックとして,ガードナーの7 つの知能にそって,それぞれの知能を刺激するアクティビティーについて考えてみましょう。
1. 言語的知能
言語は何にでも関連しますので,とても簡単です。たとえば,ゴミの分類表というのがあります。それを見せてそれぞれの文字を読んでみる。またリサイクルに関する本を読むことや,インターネットを使ってリサイクルについて検索することも良いでしょう。
2. 論理数学的知能
グラフ化することも数学です。たとえば,コーラやビールの缶が1 週間でどのくらいたまるか。そしてその結果を各家庭どうしで比べる。これは統計を教えることになります。また,ただ数学をあやつる知能だけを教えるのではなく,「論理的思考」もここで教えるわけです。この論理的思考は,日本の教育で足りない部分ですので,ぜひ触れていただきたく思います。分類するということは,何が同じで何が違うかを分けるということで,これは論理的思考をすることになります。ゴミを分ける作業はまさに,この論理的思考なわけです。そして,どのようにリサイクルが行われるかを考えれば,それは理科につながります。牛乳パックを使った紙のリサイクルや,使用ずみの油を再利用するアクティビティを組みこむのです。
3. 空間的知能
これは簡単に組みこめます。空き缶,空きビン,空箱などを使って何かを作ることで,空間的知能を刺激することができます。それからここには,地図を理解する能力が含まれてきますので,たとえば学校内でゴミ箱のある場所を地図に描く,ということも良いでしょう。これは3次元のものを2次元の平面に移し替える作業でもあり,折り紙の逆になります。
4. 音楽的知能
ゴミのリサイクルに音楽をどう組みこめるか。たとえば,ゴミを使って楽器を作る。また水を入れる量を変えると音が変わる,などの話にもっていけます。音について組みこむと,科学も入ってくるわけです。「なぜ音が違うのだろう」となりますが,日本では,知識だけは詰めこまれるのですが,この「なぜ」という質問は,案外無視されています。「なに」については教えるのですが,「なぜ」についてはあいまいに答えてしまうのです。子供の「なぜ」にすぐ答えられなくても,いっしょに調べればよいのです。「結果」を教えるのではなく,「プロセス」を教えるのが本来の「学習」であり,それを遊びの中でどれだけできるか,というのが課題だと思います。
5. 体感運動的知能
これは,じっさいにゴミをひろいに行くなど,体を使って学ばせることです。
6. 内面的知能
これは,さまざまなアクティビティーを経験したあと,自分がどう考えたかを作文にしてみます。「今まで自分はリサイクルについて無関心だった」「意識が変わった」などといった意見が出てくれば,内面的知能を刺激したことになるのです。
7. 対人的知能
グループで何かをすることがまさに対人的知能の刺激になります。子どもの中には,1人だとできてもグループではできない子供もいるでしょうから,そういう子どもには,いきなりグループに入れるのではなく,最初は1対1です。クラスでは,休み時間などに教師がある程度介入することによって,この知能をはぐくむことが可能です。ご家庭では,いちばん仲が良さそうな子供をおやつの時間に呼んであげたり,日曜日に家族が皆いっしょにトランプをするなどを通して,1対1の関係を築き,自信を持てたら,2人,3人と増やしてあげるのです。ADHDの子どもは,対人関係が苦手な子供がいると思いますが,「セッティング」してあげることが大切です。2人っきりにさせるまえに少しフォローしてあげて,うまくいきそうになってきたら2人にするなど,手伝ってあげることも大切です。

このようにバランスよく刺激してあげることが大切です。とくにADHD やLDをもつ子どもはかたよりがあるので,7つの知能のうち1や2に重点を置いた授業では,スポットライトをあびない場合があります。しかし,ほかの知能をも刺激するような授業案だと,この子どもたちもスポットライトをあびるチャンスが増えます。皆に「すごいね」と認められる。計算や漢字の読み書きには弱いけど,身体を動かすことなどはすごくできるのだというが分かる。そういう意味では,以前は,クラスの1人1人がどこかでスポットライトをあびる機会が多かったと思うのです。しかし現在では,それがなくなってきてしまって,言語的知能や論理数学的知能に強い人が前に進みやすく,それらが弱い人はダメ,となりかねない風潮があるように思います。
それから7番目の対人的知能についてですが,『EQ 心の知能指数』という日米でベストセラーになった本に,この知能をどう育てたらよいかについて,かなりくわしく書かれています。アメリカでは,社会性は備わっているものではなく,育てなくてはいけない,という認識がありますので,きちんとしたレッスンプランもあります。また,実際にそのプランをどう使っているか,幼稚園や小学校での例も,その本に書いてあります。その本のなかで「人間の成功は,IQではなく,EQの高さで決まる」といっていますが,EQが高い人というのは,「非言語的情報を正確にキャッチし,相手に共感でき,自己コントロールできる人」のことです。
人が言葉で「いいよ」と言ってもじつは心の底では「いや」と思っている,そのような状況を察知して判断できる人はEQが高く,成功するというわけです。遊びが少なくなった現代,言語的数学的知能を重視した授業が増えたことによって,共感したり察知したりする能力が育たなくなってきているのではないかと思います。
IQ が高くてもなかなかうまくいかない人生を送っている人が,たくさんいます。つまり,IQをうまく活かすためにはEQをも育てることが重要なのだと思います。
さらに,プラス思考でいけるかどうかも,大切なポイントだと思います。失敗したときに挫折に立ち向かえるかどうかも,そして自分をコントロールする能力があるかも,EQに関わっているのです。この面で,ADHDやLDをもつ人たちには困難が生じるので,そこをうまくフォローしてあげる必要があります。
知能にかたよりがある,というのは,ある意味で,とても秀でている可能性がひじょうに高い,とも言えるのです。「天才」と呼ばれる人の中にはADHDやLDをもった人がいる,と言われますが,こういう人たちは,セルフエスティームを下げず,ほかの知能,知性をバランス良く兼ね備えたときに,その才能を開花できるのだと思います。「自分はダメな人間だ」と思っては,才能がつぶれてしまうこともあると思います。ですから,学校で何を教えるか,教師や親の役目とは何か,理想の教育とは何かということを,ADHDやLDをもつ子どもたちは,私たちに問いかけていると思うのです。今,これらのことを考える良いチャンスなのではないかと思うのです。
薬を服用しているときにセルフエスティームを高め,その子どもの実行機能や社会性の弱いところをトレーニングしていく,つまり,そのように環境を調整することがなければ,薬物療法も効果が半減してしまいます,
その意味で,薬にできること,できないことを理解することは,効果的なサポートをするための第一歩と言えます。

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