2001年(平成13年)3月31日(土曜日)
財団法人地球産業文化研究所が東京都内で、「日本の教育のあり方を考える〜学力向上の観点から」と題したシンポジウムを開いた。シンポでは、学力低下に警鐘を鳴らし続ける大学教授らが多数参加したが、文部科学省の教科調査官らも出席、学力低下や新学習指導要領を巡って熱い論議が繰り広げられた。
新学習指導要領の策定に関わった吉川武夫・国立教育政策研究所教育課程研究センター教育課程調査官(文部科学省教育課程課教科調査官)は、「学力の問題を議論するときは、義務教育と高校、大学のどの段階での議論なのか、はっきりさせなくてはならない。国際比較調査で見る限り、算数や理科が好きな子供が少ないという課題はあるが、日本の子供たちの学力は落ちていないし、計算問題も良くできている」と、学力低下論を否定する文部科学省の従来の立場を繰り返した。
さらに「大学生の学力低下を指摘する先生が多いが、本当なのだろうか。学力が低いというなら高校教育と大学教育の連携はうまくいっているのか、大学入試の内容は適切なのか、昔と比べて低下しているのか。入学後の学生の学力を伸ばすのが大学の責任だが、大学の教育内容をどう改善するのか、といったことに触れられると議論に深みが出る」などと、大学生の学力低下問題は大学の教育機能と関連して議論すべきだとの考えを示した。
これに対し、戸頼信之慶応大学教授は、「数学を入試に課さないなど大学にも責任はあるが文部科学省も大学に対し入試科目の軽減や推薦入試拡大などの通達を出してきた」などと反論した上で、現役の大学生を対象に中学・高校レベルの数学の問題を解かせた結果を紹介して、大学生の学力低下の深刻さを強調した。
さらに、「学生の学力を伸ばすのが大学の責任というが、高校三年間で理解できなかったことが、なぜ週一こまの補習授業で理解できるのか」と、大学の自助努力だけではどうにもならない現状の深刻さを訴えた。
下谷昌久・大阪工業会産業政策委員長(九大阪ガス副社長)は、産業界の立場から学力低下の深刻さを報告した。「ある企業が機械系の大学院卒業生の採用試験で、熱の伝わり方を聞いたところ、八割が、伝導、対流、輻射(ふくしゃ)の三つをきちんと言えなかった」「企業が欲している探求力、企画力、応用力などが弱くなっている」などと具体的な形で企業側の不満を示し、「地球的規模の知の大競争が始まっているが、基礎学力不足や論理的思考力不足が大きな課題になっている」と力説した。
傍聴者からは、「議論が拡散している。大学生に中高の数学の問題を解かせたと言うが、あの問題を解けないことがそんなに問題なのか。研究者が政治的活動をしている気がする。これまで考えられてきた学力と、今ここで向上させるべきだと論じられている学力とは同じなのか、それとも違うのか」と、学力の定義そのものを問いかけた。
傍聴席の文部科学官職員も「1学年百二十万人の子供がいる。ここで学力とはどんな子供を念頭に言っているのか。我々が学力問題についてヒアリングすると、自動車会社ゼネラル・モーターズ(GM)の中枢で働くハーバード卒のホワイトカラーと比較して語る大企業のトップもいれば、ともかく朝、きちんと出勤してちゃんと仕事をする人間がほしいという町工場の経営者もいる」と発言した。
こうした発言に対し、パネリストの中からは、「大学の現場にいると学力低下が音を立てて進んでいることを実感する。学力とは何かといった抽象的な議論にはいらだちを覚える」「諸外国ではぺーパーテストで測るものを学力と考えている」などの声があがった。
学力低下に対する社会の関心が高まるとともに、学力に対する定義が立場によって異なることが、議論のずれ違いの要因になっているが、今回のシンポジウムでも同様の傾向が見られた。
(編集委員 横山晋一郎)
「新学習指導要領は広く世論を反映した。詰め込み教育や過密教育は、落ちこぼれを生むといった声が数年前まで言われてきた」
「学校教育は単なる知識の伝達だけではない。知育に加えて徳育、体育も大切だ。読書算だけでなく、理解力、思考力、判断力や関心、意欲、態度も重要」
「円周率を三と教えるというのは誤解だ。数と計算は算数の基本で、これまでと変わってはいない。指導要領は最低基準であり、学力低下と指導要領を結びつけるべきではない」
吉川調査官は、新学習指導要領批判に対し、強い調子で反論を繰り返した。
文部省OBの山極隆玉川大学教授も「指導要領が悪いから学力が下がるというそんな単純なものではない。少子化に加え、豊かな社会の中で育った子供たちは切蹉琢磨(せっさたくま)が無く入試も緩くなっている。そうした社会構造の中にこの問題はある」と指摘し、「指導要領ががんじがらめなんてうそだ」と強調した。
シンポジウム自体が、学力低下を懸念し新指導要領に批判的なグループが中心になって開かれたものだけに、こうした意見に対する反発は強かった。「指導要領が最低基準という文部科学省の主張はおかしい。現に、新指導要領には『○○は取り扱わない』といった禁止事項が数多くある」と批判したのは上野健爾京大教授。下谷氏は「いわゆるゆとり教育は見直しを」と訴え、精神科医の和田秀樹氏は「理論的にうまくいくはずだという仮説に基づいた教育から、現にうまくいった所から学ぶ教育政策への転換が必要だ」と指摘した。
このほか、日本、中国、米国の教育改革の流れや、現職教師が登壇して、内申書が中学生に与えている重圧や、徹底した基礎基本の反復学習に取り組んでいる公立小学校の事例などが報告された。
新学習指導要領は、小中学校が二〇〇二年度、高等学校が二〇〇三年度から実施されるが、文部省幹部が「これほどの社会的関心を呼んだ改訂は初めて」と漏らすほど、様々な論議を呼んでいる。シンポジウムでは、指導要領に肯定派、批判派ともに従来の主張を譲らず、議論は平行線で一定の結論を得るまでには至らなかった。
とはいえ、日本中の子供たちが学校で学ぶ内容を定める学習指導要領の改訂問題は、日本社会の今後の行く末を大きく左右する重要な問題である。一部の専門家や文部官僚任せにせず、様々な立場の人が指導要領の中身を読み、公開された場所で論議を重ねていくことの意味は大きい。今後もこうした議論の場が相次ぐことを期待するとともに、一般の父母にも積極的な参加を勧めたい。
比較参考記事として1年半前の記事を提示する。
基礎学力をめぐる現状と課題
学力低下をめぐる議論
1999年(平成11年)10月17日(日曜日)
県立高校受験生の一割が、主要五科目の少なくとも一科目で小学校レベルの学力が身に付いていない----。学力低下をめぐる議論が活発になってきているが、鹿児島県教育委員会はこのほど、県立高校の入試結果や校長アンケートなどをもとに、「基礎学力に揺らぎが生じてきている」と指摘した報告書を.まとめた。報告書は「県教委としても、基礎学力の定着に向けた取り組みの弛緩(しかん)を招いてしまったとすれば、率直に反省しなければならない」と述べるなど、強い危機感を示す内容となっている。
「基礎学力をめぐる現状と課題----今、足もとを見つめ直そう」と題された報告書は、鹿児島県教委が「基礎学力に関する対策委員会」(九八年十月設置)の議論を基に、今年六月にまとめた。いわば、鹿児島県版「基礎学力自書」で、特に県立高校入試結果の分析が注目される。
計算など誤答目立つ
同県の高校入試は国語、社会、数学、理科、萎胴の五教科で、満点はそれぞれ九十点。このうち、各教科ごとに、小学校程度の学力があれば正解できるような問題(英語は基礎的な内容)をいくつか設定し、その得点合計を目安点と呼んでいる。目安点は、国語十八点、社会十六点、数学十六点、理科十五点、英語十六点で、合計では八十一点になる。
九九年度入試の場合、目安点に達せず、小学校レベルの学力が身に付いていないと判断された生徒は、国語と社会で一・三%、数学で五・九%、理科で三・七%、英語で四・三%だった。総得点ベースで目安点(八十一点)未満は一・六%。目安点に達しなかった科目が少なくとも一つある生徒は、ほぼ十人に一人の九・五%もいた。
過去五年間のデータをみても、目安点に達しない生徒は年度によって多少のばらつきはあるもののほぼ一定割合で存在し、九九年度だけの傾向ではないことがわかる。
例えば、目安点未満の教科が一教科以上ある生徒は、九五年度11.2%、九六年度12.5%、九七年度13.3%、九八年度8.5%だった。目安点以上の得点の生徒でも、「読み・書き・計算」など、基礎的問題の誤答が多い。「反応」という漢字が書けない生徒が28.7%、「5×8-14」が解けない生徒が3.1%。「空気中の酸素の割合20%」が回答できない生徒は46.6%にも達した。
また、九八年十二月、八十一の県立高校校長に尋ねた調査によると、最近十年間で新入生の基礎学力が「大幅に低下」とみている校長が二・一%、「やや低下」が七六・五%で、ほぼ九割が「低下」と回答した。「やや向上」は二・五%、「どちらともいえない」は九.九%で、「大幅に向上」.は皆無だった。「学力不振を背景として授業が成り立ちにくい状況」が「相当数のクラスで」みられると答えた校長は一%だが、「一部のクラスで」は三〇・九%もおり、「授業崩壊」が進んでいることをうかがわせている。
小中学校校長も実感
さらに、九八年七月の公立小中学校校長対象の調査によれば、「基礎学力が九割以上の児童(生徒)に定着」と答えた校長は、小学校で四・八%、中学で一・三%に過ぎず、以下、「七割以上に定着」はそれぞれ六七・五%、三七・九%、「五割以上に定着」は二五・四%、五四・九%、「三割以上に定着」は二・三%、五・九%だった。基礎学力が十分に定着していない児童生徒が相当の割合でいることを、校長自身も認識している。一方、九八年十二月に県内の小学三、五年生、。中学二年生を対象に行った調査では、授業が「よくわかる」「だいたいわかる」の合計は小3で76.9%、小5で75.9%なのに、中2では48.9%に激減。一方、「わからないことが多い」「ほとんどわからない」の合計は、それぞれ、5.8%、4.7%、23.4%だった。
こうしたデータをもとに、報告書は「時系列的に基礎学力が低下しているとは断定しきれないものの、様々な懸念すべき兆候が現れており、基礎学力に揺らぎが生じてきている」と分析している。
指導法の見直し急ぐ
その背景には、「自ら学ぶ意欲や思考力、表現力などを学力の基本とする『新しい学力観』に立った現行指導要領の下、『基礎的・基本的な内容を含め、知識を教え込むことは好ましくない』『子供への働きかけは指導ではなく支援でなければならない』といった誤解が、学校関係者などの間に少なからずみられる」と指摘。「『生きる力』.をはぐくむことを目指すこれからの教育においても、『読み・書き・計算』をはじめ、客観的に把握することが可能かつ必要な学力というものがあることをしっかりと認識する必妻がある」と強調している。
鹿児島県敦委はこうした分析結果を基に、
@民間の学力検査やチズト、ドリルなど多様な方法を組み合わせて、基礎学力の定着度をきめ細かく客観的に把握し、指導万濠の改善に反映させる
ATT(チームティーチング)や習熟度学習、放課後などの補充授業の充実、外都人材の活用など、・指導方法の弾力化を積極的に進め、生徒一人一人の能力、個性に応じた指導方法の改善充実
B客観的なデータや資料に基づき現状や指導方法を説明したり、家庭学習の習慣付けに向けた家庭への働きかけなど、保護者に対する説明を増やし、その意見を反映させる
----ことなどを通知、基礎学力の向上に本格的に取り組むことにしている。
我慢足りずいやな事避ける
現場教師の声
家で予習復習をしなくなった
学力低下について、現場教師はどのように感じているのだろうか。鹿児島県内の教師に聞いてみた。
県立和治木高校の園田米次教諭(数学)は「基礎学力低下を感じる。塾の問題やプリントをこなすのが勉強だと思っていて、家で自分一人でじっくり教科書の予復習ができない生徒が増えている」と言う。「ひらめきや自己表現能力は優れているが、無味乾燥なドリルをこなすようなことが苦手。読み・書き・計算といった力は、きちんと繰り返し学ばないと身につかないのに」と語るのは、鹿児島市立西田小の峰山泰学校長だ。
鹿児島市立武間中の堀正信教諭(国語)も「漢字の読み書きから、論理的文章の表現力など、書く力が落ちている」と嘆く。鹿児島市立天保山中学の藤田秀郷校長は「きちんとした文章を書いたり、本を読むことができない、かけ算九九を言えないような生徒が増えた。耐性がなくなり、いやなことはしたがらない傾向とも関係ありそうだ」と語り、県内有数の進学校、里開高校の東憲治校長は「学習時間が少なくなっている上、知的好奇心が希薄になっている」と指摘する。こうした危機感ぼ、全国の多くの教師にとっても共愚の思いだろう。加えて、鹿児島県が基礎学力低下間題に意欲.的なのは、同県特有の事情もあるようだ。鹿児島は元々教育熱心な土地柄。通塾率がまだ低いこともあり、高校などでは補習授業が盛んで、首都圏など大都市では塾が果たしている役割を学校が担わざるを得ない面もあるからだ。
ある県教委の担当者は、基礎学力問題に取り組む背景の一つとして、「学校週五日制や授業時数の大幅削減、総合的な学轡の時閥などを盛り込んだ新学習指導要領は、指導の在り方によっては基礎学力の低下や格差拡大のリスクをはらんでいるから」と指摘する。大都市で^学習塾が生徒募集のため使っているセールストークにどこか、相通じる言い回しでもある。
.実際、県の通知では、テストやドリルの多用や、補習授業の拡大などの記述が目を引く。「基礎学力が揺らいでいる」と率直に認め積極的に改善に取り組む意欲は評価できるが、学力の維持と詰め込み教育の弊害打破をどう両立させるか、難しい手綱さばきが求められているのも事実だろう。
(編集委員 横山晋一郎)
次は4年前の記事である
サイエンスアイ
個性重視の多層教育
基礎額力の低下深刻に
日本シリーズで優勝したヤクルトスワローズの野村監督は、「最近、野球の乱れが気になる」と、繰り返しぼやいてきた。きちんとした野球をやるチームが勝たなければ、乱れは是正できないという思いが、知将を戦いに駆り立てているのかもしれない。
野村監督の言う乱れが具体的にどんなことを指すのか、門外漢にははかりかねるが、単に昔の野球に戻れという懐旧趣味とは違うはずだ。野球の高度化に伴い、技術も知識も感性も高い水準が要求されているのに、自覚に欠けるチームや選手が多く、その場限りのバフォーマンスばかりが目立つ野球への警鐘と解釈している。
科学の世界でも同じことが言えそうだ。最近会った理学部の教授は、入学してくる学生の学力不足を相当に深刻に憂えていた。受験生の負担軽減、あるいは個性とゆとりの教育などという美名の下、大学の受験科目を減らし、論文重視や一芸に秀でた生徒の発掘など、パフォーマンスにやや傾斜した選考基準が、学力低下の遠因と分析していた。
暗記が利かないので受験勉強がしにくい物理のような科目は、理科系の受験生も回避したくなる。物理学科の新入生が、高校でろくに物理を学んだことがないという例も出てくるわけだ。
科学はかつてとは比べものにならないスピードで進展している。学生が取り込まなければならない知識体系はますまず高度化している。若くて柔軟な頭脳といえども、基礎のできていないところには、高度な知識は簡単に入らない。
ゆとりが生まれるはずだった受験科目の削減は、少ない科目での激烈な点取り合戦を生み、個性化するはずだった科目の選択制は、面倒なことは素通りして、好きなことにしか目を向けないという、知的好奇心の退廃をもたらした。
優れた研究者を育てるためには、個性を大事にする教育が不可欠だとよくいわれる。突出した才能を発掘して伸ばずには、飛び級のような制度も必要かもしれない。しかし、それは全体がある水準を保っていることが前提となる。日本の高校生の学カレベルは、世界的にみるとやや下り坂にあるという。
遇剰な平等主義や、知識の詰め込みが批判されている戦後教育。個性重視の多層的な教育を目指すのは結構だが、具体的な方法論を持たないと、知識もまともに入っていない幼い頭脳に個性の2文字だけが躍るという、恐ろしい事態を招きかねない。
学生を指導すべき教授にも、パフォーマンス過多の病状は広がりつつあるという。研究費の原資が増えたせいか、純粋に科学的な研究でも、何か世間に役立ちそうな名目を付け加えて研究費を申請することが多くなった。細胞分化の研究も発がんの機構解明と絡めて説明する。
これまで世間との関係がやや希薄だった大学や研究者が、研究の社会的な意味を考えることは歓迎だが、それがポーズならむなしい。ノーベル賞の受賞者などスーパースターを集めなくとも、戦略の確かなハイレベルの研究者がそろっていれば、研究ゲームには圧勝できることを、スワローズは教えてくれた。
(編集委員 塩谷 喜雄)1997/10/25/土
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