広瀬隆雄
1)情報教育と中教審答申
文部合が情報化教育への本格的な取り組みを始めたのは、1980年代の中頃からである。社会の惰報化の進展、高度な情報処理技術者の需要などを背量に、文部省は情報教育の必要性を強調し、学校へのコンピュータ導入や教員研修などを積械的に展開してきた。
1989年に改訂された学習指導要領は、さまざまな教科の中で惰報教育を推進すること、とりわけ中学校の技術・家庭科において「情報基礎」という新たな分野を設けることなどを明らかにした。その後90年代に人って、文部省はインターネットやマルチメディアという祈たな動向に注目し、これらを積極的に学校教育の中に取り込むように働きかけてきた。新学力観とかかわって、コンピュータのもつさまざまな可能性は、新しい学習のあり方を切り開くものとして大いに期待されている。
こうした流れの中で、∴今回第15期中教審の「第1次答申」が、情報教育のあり方に関する基木的な考え方を提示した。しかL、一読してみると、特に新しいことがらが書かれているわけではなく、の感はいなめない。
これまでの文部省の情報教育政策を迫認にしたにすぎず、期待はずれむしろ情報教育に関する基本方針が未だ確立していないことを露呈する結果になっているといってよい。「革1次答申」のボイントをあげると、第1に、「総合的な学習の時間」の中で情報教育を取り扱うこと、第2に早急に全国の学校にインターネットを導人すること、第3に専門の情報処埋技術者を教員研修や学校現場で活用することなどを明らかにした点である。
「総合的な学習の時間」というのは、周知のように今回の答申の大きな目玉である。この時間の中で情報教育を扱うように指示しているが、そのほかに小学校での英語教育や環境教育の実施などが予定されている。情報教育を行うための正規の授業時間を新たに設定することなく、とりあえず何でもありの「総合的な学習の時間」に割り当てたことは、その場しのぎの印象を拭えない。しかし、他方では情報教育の体系化が必要だという主張もしており、長期的な展望と具体的な実践との間に人きな隔たりがあるといってよい。
2)惰報化された学校の青写真
答申で、は、長期的な展望として、教育内容の体系化だけでなく情報化された将来の学校のあり方についても言及している。今後学校の情報化をどんどん進めていけば、学校のあり方そのものが大きく変化するだろうと子測する。そのように高度に情報化された学校を「新Lい学校」と、答申は位置づけている。実現の有無は別にして、情報化が学校に何をもたらすか、この点は興味深い点である。
答申の描く情報化された学校像はこうである。全国の小・中・高校にマルチメディア型のパソコンを導人し、それをインターネットで相互に連結し、子どもたちの学習の道具として活用Lようというものだ。こうしたネットワーク化は、すでに大学や企業の間ではじまっており、それほど遠い将来の話ではない。
マルチメディア型パソコンでは、テキストだけて、なく、映像や音声もデジタル情報として一元的に扱うことができる。学校内だけでなく、地城の学校どうしが、さらに日本全国の学校や海外の学校とも、双方向の情報交換ができるようになる。インターネットを使えば、大学、図書館、博物館、美術館などとの接統も可能だ。また保護者の各家庭とも接統することができる。保護者は学校にアクセスし、学校のさまざまな情報を引き出すこともできる。この点について答申は、「適時、保護者、地城の人々、更に広く杜会に対し自らの情報を積極的に発信していく開かれた学校となっていくことを強く望むものである」とのべている。
情報通信ネットワークで結ばれたコンピュータのあり方は、学習のあり方や教師の役割に大きな影響を及ぽすだろう。たとえば子どもが何かを知ろうとするとき、先生に尋ねるよりも、パソコンを使って自分でいろいろと調べたりする機会が増えるだろう。インターネットで情報を入手すれば、教師の持っている知識よりも、リアルタイムな知識を得ることもできる。となると教師の役割は、ー定の知識を教え込むというよりは、情報の入手方法を教えたり、多様な情報の中で何が重要かをアドバイスする役割へと変化していくだろう。つまり教えるー教えられる関係ではなく、予どもの学習活勒を援助するアドバイザーとしての教師の役割が、重要な仕事になってくる。
さらに極論をいえば、将来的にはわざわざ学校に行かなくても、在宅学習ですますこと
も可能だ。ネットワークで繋がれたマルチメディア型パソコンには、こうした時間的・空間的制約を打ち破る可能性をもっている。自宅にいて、学校の授業を,受けることも可能だL、いろいろな教材ソフトを使用して、個別学習をやることもできる。インターネットで簡単に教科書の内容を引き出せるようになれば、実物の教科書もいらなくなるかもしれない。さすがに答申ではそこまでのべていないが、今後情報化が進めば、学校の役割とは何か、教師の役割とは何か、そもそも教育とは何かという問題が問われてくるだろう。
もちろん、未米社会の学校がすべてバラ色というわけではない。情報機器を扱うことが苦手な子どもや教員の問題、情報較差にもとづくあらたな社会階層化の問題、さらに生の具体的な人間関係の場をどこで保障するかという問題が残されている。しかし、学校の情報化が進展することで学校のあり方自身が問われてくるという問題は、決Lて軽視できないことがらである。
3)具体化への課題
答申の描く将来の学校像を紹介したが、これについて語る前に、そこに至る過程をどのように構想するかという問題の方が童要である。将来の学校の青写真を実現するためには、いくつもの大きなハードルを越えなけれぱならない。そして今回の答申では、この点についてかなり楽観的な見通しを立てており、一つひとつのハードルを丹念に検村した形跡はみられない。
まず第1のハードルは、惰報機機器の整備の問題だ。インターネットを全国の学校に導入せよと答申はのべているが、それにかかる膨大な費用については一言も触れていない。インターネットだけでなく、新たなコンピュータの導人も当然必要になってくる。確かに現在、各学校にかなりの数のコンピュータが普及Lているが、中には古い機種も多く、答申の期待するようなマルチメディア的な利用を行うのは難しい。とすれば、買い換えのために新たな予算が必要となるが、これについてもいっさい言及されていない。
革2のハードルは、教える側の問題だ。たとえ計画通りにコンピュータが設置されたとLても、それを教える教員がいなければ、宝の持ち腐れになる。そこでコンピュータを扱える教員の確保が大きな問題となる。答申では、大学での教職科目(「教育の方法及び技術に関する科目」)の充実や教員研修の拡充を計画Lているが、こうした対応だけでスムーズに行くのだろうか。学校現場にコンビュータ好きの教員が1人でもいれば別であるが、そうした教員のいない学校では、なぜわざわざめんどくさいことをやらなけれぱならないのかという雰囲気が強い。また使えることと教えることは別問題であり、教えるためには相当じっくりと時間をかけてコンピュータと付き合う必要がある。さらに実際に教えるとなると専門的なアドバイスの行えるスタッフの確保が不可欠だ。情報処理技術者の活用等が指摘されているが、さらに掘り下げた検討が必表と思われる。
(ひろせ たかお 研究評議員/桜美林短期大学助教授)
教文研だより1996年9月発行号外p18〜p20より転載(OCR読み取り)
1996/11/1/金