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教育改革国民会議最終報告


2000/12/23/土


教育改革国民会議の最終報告は、希薄になる子どもの社会性を養うための奉仕活動の充実などを掲げた。だが教育危機のもう一つの本質である学力低下の議論は素通りし、提言に盛り込まれた大学改革も棚上げされる見通しだ。舞台裏からは、主導権を握った文部省の姿が浮かび上がる。

最終報告が全く触れていないテーマがある。本社調査で大学学長の八八%が懸念を抱く学力低下の問題だ。そうした懸念をよそに、二〇〇二年度には小中学校の授業内容を三割削減する新指導要領が導入される。文部省の「ゆとり教育」路線の総仕上げだ。

宙を漂った議論


四月の国民会議第三回全休会合。「ゆとり教育」への異論が相次いだ。藤田英典・東大教育学部長「新学習指導要領で学力低下がさらに進む可能性がある」
河上売一・川越市立城南中教諭「ゆとり教育は義務教育の根本を崩す」
梶山叡一・京都ノートルダム女子大学長「ゆとりで創造性は生まれない」
すかさず中央教育審議会(中教審、文相の諮問機関)のメンバーを兼ねるある委員が「ゆとりがなければ、二十一世紀の国際社会で生きる力が付かない」「ゆとりだけ批判してもいけない」と反論。そこで森喜期首相が会場に現れた。

町村信幸首相補佐官(当時)「ゆとり教育が良かったのか悪かったのかが主たる論点になった」
首相「本当にご苦労様」
町村氏「よろしいですか」
首相「結構です」。

議論は宙を漂った。
後日、会議の議題を決める国民会議の企画委員会は「学力低下の客観的なデータがなく、ゆとり教育について議論すべきでない」という方針を打ち出す。
国民会議の委員二十六人のうち、四割強の十一人は文部省の審議会委員を兼務している。特に企画委員会は中教審委員を兼ねるメンバーがまとめ役を果たしており、ある委員は「文部省の意向を反映させる実動部隊だった」と話す。
事務局も文部省からの出向者が主要ポストを占めた。学力低下を声高に主張する委員について、事務局幹部が「彼をメンバーにしたのは失敗だった」と陰口をたたく場面もあった。

責任追及雀危ぐ

学力低下を議論すれば、文部省のこれまでの路線の責任追及や見直し論につながる。委員の構成と事務局の段階で結果は見えていたともいえる。
森首相が学力低下の論議を素通りしたように、政治がリーダーシップを発揮する場面はなかった。九月十.三日の国民会議委員と与党文教族議員の会合。議員側から私学助成増額を求める声は噴出したものの、改革に関する前向きな提案はほとんど出なかった。
文部省は奉仕活動の充実や小人数教育などについては、来年の通常国会に向けて関連法案の改正作業を急いでいる。教育基本法の改正も、復古調でないかたちでどんな理念を掲げるかが大きな課題になる。
ただそうした人目を引くテーマの裏で葬られる提言がいくつもある。大学入学年齢制限の撤廃や、複数分野を専攻するダブルメジャー制度導入---。一連の大学改革の提言は具体化が見送られる見通しだ。
民間出身のある委員は「競争力に直結する高等教育改革の見送りはおかしい。事務次官と対決してもやらせる」と気色ばむ。だが文部省にとって「2003年までに結論を出す国立大学の独立行政法人化が最優先課題。それまでは大学改革に手をつけない考えだ」と関係者は打ち明ける。

提言つまみ食い

評価の仕組みがなく、競い合う環境のない教員。最終報告は「教員免許の更新制の可能性を検討する」とある。ここでも文部省は「三百万人いるとされる免許所有者の更新には事務的な手間がかかり過ぎる」と逃げ腰だ。
国民会議委員の中には「文部省は自らが進めたい改革のつまみ食いをしている」との不満もくすぷっている。
1984年に発足した臨時教育審議会(臨教審)。設置法に基づく審議会で、首相の私的懇談会だった今回の国民会議よりも、行政からの独立性が高かった。それでも規制を緩和し、教育の自由化を進める改革は中途半端に終わった。事務局に文部省が進駐し、徹底抗戦したからだ。それから十六年。明治維新、敗戦に続く「第三の教育改革」はまだ道筋がみえない。