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心を育てる


心を育てる/上


「子供の話を聞いたお父さん、怒っちゃって担任の家にダンプで突っ込んでやるってへ言うんです」。東京都内の小学校の保健室で、一年生の母親が養護教諭を相手に物騒な話を始めた。
数目前の休み時間のこと。「タダシがさー」と父親を呼び捨てにしながら友遠と話していた息子が、「人前ではお父さんと言いましょうね」と担任から注意されたのだという。「うちは親子が対等な立場だから名前で呼び合うようにしている。担任が家庭の方針を理解してくれなかった」。担任批判が続いた。

子供と同レベル

養護教諭は「対等な親子関係ってあるんだろうか」と思いながらも、母親も自分が相手だから本音が言えるのだと思うと、あいまいな相づちを打つほかはなかった。「子供と同レベルで感情的になったり、子供の前で教師の悪口を言う親が目に付く」と話す。
ある小学校で携帯用ゲーム機の紛失が相次いだ。最初、A君は”加害者”だった。同級生のゲーム機を隠したA君は「校庭に埋めたが、戻ったらなくなっていた」と言い訳した。母親も一緒に「うちの子は隠しただけで、土中から持っていったのはほかの子だと言っている。取ってはいないんだから弁償しなくていいはず」と言い張った。担任は、取られた方の子供の親には「もともと高価な物は学校に持って来ない約束なのだから」と納得してもらった。

「先生にお任せ」

ところが数カ月後、今度はA君のゲーム機がなくなった。上級生の仕業と分かった時、この母親は強硬な態度に出て新品を弁償させた。対応に追われた担任は、「子供の言い分を鵜呑(うの)みにしたり、筋が通らない態度を取る親が、子供にいい影響を与えるはずがないのに」と振り返る。
埼玉県で私立幼稚園の園長を長年務める宮脇世紀子さん(57)は「半数の子供は入園時に自分でトイレに行けない。今の親は『先生にお任せ』という発想で、最低限のしつけも放棄している」と憤慨する。園児が「かねがほしい」と七夕の短冊に書くのを見て「子は親の鏡」を実感した。
経済的に困っているわけでもないのに、給食費や教材費を払わない。微熱が出た子供を二泊三日の林間学校に参加させ、自分たちは旅行に行ってしまう。子供にカップラーメンとパンを与えただけで、カラオケに行ったまま外泊…………。教師たちからは「困った親」と「家庭の敦育力低下」を嘆く声が次々と聞こえてくる。今春には「バカ親につける薬」という本を出版した現職教師まで現れた。

人付き合い下手

子育てがまともにできない親から、児童相談所が子供を保護するケースも増えている。都内では、学芸会の劇で小学一年の娘が端役だったことが不満で、「先生が信用できない」と一年半も登校させず、家に閉じこめていた母親もいた。
若い母親たちと同世代の女性教帥は「子供がかわいくないと、平然と言う親もいる。子供を育てるには、母親の心の安疋が大切」と語る。家庭訪問では子供の話はせずに、母親の聞き役に徹するという彼女が、新しいクラスを持ってまず始めることは、人付き合いが下手になった母親たちのために、保護者会でゲームをさせることだという。

      ×   ×     ×

少年による凶悪事件が桐次ぐなか、中央教育審議会が公表した中間報告は家庭のしつけに初めて言及、子育てへの社会の支援を訴えた。子供たちの「心」を守り育てるために、家庭、学校、地域に求められている課題は何か。それぞれの現場から見えてくる親子の姿や変革への試みを報告する。

1998/4/2/木 朝刊掲載記事



心を育てる/中


「いじめって、どういうことをすることかな?」。三月末、群馬県高崎市立佐野小学校の深沢久教諭(42)は四年生の道徳の授業でこう切り出した。「殴る」「ける」「お金を取ったりすること」、生徒が次々と答える。
「その中に 法律で罰せられる行為があるのは知ってるかい?」。生徒がノツてきた。「ケガをさせたらいけない」「モノを取るのもそうだと思う」

自分の言葉で

そこで、深沢さんは刑法の条文を簡単に説明したプリントを子供たちに配った。「殴る、ける」でケガをすれば傷害罪、モノを取れば窃盗罪だ。「でも、法律に触れないいじめもあるよね」。だれかが「無視すること」と答えた。
「罪に問われないなら、仲間外れや無視はやってもいいんだろ」と、深沢さんがけしかける。でも、クラスの大半が反対した。深沢さんの道徳の授業はいつもこんなふうに進む。生徒に考えさせ、自分の言葉で語らせる。
「教科書では六年の二学期にならないと『人権』という言葉も登場しない。だがそれでは遅すぎる。一人一人に権利があり、自分の権利と同じく他人の権利も守らないといけないことをもっと早くから学んでほしい」と深沢さん。
中央教育審議会の中間報告によると、小学校低学年では半数以上が「道徳の授業は楽しい」と答えたが、中学三年では五%だけ。「初めから分かっていることしか教えず、感動したり考えることが少ない」などが理由だ。お題目だけの「心の教育」の多さに子供たちはソッポを向いている。
中教審は学校の役割として「道徳授業の充実」などを求めたが、どう子供の心に通じる授業を進めるのか。教師に与えられた課題は大きい。

生きる力蓄える

横浜市立若葉台西小学校の日下義明教諭(50)は昨秋から、「おまじない」を道徳の授業に取り入れた。サッカーでゴールを外したらどうしよう。社会の発表がうまくいかなかったら……。子供たちの日常にはいくつもの「どうしよう」がある。そんな時に「自分で自分をいやし、励ます言葉を心の中で唱えてみよう」。そう提案した。
「賢い半面、失敗したり困難にぶつかった時、もろい子が多い」と感じたからだった。「あぶらかだぶら元気になあれ」「ムツカーガマンガマン」。 子供たちはそれぞれに勇気づけや自制のための言葉を見つけ出した。こうして自分の心を見つめることは「生きる力」を蓄えることにもつながるはずだと思う。

「死」も教材に

「死」も大切な教材だ。学校で死を教えることはタブー視されている面がある。しかし、死への恐れを実感させることも必要だと日下さんは考える。二月中旬、ある女子児童の祖母が亡くなった。日下さんはこの子に「よく見ておいで。おばあさんからの最後の贈り物だから」と声をかけた。「おばあちゃんは冷たくて少し怖かった。でも、元気だったころ『よく来てくれたね』と優しかったことを思い出した」。女児は後日、こう報告してくれた。
「学校の限界」を指摘する声も強まる中、教膏現場では子供の心に響く授業を模索する地道な試みが続いている。

1998/4/3/金



心を育てる/下


「『お宅の児童がエアガンで遊んでいた』と連絡を受け、早速集会で人に向けないよう注意した。我々だけでは気付かないことも多く、地域との連携は欠かせない」。東京都世田谷区立中町小学校の大川 辰三校長はこう言って胸を張る。
「学校協議会」。世田谷区立の小中学校が学校ごとにこんな名称の組織を作り、学校、家庭、地域が一体となって子供の問題を考える取り組みを始めたのは二年前のことだ。校長を中心に、PTA、町会、警察など地域の関係者を集めて定期的に会合を開く。保護者だけでなく、幅広く参加を、呼ぴかけているのが特徴だ。「大切なのは、顔を知っているおじさんが近所にいること。普段から声をかけられているとそう悪いこどはできない」と、区立太子堂中の協議会に参加している自営業の山岸秀雄さん(69)。
ボウリング大会を開いた際には、中学生が企画段階から加わり、小学生の面倒も見た。「今の子供が昔の子供とそんなに違うとは思わない」が、活動に加わっての山岸さんの感想だ。
中には、組織はできても、ほとんど会合を開いていない学校もある。例え開いても、「出るのは話題にしやすい防災の話ばかり。これほど少年事件が問題になっているのに、校長がまったく触れようとしない」(小学生の母親)といった声もある。こうした 組織がうまく機能するかどうかは、学校側の意識にかかっている部分が大きい。
神奈川県には、幼稚園関係者や保護者らを中心に設立された「子育て楽会」という組織がある。竹細工づくり、芋ほり大会……。「楽」の字を使っていることで分かるように、活動の中心は子供を含めた家族ぐるみで遊ぶことだ。
「家庭だけでの子育でには限界がある。子供にとっても、大人を含めた集団の中で遊ぶことで社会性が育つ」と「楽長」の古郡宗正さん(47)。皆で遊んでいる最中、悪いことをしたよその家の子供をしかる、といった場面も珍しくない。
ただこれまでの活動は必ずしも順調ではない。一年前の 発足時に百五十人いた会員は約六十人に減った。父親の参加も二割ほどとまだ少ない。「子育て支援の担い手となるには相当の熱意がいる。行政が実績づくりのためだけに考えた組織はたちまちつぷれてしまう」。
子育て楽会をはじめ、神奈川県を中心に多くの子育てサークルの設立にかかわってきた杉浦正明・子育て協会所長は、地域の一体感が薄れる一方の都市部で、活動を定着させることの難しさを指摘する。
こうした中で、古郡さんは「他人とのかかわりを『わずらわしい』と感じる親は確かに増えている。だが、会員がそれぞれの地域で親同士を結びつける接着剤になってくれれば」と期待を捨てていない。
「異年齢集団の中での体験」「親の悩みを相談できる体制作り」「行事への参加」----。中央教育審議会の様々な提言は、かつてこうした力を内在していた「地域」の再生を訴える。見えなくなった子供たちの心を取り戻すため、家庭を超えて何をすべきなのか。各地の取り組みからは、大人たちのこんな焦燥感が浮かび上がってくる。

転載者から
今、耳の神経を病んでいる。2月下旬に右耳の神経がおかしくなったようだ。理由はわからない。過重なストレスかと思うが。神経が再生するのであれば、または損傷を受けた神経が回復するのであれば、神経の再生・回復には相当の時間がかかるのに違いない。皮膚や血管と違い、神経は一旦おかしくなったら恐ろしく時間がかかるのだろう。
同じように、地域も昔はしっかりと成立していた。一旦壊れた地域を再生するには、神経同様の時間がかかるだろう。
明日(4月6日 月)から、長期の療養休暇に入る。神経の再生と回復を願って、身体と心を休ませよう。

1998/4/5/日 午後10時


「きれる母親」読者の声


「育児に伴うストレスから、子どもをたたいたり、暴言をあぴせたりする母親が増えている」と指摘した三月十四日付生活家庭面の寄稿に対し、子育て中の母親たちから様々な反響が寄せられた。「私も同じ悩みを抱えている」と共感する声がある一方、母親一人に子育てを任せている社会構造こそ問題、と訴える声も多かった。

反響が寄せられた記事は女性の投稿誌「わいふ」編集長の田中喜美子さんのリポート。一年前から子育ての通信教育「ニュー・マザリングシステム(NMS)」をスタートさせた田中さんは、「子どもを愛していない特別な母親ではなく、我が子を愛しているふつうの母親たちの中に子どもをたたいたり、暴言をあぴせたりする母親が増えているという現実に気が付いた」と指摘。「その主な原因は乳幼児の徹底的な母子密着と子どもの甘やかしにある」と分析した。

気持ちとは裏腹に…

これに対し、シンガポール在住の主婦A子さん(30)は「いてもたってもいられずペンをとりました」と前置きし、次のような体験談を寄せてきた。A子さんには現在、七歳(娘)、三歳(息子)、零歳(娘)の三人の子どもがいる。夫の海外赴任に伴いシンガポールで生活して三年四カ月。日常生活には満足しているが、子育てにはとても悩んでいるという。「特に一番上の七歳の妓が手に負えず、田中さんのリポートにある〃キレる”母親がまさに私なのです。私に対する反抗的な態度が気に入らず、イスごとけとばしてしまったり、ベッドにたたきつけて、おしりを何度も何度も子どもが泣くまでたたいたり……。自分ではそんな事したくないのに、優しい母親でありたいのに、抑えようとすればするほど反動も大きくなり、よりひどくなるような気がします」
「現在二歳の娘を持ち二人目の子どもを妊娠中」という岐阜県在住の主婦B子さん(37)も「あまりに娘が言うことを聞いてくれないので「こいつ、いつかけっとばしてやる!』と何度も心の中で思いました」と告白。「記事はとても身につまされる内容でした」と書いている。
半面、母親の育児ストレスをつくっているのは、ほかでもない、子どもを甘やかす母親自身であるという田中さんの指摘には、強い反諭も寄せられた。
「甘えさせることと甘やかす事は違うのではないかと思います。子どもがほしがれば、のべつ幕なしにお菓子を与えたり、公共の場でルールを守らせなかったり、泣けば何でも子どもの言うなりになったり、そういうことが甘やかしではないでしょうか。なにかにつけて泣きわめき、寝るにも起きるにも手がかかり、母親にしつこくまとわりつく幼児が問題と書かれていますが、小学生の高学年にもなってというならまだしも、手がかからず母親にもまとわりつかない幼児の方が怖い気がします」(C子さん)

夫や両親には頼れず

「夫は都市銀行勤務。子どもは一歳の男児。夫は一日二十時間近く働き、家族三人が顔を合わせるのは毎朝十分ほど。夫の両親は地方に居住。私の両親は仕事などに忙しい。子どもの世話はもちろん、私以外には時間的に無理である」
東京に住む専業主帰D子さんは育児の現状をこのように説明し、「母子密着が進んでいるとしたら、それは『スキンシップが大切』という育児理諭のためではなく、現代社会の構造そのものが生んだ結果であろう」と訴えている。
同様の意見は兵庫県在住の主婦、高見久美さん(36)からも寄せられた。「過度の母子密着と周りからは見えても、その母子にとっては必要なのかも知れない。(子どもが)しつこくまとわりついた時、応じてもらえなければ(母親への)信頼は失われていく。だから母親だけでなく、父親あるいは見るに見かねた大人がさらりと声をかけるのは必要と思う」

育児は母」には限度

田中さんの指摘について身につまされたと書いてきたB子さんはこうも言う。「(何度もキレそうになりながら)一度も実行せずに済んでいるのは、ひとえに夫の理解と協力のおかげです。愚痴を聞いてくれて、なぐさめてくれて、休日には積極的に子どもの面倒を見てくれる夫のおかげで、私は精神的な安らぎを得て子どもに対して余裕をもって接することができます。もし、たった一人で子育てしていたら私もキレていたかも知れません」
育児は妻の役目、夫は仕事さえしていればいい----。反響からは、そんな現状への反発と、それがおかしいと感じながらどうすることもできない若い母親たちのいらだちが感じ取れる。
彼女たちの言葉は、育児がもはや、母親という一人の人間に負わせて済む問題ではなくなったことを如実に表しているのではないだろうか。

1998/4/4/土