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児童の作品を保存する


富山県博労小の3万点整理、生活・文化知る資料に


小沢 昭巳


富山県高岡市の博労小学校には、1901年(明治34年)の創立以来の児童の習字、絵、作文の作品が今に残されている。太平洋戦争時の作品が失われているだけで、その数三万点。百年もの間の全児童の作品が残っている例はほかに全くなく、教育史の資料としても非常に大切なものだ。
児童たちの作品は卒業の際に制作されてきた。私は博労小学校には二回奉職したが、最初は六七年から六八年までだった。この時も六年生が作品を残していたが、年ごとに制作される作品は、ただ倉庫に山積みされるだけで保存状態も悪く、作品を残す事業の継続も、単に「伝統だから」という以外、積極的意図も見いだしてはいなかった。
空き教室を博物館に私は戦後に教員となり、生活織方(つづりかた)運動に参加し、児童たちによく作文を書かせていた。同時に県内の学校や家庭などに残されている作文集を探し出し、整理、保存も進めてきた。そんな中で、博労小学校の倉庫にあった古い児童の作品集に注目したのである。あちこちの倉庫から見つかった作品を、空き部屋に積み上げた。
私は整理保存と作品を残す事業の大切さを訴えるため、作品群を展示する博物館を提案し、六八年に、「博労子ども博物館」が開設された。空き教室を利用した、児童と地域の父母による手作りの施設だったが、ここで作品群は年代別に整理され保存された。
最も古い作品は一九〇一年創立時の習字だ。まだ四年制で、児童が寄せ書きして額装してある。やり直しのきかない寄せ書きに児童の緊張ぷりがうかがえる。七年からは児童画が、八年からは六年制となって作文も加わる。
開校直後は抜けている年もある。見つからなかったのか、失われたのか。ただ、四二年から四七年の作品は一点もない。当時の先生たちに聞いたところ、四五年までは作品は残したという。だが、終戦直後、戦時中の資料は処分せよという県の指示に、学校が過剰に反応して、児童の作品も処分してしまったのであった。四六、四七年は紙も絵の具も不足し、作品を作らなかったという。

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作文はすべて読み返す博労小が全児童の作品を残し始めた理由も分かった。明治の開校当時、児童の就学率、出席率は低かった。学区域が職人の多い町で、子供には家で仕事を教えるものという考えが根強かったためだ。それを改めるため、校内に卒業生の作文、絵、習字を展示し、卒業生が常時、学校を訪れ自分の作品に再会できるようにした。まず卒業生とのつながりを深め、彼らを手引きに、未就学児や不登校児に学校へ行くよう促した。この試みは成功し、就学率、出席率とも高くなったという。
私はこの後、富山県教育研究所の教育史編さん主任を務め、県の教育史研究に携わったため、博労小の作品には常に注目し、作文はすべての作品を何度も読み返した。
百年近くにわたる作品はそのまま教育史の資料となる。明治時代の絵は、すべて手本を模写した毛筆の臨画で、富士山や花鳥などを丁寧に描いている。習字は「忠孝」「恭倹」「奉公」などの字が選ばれている。
作文では、文明開化と日本古来のものとの相克なども素材としている。日本の近代教育は、西欧の強い影響の下に成立し、西欧化を推し進めた。「物質文明の盛になるに反して精神の文明の衰へてゐるのは甚だしい物である」。これは一九一一年(明治四十四年)、小学校六年生が書いた作文の一節だが、その批判精神は大人顔負けだ。

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大正デモクラシー映す大正時代に入ると、絵の手本が絵はがきや雑誌に広がる。一九二〇年ごろからは全国的な自由画運動の波が押し寄せ、校舎や遊びなどを鉛筆や水彩で自由に表現している。大正夫にはクレヨン画も登場する。習字や作文には「世界」や「貿易」という言葉が使われ、大正デモクラシーを映して、「美しい魂」「自由の女神」などという語も出てきて、子供の生活や個性が尊重されるようになった様子がうかがえる。
昭和に入り戦前は、絵は写実的になったが、題材は風景と静物、人物に限られていた。一九三七年ごろから生活を描いたものも見られるようになる。習字、作文では農村不況を反映した「自力更生」「勤倹月行」などの言葉や内容が増えるが、その後は「国家興隆」「非常時」などと戦時色が濃くなっていく。だが底流に個性や自由への目覚めが潜むのも見落とせない。
私は七八年から八三年まで教頭として再びこの小学校に勤め、八一年の開校八十周年を記念し「博労児童作品史」を編さんした。カラー刷りだが、掲載作品の選定に苦労した。
博労小は二〇〇一年六月に創立百年を迎える。その記念事業として、現在、高岡市や同窓会とともに、校内の一画に「児璽作品展示場」を作る計画が進められているという。この全国的にも貴重な文化財となった作品が、末永く保存されていくことを願っている。

(おざわ・あきみ=国立高岡短期大学講師)


1998年(平成10年)12月17日(木曜日)