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情報教育の取り組み


ここでは,情報教育部門の取り組みについて述べる。
小学校における情報教育のねらいは,「慣れること」「親しむこと」である。それはパソコンに慣れることでも,パソコンに親しむことでもない。現状は,パソコンが情報処理の道具として表舞台にあるから,パソコンに慣れ,親しむことをねらいとしているのかもしれないが,本質は,情報の収集から価値判断,創造,発信も含めて,情報の扱いに慣れることであり,親しむことでなければならない。その中には当然,他人の考えや創作物を大事にするということも含まれる。

さて,現在,私自身が病気になり,おそらく残された時間は僅かであろう。そこで、伝えたいことはたくさんあるのだが,とりあえず,当面の取り組みについて書いておきたい。

ここで述べていることは,鳥が丘小学校だけでなく,どの現場でもあてはまると思うので,参考にできるだろうと思う。

一 始めに

ここには,そんなこと言っても,と思われるようなことも述べている。しかし,これまで,私が述べてきたことは,そのほとんどが実現したり誰かが数年後に言いだしたりしている。コンピューターの教育への利用は26年前から言ってきた。その応用で指導案へのフローチャート利用も同じ頃から提言している(おそらく最初に提言しているはずである)。
そんなこと言ってもと思われるかも知れないが,ここで述べていることはやがて実現するものと信じている。ただ,言うのが,いつも10年早いというだけであったのだろう。
 以下,問題点と,当面取り組む内容について述べている。

1 情報教育

3年前に今後の見通しをということを問われた。その時はそれについて答えはしたものの納得されたようではなかった。私も答えながら,自分自身もわかってないな,と思いながら話をしていた。そこで,ここで改めて述べたいと思う。

A 教育活動にむけて
情報教育部門が扱う内容は多いが,以下の点に重心を置いて考えてみるとよいだろう。
(1) パソコンを使うマナー(パソコンリテラシー)を理解する
パソコンの扱い方とパソコンの初歩的な原理の理解,フロッピーディスクの仕組みと使い方の理解,情報についてのマナーについて指導する。掲示板などに掲示できるものについては,各クラスに配布したり同じ物を拡大して掲示したりする。
なお,かつて配布した資料については,一部消去したものがある。パソコンの電源投入から切るまでの説明プリントは何かの理由で消去してしまったが,これを再度作成する気力はないので,再配布は無理。しかしこれから作成するものについては極力配布し,啓発に努めたい。
パソコンの使い方がひどい場合には,指導はするが,その間は使用を遠慮してもらうこともあり得る。それなりのルールは守るべきだろう。
(2)日本語入力ができる
どうしても習得する必要のある事項は「日本語入力」である。これについては各教諭にご努力をお願いする。
以前,キーボード図を配布した(完全なオリジナルなものであり,他では入手不可能)が,これが鳥が丘小学校にあるノートパソコンのほぼ実物大なので,これを用いて練習するとよいだろう。実物と違って反応がなくてつまらないかも知れないが,キーの位置とそれらの関係は覚えられるはずだ。
入力方法は,ローマ字入力がよい。ということで,日本語の入力指導については3学年以上になると思われる。
それより前の学年およびローマ字入力がまだ十分にできないよな場合はマウスの使い方をまずマスターしてもらいたい。マウスの使い方は,GUI(グラフィックス・ユーザー・インタフェイス〜機械と人間が対話するような感覚で意志を機械に伝える方法。アイコンと呼ばれる小さな絵柄をクリックしてファイルを開く,といったようなこと)が中心の現在のパソコンでは必須事項である。
マウスに慣れるには,たとえば,ペイントブラシを用いて絵を描いたりゲームをしたりするなどで無理なく慣れてもらうことができるだろう。マウスの使い方で難しいのはダブル・クリックといって,続けてボタンを押すことだが,これも慣れである。
作図などでミリメートル単位の細かい作業をする場合は,マウスの使い方に習熟しておくことが必要である。
(3)検索の仕方を覚え,電子事典で調べることができる
パソコンを学習に使用するのは,案外と難しいものである。これまでパソコンを用いた授業を参観してきたが,どうしてもパソコンが必要,という事例はなかったように思う。
かつては,パソコンを中心に使う授業を想定していたが,今はパソコンを授業の一部に,他の教材教具と同じように使用するという考えに変わってきている。ソフトも,私は10年前から自主開発より市販のソフトを流用することを言ってきたが,当時は無視されていたが,最近ようやくこの方向になってきている。
パソコンをどう授業に取り入れるか,今後も使用事例を多く集めたいので,どのような使い方をしたのかレポートしていただきたい。それだけでなく,こんな使い方はできないだろうか,というアイデアも出していただきたい。
児童・生徒が情報を作成することが大事,と言っているが,情報を作成するには,学習への主体性とか,何を自分が主張するかがないと難しいものである。教えてもらうだけ,とか調べたことを自分なりに解釈しないでそのまま使うということは情報の作成とは違うレベルであると思う。自分が学習するのだ,自分はこれについて調べたいのだ,という主体性がないと,情報の創作・作成は難しい。ていねいに教えることは一見良さそうだが,主体性の発達を阻害していることになる。
そこで,学習にすぐに活用できるのは何かと考えた。それは,調べるという学習活動である。「情報の検索」である。学習活動の場面を振り返ると,調べる,という活動が多い。
そう考えて職員室にあるパソコンに電子百科事典「エンカルタ98」を入れた。これを百科事典代わりに使ってもらう。この使い方は先日(3月25日)にお話した。
この電子百科事典で調べたことを,自分のフロッピーディスクに入れて学習の素材にしたり,そのまま職員室で印刷して持ち帰る。そんな使い方を考えている。
横浜市から統計データを入れたCD−ROMが寄贈された。総務庁より統計データのCD−ROMも寄贈されるようである。こうしたデータをCD−ROMの形で配布されることが多くなる。今後,図書部,視聴覚部と相談して,図鑑類も少しずつ揃えていく。
電子化された情報は,紙媒体の図鑑や百科事典とは違った使い方ができる。静止画はもちろん,動画,音声,そしてハイパーテキストによる関連付けということができる。たとえば,動物の絵をクリックすると,その動物が動いている様子を見せたり,鳴き声を聞かせてくれたりする。こうした使い方は紙媒体の事典や図鑑では実現不可能なことである。
この使い方がさらに発展すると,インターネットを用いた検索になる。事実,「エンカルタ98」では,新しい情報をインターネットを通じて毎月更新していくという。
インターネットを使うようになれば,当事者に直接質問することもできる。
まず,調べ学習でパソコンを使うようにしたい。
(4)児童の作品の保存
絵や習字の作品をコピーし,パソコン内で保存する。多くの家庭では,児童の作品を全て保存するということはないだろう。返却された翌週にはもう捨てられた,ということもある。また,共同作品のように,保存が難しい作品もある。もちろん,学校で作品を保存することも難しいだろう。こうした作品をデジタルカメラで撮影し,電子化して保存することで資料として,また個人の成長の過程として残すことができる。
児童の絵一枚をデジタル化した場合の容量は,圧縮保存すると100キロバイト程度であり,FD1枚に13枚の作品を保存することができる。MO(光磁気ディスク)という媒体を利用すると,2100枚から6200枚の作品を保存することができるから,1年間の児童の作品はすべて1枚のMOに保存することができる。DVDを使用すると,52000000枚の作品を保存することも可能である。
(5)事例を集める・事例を開発する
前述したように,学習活動でパソコンを有効に使っている例を多数集める。こうした場合に使用できるという例があれば,使用する回数も増えるだろう。また,新しい事例も考えてもらいたい。

B 教育を支援する活動
教育を支援する活動,つまり,成績や保健記録の保存,文書の発行など直接,教育活動に関わる活動以外の場面でパソコンを活用するのだが,これは教職員に関わることである。
作成されたり,収集されたりした情報は順次蓄積する。今はまだ整理するということはしないが,ある程度の情報量が蓄積されたら(やく1000のオーダーで考えている),保存の仕方を考え,データベースによる管理に切り替える。
蓄積された情報は,近い将来にインターネット接続でホームページを作成する段階で再利用できるはずである。卑近に言うと周年記念冊子を作るとするなら,蓄積された情報が記念誌作成に十分に役立つはずである。
これまでのように,時間がない,忙しいと言いながら,情報の再利用ができない状態にし,情報を使い捨てにしているようでは,この忙しさはいつまでも続くはずだし,発展もみられない。このような考える前に走り出し,走りながら考えるような状態から抜け出すためにも,蓄積された情報を再利用することが必要である。結局はこれで時間も労力も節約されることになるのである。余裕の時間を休み時間にしたり,よりよい教育活動に振り向けたり,考える時間にすればよいのである。

(1)教育活動のどの部分にパソコンが使われるか
すぐに考えられるのは次の場面である。
1)成績や行動記録,保健管理など
成績などの計算は電卓やそろばんで計算していた部分である(電卓を使い出したのも私が早いほうだと思う。1972年の夏から使い出したから。今,無料で配られるような電卓を当時15000円で購入した)。成績管理というとめくじらをたてて怒る人もいて,今は否定されることかも知れないが,やはりデータをとり,分析し,フィードバックすることは必要なことである。病院でも治療の前にまず検査から始めるのだから。
また,発育測定記録や保健管理ファイルで,健康指導ができる。
これらのファイルを相互に関連付けることで,学期末のレポート作成がより楽(「楽」という言葉に語弊があるのなら,より「緻密」と言い換えよう)になる。
2)児童名簿管理
学級編成で所属学級が変わるたびに口座番号や住所,電話番号などを書き移す作業は全く無駄な労力である。これをうまくシステム化できれば,クラス名などの変更事項を付け加えたり書き換えたりするだけでよく,時間と労力の節約になる。
転出入情報もこの名簿管理で処理できる。
しかし,こうしたシステムを考えるのは時間がかかる。また,一度構築したシステムを変更するのは難しいものである。最初の設計の段階で時間をかけてよく考えることが大切である。いろいろと試作し,よりよいシステムを考えること,この考える部分を今年度は実施する。
3)各種文書の作成
たとえば,毎月作成する職員会議の提案資料,研究会などの提案資料など。
毎年大きく変わるということはない書類を毎回印刷するのは,時間・労力・紙の無駄である。各種の会議記録,事務関係の記録も同様である。
こうした書類を印刷配布しているのは紙の無駄である。資源を大切にという一方で,紙を無駄に使っているのはどうかと思う。資料を一括してパソコンで管理すれば無駄が省ける。資料が必要な人が,必要な部分を画面上で読んだり,または印刷したりすればよいのである。
4)情報収集活動
送付文書,役にたちそうな文書は,「ペーパーポート」とファイリングソフトを用いて電子管理する。また,インターネットなどを通して得られる資料もある。ファクスもパソコンで受け取るようになれば,最初から電子化されて保存される。
これらの電子資料を読む方法をいまのところ2つ考えている。
ひとつは,インターネットを見るときに使うソフト(ブラウザーと呼んでいる。代表的なソフトはネットスケープ・ナビゲーター,インターネット・エクスプローラーである)を流用する方法,もうひとつは,PDFファイルというファイルを使う方法である。
どちらの方法をとるにしても,作成は簡単である。たとえば,文書を作ったとしよう。経営案でもよいし,研究会の資料でもよい。これらの文書印刷する際に,HTML文書もしくはPDFファイルと指定すれば,そのままインターネットで閲覧できる電子文書として保存することができる。
5)教材・教具の作成
教育活動で作られ,使用される教材や教具はその多くは使い捨てになっている。これでは,時間と労力の無駄である。これらの教材や教具を保存しておき,使うときは自分なりに変更を加えて再利用すればよい。ただし著作権は尊重しなければいけない。作者は著作権までは放棄していないはずだから,使うときには一言挨拶があるとよい。
私が作成したものとしては,学区図,学校平面図,遠足のしおり,漢字テスト,算数の学習プリント,観察カード,原稿用紙,各種の会議記録などたくさんある。どれも,最初に作るときは相当の時間と労力がかかっている。しかし,一旦できあがるとその後の変更と応用は短時間でもでき,長い目でみれば時間と労力の節約になっている。
それぞれが使える時間と労力はたかが知れている。多くの方が同じようなものを作成し,使っているはずであるから,これらを集約・保存し,再利用できるように整備することが課題である。
6)学校経営計画や学校要覧などの電子化
将来,学校自体が消えてしまうのではないかと私は考えている。その前に,自由通学区が導入されるかもしれない。または,在宅学習が進み,スクーリングのように一時期を通学するようになるかもしれない。
もし,受益者が学校を選ぶことができるようになったとき,この学校はどんな学校だろうと,まずその学校のホームページを開いて見ることだろう。そこには,学校の教育理念,組織,きまりなどがあるはずである。つまり学校要覧の電子化である。学校も宣伝が必要な時期が来るかもしれない。
いま,学校経営計画は印刷物で提出することになっている。そしておそらくそれらはどこかに死蔵されることになる。もしかしたら,経営計画の提出がやがてFD提出になるだろう。さらに進むと,通信で送ることになるかもしれない。そのときにそなえて,経営計画の電子化を急ぐべきである。
この電子化によるメリットはたくさんある。毎年のように行われる変更が短時間でできるようになる。それだけでなく,個人が経営計画を冊子として持つ必要はなくなる。これもパソコン画面に呼び出して読めばよいのである。必要ならその部分だけを印刷すればよい。
問題がある。それは,変更履歴をどう残すかということ,変更されては困る事項をどう守るかである。変更履歴については誰がどのように変更したかを残すソフトがすでにできている。ソフトはある。変更されて困る書類については変更不可能にすることが可能である。書類を開くときにパスワードが必要にすることもできる。
しかし,そのようなことはあとで考えるようにし,いまは電子化を急ぐことである。
7)危機管理のマニュアルを作成する
どの学校にも危機管理マニュアルはない。おそらく危機管理マニュアルを作るという発想自体がスポッと抜け落ちているのに違いない。
危機管理は災害発生時だけに必要なのではない。日常,現場で起きている事故や問題に対しても,どうするかというマニュアルは必要である。現場で起きている問題について,その状況,対応,経過,反省を記述しておくことにより,似たような事例が生じたときに参考になるだろう。
同様に職員の健康管理についても考えるべきである。健康だけでなく,事故にあったとき,事故を起こしたとき,怪我をしたとき,病気になったとき等にどう対応するかを考えることも必要ではないか。

(2)環境を整える
1)パソコンルームの形態
平成9年度にパソコンを一台増設した。そのパソコンは職員室に置き,職員の事務の仕事や電子事典の使用にあてる。それまで職員室に置かれていたパソコンはパソコンルームに移動するが,いまのところ,コンセントが不足しており,他に移設することも有り得る。
それはともかく,パソコンルームの設置形態は,平成9年度の形を踏襲する。コンセントの数と,床を這いずる回る配線の問題が解決されないので,面倒でも,電源元はコンセントのみの抜き差しで行ってもらう。
なお,電源容量については確認していない。つまり,使用中にブレーカーが降りる危険性もあるわけだ。これは,学校の設計思想がパソコンなどの機器が無かった時代の設計であり,構造上仕方がないと考える。しかし配線の問題は,今後の通信環境の整備も含めて考えなければならないことである。
2)資料コーナーの設置
パソコンで資料を保存するだけでなく,冊子や,電子化できないものも一括して資料コーナーとして保管したい。
現在の資料室をなんとかできないだろうか。

C 職員への啓発
ということで,とりあえず数回の研修日を設定する。
ただし,私自身が病気になってしまい,こうした計画を進めることができるかどうかはわからない。だからこうして方針を述べている。今は無理はできないができるだけのことはしたい。

ある管理職が,「電子機器は嫌いだ」という意味のことを言っていたが,時代の流れから取り残されることになるだろう。

立花隆氏は「電脳進化論」の中でこう書いている。
「国力が科学と技術の上に築かれることを考えれば,スーパーコンピュータが一国の国力に直結しているということでもある。そのことを全く理解していないのが日本の通産省官僚である。」(P340)
「コンピュータの進化がそれだけ大きな意味を持つというのに,一般の人のコンピュータに関する知識は目をおおわしむるものがある。・・・初歩的なコンピュータ生理学について知っておくべきである。」(P350)

(1)パソコンへの理解を深める
パソコンは扱いやすくなったとはいうものの,その本質はコンピューターであり,しかも発展途上にある機械である。しかも精密機械であり,扱いには十分な注意が必要である。
あるときに電源を入れたけれども動かなかったとか,フロッピーディスクやハードディスクに入れたはずのデータが消えていたとか,パソコンが止まってしまい,動かなくなったというようなことが起きるかもしれない。そうしたときに,パソコンについて知っている人がいるかいないかで対応のしかたが違ってくる。今はまだパソコンについての知識が要求される時期なのである。
パソコンは,使いやすさを追求するより,その能力を発展させるほうに力を注いでいる。1年前は200MHzのスピードが普通であり,266MHzは当時の最高性能機であったが,いま,266MHzが普通であり,333MHzが最高性能機になっている。今年末には450MHzになるという。そして3ケ月ごとに新製品が出る,そうした技術の発達が急激な状態である。
パソコンについて理解を深めること,もしくは理解をもっている人をもっと大切にするべきではないか。便利に使うことだけを考えるような組織であってはいけない。理解を深めるための機会を設けることも大事である。現状をみてそう思う。
(2)啓発活動,研修と紙上研修の実施
この数年間,パソコンを使うとどういうことができるのかを実際の仕事の中で見てもらったし,パソコンについて啓発するための文書を数多く提示してきた。残念ながら,その多くは無視されてきたように感じている。パソコンとその技術を駆使して作成した文書を,それを当たり前として受け取る人,「あなただからできる」と自分と切り離してみる人といるようだ。
パソコンの使い方を覚えたいけれど時間がないとよく聞く。それは事実である。しかし,それではいつまでも仕事の進め方に改善が見られない。
こうした状態からぬけるには,提出文書は電子化されたものに限るというようにある程度の強制が必要かもしれない。
ただ,強制は反感と混乱を招く。それより,実際に仕事に合わせて,パソコンを仕事に生かしていく方法を習得していくのがよいのだろう。S副校長は,仕事の必要性から,パソコンのワープロ「一太郎」の使い方を習得したが,最初は,わからないことがあるとすぐに聞いていた。文書を作成し,使い方がわからかったらすぐに聞いて,実際に使いながら覚えるという方法で,1学期で何とか使えるようになった。とにかく使ってみること,パソコンを使うように自分を追い込むようにするとよいだろう。
パソコンの紙上研修は時間が許す範囲と体調の許す限り続けたいと思っている。残念ながら,内耳障害・低音型感音難聴・耳鳴という病気をかかえてしまい,集中力,気力,体調とも自信がなくなってしまったが,それでも,可能な限り提示したいと思う。98.4.22 1:20PM
(3)データの蓄積
データには5つの状態がある(前述)。データの収集,加工・応用,生成,蓄積,流通である。このなかで,収集と蓄積は大事である。
新聞社のなかでいち早く電子化を進めたのは日経新聞社である。記事作成から紙面割付までをコンピューターで行う。このシステムはIBMと共同で開発したが,当初IBMはできないと主張していた。それをなんとか説得し,どうにかシステムを開発することができた。毎日作り出される膨大な記事情報は蓄積され,それを今度はデータバンクとして売り出すようになった。このデータの利用料金はかなり高額である。
情報はある程度蓄積されるまでは役にたたないと思って良い。まずは情報の蓄積こそが大事である。いまはともかく情報の蓄積を優先するべきである。
インターネット内に蓄積された情報はいまや膨大なものである。2月26日に耳に障害を起こし,3月1日から耳鳴が発症したときに,試しにインターネットを使って「耳鳴」について調べてみた。すると,228件ものデータが出てきた。これで多少とも耳鳴について知識を得ることができた。ニフティーサーブというパソコン通信でも調べたが,こちらは必要な情報はほとんど得られなかったが,こちらはフォーラムというものがあり,生の声を聞くことができてそれなりに役にたつ。この中で面白かったのは,歩きながら耳掃除をしていて何かにつまじて転倒し,耳かきを内耳まで突き通ってしまったという事故にあった人の話であった。その後,内耳障害が起きたのでどうしたらよいか,という相談であった。また,中学3年生が1月から耳鳴が始まってしまい,よい病院はないだろうかという相談もあった。こうした相談に別の人が答える形で話題が展開するフォーラムは実際の生活の中で役に立つ情報が詰まっている。同様に文部省の公式発表も,新聞では要約であるが文部省のインターネットのホームページからは全文を得ることができる。子供の権利条約は「子供」「権利」というキーワードで,インターネット内で探した情報である(配布済)。
スケールメリットを得るためにも,情報の蓄積は早ければ早いほどよい。いまは,玉石混淆でよいからとにかく情報の蓄積を始めるべきである。
(4)インターネット開通2003年に向けて
文部省は2003年にむけてインターネットを全公立学校に張り巡らせるとアナウンスした。これは,アメリカが情報ハイウェイとしてインターネット網を作るに対応したものである。社会基盤として情報,技術というのが国力に直接関係したものと考えているからである。
しかし,インターネット網をつくって何をしようとしているのか,それが見えてこない。何ができるのか,どう使うのか,がわからない。
そう考えていたら,1998年4月7日になって,この構想を2000年に前倒しするという新聞記事が目にとまった。これがその記事である。

全公立校にパソコン網
政府は4月下旬に打ち出す総合経済対策の柱として、98年度補正予算に情報通信分野で1兆円の国費を盛り込む検討に着手した。2000年までに全国3万8千の公立学校をインターネットに接続、中高校については今年度中に生徒が1人1台のパソコンを使える教室を全校に設ける計画。公共事業中心の従来型の予算配分にばらまき批判があることから、情報革命に対応する新社会費本の整備に重点を置く。学校の情報化が家庭に波及し、個人消費を刺激する効果にも期待している。(新社会資本は「きょうのことば」参照)
公立校のインターネツト接続は、2003年を目標としてきた整備計画を、補正予算により大幅に前倒しで実施する。地方交付税交付金を活用、学校ごとに補助金を配分し、高速回線の引き込みや機器購入、接続サービス会社との契約にあてる。通信容量が大きい1.5ギガビットの光ファイバーの敷設を進め、小中高校には利用料を5年間政府が補助する案も検討中だ。
パソコン配備では、99年を目標とする現行の「教育用コンピューター整備計画」の繰り上げ、拡充が柱。理科室のような「情報教室」を校内に設け、98年度末までに中高校で1人1台、小学校は2人で1台のパソコンを教室内に配備することを目指す。すでに導入した分も合わせ、パソコンの配備台数は約150万台にのぼる見通し。
教員研修では、従来は企業の技術者などに限定していた技術支援制度の対象を、小中高校の教諭に拡大する。情報教育に関する検定制度の新設も検討中だ。
このほか、民間事業者向け公的支援による学校向け割引通信料金の導入や情報教育を先行実施する学校に補助金を重点配分するモデル校制度も盛り込む。
1998/4/7/

※この記事について転載者記
この記事によると,景気を浮揚させるための手段として考えられたようである。家庭に情報機器を入れるために学校にインターネットを入れるというのは本末転倒である。
必要な家庭では,すでにインターネットを導入しているからからだ。情報リテラシーを整えるというのならわかる。それでも,「1.5ギガビットの光ファイバー」というのは,現在の動向からすれば,実現可能かと疑問に思う。むしろ,威勢の良いかけ声というように思える。
このあと,ふとADSLという電送技術が開発中であることを思い出した。この方式なら現在の回線で対応可能である。この方式を使えば現在の回線でも今のデジタル回線の40倍のスピードで転送できる。

学校という教育の最前線ではインターネット以前の問題がある。
・ パソコンの技術進歩が早すぎて,導入した機器が陳腐化している。
・ パソコンを使って情報化を進めようという意識が教職員というか,現場に低い。
・ パソコンの使い方やソフトの使い方を習得するための時間がない。MSDOSの使い方を覚えたら,次はWindows3.1,そして次ぎはWindows95,さらには98ときりがない。とても覚えきれるものではない。
・ 管理職の意識が低いため,いまだパソコンは視聴覚機器の一部だと考えられている。
・ パソコンを管理するための時間がなく,導入しても,活用するまでの環境を整えることができないし,故障した場合に対応できない。
・ ネット接続がなったとしても何を発信したらよいか,その中身が乏しい。
・ ネット接続のための費用が乏しい。また,時間もない。
・ 情報に対するマナー(他人の情報を尊重する,情報は無料ではない,情報の価値判断ができる,流してよい情報と流してはいけない情報の区別,原則はギブ・アンド・テイクであること,安全に対する配慮が必要なこと,など)がしっかり身についていない。
など。
「情報教育に関する検定制度の新設」「モデル校制度」は前時代的な考えである。検定などなくても,必要なら進んで研修するし,時間が確保されていれば,パソコンの使い方をすすんで覚えようとする。多くの職員が「覚えたいけれど時間が無いし,誰か教えてくれる人が身近にいないと難しそう」と言う。こうした,前線の意識をとらえていない証拠である。
モデル校は,もうたくさんである,と言いたい。人間をモルモットと考えているのだろうか。教育は,行政にとっては試行錯誤なのかもしれない。が,個人にとっては待ったなしのものであり,実験材料にされてはたまらない。医療現場では試薬を試すときは患者さんの理解と納得のうえで行う。教育現場ではその理解も納得もないままに実験が進められているのは何故だろう。また,機会均等といいながら,モデル校を作ることで,機会を不均衡にしている。パソコンに親しんだ児童・生徒とそうでない児童・生徒の差は,目に見えなくてもかなり大きい。だから,機会均等の原則が失われる。モデルになる方は実験材料に使われるわけで,どちらにしても得るところはない。
以上,この記事は思い付きのアドバルーン記事と考えたほうが妥当である。

管理職には否定されたが,今の機器の状態では,情報教育担当者は専任で必ず必要になる。機器の選択と管理,ソフトの選択と管理,ネットの管理と,どれも時間のかかる仕事なのである。
なお,こうした情報環境を支えるのは「ひと」である。まだ情報機器が発展途上であることを考えれば,環境や使い方をどうするか考えていくには「ひと」を大事にしなければならない。この状態は,当分(2005年まで〜筆者予見)続くだろう。
1998・4・22・水 曇り
内耳障害・低音型感音障害・平衡機能障害・突発難聴による療養休暇17日目。
耳鳴,大分落ち着いてきたように思えるが,夕方あたりから次第に大きくなり,ずっと聞いていると吐き気がしてくる。
(5)職員の情報に関する理解を深める
情報とサービス,安全は無料ではない。それがなかなか理解されないのは残念である。
内耳障害で3月に療養休暇をとることもありうると考え(実際は年休4.5日だけで年度末を乗り越えたが),そのときに診断書をかかりつけの医院に書いてもらった。サラサラと5分ほど書き,捺印して渡されたが,3000円を請求された。私が作成してきた文書はいったい幾ら請求できるだろう,とそのときにふと考えた。また,時間外の診療には割り増し料金を頂くし,電話での相談も同じく料金を請求すると案内書に書かれてあった。家で時間外で仕事を進めている我々の場合はどうなるのだろう。
回線と通して得られる情報も無料ではない。インターネットから多くのデータをとることができる。データそのものは現在は無料であるが,接続料はかかる。1時間あたり800円。さらに細かく考えれば,パソコンが消費する電気代,そして原価消却代,自分自身の労働料金が上乗せされる。そして,ひとつのデータ,情報をとるのにも,試行錯誤で探し回らなければならないし,数多くの情報から有用な情報を篩い分けることも必要である。こうみれば,提供する情報,データは無料ではない,ということがわかるだろう。
(6)データの一元化
ここで言うデータの一元化とは,早い話が,パソコンで扱えるようにする,ということである。
いまのワープロ専用機は作成されるデータをパソコンに移せるようになっている。その逆はない。「一太郎」のデータを,それぞれのワープロ専用機に移せるかというと,その対応はなされていない。つまり,データの流れはパソコンに向かっているということである。となれば,パソコンで一括管理できるようにすることがよい,と私は思う。
散乱しているデータをとにかく,パソコンに集約することから始めるのである。

D 使用ソフトの標準化を考えよう
ワープロ専用機については私の守備範囲ではないので言及は避けるが,専用機についても,本校ではこれ,というように標準機を指定する。標準になるのは,その時点で使用人数が多い機種になるか,蓄積されたデータがどの機種で一番多く作成されたかによるだろう。
パソコンソフトでは,次のソフトを標準とするのが妥当と考える。いずれも使用人数が多いソフトである。

ワープロソフト・・・・「一太郎」(ただしデータの形式は一太郎V5の形式で),「WORD」,「WORD」。これ以外でも,データの形式をRTF形式 表計算ソフト・・・・・「Exel」「Lotus1−2−3」

データベース・ソフトは,いまは使っていないが,アクセスかファイルメーカープロが妥当だろう。

2 話題として

A 省庁への電子申請

最初の話題は、省庁への文書提出が電子ファイルも可能になったという記事である。

省庁への申請・届け出をフロッピーディスクで受け付ける「電子申請」が走り出した。通産省が他の省庁に先駆けすべての申講書や届け出書類でフロツピー申請を認めたほか、労働省は来年度までに雇用保険や就業規則などの届け出をフロツピーで受理できる制度を始める。コンピューターウイルスの除去策作りや本人の確認など課題もあるが、将来は家庭や企業のパソコンからオンラインで受け付けるサービスにまで発展しそうだ。
電子申請が最も進んでいるのは通産省。一日から中央省庁として初めて、同省が単独で所管する九百九十種類の申請手続きについて、フロッピーによる受け付けを始めた。将来はオンラインによる申請も認める方針。「書類の電子化により、省内での決済時間の短縮など事務処理の効率化、ぺーパーレス化が期待できる」(機械情報産業局)という。
同省は「PR不足でフロッピーによる申請の数はまだ少ない。定期的に書類を出す石油、電力業界などを中心に電子申講が増えるはず」と見込んでいる。
労働省はまず企業が雇用保険の資格取得時、事業所ごとに所在地のハローワーク(公共職業安定所)に提出する届け出について来年十月をメドに実施する。
このほか、就業規則を新規制定、変更した際の届け出やスト発生時の中央労働委員会への届け出、移動式クレーンゴンドラの検査手続きなどについて、フロッピー提出を認める方針だ。
厚生省は約千二百の各種申請のうち、すでに医薬品や化粧品などの製造にかかわる承認・許可など約七十項目を電子化している。今月中旬には約四百項目をリストアップして電子化を検討していくという。
文部省も大学の設立や教科書の定価など百六種類の申請・届け出について、早ければ秋から受け付けを始める方向。今後は百八十八種類ある申請・届け出すべてについて、可能な限りフロッピーで受け付ける方針で、残り八十二種類は九九年度以降に着手する。
電子申請は,昨年十二月改定された「行政情報化推進基本計画」に盛り込まれた。行政文書の原本を原則として電子化する方針で、これまで特許など一部に限られたオンラインやフロツピーによる申請を二〇〇二年度までにほとんどの分野で可能にする計画だ。
総務庁によると、各省庁が申請・届け出の見直しを進めているのは七千四百項目。各省庁は住民票などの添付が必要な申請を除く約三千七百項目について、可能なものから順次電子化していく方針という。998/

※ 転載者記
ペーパーレス化については,理屈はともかく,当面は効果はない。なぜなら文書を読むときは,画面上で読むより紙に印刷したものを読むほうが楽だからである。慣れるにしたがって画面上で読むようになるが,やはり,目のためには印刷して読んだほうがよい。したがって,完全なペーパーレス化は期待できない。
しかし,これも読む人が読みたい部分だけを,読める文字の大きさやインク節約モードで印刷すればよいのであり,文書の保存や,配布のための余分な印刷は必要ないから,全体としてペーパーレス化は進む。
ペーパーレス化は情報の電子化である。情報が電子化されているのとされていないのとでは大きな違いがある。電子化されていない場合はその情報は死蔵され,有功活用ができない。しかし,電子化されると,検索,組み合わせ,変更,通信による配布というように有功活用が可能になる。検索はかなり強力で文書内の言葉はもちろん,いくつかの条件を組み合わせて検索することもできる。
この電子化の方策であるが,私が考えている方法の概略を述べる。
・ これまでの書類については
思い切ってまとめて倉庫にほうり込むという,従来の方法でもよいが,少しずつ,スキャナーで読み取り,キーワードや作成日時などのインデックスをつけて保存する。この場合,データは図形データ(絵柄として)として保存されるので,文書の一部分を変更したり,書き加えたりということはできない。それをするには,OCRというソフトを用いて文字データに変換しなければならないが,時間がかかりすぎるので,必要がない限りはこのまま保存するほうがよい。
・ 新しく入ってくる文書について
外部から配布される文書として,研究会の案内,研究起用,連絡文書などがある。こうした文書も・の方法で保存するが,必要なものについては,その都度,文字データに変換して保存する。ファックスで送る場合も,送付文書は,指定しておけば図形データとして保存することができる。文書の量は・より少ないので,ペーパーポートというスキャナーを導入することで短時間に処理できるものと思う。文字データへの変換にかかる負担は少ないと思われる。
・ 部署内で新たに文書を作成する場合
部署内で新たに作成される文書のほとんどは文字データとして作成されるだろうから,最初から電子化されていると考えてよい。したがって,保存の仕方を工夫するだけで,簡単である。問題はメディアとデータの互換性である。
メディアの互換性とは,フロッピーディスクの種類である。同じ3.5インチのFDでも,2DDタイプと2HDタイプがあり,相互に互換性はない(塗布されている磁性体物理的性質が異なる)。この変換が必要である。
データの互換性は2つの意味がある。
一つめはフォーマットの仕方の違いである。要するに,データの書き込みができるようにする方法の違いで,ワープロ専用機のフォーマット,MSDOSの1.44メガバイトフォーマット,1.2メガバイトフォーマットとあり,注意が必要である。フォーマットが異なると機種が異なると読み込み,書き込みはできない。
二つめは,文字コードの違いである。パソコンでも,一太郎とWORDのデータは相互に読み書きはできない,ワープロ専用機で独自の文字コードを使っている場合も同じである。ただ,救いはある。そのひとつは,MSDOSのテキスト文字として保存する方法である。罫線や文字飾りなど文書を整えるために使う体裁をすべて外して,文字だけを保存するのである。ワープロ機もMSDOSのテキストファイル保存・読み出しができるようになっているので可能である。これだけでも,最初から入れ直すことを考えれば,労力と時間の節約になる。
私が10年前から主張しているのはこの方法である。文書を作成する場合は,まず,文字データを入れ,そのあと体裁を整える方法である。これだと,思考が途切れることなく文書を作成できる。
ワープロ機にMSDOSテキストファイルを扱う機能が無ければ,対応は2つ。ひとつは@の方法を用いる。もうひとつは,変換ソフトを用いてパソコンで読み込めるファイルにする。
互換性を確保する別の方法は,リッチテキストフォーマット(RTF)で保存する方法である。このRTFはマイクロソフトが提唱しているフォーマット形式で,最近,多くのワープロソフトが採用している。これだと文書の体裁(罫線,文字の大きさなど)を維持することができる。もし,RTFが使えるのならこの方法がよい。しかし,MSDOSテキストファイルも用意しておいたほうがよい。

文書が電子化され,データの蓄積が出てくると,情報化した便利さがわかってくる。

と書いていると,21日(火)毎日新聞夕刊紙面に東京の教育委員会の連絡を通信回線を通して行うというニュースが掲載されていた。そのほうが資源を大事にするという観点から,また,処理の速さという点からも当然の帰結といえる。横浜も遅かれ早かれ,インターネットが普及した段階で,電子メールと添付書類という形で情報のやり取りが行われる。実物が必要な場合だけ,週に2回だけ現行の方法が使われるだろう。もしかしたら,宅配便による配送に切り替わる可能性もある。つまり民間委託である。その場合は,近隣のいくつかの学校がグループを形成して宅配便の回収と配送サービスを受けることになるかも知れない。用務員さんは学校環境整備という本来の業務に専念する。それぞれの職務において,対等であると私は考えている。したがって用務員さんはより専門性を生かした本来の仕事を展開することができるだろう。話が横道にそれた。

二 情報にはステージがある

情報は体系化される前の知識の断片であり,判断・決定の材料である。その情報について次の事を理解
1 情報は古くなることもある
本棚に百科事典がある。27年前に発行されたものである。ここに載せられているのは知識というものであろう。その多くは今も変わらず役にたつ。しかし,パソコンとか,デジタルビデオ,といった言葉の説明はこの百科事典には出ていない。ある国の国勢を調べても,過去の状態はわかっても,今の状態はわからない。
社会は変化し,それにともなって情報も古くなり,新しい情報と入れ替わる。人類の知識財産としての百科事典は必要であるが,判断の材料とする新しい情報も必要なのである。

2 情報の収集
新聞記事,ラジオ,テレビ,雑誌,事典,辞典,年鑑,人からの口コミなどから集める。必要のない情報もあるだろう。その判断も題字になる。

3 情報の加工・応用
集め,蓄積した情報を自分にとって意味のあるものとして組み替えたり分析したりして加工すること。これも情報の創造の一種であるが,既存の情報を加工することが次の創造とことなる。

4 情報の生成
既存の情報を組み合わせるだけでなく,こうした情報をきっかけにして新しい自分なりの情報を作り上げる。音楽を作ったり,絵を描いたりするなどがこれにあたる。坂本竜一や姫神,小室哲哉などのように新しい音楽を作り出したり,CGやコラージュのように,絵や写真を取り入れて不思議な作品を構成したりすることができる。

5 情報の蓄積
集めた情報を蓄積する。どんな情報でも,集まると価値が出てくる。「塵(と言うと失礼だが)も積もれば山となる」式である。早くから新聞作成を電子化してきたN新聞社は,蓄積してきた記事をデータとして販売している。とにかく,役に立つようにするには,情報が蓄積されていなければ意味がない。

6 情報の流通・配布
作った情報を発信し,流通させることができる。インターネットを利用することで自分の考えを世界に向けて発信することができる。


三 現状はどうだろう

どの学校でも状況は同じかと予想される。鳥が丘小学校の場合だけではない。いくつかの問題を思い付くままに並べてみよう。

1 パソコンが11台

現在、パソコン室にノートタイプのパソコンが10台、机に載せるタイプのパソコンが1台、計11台ある。このうち、ノートパソコンは平成6年度に教育委員会より配当された機械である。それから3年半経過する間に、技術の進歩は大きく、これらのパソコンを時代遅れのものにしてしまった。
10台のノートパソコンの性能は、CPU(パソコンの頭脳部分にあたる)が486SXの33MHz(スピードを表す)、平成10年3月現在の主流はPentium300MHzタイプである。こう言ってもピンとこないだろうが、スピードを比較すると、本校のノートパソコンの約30倍程度かと予想される。つまり、同じ命令を出しても、上記のノートパソコンがひとつの命令をこなす間に、300MHzのそれは30の命令をこなすわけである。
時代遅れと言ったが、3年前と現在の違いは、3年前は単体で使用し、文字や数字を扱うことが主体であったが、現在は、それに加えて,音、静止画(写真)だけでなく、動画(アニメーションも含む)も扱うようになっており、かなりのCPUパワーを必要とするようになったということである。また、当時はまだ一般的ではなかったインターネットもかなりの勢いで普及している。つまり、回線に接続して使用することが一般化しており、しかもマルチメディアを扱うようになっていることが違いである。
しかし、ワープロとして使用したり、計算機としてして使用するだけであれば、この486SXのノートパソコンでも十分である。
したがって、このノートパソコンではパソコンの基本動作と基本操作を知らせることを主体とするのが妥当であろうと考える。簡単な絵を描くこと,文字や数を主に扱うことを通してパソコンに慣れさせるのである。
こうしたパソコンがどのような過程で導入され,使われてきたのか。

2 導入から使用まで

パソコンが導入されたときの職員の理解があったのかが問題である。
次にそれを管理運営する組織,つまり受け皿が用意されていたのかが問題になる。どうだったのだろう。組織については,重点研究推進委員会が兼任していたと聞いている。私が転任してくる半年前であるから,そこらあたりの事情はわからない。
私がパソコンの管理を引き継いだの(と意識したの)は平成7年7月からである。管理職は、私が転任した4月に引き継いだと考えていたようであるが、今のように「情報教育部」として組織における位置づけがなかったこともあり、あるできごとから「そうなんだ」と意識したわけである。
7月にパソコンの使用状況の調査が私の机にのっていた。なぜ私の机にあるのかわからないまま,調査用紙に私の目から見た現状を素直に書いたところ,副校長が不機嫌な声で言うのである。「4月からの計画がしっかりしていないからこうなるのだ」と(であれば,導入されてからの半年間は何をやっていたのだろう)。計画と言われても,組織に位置付けが無い以上,私の預かり知らぬことであるから,何のことかわからなかったが,管理職としては私に任せたと考えていたらしい。それが,きっかけである。
問題は、パソコンが高価であるからという理由で、パソコンの使用に制限を付けていたということにある。また、パソコンルームは設置されていても、その配置が使いづらいものになっていたこと、パソコンルームに施錠されていて、自由に使えないこと、しかも、3階の隅の部屋に設置されていたことも問題であった。
設置する部屋は、3階のそれを第二音楽室に譲る形で(もともと第二音楽室であったという)、2階に引越しをした。その際にパソコンの設置形態を変えた。
それでも、実際にパソコンルームを開放したのは平成9年10月からである。やはり、高価なパソコンだからという規制と考えがあり、自由に使えるようにするにはこれだけの時間が必要だったということである。

3 使用頻度
さて、平成9年10月から平成10年3月までの使用状況であるが、最初は珍しさもあってか、大にぎわいであった。しかし,1ヶ月も過ぎたころから、閑散とするようになり、開放はしていても2,3人の児童が使うだけの状態になってきた。もっとも、高学年になると、委員会活動やクラブ活動などの日常ルーチン、学級や学年の仕事などで、忙しいということもあるのだろう。
学級単位の使用は残念ながら皆無と言ってもよいくらいである。使う時間を多くとることが必要なのだが,残念ながらゆとりの時間がなかったのだろうか。ただ,4組と5組だけえは積極的に使っていたのは注目される。私は,より使いやすいパソコンとして4,5組にはマッキントッシュを勧めたい。

4 使用状況

では、どんな使い方をしているかというと、そのほとんどはゲームである。これらのパソコンに入っているゲームは3つある。「ソリテア」「倉庫番」「マインスイーパー」だが,「ソリテア」が一番多く挑戦されている。一種のカードゲームで一人遊びのゲームである。このゲームは山札からカードを開くとき3枚ずつ開くのが基本なのだが,1枚ずつめくる方式に変更してゲームを楽しんでいる。無論この方があがりやすいからなのだが,この「あがる」ということで達成感が得られるからだろう。一方,「マインスイーパー」や「倉庫番」はなかなかあがることができないゲームで,難しさがあるのだろう,挑戦される回数が少ないのように見える。
こうしたゲーム主体の使用を見ていて,これでいいのかな,と思う。本来,人間の活動としては創り出すというのが一番楽しい活動であるはずで,ゲームは受け身の立場でしかない。創り出すという意味では,例えばペイントソフトで絵を描く場合が多く,これは3年生がよく使っている。単純な絵なのだが,それを印刷し,うれしそうに持ち帰るのである。

5 教職員の状況

A 情報に対する意識
おそらく情報の価値について理解が浅いのか無いで
以前(1995年4月),私に向けられた言葉を強烈な印象とともに覚えている。「便利な先生だな」。これには唖然とした。情報に対する感覚はこの一語に尽きる。便利だが,価値付けはしない,のである。だから,情報を送り出すときに費やした時間,労力,技術といった価値については目を向けないのである。
かつて,定期的に新聞の切り抜き記事を提供したことがあった。教育に関する記事,役に立ちそうな記事などを提供してきた。しかし,残念ながら思ったほどの反響はなかった。それはここらあたりに理由があったのだろう。
その提供情報の中に,「子供の権利条約」に関するものがあった。子供の権利条約にについては全文を提供しようと,そのソースを探しまわり,ようやく広島で弁護士の方が開いているホームページで見つけることができた。そこから,全文と,その弁護士の方の講演記録を合わせて印刷して配布した。しかし,職員からの反応は,技術員の山本さんから以外は全くなかった。
それから,5ケ月ほどして,文部省から,「子供の権利条約」についてのパンフレットが配布されてきた。そのときに初めて管理職は子供の権利条約について言及した。とは言っても全員に配布してほしいこと,子供の人権を大事にといった程度のものであった。人権について言いながら,これでは「売り物の人権意識」「仕事としての人権意識」ではないかと考えてしまった。「道徳を専門としている管理職」が率先して職員を苛めていたことを思い出した。

学校経営研修会が夏に実施される。2回ほど参加する機会があり,それぞれ講演や研修内容の概要を速報レポートして,職員はもちろん同じ研修グループになった方にも配布した。同じグループの何人かからは反応があったが,職員からの反応はなかった。
中央教育審議会からの中間報告があり,その全文を発表翌日に配布した。職員からの反応はなかったが,同じものを教育センター研修室に持参すると,「昨日の今日なのにもう」と,とても喜んでくれた。まだ,研修室から自由にインターネットに接続できなかったころである。翌年,教科内容まで踏み込んだ中間報告があった。これに対しては近藤さん一人だけが,全文を読ませて欲しいという反応があったが他の職員からは反応はなかった。
いじめに関する記事を継続して提供してきたがこれについても反応はなかったが,自分自身はこの記事を読むことで,講演会で話を聞くよりもよほど勉強になった。用務員の山本さんだけからは常にリアクションがありこうした情報の配布にはかなりの時間と労力がかかる。新聞記事をそのままコピー機械でコピーして配布するのは簡単であるが,それではきれいな印刷物ができない。それで,時間と労力をかけ,さらにその時点の技術を使って作成配布してきた。これは,ただのものや権威ある筋から配布されないものに価値を置かないという人の特性かも知れない。こうした考え方からは情報に価値をおくという認識は生まれないだろうと思う。
しかし,こうも考えられる。情報の価値を考えられるだけの余裕が時間的にも精神的にもない,と。給食を味わって食べることができない我々のようなものであろうか。

B 情報化についての対応
したがって情報化についての意識も薄い。情報の蓄積,加工,再利用という考え方はなく,糊と鋏による情報の一過性と使い捨ての時代にあるのだと思う。残念であるが,どの学校でもそれが実状である。
ワープロで文書を作成するというのも同じ考え方の延長上にある。清書機械として使われていることが多い。情報の再利用は,同じ機械の中では考えられても共有という考え方は希薄である。
だから,学校経営計画の作成時期になる2月から3月にかけて,この文書は誰のワープロに入っているかという点に関心が移るのである。情報の共有という考えがあれば,時間も労力も節約できるだけでなく,よりよい,つまり創造性を高めるような仕事ができる。もっとも,経営計画自体を紙で媒体だけで配布するという考え方が今の情報社会からずれた考えになる。
昨年(1996年)にインターネット接続のチャンスがあり,応募することを提言したが,まだ職員の体制が整っていないこと,メールがきたらどうするのかということで応募はしなかった。せっかくのチャンスであり,もったいない話であった。
情報化についてのメリットが理解されていないだけでなく,その必要感も無い閉じた社会というのが今の教育の場である。

いまワープロは普及し,手書きの文書が珍しいものになった。それで,情報化ができたというのは幻影である。
前述したように今ワープロは清書機として使われているだけであり,データの統一がとれていないために,機種が違うと他人が作成した文書を利用することができない。したがって多くの文書は,機種ごとに閉じた世界を形成しており,機種が異なると相互に文書のやりとりができない。この結果,せっかくワープロ化されていても,同じ内容の文書を再度作成しなければいけないことになってしまう。せめて,パソコンとスキャナー,OCRソフトがあれば,最初から入れるより時間は節約できるだろうに。
これでは,生産性は高まらない。おそらく,遅くまで残っている人が前向きで仕事熱心,早く帰る人は不熱心という前時代感覚の世界だから通用することなのだろう。また,対時間コストを考えないという職場なのかも知れない。

「便利な人だ」という感覚では情報化は遠い。

四 こうした実状から

1 現在の使用状態の限界

パソコンの使用状況でゲームを中心にペイントブラシでのお絵描きにパソコンが使われていることは前に述べた。ペイントブラシによるお絵描きも創造性を培う作業であるが,ソフト自体が貧弱であるためにやれることに限界がある。使い方は簡単であるが,簡単な知識だけで創り出せるのはここまでで,これから先は「ワープロソフト」や「表計算ソフト」「絵を描くソフト」を活用しなければ発展はしない。
そのために避けて通れないのはキーの使い方や日本語の入力の仕方を覚えることである。つまり,「日本語入力」がハードルになるのだ。
ただ,日本語入力はすべてのパソコン操作で共通に必要な事項である。ファイルを保存するにも,日本語でわかりやすく名前をつけたい場合は当然日本語入力が前面に出てくる。早い時期に覚えればどの機械でも使いこなすことは難しいことではなくなるので,決して無駄な学習にはならないはずだ。日本語を使う以上はワープロ操作,計算ソフト,どのソフトをとっても日本語入力は避けては通れないのである。

2 パソコンはコンピューターである
パソコンはコンピューターなのである。CMで簡単に扱えるように表現しているがパソコンはコンピューターなのであり,精密機械である。確かに使うだけというのなら,CMで楽しそうに使いこなしているように簡単なのであるが,一旦不調になるとどうしようもなくなる。そして,不調はよく起きることなのである。
日本語入力の前に,パソコンの扱い方の基本的マナーを身につける必要がある。これまでのパソコンの使い方を見ていると,まるでゲーム機やビデオ機,家電感覚なのである。パソコンはかなり丈夫になってきているが,それは以前と比較しての話であって,パソコンはやはりコンピューターなのである。だから,扱いには慎重でなければいけない。3.5インチのフロッピー・ディスク(FDと記す)が何気なく放り出されているのを見るとびっくりしてしまう。わざわざ,障害のもとを付加しているようなものである。そもそも,3.5インチのFDはゴミが混入しやすい形状であり,エラーを起こす確率が意外と高い媒体なのである。私も何度もFDが使えなくなってしまうという経験をしている。チリやほこりもエラーの原因になる。まだまだ,パソコンはデリケートな機器だという認識が必要である。こうした,扱いについての基本知識は,データを守るために知っておかなければならない。

3 パソコンとワープロとゲーム機の違いは
パソコンとワープロの違いをよく聞かれる。この3年間はさすがに聞かれることは少なくなった。それだけパソコンが普及したということだろうか。しかし,パソコンとゲーム機の違いを聞かれたことはかつて一度もない。
この3つは,本質は同じなのである。そして,これが,パソコンが不調になりやすい原因でもある。
この3つはどれもプログラムで動いている。ワープロはワープロ・ソフトで,ゲーム機はそのゲームのソフトで動かされているのである。これらは,書き換え変更ができない,ROMというメモリーに書き込まれている。だから,電源を入れるとすぐに動き出すし,不具合が起こったり,何かの都合で電源をいきなり切っても,プログラム自体が書き換えられることがないので,再度電源を入れるとまたもとのように動き出す(ただし,ワープロの場合は,それまで作成していた文書は保存されていないと消えてうし,ゲームの進行状態も消えてしまうだろう)。
パソコンは汎用性のある機械である。プログラム(ソフト)は外部から(フロッピー・ディスク,CD−ROM,ハードディスクなど)内部のメモリー(記憶するところ RAMと呼ばれる)に読み込まれてから動き出す。さらに,パソコンには基本ソフト(「ウインドウズ95」や「MAC OS8」のようなソフト システムと呼ばれる)というのがあり,このうえで様々なソフト(ワープロ,表計算,ゲーム・・)が動く。したがって,パソコンで何かしようとする場合,電源を入れてから実際に使える状態になるまで30秒から2分ほどの時間がかかる。ワープロ専用機がすぐに動きだすのに,パソコンは時間がかかるというのはこうした事情による。基本ソフト自体も外部から読み込まれるのである。パソコンのメモリーに貯えられているのは,基本ソフトを読み込むための命令だけである。外部にあるソフトは書き換えられる場合がある。不用意に書き換えられるのは,いきなり電源を切ったりする場合に起こりやすい。そして,パソコンの不調の原因はほとんどこのソフトの書き換えによって起こる。論理的な矛盾もこの書き換えの失敗から生じる。一旦こうした不調が発生するとワープロ専用機やゲーム専用機のように電源の再投入では修復できない。
そのかわりパソコンは,他用途に使うことができる。また,ソフトに不満があればバージョンアップという方法で,ソフトの機能を上げることができる。他方,ワープロやゲーム機は故障が少ないがプログラムが書き換えることができないROMになっているため(ROMを取り替えることができればよいのだが),より高い機能にすることができない。
こうした事情からパソコンを扱うにはマナーが必要だということがわかるだろう。

4 創造する楽しさを
ゲームをやっているだけでは,創造性は培われない。何かを作り出すこと,自分の考えを何らかのかたちで実現することが,本当に楽しいことに違いないと思う。こうした楽しさをたくさん味合わせることが必要ではないかと思う。
3年生は,ペイントブラシを使って自分なりの絵を描き,印刷して大事そうに持ち帰っている。ワープロで簡単な文を作ろうとしている。こうした経験が豊富であればそれだけ創造性が豊かになるだろう。そして,こうした経験の場と時間を提供するのが我々の義務であろう。

5 情報を大切にする考えを養う
安全も,水も空気もサービスも無料という考えがあるようだがそれは幻想である。情報も同じように無料と考えているようだがそうではない。
右耳の病気で病院にかかっているが,時間外の診療や,電話での相談にも費用がかかる。診断書を作成してもらうと3000円から5000円もかかる。こうした情報は無料ではない。
インターネットなどで情報を取り出すにしても,1分あたりいくらとか,データ量に応じて費用がかかる。情報やサービスは無料ではないこと,そして,情報を作り出すにはそれなりの時間,費用,労力がかかること,そうした情報を尊重する態度をもつことが大切であるといった考え方ができるようにすることがこれからの情報化社会では重要なことである。


五 問題に対応して
このことは,児童の問題だけではなく,指導する側の問題でもある。指導する側が最低限,パソコンの基本操作とマナー,日本語入力について理解しておくことが必要なのである。フロッピーの扱い方から電気の入れ方,切り方,データの保全までの知識がどうしても必要である。如何に「簡単」と宣伝されていても,それは以前に比べると簡単ということであり,コンピューターである以上は家電並に簡単というわけにはいかない。情報教育を推進する部門として,こうした守るべき事項は箇条書きにしてパソコン教室内に掲示しておくようにしたい。
マナーが守れるのであれば,パソコンルームの開放を終日に切り替えることができる。このことと関連するが,パソコンにふれる時間を多く確保することも大切であるパソコンの黎明期に「パソコンサンデー」という番組があった。日曜日の9時半から放送されていたが,ここでの合い言葉は「習うより慣れろ」であった。この言葉は今も変わらない。パソコンに向き合う時間をたくさん確保することがパソコンの操作上達の近道である。

1 パソコンのマナーを身につける
パソコンリテラシーと言おうか。ゲーム機やワープロのような感覚で扱うのではなく,電源の入れ方から切るまで,FDの扱い方,バックアップの必要性までを理解し,身につけることが,少なくとも今は必要なのである。

2 早目に日本語入力ができるようにする
パソコンという言葉自体は日本語なのであるが,パソコンはアメリカで開発されたものである。だから,日本語については考えられていなかった。
1979年にNECがPC8001を,1981年にPC8801を出したがそれには日本語は標準でついていなかった。コマスというワープロがあったが,単漢字変換であり,文字の入力は非常に面倒であった。1982年秋に発売されたPC9801で始めて日本語がシステムに添付されてきた。そして,その後にDOS/Vというシステムが出て,IBM互換のパソコンでも日本語を扱うことができるようになり,現在のパソコンの隆盛を迎える。
しかし,日本で使う以上,日本語は必要である。その日本語の入力の仕方については避けることはできない以上,早目に身につけたほうがよいことは当然であろう。
日本語入力については,ローマ字入力がよいと思う。理由は簡単である。覚えるキーの数が少なくてすむ,キーの並びはIBMのキー並びが世界標準になっていること,したがって,機械をかえてもすぐに入力ができること,こうした理由による。
かな入力はわかりやすいが,キーの数が多い。しかし,覚えるための労力は同じである。同じ機械を使い続けるならよいが,機械を買いかえることを考えているのなら,ローマ字入力がよいと思う。私も最初はかな入力であった。ノートパソコンを導入したときにローマ字入力にかえた。それは,数字キーがなかったからである。かな入力をして,数字入力にかえるのはとても不便であった。だから入力方法の切り替えに1ケ月もかかったが,今は切り替えてよかったと思う。機械が替わっても入力には不便はない。

3 教職員がパソコンに慣れ親しむ
パソコンを使わなければ仕事が進まないような環境にするのが一番早い。例えば,文書は特定のワープロの書式にする,文書はフロッピーでも提出する,といったように。しかし,これは現状では無理だろう。せめて,これから作成する文書の電子化は必要だろう。
10年前は手書きの文書がほとんどであった。今はワープロによる文書がほとんどである。20年前,「3悪筆」といわれて悔しい思いをしたのをよく覚えている。5年前にそれを言った当人から,パソコンについて教えてもらいたいと言われたときは時代が変わったのだなと感じた。話がそれたが,ワープロによる文書が多くなったということは,変換すればすぐに文書の電子化ができるということである。電子化の方向はパソコンに向けてである。

4 ソフトを増やす
ソフトというとワープロとか,表計算ソフトを考えるが,それだけではない。もちろん,学習用のプログラムソフトも考える。
それだけでない,というのは,図鑑や辞書などの電子化されたソフトも含めて考えているからだ。
図書館(室)のあり方が変わってくるはずだ。読書のためには図書館(室)を調べるのはパソコンの電子百科事典や電子図鑑,またはインターネットで,ということになる。

5 使う時間を増やす
使う時間を増やす,習うより慣れろ,とよく言われた。
パソコン使用のマナーを守るという前提でパソコンに接する時間を増やすことがどうしても大事になる。

6 早目に通信環境に入れる
2003年(続報では2000年)にはインターネットを学校に導入するという計画がある。となれば,早目に慣れておいたほうがよい。2年前にチャンスはあったのだが残念ながら申し込まなかった。


六 最後の最後に

予定通りに高速通信回線が敷設され,各学校が結ばれるようになったとき,在宅学習が可能になる。これは,学校に来ることができない事情がある人には都合がよい。通信教育になるわけである。すると,個々の学校が必要無くなることも考えられる。
通信教育にはいくつかのコースが用意されており,それを利用する人はクーポン券のようなものを払ってコースの学習を始める。そうなると,いま,学習の意味を感じることもなく,学習する必要も感じられないままに学校に来て,学習させられているような人も,本当に学習しなければと考えたときに真剣になって学習に向かえるようになるだろう。
しかし,知識だけで人間として成長するわけではない。互いに顔を合わせ,コミュニケーションを通して得られるものも多い。したがって,今のクラスとは異なるかもしれないが,人と人がその場で直接交流して学ぶ場も必要である。これは,回線を通しての在宅学習では不可能である。スクーリングという方法が考えられる。
今の教育システムは9年間の義務教育を終えると二度と戻って学習できるシステムになっていない。これを通信回線を使い,在宅学習で支えるというシステムも出るだろう。いずれにしてえも,今の学校のシステムは転換期に来ていると考えて良い。
学習の必要性も意味も見出せずに,学習アレルギーを起こすなら,本当に必要になるまで遊ばせるという保護者の判断があっても良いのかも知れない。しかし,その判断は高いものにつくだろう。なぜなら,その年齢でないと学べないものもあるからだが,それが見えない以上は,仕方がない。ただし,困ったときの受け皿は用意しなければいけない。
地域の教育力をというが,地域そのものを工業化の過程で破壊してきたのである。その火種さえも消し尽くしてしまったのではないか。地域はどこにあるのだろう。新しい地域というものが,ネットに芽生えようとしている。インターネットでの交流の場である。今後,これがどう変わるのだろう。また,新しい地域の火種ができるのだろうか。
これが想像だけで終わればよいのだが。
いずれにしても,通信システムが社会のありようを変えるはずだ。学校はどこまで変えられるだろうか。
横浜はもちろん,文部省をはじめ学校現場が情報化についての意識が低い。これは危惧するところである。組織の形をこれまでと同じでは,今後の情報化社会の変化に対応できないだろう。行政のありかた,管理職のありかたを見直すことが,今の課題である。
今の課題である。基本は「人」を大事にすることである。これまでのように,好悪で人を動かすようなやりかたは間違えている。こうした組織や創造性を大事にしない組織は衰退する。20年前に,日本は一流国になるまえに転落するだろうと私は明言した。そして今,それが現実味を帯びてきている。しかし,日本はまだ再生の余力はある。製造業は健在だからだ。しかし,教育の現状を見るとやはり,日本はさらに転落の道を辿るしかないのかと暗澹とした気持ちになる。
では,これからどうなるか,それが,楽しみである。

(平成10年5月18日月曜日)

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情報教育について
    1998/10/22/木
○ 情報の意味
平成6年度末に,情報教育の今後の見通しをということを聞かれた。それについて答えはしたものの,納得してもらった様ではなかった。聞いた方は,この学校での今後の見通しを聞いていたようであるが,「今後の見通し」という意味がよくわからなかったので,情報教育全般について答えた。情報教育は全体の流れの中で考えるべきだと考えたからだ。本校の特質といっても他校と大きな差があるわけではない。だからといって全く同じというわけでもないが,大局的には情報教育の考え方そのものに大きな違いはないと考えてよい。
「情報」とは,何かを判断し行動を起こすときに必要なものである。それは,例えば外出する前に天気予報をみて傘が必要か,外出を中止するか判断するようにである。
必要な情報をどのように得るか,それをどう分析し判断するか,そのための素養が必要である。また情報に対する態度・考え方も常識として身につけておくことが大切である。情報を得たり分析・加工したりするための道具がパソコンであるが,パソコンを使うこと=情報教育ではない。今後も従来通りの基礎・基本が必要である。ただ,何を基礎・基本とするかは時代によって変わる。読み・書き・そろばんがかつての基礎・基本であるとするなら,大量の情報が数秒で世界中に伝わるようになった現在,コンピューターが情報を扱う道具として必須のものになった。道具としてパソコンを使えることが必要になる。その意味で,パソコンの導入が急がれていると考える。
○ なぜ情報教育なのか
しかし,日常生活でパソコンを使わなければ困るような場面は希である。では何故,パソコンか。それは,ハードよりソフトが今後の産業の中心となるからである。
パソコンの世界では,アメリカがというより,インテルとマイクロソフトという企業が圧倒的に世界市場を独占している。そして両社ともセールスポイントはソフト技術そのものである。CPUという形はあってもその設計はソフトそのものである。また,OSという基本システムもマイクロソフトのものである。製造部門では日本の技術が高いが,ソフト面では弱いと言われている。もっとも,日本にもソフト技術が低いとは言えない(最初のマイコンを開発した島氏は日本人である)のだが,残念ながら主なソフトは外国製のものが多い。半導体は日本が強いが,従来の製造業の延長上にある半導体はコンピューターの発達により,より技術の低い国でも製造が可能になった。実際にT国は世界のパソコン部品の供給国になっている。そして今はソフト技術者の不足が心配されている。インテルやマイクロソフトの製品や,暗号化技術をみても情報そのものが価値を生み出す時代になっている。そこに危機感をもったから「情報教育」が重視されるようになってきたと考えてよい。日本にも「トロン」という基本ソフトがあり,実用化されているようにCPUやシステムの設計能力はあるが,それが業界標準になれなかったか認められなかったのが残念である。
教育は常に社会の要望の下に目標を設定してきた。いまは,創造性豊かな人材が求められているが,情報関連技術の発達のスピードに教育界が追いつけず,産業界が求める人材を供給しきれなくなってきた。そのせいか,学校教育には期待できない,という声も聞こえる。このことは従来の学校そのものの存在が問われるようになってきたということである。規格化された製品を大量に製造するのに適した人材から創造性豊かな人材への転換が急がれている。従来の基礎・基本を見直すことが必要であるし,学校の形態そのものも変化してくるだろう。しかし,それは非常に難しいと私は思う。管理職や職員の意識が,上意下達,横並び,慣例主義,派閥主義,効率無視などから抜け出ることができるかがポイントになる。方策として管理職の任期制や研究・研修を各自の裁量に戻すなどが考えらてもよい。
○パソコンは導入したが〜情報教育の難しさ
さて,パソコンを導入したが,ではどうするか。パソコンを導入すれば情報教育ができるのか。否である。まず,職員の意識から変えていくことである。今後の見通しの第一は,職員の意識変革なのかもしれない。詳細は別記するとして,いくつか考える点を書いてみる。
1.情報には著作権があるというを確認する。これは,これまでドリルやワークブックの切り張り流用と同じ問題である。ソフトも著作権があり,そのコピー使用は許されない。もっとも,開けてみないと,使ってみないと使えるかどうかわからないというソフトの販売形態もよくない。しかも,高価である。コピーを認めるわけではないが,コピー使用の気持ちはわかる。
2.パソコンを使わなくても必要な仕事は処理できる。既にワープロを使っている人はそれで十分と感じている。最近のワープロはパソコンに近い機能をもつようになり,多くの機能が必要なければワープロで十分である。さらに言えば,ワープロを使わなくても,時間はかかるがこれまで通り,手書きや電卓,切り張りで十分である。
3.作成した文書(情報)は使い捨てられ,それを蓄積,再利用するという考え方が一般化していない。作成した文書をファイルし,それをコピーするか必要な個所を切り張りして使う程度である。紙媒体の良いところは一覧しやすいことであるが,反面,検索が難しく,再利用しずらいという面がある。情報は蓄積があってこそ威力を発揮し,価値を生むものである。これを電子化することにより,検索・再利用・保管が簡単になることも確かである。
4.パソコンの利用を個人の趣味ととらえがちである。それが,「好きだから」とか「便利な人」という言葉となって出ているんであろうが,もうその時期は過ぎており,パソコンを使って何をするかに目を向けるべきである。
5.専任の職員を置くべきである。パソコンには保守・点検が必要であるが,これにはかなり神経を使うし時間もかかる。また,技術の進歩が早いため,その技術情報の習得や購入したソフトの習得,さらに啓発活動には相当の時間がかかる。
6.パソコンを導入したからすぐに授業に使う,というのは無理がある。学習者や指導者のパソコン操作の習熟度(パソコンリテラシー),情報に対する態度(情報リテラシー)の問題があるからだ。また,学習のどの場面でどう使うかも問題である。一斉授業の良い点は認めるとしてもその延長上でパソコンの授業への活用を考えることは難しいだろう。どのような形で,どのような場面で使うかはさらなる実践の積み重ねが必要かと考える。
7.パソコンの台数が少ない。また,使いたいときにすぐに使えるようにセットしておかなければ使いずらい。パソコンは電源投入から使用できるようになるまで30秒から60秒かかるが,この時間を待つのは面倒である。それなら,半日,つけっぱなしにしたほうが使い勝手はよい。
8.パソコンとソフトの進化が早すぎて,買い取りで導入したパソコンがすぐに陳腐なものになってしまう。事務で使うのであれば,4年前のパソコンで十分であるが,マルチメディア対応には能力不足である。そして,授業で使うパソコンほど機能の高いものが要求される。今後はレンタルやリースの利用が妥当だろう。
 ※鳥が丘小学校で1998年春に導入したパソコンはまだ2,3年は現役として使用可能であるが,1994年に導入したパソコンをインターネットに接続して使うには無理がある。
9.最初におさておかなければいけないことは,パソコンの習熟(コンピューターリテラシー)と情報に対する考え方(情報リテラシー)である。
10.パソコンをコミュニケーションの道具として利用することが今後,増えるだろう。メールでのやりとり,情報の授受など新しい形のコミュニケーションが生まれると思う。
○ これから
パソコンの予想される使い方,そしてすぐに効果があらわれるような使い方はとして,次の使い方があると思う。インターネットの相互接続(コミュニケーションの道具),通信を通しての在宅学習(不登校や何らかの理由で通学できない場合に最適。アメリカでは,インターネットを通じて大学で授業を受けることができる),電子辞典をや電子事典を使用する調べ学習,自分で情報を再構成して発行する,という使い方である。そうなると教師が教える部分は今の半分になる。学習者自身が課題を設定して学習を進めるようになり,教師は助言者や調整者の立場になる。
パソコンを使わなくても授業は成立する。しかし,より品質の高い学習を提供することが必要であると考えるのであれば,たとえ,プリントなどの教材作成だけでもパソコン活用を勧めたい。
本来,学習は必要によって自分から進んでするものであり,意味も目的もわからないで学習させられていては効果は期待できない。今のシステムは,いつでも,どこからでも学習できるというシステムではなく,硬直化したシステムであり弾力性に欠ける面がある。むしろ,通信を利用して,必要なときに必要な学習できるようなシステムができるとよいと思う。在宅学習とスクーリングの組み合わせで学校システムを組み替えてもよい。不登校を問題視せず通信を利用して学校以外でも学習できるシステムが考えられてよいだろう。
○ 「人」を大切に
 これまで見ていると人を使い捨てているように感じる。管理職の好き嫌い,派閥などによりスポイルされ,能力が生かされない例を数多く見てきた(指導という名による管理職のいじめは存在する)。これは,一旦管理職になるとずっと管理職であり続ける弊害による。権力は人間を傲慢にする。だからこそ,任期制,入れ替え制が必要なのだと思う。
余事であるが,かつてある委員会に所属していたとき,その業務の処理に有用なプログラムの雛形を考えたり,カード方式というシステムを考えたりしたことがある。しかし,当時の管理職に嫌われて1年で鶴首された。そのシステムは2年目からの活用・充実を考えていたが,プログラムやデータはすべて廃棄した。以来その委員会で,私が考えたものに似た,もしくはそれを上回るシステムが構築されたとは聞いていない。委員会としては,知らずに大きな損失になったのではないだろうか。また,そのときの学校には有用なデータは一切残してこなかった。似た例を他にもいくつか知っている。
人を使い捨てる考えは,国や組織の力を徐々に弱めていくことになる。
○ 今後の見通し
1.2002年に各学校にパソコンが20台以上導入される。そのパソコンはレンタルもしくはリースで導入するもので,技術の進歩に合わせて導入機種を変更する。
2.メンテナンスは,専任を当分置く。
3.学習のしかたに広がりが出る
   つくる  音楽 作文 絵
   調べる  インターネットインタビュー
   書く 描く
   計画する
   構成する 情報の再構成
   発信する
   疑似体験する
   体験する段階前の調べ・描く・書く
   
4.学校の広報活動に,ホームページが作成されるようになる
5.インターネットgを利用した学習形態が開発される 6.仕事の効率化が必要 7.不要は会議が消失する 8.会議はインターネット上で行われる事があり,そこには地域や保護者,児童・生徒が参加する
鋳ケが丘小学校における情報教育の経過
1.経過 私が本校に赴任したのは1995年4月であるが、この時点でノートパソコンが10台導入されていた。当時のパソコンの稼動率は0に近いものであったと思われる。 導入されたのは前年度の1994年10月と聞いている。導入された時に職員のコンセプトはなく、管理職が半ば強引に入れたと聞いている。導入時点で富士通が主催する研修が2回、計2時間もたれたようである。全くの手探り状態であったのだ。同時に導入した機器は、イメージスキャナー(エプソン製)と、プログラム言語のロゴライターである。スキャナーは活用の道があり、良い選択であるが、ロゴライターはプログラム言語であり、プログラム言語である限りは習得に時間がかかるのに、そのための時間の保障がまったくないのだから、実質、活用の道は閉ざされている。無論、習得でき、それを教えるだけの知識と技量が上がれば一番良いのだが、クラスを担当していたり諸々の雑事を抱えていては新しい技術の習得は不可能である。また、すでにプログラム言語の指導を中心にする時代は過ぎようとしており、時代の流れに対する理解がなかったのかもしれない。 それでも、当初は数人の職員は委員会が主催するパソコン研修会に参加しており、パソコンを使ってみようと言う意欲の高まりが見えたののだが、「壊したら弁償」という管理職の対応と、パソコンが置かれた部屋に鍵をかけるという運営が熱意に水を注ぐ結果となったようで、パソコンに対する意欲は急速に冷えていったとようである。そして、それが、その後どんなにパソコンの啓発を試みてもパソコンを使ってみようという芽が育たなかった理由になったと思われる。運営のまずさは、配置の仕方が使い勝手の悪さに表れているが、当時としては高価な、しかも委員会からの導入ということであれば仕方が無かったのかもしれない。カバーをかけていかにも高級品を扱うという感じだったのである。 4月に私が赴任したが、組織の中でパソコン担当もしくは情報教育が明確に位置づけられていなかったため、私は動きがとれなかった。運営担当は推進委員会が兼ねていたという。だから、自分は補助の立場として動くものと理解していた。ところが7月に委員会から使用状態を問いあわせてきたとき、副校長(当時の)は不機嫌な調子で、4月からの計画がしっかりしていなかったからこうなるのだ、と言うのである。感情をすぐに顔に出す人だったから、顔つきも声も怒気を含んでいた。当時の運営責任は、校内重点研究会推進委員会が兼ねていたのだから、何だったのだろうと今でも不愉快な感情とともに思い出される。 パソコンが置かれていた部屋は、3階視聴覚室の横の部屋だった。ところが、年度途中の12月に2階資料室の隣の部屋に移動させらた。移動したことはよいのだが、その理由が納得できなかった。パソコンが設置された部屋は元々は第二音楽室として使われていた部屋である。そのせいもあってか第二音楽室が必要という声が職員にあったようで、元にもどす形でパソコンを移動させて第二音楽室に復帰した。復帰はしたが、様子を見ていると第二音楽室が活用されているという気配は無いよいうに見うける。その部屋には、ピアノと少数の楽器が置かれているだけで、閑散としている。私も、曲の鑑賞は専ら視聴覚室を利用している。 翌年、つまり2年目、校長が代わった。この年から、情報教育部門が組織に位置づけられた。これで、少しはやりやすくなった。 5月だったか、某外部組織がインターネット接続の希望を募集していることがわかり、本校でも申し込んではどうですか、と具申した。接続に関しては全てやってくれるというのだから、よい機会だった。ところが、職員がまだ対応できないという理由で申し込まないことにしたということを言われた。 それならばと、今度は本町小学校のサーバー(本町小学校はインターネット100校プロジェクトに参加しており、独自にインターネットに接続できる)に間借りするかたちで、鳥が丘小学校のホーム頁(HP)を置かせてもらってはどうですかということで、HPの雛型を作ってみせた。同時に、本町小学校で運営を担当している出口教諭にも連絡をとり、承諾をもらっておいた。7月のことである。しかし、これも、メールが大挙してきたらどう対応するのか、という理由で、これも却下された。メールが大挙してくることは考えられない。 3年目の10月からパソコンルームを開放した。開放して自由に使ってもらおうと思ったのだが、来る児童はゲームだけが目当てだった。

2年目と3年目にパソコンクラブが設置されたが、こちらもゲームと、機能の低いお絵描きソフトの利用が中心だった。このことについては児童を責めることはできない。児童はインターネットだけでなく、絵を描いたり音を操作したり、いろいろなことをやりたかったはずなのに、パソコンの性能自体が当時でも低く使いずらいものであったし(当時の最高スピードは486DXの33MHz、平成11年3月3日時点で、500MHzのペンティアムで、当時の20倍以上の能力を持つ)、通信ができる環境が整っていなかったのだから、3つ程度のゲームとペイントブラシだけでは飽きがくるのは当然なのである。しかも、使うにはローマ字入力が必要(不可欠ではないが)ということもある。更に、5年生や6年生の何と忙しいことか。 3年目の予算にパソコンの購入を組んでもらった。技術の進歩が大変な速さである事(3ケ月で新機種が出る)を考え、年度一杯待って2月にようやく新しい機械を職員室に導入した。266MHzのスピードをもつパソコンで、3Gバイト(日本文字で2100000000文字の記録が可能).のハードディスクとCDを内蔵している。モニターは17インチ、プリンターはモノクロレーザープリンターで、性能対価格比では当時としてはベストの選択である。当時の最高スピードは300MHzである(ちなみに1年たたないうちにスピードは500MHzまであがった)。しかし、これで2年は陳腐化しないだろうと考えている。 3年間、私は教務に職員に対する研修の日を設けてもらいたいと言ってきたが、ほぼ無視されてきた。4年目にようやく2日だけ設置された(焼石に水という程度の、申し訳程度の研修日であるが、設置されたことに意味があると納得)。研修に向けて、ノートパソコンの画面をテレビに映す装置を導入してもらった。マイクロソフトから百科事典のCDが贈ら、事典で調べ学習ができることができるようになった。 学校にあるノートパソコンは既に時代に取り残されてしまっていた。時代はWINDOW95の時代になっており、パソコンの頭脳部分はペンティアムに移っている。 4年目、さあこれから、というときに私自身が突発性難聴に襲われ(過剰のストレスからかと思う)半年以上も職場を留守にしてしまった。その間、パソコン教室が使われた形跡はなかったようだ。
10月23日に復帰してから、せめて自分のクラスの児童になれさせようと思い、少しずつ教えてきた。小さい芽ではあるが大きく育てば、と思っている。 2.現状
1) 保有パソコン 配給されたノートパソコンは10台。CPUは486SX、33MHzである。これに、周辺機器を接続するための接続カードが添付されており、音声の入力も可能きである。しかし、1999年2月現在、いわゆる、マルチメディアを扱うには力不足であり、インターネットは可能であっても実用には耐えられないだろう。それでも、事務をとったり、入門機として使用するのには十分である。もっとも、現在、市販されているソフトの多くはこれらのパソコンには対応していない、例えば、音声による入力を実現するにはCPUの速さが300MHz以上が実用的であるし、DVDの再生についても同様である。
10台のノートパソコンにはそれぞれインクジェットプリンターが各1台ずつ接続されているが、No1のパソコンには、ハードディスク1Gバイト容量のものが1台、TV画面に出力する機械が1台、イメージスキャナーが1台接続されている。 なお、インクジェットプリンターは、インクをノズルという細い管から吹き出す構造になっているので、使わない期間が長いと、管が詰まってしまうの。これを防ぐために定期的に使う必要がある。
インクは4種類(シアン、マゼンダ、イエロウ、クロ〜CYMKと称する。ちなみにRGB方式があるがこちらはモニターに映し出す方式。通常のテレビはコンポジット方式である。また、モニターに映し出された色がそのままプリントできるわけでなく、それぞれの発色の仕組みが異なるので色合わせが必要である。これをカラーマッチングというが、具体的にはそれぞれのガンマ数値が1になるように調整する。しかし、この設定は難しいので、専用のソフトを使うのがよい)あり、一本あたり800円するので、都合3200円かかることになる。この価格だと一枚のカラープリントには35円かかることになる。 ノートパソコンの他にNECのパソコンが1台あるが、このタイプは職員室に設置されているパソコンと同タイプで、デスクトップパソコンと呼ばれている。NECのパソコンは、CD内蔵で、CPUは486SXタイプのパソコンである。 NECのパソコンもノートパソコンもOSはWindows3.1である。 職員室には、コンパック(会社名)のパソコンが設置されており、こちらはCPUが266MHzMMX、CD内蔵、3GバイトHD、64Mバイトメモリーであと1年間は問題なく使えるはずである。そろそろ、このクラスのパソコンでも使えないソフトが出始めているが、特殊な分野のソフトであると考えて良い。 このパソコンに接続されているプリンターはモノクロのレーザープリンターである(このレーザープリンターが出始めたのは1986年頃で、当時の価格は150万円であった。ちなみにワープロの最初の価格は600万円であったとか)。 このパソコンに、私が作成したデータがいくつか入っている。たとえば、平成8年度の学校経営計画の内容のほとんどと、記念誌用に私が受け負った部分などである。 3.注意点
いくつか注意がある。 まずプリンターである。 ノートパソコンに接続されたプリンターはインクジェットプリンターである。インクジェットプリンターの性質上インクジェットプリンターは定期的に使用したほうがよい。しばらく使わないときは、もしオプションとしてあるのならば、ノズルを掃除する命令を出しておくとよい。これは、印刷を開始する前にインクを余分に排出させるのである。ただし、毎回これを実行すると、インクの消耗が激しいくなるので、あくまでも長期間使用しない場合の話である。 コンパックのパソコンに接続されているのは、レーザープリンターである。構造はコピー機のそれと同じであり、トナーを使って印刷している。トナーは1万5千円程度で、約5000枚ほど印刷できる。消耗品なので在庫を持っていたほうがよい。 次はパソコンのOSの問題である。 パソコンそのものの使い方であるが、OSのWindows3.1、Windows95は終了時に情報の書き戻しがあるため、手順を守って終了するように。しかし、それでもOSは壊れやすい(ソフト的に)ので、バックアップは必ずとるべきである。この点がワープロ専用機やゲーム専用機との違いである。専用機はプログラムを書き換えができないROMというものに入っており、いきなり電源を切ってもプログラムそのものが破壊される心配はない。いっぽうパソコンは、書き換え可能なハードディスクに格納されており、そのため、何らかの原因で書き換えられてしまうことがある。例えば、ノイズや操作の間違い、電気がいきなり切られるなどがそれである。特に、ハードディスクに書き込み中に電気が切られると致命的である。子供は電子レンジ世代なので30秒も待てないようである。特に注意しなければいけない。 Windows3.1が壊れた場合の対応についての知識は残念ながら私にはない。Windows95の場合は、起動時にF8キーを押しながら起動するとセーフモード起動となり、自動的に修復が行われる場合がある。その前に、時々、「スキャンディスク」を実行するべきである。このプログラムはWin95で、スタート→アクセサリー→システムツールに入っている。月に一度は実行することを薦める。 Win95がおかしくなったら、セーフ起動を試みていったん起動させ、スキャンディスクを実行してからWin95を手順どおり終わらせ、再度起動させるようにする。セーフモードによる起動は、電源を入れるときからF8キーを押すことでできる。 ところで、現在はWin98が中心になろうとしているが今のところWin95で問題は無い。変更は必要無いと思う。 HD容量の問題について。 コンパックのパソコンに内蔵されているHDは3Gバイトと、当時としては大容量であった(今は4G以上で、9Gや18Gも出始めている)ので、2つに仕切ってもらったが、当時は私自身が知識不足だったので、業者お任せになってしまった。そのために起動ディスクでありしかも主なプログラム等を格納している部分(Cドライブ)の残り容量が少なくなっている(平成11年2月26日現在で54Mバイト程度になってしまった)。そこで、今後導入するプログラムはできるだけDドライブに格納するようにすることと、データもDドライブに保存してもらいたい。 重要なデータはバックアップをとるように薦める。ノートパソコンにしても、不要なファイルは削除し、空きの容量を確保しておくこと。目安は、HDの全容量の1割を切ったら要注意である。この確認は、マイコンピューターをダブルクリックして開き、目的のドライブを選んでプロパティーを選ぶことでできる。 ウイルスについて。 ウイルスへの対策は今のところ無い。外部から信用できないファイルを持ち込むことを禁止することが予防の第一歩である。特に(私は経験していないが)マクロという小さなプログラムを使うときは注意が必要である。それを使っても安全かどうかを確かめなければならない。
いざとなったら、システムの再構築をすればよい。ただし、これをすると、これまで築いてきたシステムやデータ、プログラム等は全て消えてしまうし、システム構築には1週間(ほぼ終日かかわっていて)はかかることを覚悟しておくこと。 HDの増設について。 ハードディスクの増設は可能であるが、ハードディスク(HD)には大きくわけてSCSI規格とIDE規格があり、それぞれがさらにいくつかの規格に分かれるので増設自体は業者に依頼するとよいが、手数料がかなりかかることは覚悟しておくこと。システムを再設定すると1万円必要である。ちなみに、HDごソフト的に壊れ、データをどうしても復旧したい場合、3GバイトのHDでは300万円かかるのが現状である。
パソコンは何も不具合がなければ便利なものだが、使い込んでいくうちに不具合は多少出てくるので、対応にはシステムにたいする知識と経験が必要である。私自身もWin95を使い始め、様々なトラブルに遭遇しながら、多くのノウハウを得てきた。購入して2週間でシステムを壊してしない、そのために1万円も払わされたという経験をした。ほんの少しの知識と経験が問題を解決する糸口になるかもしれないのだ。Tさんが持ち込んできたFDを読めないという問題の解決には、NECのパソコンの特徴を知っていることが必要であった。無論、Win95以前のMS−DOSの知識も必要である。時には情報の書き換えが必要な場合が起きる。 もし、不具合が発生したら、機械をそのままにして業者に連絡するのがよい。FDの不具合が出たら、書き込み禁止にしてそのまま、知識のある人に相談するのが良い。
以上、いくつかの注意を、今気がつく範囲で述べた。

4.今後 1)インターネット接続 パソコンを有効に使う現実的ものとして調べ学習がある。図書室に調べものをするために来る児童は、百科事典や図鑑などを手にとっているが、関連ある項目を探すのは意外と面倒である。それが、電子化された図鑑や百科事典を使うと、絵や写真、動画を見たり、音を聞いたりしてすることができるだけでなく、関連ある項目も調べることができる。ハイパーテキストの技術を使っているからである。書籍だと面倒に感じるが、画面上では案外と簡単な感じがする。今はCD−ROMを使っているが、DVDーROMとなると、大百科事典35巻が全て記録できるから、より詳しく調べることができる。 それでも情報が足りないとか、もっと情報を追加したといった場合はインターネットを使うことになる。 インターネットを介して国内だけでなく、海外と結ばれるから、新鮮な情報を入手することができる。書籍の場合は、情報の変更があってからそれが出版されるまで時間がかかる。ただ、書籍の場合は情報が整理された形で提供されるから意味はある。逆にインターネット(パソコン通信も含めて)から得られる情報は混沌としており、どの情報を取り、どの情報を捨てるか、そして得られた情報をどう組みあわせ、それをどう解釈するかといったことを情報をとる者が考えなければならない。
このインターネットを使って、例えば、地方の暮らしを学習するとして、その地方に住んでいる人や、知りたい事に詳しい人からの反応を期待することができる。情報ボランティアとでも言うのだろうか、これは現実に行われていることでもある。
では図書室はどうなるのか。図書室はこれまで通り調べる場であり続けるだろうが、より、読書の場として大事な場になっていく。そこで、どんな本があるのか、どんな内容なのか、どの本がよく読まれているのか、といった情報が欲しいところである。 通信費用が安くなり、通信網がより細かく張り巡らされるようになれば、在宅学習も可能になる。これは、学校に来ることができない事情がある人には明るい側面である。しかし、他方、人と人とのコミュニケーションの取り方を経験していくには学校は必要であると私は考えている。「失敗を許される小さな社会」である学校で学ぶことができるだろう。 日本は情報関連、特にネットワークに関しては1年の遅れがあると聞いている。製造が中心だった産業構造が変わったのである。その結果、世界の流れから取り残される心配がでてきた。経済界や政府が懸念しているのはこの部分である。ただおとなしく決められたことを、時間内にこなしていれば良いと言う時代ではないし、横並びでやっていけばよいという時代ではない。トップにも創造性が要請される時代である。その人が好きだろうが嫌いだろうが、そんな個人のお好悪に関係なく人材を育成しなければどうにも仕様のない時代になったのである。これまでのように、閥にこだわっているような組織はいずれ消えてしまうだろう。それだけ、創造性が重要な時代になってきたと言える。だからこそ、考えることを重視する教育に移行しつつあると考えるのである。ところが、そうは言いながらも、遅れている古い体質が残っているの位が学校教育の世界なのではないだろうか。いまは、創造性を重視し、知的価値が中心になるのは確実なのに、である。 情報化に向けて動く世界の流れをみて、文部省は2002年にはインターネットにより公立学校を結ぶことを考えている。 インターネットの接続は、始めての人には難しいのだが、仕組みは簡単であり、接続ができてしまえばあとは使うだけである。大事なのは、インターネットをどう使うかである。受動的に情報の収集をするだけでは限界が出る。情報の発信も必要である。Give & Takeの考えである。 インターネットを使って調べる、時には、インターネットを通じて、専門の人から助言を得ることもできる。そして、得た情報をもとに、再構築したり自分で新しい情報を付加したりしながら情報を再生産して発信する、こうした活動が考えられる。おそらく総合学習の要は情報になるのではないかと思う。 2)蓄積が大事 情報が活きるためには蓄積が必要である。ある程度の蓄積があってこそ、情報をより有効に活用できるのであり、価値をもってくるのである。このことはくり返し述べているのだが、わかってもらえないようで、残念である。手前味噌ながら、「20年記念誌」の作成に際し、少しのお手伝いができたが、それというのも私自身にこの学校についての3年間の蓄積があったからである。学区、学校平面図、OCR操作の技術、作図に際するノウハウ、校舎の立体図があったからこそ、短時間で図面作成ができたのである。コンピューターがあるから速く簡単というのは美しい誤解なのであり、データの作成にはかなり労働集約的な作業が必要なのである。しかい、いったん電子化されれば、そのデータの変更、再編成は短時間でできる。この短時間でできるという部分だけを取りあげられると、まさに「コンピューターで作業をすると簡単で速い」になるのだが、最初のデータ作成には時間がかかるのである。だからこそ、著作権が尊重されなければならないのである。蓄積には時間がかかるのに、それが理解されなかったために早急な結果を求められ、それが達成できないからといって不本意な処遇と必要以上のストレスを感じたのは残念である。たとえば、立体図の作成には依頼を受けてから3年以上かかったにもかかわらずまだ完成に至っていないの。それは遅いのではなく、技術の習熟に時間がかかっているからである。いまのところおおむね雛型はできたが、外観の細かい部分や色については更に作業が必要である。ソフトの選択とおその習熟にいかに時間がかかるかの証左である。できあがった書類からは、その1枚の文書に消費された時間と労力は見えてこない。 今はパソコンの台数が少ないことや設備が整っていないこともあって、実現できていないが、いずれLAN(構内ネットワーク)が必要になってくる。将来は校内にネットワークが構築されるだろう。そのネットワークの中を多くの情報が行き交うことになる。そうなると、職員会議も、打ちあわせも必要なくなってくる。 余談ながらあき教室の地域への開放も考えられなければならないかもしれない。パソコンルームのパソコンで、地域へパソコン教室を開くといったサービスも開かれた学校の実現に向けてひとつの方向である。 3)緊急時のパソコン利用
一番重要なことは、地震などの緊急時における情報集約・発信の中心を学校が担うことである。阪神大地震のときにパソコン通信が活躍したことは有名な話である。通信網が予想に反し、生き残っていたのである。そしてインターネットを通じて災害情報がフランスやイギリスをはじめ海外に伝えられ、救済活動が、日本政府より速く始まったというのも有名な話である。さらに、その後の「無事情報」「たずね人情報」もインターネットやパソコン通信により発信された。この経験から、情報網の整備が見直された。 ところで、「情報処理班の設置」と言うのは簡単だが、その運営と、いざというときにいつでも稼動させられるように整備しておくことは大変である。ハードの面も大事なのだが、ソフトの面、特に人材面で問題が残る。 入力ー補修といった作業は労働集約的な作業であり、さらにコンピューターの扱いや情報の扱いに習熟していなければならない。この面については、ボランティアの活躍が期待できるが、学校でも備えは必要である。 4)学校情報の公開 今後、学校の特色をアピールすることが大事になる。実際にいくつかの学校ではそのような活動を行っているが、これからは情報開示も含めて、学校の情報を公開することが要求されるようになる。要求されるという受け身の態度でなく、進んで情報を公開するほうが好感がもたれるに違いない。 内容として、保護者や地域の方へのお知らせ、学校案内、転出入の受付、教育方針の説明、児童の発表の場(作品の発表の場としていかしたり、活動の様子を紹介したりする)としてインターネットを使うことで、保護者、学校、地域、学習者が相互に結ばれる、理解が深まる。
その最初の一歩として、学校経営の方針や運営の仕方について書かれている経営書については、平成8年度のものをもとに、その多くを私が電子化し、さらに未熟な部分はあるものの一部はインターネット上の書類として使えるようにした。 5)知識の蓄積と共有化
経営計画の内容、職員会議の提案や議事録、打ちあわせ事項、各種会議の内容も電子化しておくことを薦める。さらに、文書化されていないけれども知っておくと便利なことや、その職場で仕事を進めるのに必要なこと、授業を通して得たちょっとした知識なども同様である。このことは、知識の共有化という意味でも重要なこのなのである。 転任してきて困ることは、その職場特有の知識があるということである。その職場にいる人は当然わかっていることだが、転任してきた人にはわからないことだらけである。お茶の入れ方、ごみの出し方、昼食の注文、会議の進め方なども電子マニュアルにしておくことでより早く職場に慣れ、仕事に対する効率性が高まると思う。この考えで、前任校でファイルの作成を試みたが、ソフトの機能もパソコンの性能も低かったこと、入力するのが個人としての試みであったこともあり、誰もが使えるようなものはできなかった。
ところで、こうした文書の電子化を進めるには文書データの形式を一元化することが必要である。現在ワープロで作成された文書が多いので、まず各自のワープロで作成した文書を変換してパソコンで読める形にしてHDに格納しておくとよい。その上で、閲覧性を高めるために、文書形式をHTML形式(インターネットで使われる形式)やPDFファイル(アクロバットという会社が提案している汎用閲覧文書形式)にしておく。
こうした考えで、作成した役にたちそうなデータをコンパックのHDに格納してある。おもな文書は、校内平面図、平面図斜めの図、学区図、学校経営案(平成8年度版)、20周年記念誌掲載の学区図、卒業者名簿(11〜18回)、校舎立体図、卒業式のデータ(1分の動画)、体育館平面図(正確)、校庭平面図、学校のきまり、生活目標各学期分、HTML文書に変換した経営計画、校歌(ピアノ演奏)などである。整理していないので探すのが大変だと思うが、DドライブのKAZAMAKI,KAZATEMPなどのフォルダーに入れてある。 学校経営計画は、不完全ながらも平成8年度のものを元に入れたが、HTMLファイルとしてある。ほぼ作り終えた時点で、経営計画を超えるものができるのではないかと思った。それは、前述したことと重なるが、知識の共有化である。 将来、改造できるようになったら、共有知識を追加して、育ててもらいたいと期待している。 6)機器の整備 2000年には2人に1台(小学校)という方針が打ち出されているが、新しく導入する機械はできるだけ高性能なパソコンがよい。事務処理だけなら文字だけでも良いのだが、音声や画像(静止画像、動画像)を扱うとなると、CPUの性能が高いほうが良い。しかし、高すぎても使いこなせないということも考えられるので、1999年3月現在、300MHz以上であれば良いのではないかと思う。この時点での最高スピードは500MHzであるが、そこまで必要ないのではないかと思う。しかし、状況がどう変わるかはわからないので断言はできない。 CD−ROMドライブは必要である。これはDVD−ROMに移行する可能性が大きいので、技術動向には注意を向けてもらいたい。
また、情報の受け渡しにFDだけでなく、MOやDVD−RAM、PDなどの大容量補助記憶装置が必要である。児童・生徒がペイントソフトで絵を作ると、そのデータはビットマップファイルになり、それだけでFD1枚の容量を軽く超えてしまうからである。パソコンは1670万色を表現できるが、こうするとデータ容量が大きくなる。よほど、忠実な再現性を求めないのであれば3万2000色で十分である(256色では明らかに劣化が認められる)。しかし、色数を下げてもビットマップファイルである限りは容量は大きくなる。FDだけを使う場面では、パソコンから他のパソコンにデータを移動する場合、少しのテクニックと大きな注意力が必要である。創造性を発揮するよりも、多くの多くの時間を取られてしまう。 また、パソコン同士を結ぶ、ネットワーク(LAN)を張るということも念頭に置いておいたほうがよい。いずれ必ずネットワークを構築する必要が出てくるからである。これは、データのやり取りだけでなく、プリンターやイメージスキャナー、回線などの資源を効率的に使うことができて便利だからである。 この、イメージスキャナは鳥が丘小学校に1台あり、当分はこれでよい。
問題なのは配線である。電源をどうするか、どう配線するか、これは特に配線工事をするしか方法はないだろう。 教育用のパソコンだけでなく教職員用のパソコンを充実させることが急務ではないかと私は考えている。せめて学年に1台配布し、これを相互に結ぶようにしなければならない。無駄を防ぎ、時間的にも効率化を考えているのなら避けられないことだと思うし、パソコンに慣れるには効果的だと思う。 これまではハードそのものが重視されてきたが、今後はソフトが重要になってくる。今後はソフトの試用、選定から充実まで考えていくことが必要である。児童用の統合ソフトはひとつの選択枝である。
そして、残る問題は、人、である。購入したソフトを10台のパソコンに入れるとする。1台あたり5分から10分かかる。かなり注意しながら作業しなければならな、、いからかなり疲れる作業である。使っているあいあだに不具合が出てくるからこの調整にかなり時間がかかる。例えばシステムが壊れたので入れかえるとしよう。この作業は1台でも入れ換えから調整を含めて7日はかかる作業になる。システムそのものの入れ替えは3時間、各種の機器の設定、その後の動きの観察と手直しといった作業である。一方で、データをバックアップする仕事も必要である。となると、まず専任の人員が必要である。企業では電算課(システム部)が独立していることを考えてみるとよい。
7)情報教育をどうするか(総合的学習との関連)
繰り返し述べるが、総合学習は、生活の中の課題を解決する過程で、調べることや討議することを通して考えを深め、まとめる学習である。調べること、まとめる過程で、コンピューターは強力なツールとなる。 調べることは電子百科事典やインターネットを利用することができる。また、インターネットを通して、質問をすることもできる。調べたことをまとめたり自分の考えを付加したりして、文章としてまとめたりホームページを作成したりすることもできる。
8)限界
いまのところ、ローマ字入力やマウスの使い方、補助記憶装置の使い方を覚える必要がある。それを助けるのが、情報コーディネーターである。前述したように、これには専任をおくことが必要である。 マウスの使い方やコンピューターの起動から終了までを覚えるためにゲームをしたり絵を描いたりしながらコンピューターに慣れることが近道であるが、それだけでは創造性は育たないだけでなく、飽きてしまう。ここから先は、通信をしたり、学習に役立てたりすることを通して、自分の考えを実現するように使えなければならないが、そのために約束事を覚える必要もあるし、より高性能なコンピューターが必要になる。鳥が丘小学校の限界はここにある。
3年の国語のまとめに紙芝居作りがある。児童が描いた絵をスキャナーで読み取り、それに色を付ける。一方で、その絵に合わせて文章を書く作業をする。この作業を切れ目なくするには、職員室のパソコンだけではできない。カラープリンターが無い、パソコンルームにデータを移動するにもフロッピーにデータが入りきらない。カラープリンターを接続してもそのプリンターをコントロールするソフトがない、そして極めつけは、作業をするにしても時間がない。こうした作業は時間に切れ目をつけて行なうことはできない。ということで絵データはできてもそれを紙芝居として完成させることはできず、この作業を進めていった児童には気の毒なことをした。
管理職の情報に対する考え方が情報教育の限界となる。管理職が情報に対して鈍感であれば、情報教育を進めることは不可能である。また、職員も然りである。 ここで時間切れである。平成11年3月30日(火)曇り後雨 午後11時10分

=ヲ1 住所録を無駄にしないようにするには
各自がそれぞれのワープロで作成した住所録を活用する。それには、コンバーターが必要である。また、ワープロで作成する場合、罫線を使用する前に、文字だけのデータを作成するように呼び掛ける。その際、番号、名前、住所・・・・・といったデータの区切りには「,」を使ってもらう。数はそのまま、文字データは「“」でくくってもらう。そうすると、このままの状態で計算ソフトに読み込まれる。 ワープロで作成しないで、できるだけ表計算ソフトを使うようにお願いする。 ※2 「ワープロを使いこなし、経営計画を全ページ作成することができる」、という方が来られるようなので、私が作成した印刷用のデータは全て暗号処理して邪魔にならないようにしておく。全消去と思ったが、そこまではやめておく。圧縮や暗号化にとどめておく。悪しからず。なお、HTMLファイルはそのままにしておくが、これを用いて図版の編集はできないので承知願いたい。
その方に住所録作成をお願いするとよいだろう。
ただし、一度作成したデータは、つかいまわしができるような形で作成するべきだし、よりふさわしいソフトを、使いやすい形で作成するべきである。

※3 児童の名前一覧を、集合写真で作成しても使い勝手は良く無い。それよりも、児童の顔写真を含めて、住所録や健康管理をデータベース化したほうがよい。そのた めのソフトは揃っている。機器もあと一つをそろえればよいだけで作成可能である。
※4 記念誌を紙媒体で作成しても、対効果は低い。それよりも、電子化しHTMLファイルとして作成した方が使用効率は遥かに高いし、差し換え、増加などのあとのメンテナンスは抜群によい。 ※5 会議の記録や、資料は電子化するべきである。少なくとも、これから作成するデータ(文書)はとくにそうである。蓄積されたデータは大きな力になるし、効率化につながる。 ※6 学校経営の反省は学年や学級のそれと同様に管理職も総括し、公開するべきであろう。評論家になってはいけない。共に苦しみ、共にやっていくことこそ必要では無いかと考える。 また、今後は、情報の公開が求められるのだから、その用意をしておくことは大事なことである。会計報告を毎学期出すのであれば、学校に配当される予算がどのように使われ、購入された物がどのように使われるかということも報告するべきである。 ※7 事故、事件に関して、そのてん末を文書化して残しておくことをすすめる。むろん電子化し、だれもが読めるようにしておくことが同じ事故や事件を防ぐよい方法であると考える。 ※8 学校図書館に納入される本の中に、CDーROMも含めるようにするべきである。ソフトの選定委員も設置して、どんなソフトを導入するか決めるようにしなければならない。