1999/2/16/火
「何なの、この子たちは{…」。東京・港区の私立白金幼稚園の入園式。伊井澄子園長はぼうぜんと立ちつくした。年長の五歳児が壇上で歌などを交え、「幼稚園にはウサギもニワトリもいるんだよしなどと三歳児に教えている。そこまでは例年通りの光景だった。
混乱した入園式
しかし、目の前では壇上によじ登り、舞台の幕を引っ張っている新入園児が一人。その足元には寝そべっている子供も。来賓の祝辞の間に、廊下をバタバタと駆け回る子もいる。それはまるで小学校で広がっている「学級崩壊」の原風景のようだ。
動き回るのは数人だが、一人で座っていられず、親から離れない子も十人ほど。必死に席に座らせようとする教師を横目に、父母らは「戻りなさい」と口にするものの、子供の手を取ろうとはじない。伊井園長は「以前もぐずりだす子などはいたが、式の妨げにまではならなかった」と振り返る。
それから四年、式の混乱は続き、同幼稚園は昨春、式のスタイルそのものを変えた。従来は式場の前方に子供たちが座り、父母は後ろで見守っていたが、親が子供の隣に座るように改め「子供は親がじっとさせて」と保護者に求めた。これで走り回る子こそいなくなったが、母親がひざの上に抱えていないと動き出しそうな子供もいる。
よその子怒れず
伊井園長は「この四、五年で明らかに勝手気ままな子供が増えた。小さくても集団生活にはけじめが必要なのに親から何も言われていないケースもある」とこぼす。
都内のある幼稚園では、親同士が子供を預かり合うことを奨励している。ほかの家の子供の様子を見て、子育ての参考にしてもらうのが狙いだ。だが、最近は、預かり合いを嫌がる親が増えた。冷蔵庫を勝手に開けて中のものを食べてしまうなど、基本的なしつけができていない子供がいるためだという。
園長は母親たちに「他人の子供でも悪いことをしたらちゃんとしかって。それも子育ての一環です」と訴えた。するとこんな答えが返ってきた。「では、どんな時にしかるべきか、マニュアルを作ってください」
「忍耐力が足りない」「落ち着きがない」。幼稚園の教師たちは最近の園児をこう評し、背景の一つには親の変化があると指摘する。
ある園長は「子供をスイミングクラブやピアノ教室に通わせるのも自分の時間を持つため、と公言する親がいる」と打ち明ける。三十歳代の親からは「子供を預けて遊びたいと思うこともある。楽しみも少なく洗濯機もなかったころの親とは考え方が違う」との声も聞かれる。
友達よりゲーム
ただ「親の責任」だけでは片づけられない面もある。ある母親は幼稚園児の娘の質問にギョッとしたことがある。「あの家はおじいさんとおばあさんを飼っているのに、何でうちは飼ってないの?」。習い事で忙しい上、身近な遊び場が減り、互いの家で遊ぶために幼稚園に着くと朝一番で「アポイントメント」を入れ合う園児も多い。
都内の保育園の保母はある日、子供たちに聞いた。「ゲームとお友達とどっちがいい?」。一斉に「ゲーム」という声があがった。「君たちが転んでもゲームは『大丈夫』って聞いてくれないよ。お友達なら聞いてくれるけど」と重ねて聞くと、「うーん、じゃあ友達」との答えがぽつぽづと返ってきた。
核家族化や少子化、テレビゲームの浸透など社会環境が大きく変わる中、大人たちの理解を超えた子供たちが増えている。我慢ができない。人間関係がうまく結べない。瞬時にキレる。すぐあきらめる----。今、子供たちの心には何が起きているのか、子供たちの心はどこへ向かおうとしているのか。
1999年(平成11年)2月17日(水曜日)
▼ボキッ、ボキッ。小学一年生のマイは筆箱を取り出すと、全身の力を込めて鉛筆を折り始めた。一本、また一本……。全部を折り終えるまで終始無言。ニコリともせず、目が据わっている。班別学習の時間。発表役をしたいのに、班の三人が認めてくれない。腹は立つけれど、けんかをするのは怖いらしい。うっ債が鉛筆に向かう。「普段はかわいい良い子なのに」。担任は絶句した。
通学路の花全部折る
▼朝の雨は、午後にはあがっていた。友達とトラブルがあったケンタ(一年生)は、校庭のアジサイの花を片っ端から、かさでたたき落として帰って行った。しばらくして級友の報告があった。「帰り道でもやってるよ」。担任が追いかけると、学校から一キロほど離れた彼の自宅まで、民家の庭先やプランターなど、目に留まった花はすべて折られていた。
▼図工の授業は動物の紙細工。席を離れてうろつき回るユウジ(一年生)は、制作に身が入らない。当然、作品の出来も悪い。教室の後ろに全員の作品を展示したが、担任が友達の作品をほめるのを聞いたユウジは、いきなり全員の作品をたなからたたき落とした。
殴る、泣く、ける-
「子供たちは年々幼くなっている。コミュニケーションが下手で、思い通りにならないとかんしゃくを起こす。それでしか自分の心を静められない。行動は短絡的で、モノに当たる子も多い」。東京都内の小学校養護教諭は指摘する。
「あのまま行ったら学級崩壊したかもしれない」。五年生男児の荒れと向き合った数カ月を東日本の小学校教師はふり返った。日記代わりのノートには、こんな記述が多く残る。
『某月某日 彼は朝から機嫌がよい。しかし、四時間目に隣の子供にちょっかいを出す。隣の席を離すと、大声で不満を言い、机を倒し、いすをけり続ける。同僚らと応接室へ連れて行く。校長、教頭も加わり様子を見る。教頭と私はひっかかれ出血。給食時に教室に戻すが、食事を床に投げつけ、帰宅しようとする。結局、帰宅を認め校門まで同行。ごみ箱のふたで私に殴りかかる。そぱにあったシャベルを振りかざす。泣きながら校門まで歩くが、途中、植木鉢を数個、けり倒す。校門を出ると、路上の石を私に投げる』
男児の荒れは、教諭の粘り強い指導と家族の協力で、ようやく沈静化した。しかし、男児一人に担任が振り回されている間に、クラスには別のいじめが起こっていた……。
「どの学級にもいる」
「幼児期に体験すべきことを体験していない」「親が変わった」「安易に子供や家庭に責任転嫁するのは間違い」「教師の対応こそ問題では」。一月に開かれた日教組の教研集会でも「教師の予測を超えた想像もつかない子供たちの姿」、(大阪府の小学校教師)に関する報告が、大都市、地方を問わず、多数寄せられた。
低学年にも増えるキレる子供たち、新たな荒れ、あるいは学級崩壊---。多くの教師たちが子供たちの変ぼうに戸惑い、苦悩を深めている。あるベテラン教師がつぷやいた。「昔からこんな子供はいたにはいたが、今はどの学級にも何人もいる」(文中仮名)
1999年(平成//年)2月!8目(木曜)
東京都内の小学校。放課後の校長室に女性の怒声が響いた。「なんでうちの子が仲間外れになるんですか。学校の指導が悪いんです」。発端は夏の臨海学校を前に行った班決めだった。ある五年生の女児が「自分の好きなグループに入れなかった」と母親に告げ、怒った母親が学校に駆け込んできた。
「入れて」と言えず
「仲間外れ」----母親はこう受け止めたが、実態は少し違った。この児童は気に入ったクラスメートのいる班に入るつもりだったらしいが、普段から友達づきあいをしているわけではなく、自分から「入れて」とさえ言わなかった。担任によると、明るい性格で、いじめられていたこともないという。
「『自分が入りたいから、黙っていても入れてくれる』と思っている。相手がどう思うかは関係ないようだ」。校長はこう分析するが、意思表示ができないのはこの児童に限ったことではない。課外活動や授業のグル-プ分けの際、教師が「どの子とどの子が仲がいいか」を慎重に見極めて配慮することは今や不可欠。「以前のように、放っておけば子供同士が自然に仲良くなるわけではない」。校長はこう言ってため息をついた。
集まっていても孤独。
別の小学校の女性教師のもとには、授業中、休み時間を問わず、クラス中の児童から"陳情"が寄せられる。実際は給食係の児童が配り忘れただけなのに、「僕に牛乳をくれない」。ふざけていて手があだっただけで、「あの子にぷたれた」。直接相手に確かめずに、担任に告げに来る。「○○ちゃんに言った?」。こう聞くと、「分かった」とうなずいて相手のもとに行き、しばらくすると一緒に遊んでいる。
この教師が勤務する学校では数年前、保護者会で子供の放課後の様子が問題になった。「数人で集まっていても、一人はテレビゲームに夢中になり、残りは無言で漫画を読んでいる」。多くの親がこう口をそろえ首をかしげた。ところが最近は当たり前過ぎるのか、話題にも上らないという。
自分の感情を相手にどう伝えていいか分からず、会話のキャッチボールが成り立たない----。ある教師は「”友達”とはいっても、本音で話すようなことはしない。しかしグループに入っていないと不安で仕方がなく、いつもピリピリしている」と、不安定な現代っ子の交友関係を解説する。
人付き合いの訓練
教育関係者の間でここ数年、「エンカウンター」と呼ばれるカウンセリング手法が注目を集めている。子供同士で「名刺交換」をしたり、互いの長所を見つけ合ったり。中には「隣の子から忘れ物を借りる」といったバリェーションもある。いわば「人付き合いの訓練だ。この分野に詳しい国分康孝・聖徳栄養短大教授は「地域社会のコミュニケーションが薄れ、子供の遊び集団ができにくくなっている今、学校などで意図的に他者とのつき合い方を教える必要性が増している」と話す。
「友情」さえ学ばなければならない時代に生きる子供たち。彼らが大人になった時、どんな社会を築くのだろうか。
1999年(平成11年)2月20目(土曜日)
期末試験も終わり、夏休みを前にしたある日。中学三年のクミ(15、仮名)は「何もすることがないから」と、友達に聞いたテレクラの番号をダイヤルした。男たちのメッセージを聞き、感じの良さそうな会社員(30)に決める。自宅近くで待ち合わせ、カラオケボックスヘ。目的は歌うことではない。初めての「援助交際」。怖さや罪悪感はなかった。数千円を受け取り「これで友達の話についていける」と思った。
「仲間外れ怖かった」
だが、数カ月後「受験に専念したい」と呼び出しに応じなくなったクミを男は「身元は調べてある」と脅迫。クミは初めて恐怖を覚え警察に泣きつき、「テレクラ遊びや援助交際をしている友達の間で仲間外れになるのが怖かった」と振り返った。
"買春"を取り締まる東京都の改正青少年健全育成条例が施行されて約一年。援助交際では中学生四十五人、高校生七十九人を含む少女百四十九人が保護された。援助交際の目的は「遊ぶ金欲しさ」が多く、ホストクラブに五カ月で六百万円使った中学生もいた。
「モラル」理解できず
「他人に迷惑かけてないのに何が悪いの」。保護された少女たちの多くはこう口にする。警視庁少年一課の担当者は「性のモラルを説いても通じないので『本当に好きな人ができた時どう感じるかな』など、非常に個人的なレベルで話をするようにしている」という。
「みんなやってんじゃん」「買うオヤジもオヤジ」----。援助交際を語る少女たちのあっけらかんとした口ぶりに、山口真琴さん(24)もついていけないものを感じる。山口さんは薬物依存症から立ち直った経験を基にボランティアで若者の相談に乗っている。「若いから子供の気持ちが分かるはず」と親たちにも頼られるが、「私でも彼女たちが新人類に見える」。
山口さんが女子高生グループに援助交際の理由を尋ねた時の返事は一言、「お金ないもん」。ある生徒は高級バッグを手に「同じブランドでもどんどん新しい形が出て欲しくなる」と話した。「お金は目に見えるから信じられる。でも気持ちとか目に見えない物の手に入れ方はわからない子が多い」と話す山口さんに、少女たちは「目に見えない物を一生懸命お金で買おうとしている」ようにも映る。
割のいいバイト
今月上旬、都内の高校で開かれた「心の飢え」がテーマの講演会。高校生のアルバイト問題などに詳しい都立館高校の渡辺拓美教諭は「人間関係をしっかり築いていないから、むなしさのすき間をモノで埋めているのでは」と問いかけた。同教諭は子供たちの心の空洞を指摘する一方で、「デートクラブなど性を売るシステムを大人が巧妙に仕掛けてきた。今の社会は様々な形で子供の心の飢えを物欲にすり替え、稼ぐ手段まで用意する」と強調する。金が欲しい子供たちに、援助交際はふとしたきっかけで「割のいいバイト」になる。
昨年、援助交際への女子高生の意識を調べた福宮護東京学芸大教授は最近、「親たち」を新たな研究テーマにしようと考えている。「大人不信というより大人をなめている彼女たちは、乗り越える対象としての親を持ち得ていない」。そうした中で心の空洞をどう埋めていくのか。少女たちの暴走の「歯止め」となるものはまだ見えてこない。
1999年(平成11年)2月2!日(日曜日)
「きつい練習をやっても試合に出られないなら辞めます」。全国大会に出たこともある埼玉県の公立高校サッカー部の部室。五月の連休明けに、三年男子部員が退部を願い出た。「君は全国大会にも出たじゃないか」と顧問教師が慰留しても決意は変わらない。もうこれで三年生はかれこれ約五十人が去った。
あっさりと見切り
ここ数年、五月には決まってこんな光景が繰り広げられる。新人にレギュラークラスの有望選手がいると、上級生たちはその時点であっさり見切りをつける。「競い合えばポジションを取れるかもしれないのに…・-」と教師は歯がゆそうだ。
この学校の別の運動部の顧問は「努力や向上心に欠ける、妙にあきらめの良い生徒が増えている」と話す。こうした変化は生徒の二極分化も招いた。「昔は勉強ができなくてもスポーツは負けないという生徒も多かった。今では、勉強で粘り強く頑張れる生徒が運動でも活躍している」
サッカーの埼玉県大会では、有力選手を全国から集める私立校はともかく、公立校では進学率も高い学校が上位に進むケースも目に付く。いわゆる「底辺校」では部活自体が成立しない。
増えるフリーター
「先生、もういいよ」。横浜市内のある県立高校。女子生徒が進路指導教師の言葉をさえぎった。教師が「小さなスーパーだが良い話だぞ」と水を向けても、「そんなのアルバイトでもやってたし、ほかの仕事がいい」とえり好みする。この生徒は就職説明会にも出ず、卒業後はアルバイト生活に入った。
この教師が〃異変"に気付いたのは九四年。卒業後の進路が「未定」の生徒が四割を超えた。浪人生は三%程度で残りは進学も就職もしない、いわゆる「フリーター」だ。浪人生を除くフリーターはその後も三割前後で推移している。
企業からの求人は「三年間で欠席は十日以内」などの条件付き。それは「規則正しい会社生活に耐えられるかどうか」の分水嶺(れい)のようにも見える。中学時代から勉強についていけない生徒にはそれは大きな壁になる。
東京都立のある進学校でも最近、フリーターの道を選ぶ生徒が目に付き始めた。「他の仲間のように、何をやるかも分からずに大学に行ってもしょうがない」「本当にやりたい仕事てなければ就職したくない」。卒業時に進路を決めない生徒からはこんなせりふも漏れる。教師たちの「もう少し頑張れば大学だって行けるし、職業の選択肢だってあるのに:…・」との思いはなかなか届かない。
努力は「ダサイ」
これまで人生の節目とされてきた時点で、もう一歩の努力をしない子供が増えていることには「無気力の果て」「がむしゃらにならなくても渡ってゆける豊かな時代のモラトリアム(猶予期間)」など様々な見方がある。ある高校教師は「一流企業の破たんを見ていると、生徒に『頑張れ』と言うのをためらってしまうのも事実。だが、努力や向上といった言葉が『ダサイ』で片付けられるのには危機感を感じる」と話す。
価値観が多様化し、社会が共通目標を持ちにくくなっているように見える今、子供たちは「自分」を見いだす力をどう身に付けるのか。それは家庭、学校、地域の枠を超えて突き付けられた大きな課題である。
1999年(平成11年)2月22日(月曜日)
あまりにも急激な子供たちの心の変化に、親も学校も社会も戸惑いおののく以外になす術を持たない。こうした事態をどう受け止めればいいのか、志水宏吉東大助教授(学校臨床学)と有賀朋子多摩市教育研究所(東京都)相談員(臨床心理士)の二氏に話を聞いた。
数年前に小中高校の教員六十人ほどに対し、最近の子供の特徴などについて聞き取り調査をしたことがある。
@あきらめが早く、我慢できない
A一対一の関係を求め、集団の一員として振る舞えない
B社会的な事象に対する関心がない
Cリーダーがいない
----の四点が共通点として挙がった。
変化の原因としては核家族化や少子化が進み、母子関係が肥大したことが大きい。特に今、小学生の子供がいる家庭は親自身が核家族で育った「核家族第二世代」にあたり、家族内の人間関係が母子関係に収敏(しゅうれん)されてしまっている。その結果、集団の中での役割を内面化する能力を取得できなくなっている。サッカーに例えれば、ドリプルや一対一のパスはできるが、十一人で相手もいる試合はできないということだ。
昔のように「地域の子供は皆で育てよう」というのは地縁的つながりの薄い現在では難しい。スポーツを通じて子供の面倒をみるような活動をそれぞれの大人ができる範囲でやっていくことが必要。「地域の教育力」を再編成する仕組みづくりをしなければならない。
ただ将来については楽観視している。今は日本の社会全体が転換期を迎えていて、子供たちはその環境に彼らなりに適応しようとしている。問題視されている子供たちが大人になった時、現在とは違った新たなリーダーシップや社会性、モラルをつくることも考えられる。
教育相談をしていて、五年ほど前から子供たちが変わったなという感じを抱き、三年ほど前から明確な変化を感じている。自分の手を切ったり首をひもで締めるなど自傷をする子や、親にかみつくなど攻撃性の強い子、「生まれて来なけりゃよかった」「生きていても仕方ない」などと話す子、集団になじめない子、幼稚な子など、心に〃痛み".を持つ子が増えた気がする。
原因の一つは親子関係だと思う。親が子供のありのままを認め、愛することができない。何かできたから偉いというように、条件付きでしか愛せない。成績やモノ、おカネなど数値化できるものを介在しないと愛せない。豊かさの中で大切なことを見失ってきた。母と子の一対一の信頼関係ができていないので、他人のことを考えたり、集団行動に適応するといった三人以上の人間関係をうまく築けないし、しつけもできていかない。
だからといって母親だけを責めるのは間違いだ。これだけ多くの子供に異変が起きている以上、社会に子供たちが何らかのサインを出していると考えるべきだろう。地域社会は崩壊し、兄弟も減り、子供が育つ環境は悪化する一方だ。親も孤立している。モノ、カネ優先の社会で大人たちも生きることに疲れており、それが子供たちに反映している。「明日が来るのが楽しくて仕方がない」、そんな思いでいる子供がどれだけいるのか、大人は真剣に考えてほしい。
(おわり)