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揺らぐ学校


東京都内の小学校。毒件。は、四年生の教室で五時間目に起きた。担任に反抗的な男児グループはこの日も朝から騒ぎ続けた。その中の二人が注意されたことにキレて、担任と取っ組み合いになったのだ。両腕を押さえられた一人が泣きながら担任をけり上げ、つばを吐きかけた。一人は担任の頭に鉛筆削り器の削りかすをぷちまけた。「うるせえんだよ、ババア」「死ね」「消えろ」。教頭が駆けつけて騒ぎは収まった。教頭がしっせきする。「なぜ、こんなことをする」「○○(担任の名前)が勝手に殴ってきたんだ」「暴力を振るっていいと思うのか」「知らない」「口は何のためにあるんだ」「つばを吐くため」
「学級崩壌」と呼ばれる現象が全国の小中学校で広まり、しかも年々、低年齢化している。関東地方の公立小教師、山田和夫さん(仮名)は重い口を開いた。「悪夢のような一年でした」。問題のクラスは昨春の六年進級時に担任が交代した。六月ごろ、子供たちが「あの先生、嫌い」「言うことが変わる」などと言い出した。前後して、数人の女児が公然と担任に反旗を翻す。「先生はあの子の話ばかりを聞き、私たちの話は聞いてくれない」。成績は優秀だが目己中心的なため孤立気味の女児を巡ってのトラブルだった。「独りぽっちでかわいそうじゃないの」と言う担任と、「何であの子が浮いているのかを考えてほしい」と訴える彼女たちに溝ができた。漠然とした不満がたまっていたこともあり反担任のムードは一気に拡大した。瞬く間の学級崩壊。授業中に歩き回る。他の教室をのぞく。いすや机を倒す。奇声を発する。カーテンを破く。トイレのドアを壊す。担任に暴言を吐く……。鶯くほどの変化だった。

一部の親が県と市の教育委員会に投書した。教委からの問い合わせに、大慌てで善後策に走る校長。担任交代を進言する教師もいたが、校長は一部教科を教頭ら二人に担当させることにした。「自分の責任なのに、週に六時間も空き時間ができるなんて」。公然と不満をもらす教師も出た。
「今日だけはおとなしくするよう子供たちに言ってほしい」。教委幹部が視察に訪れる日の朝、担任が前担任に泣きついたこともあった。保護者会では、最初に担任に不満を言った女児の親が「人の子のために悪く言われている」と発言すれば、孤立気味の女児の親が「みんなでうちの子をいじめている」と反諭。その後も非難合戦を繰り返すなど、親同士の関係も最悪になった。保護者の追及に「何も知らなかった」と逃げの一手の校長は、教師たちの失笑を買う。
子供と担任の間で生まれた不信の連鎖は、大人たちも巻き込み、親同士、親と学校、教師同士、教師と校長、学校と教委へと次々に広がった。今春、子供たちが卒業し、孤立気味の女児は私立中学に進んで、長い混乱はやっと収まった。担任も転勤した。

子供の変質、教師の力量不足、家庭の教育力低下……。学級崩壊の背景として様々な要因が指摘されている。東京学芸大学の松村茂治教授は「学校の制度や機能、子供の育ちと家庭の役割、社会的背景など考えなければならないことはたくさんあるが、原因はまだわからない。まず教師と子供がどのような関係を結んでいるか、じっくり分析する必要がある」と話す。
教室で暴れ出した子供たちに、なす術(すべ)もない学校。現場ではこんな悲鳴も出ている。「崩壌しているのは学級ではなく、学校だ」

様々な矛盾を抱えながらも社会の近代化に大きな役割を果たしてきた日本の教育システム。だが、その根幹ともいえる学校が揺らいでいる。学校現場の今を報告する。

1998/10/19/月


「先生の評価がこんなに高いなんて」「自分では頑張ったつもりだったのに……」。七月十八日、栃木県鹿沼市立東中学校の終業式。式後、生徒たちが成績表に一喜一憂するのは毎年の光景だが、今年は少し様子が違った。成績表には教師の評価だけでなく、生徒の日已評価も記されている。当然、評価が食い違うこともある。三年のある男子は父親に「おまえはうぬぼれすぎだ!」としかられた。

東中は今春から、全国でも初めて中間・期末の定期テストを廃止した。代わって、単元ごとの小テストや生徒同士の相互評価を通じた総合評価という新方式を導入。成績表では「知識・理解」だけでなく、意欲や結果を導くまでの思考過程なども評価対象になる。定期テストの廃止はテストの成績による順位付けの廃止でもあった。鈴木節也校長ほ「結果だけで点数を付けられ、比較されるのは子供にとって大きなストレス。しかも一夜漬けの理解では意味がない」と説明する。「毎日、予習復習するなど勉強方法も改善できた」など、生徒や父母らの反応もおおむね好意的だ。ただ一学期末の生徒へのアンケートでは、高校受験を控えた三年生の約二割が「定期テストはあった方がいい」と答えた。「順位が分からないのは不安」というのが主な理由だ。ある三年女子は「他の中学は決まった時期にテストがあるのに、うちだけ違うのは心配だ」と打ち明ける。
新制度導入前の昨冬の保護者懇談会でも、受験への影響を懸念する声が出た。新制度を支持する父母の間にも「過渡期にあたる自分の子はどうなるのか・…−」との不安は少なくない。

「定期テストでこの順位なら、県立○○高校でも大丈夫」。父母の間では従来、こうした評価が半ぱ公然とささやかれてきた。同中三年生の通塾率は四八%(五月現在)。市内の他校に比べて高い数字ではない。高校入試の合否を占う上で、塾のウエートが高くない分、定期テストの順位が重要な「モノサシ」の役割を果たしてきた。
鈴木校長らはその後も、懇談会などで「新制度の方が、身につく勉強ができる」と父母に説き続けている。しかし、「結局は不安派から『でも受験が……』という声が出る繰り返し」(PTA関係者)。学校側がモノサシを捨てようとしても、点数評価と順位付けが学校の役割だと考える父母はなくならない。
より極端な例が埼玉県だ。九三年度に”業者テスト”を追放した際、学校側は新たなモノサシを示せなかった。その結果、塾や公開模試が従来以上に大きな影響力を持つようになった。今では私立高校への「塾推薦」まで存在し、「成績優秀な生徒とそうでない生徒を抱き合わせで押し込むこともある」(塾関係者)。
高校入試が変わらない中で、一中学だけの改革がどこまで実を結ぶのか。「脱・点数至上主義」のモデルケースとして注目される試みも、入試での実績という審判を経なければ答えは出ない。「真価が問われるのは、新方式で中学生活をスタートさせた今の一年生が受験する三年後」。そう話す鈴木校長は来春、定年退職する。

1998/10/20/火

1998/10/21/水


東京都心にある小学校。六年生の教室で男子児童が机に突っ伏して、軽い寝息をたてている。教師は先ほどから居眠りに気付いているが、注意はしない。男子児童は来年、私立中学校を受験する。昨夜も塾から帰った後、午前零時近くまで机に向かっていたはずだ。「事情が分かるから無理には起こせない」。教師はそう打ち明ける。
数日後、別の六年生の教室では男子児童が突然、「うわあーっ」と叫び声を上げた。授業中に教科書も出していないことを教師が注意したためだ。教師が体を抱きしめると、ようやく興奮が収まった。この児童も「受験組」だ。大手進学塾・日能研によると、今春の首都圏(東泉、千葉、神奈川、埼玉)の小学六年生の中学入試受験率は21.8%。東京だけなら20%に跳ね上がり、六年生の七、八割が受験するという学校もある。公立小学校長の一人は「受験のための塾通いという前提を抜きに学校生活を考えることはもはや不可能。学校には息抜きに来ている子供も多い」と半ばあきらめ顔で話す。
「勉強に疲れちゃったんだ」。小学五年のトオル(仮名)が、カウンセラーの高橋正幸さんの問いかけにボソッとつぶやいた。高橋さんは中学受験を控えた多くの子供を診てきたが、半数以上の子が「疲れ」を口にした。高橋さんは子供たちと同き合っていて、ふと四十代のザラリーマンと話しているような感覚に襲われることがある。
トオルは受験ストレスから不登校になった。「勉強しないとお母さんが怒るんだ。それに、友達にも負けたくないし……」。とぎれとぎれの告白が続く。「父さんの言うように良い中学に入ればまた楽しく勉強できるんだろうと思う。分かっているけど、気持ちが続かないんだ」
「くもん子ども研究所」の一昨年の調査では、小学六年生の平均睡眠時間は八・三時間。ただ、七時間未満の子供も一割近くいる、その多くは受験組の子供たちのはずだ。
肉体的な疲労に精神的な緊張。子供たちのストレスは時に思わぬ形で噴出する。学校が舞台となることも多いが、学校はそれに対応するすべを失いかけている。「お前なんかいない方がいいんだ!」。首都團の小学校の六年生のクラス。休み時間に女子児童の鋭い声が、別のおとなしい女子に飛んだ。教師が注意すると「悪いことをした」ど反省する。しかし、いつの間にか元に戻ってしまう。この女子は模試の成績が上がらず、一度は塾をやめるほど悩んでいた。受験の重圧から来る八つ当たりは、ごみ箱をけるなど教室の備品にも向けられた。有名企業の破たんなどで「学歴志向」のもろさが浮き彫りになったとはいえ、根強い公立中不信から中学受験を目指す動きはやみそうにない。「受険は目標がはっきりしていていい」と明るく話す子供もいる。だが、半数以上の六年生が受験するという公立小学校の校長は「より深刻なのはストレスを隠して良い子を演じている子だ」と指摘する。読みとれない表情の墓で、何かがうごめいているのを感じる教師は少なくない。

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1998/10/22/水


「いちた」(15)が学校に違和感のようなものを抱いたのは、小学校三年の時だった。校庭で友達とサッカーに興じていた昼休み。チャイムが鳴っても、サッカーをやめて教室に戻る気になれなかった。「君たち教室に戻りなさい」。校内放送で呼び出された。「時間割を守りなさい」。担任にしかられ、「押しつけがましい」と思った。「あれやりなさい、と勝手に決めつけ、やりたくもないことをやらされる」。勉強もつまらなかったが、教師の態度が嫌でたまらなかった。教師が体現する「学校の常識」や規則になじめなかったからかもしれない。
中学に入ると、登校しようと思うだけで頭痛や吐き気がした。病気がちだった一年の半は。「頭が痛いので早退させて下さい」「ダメだ。甘ったれるんじゃない」。担任の言葉が「決定打」となった。授業を終え、帰宅して熱を出した。熱が引いても、もう学校へは行けなくなった。
「一斉授業のような伝統的な教授形態を束縛としか受け取れない子供が増えている。こうした子供たちは集団行動にも全く価値を見いだせていない」。中国地方の小学校に勤務する教師はため息を漏らす。
この教師の学校では「チャイムが鳴ったら教室に入る」という規律の確立に、全校挙げて取り組んでいる。だが、徹底させるのは難しい。「何かを守らせようと思ったら、一人一人に指導をしなけれはならないが、今の教育システムでは人的にも教育内容の面からも限界がある」という。
「いじめられた経険がありますか」「不登校の経験は」----。東京・渋谷のフリースクール「高崎学園」が教育相談で使う質間書の回答に異変が起きでいる。七三年の設立以来、両方に「○」が付くケースがほとんどだった。どころが最近は「いじめはない、落ちこほれでもない、理由を聞いても分からない、という不登校児の一群が見え隠れする」(高崎南史代表)。
相談を進めると、子供たちの口からは「学校に肌が合わない」「学校は抑圧的だ」といった言葉が出てくる。「親の価値観が多様化する中で、今の子供には押し付けは嫌だという気分が浸透している。『一緒に同じことを』という昔ながらの学校が、子供とズレを生じている」と高崎代表はみる。
友達と遊ぶのが楽しみで「休み時間と給食のために」学校に通っていた「ケンちゃん」は小学四年から不登校になった。「学校は行かなくてはならないところ。言われた通りやろうと思っていた。でも結局、疲れた」。その後も遠足には参加、以前の級友と電語で誘い合って遊んだ。「学校に行かなくても全然遊べるじゃん、と思った」
今、十五歳。籍を置く中学校は始業式に出ただけ。ほぼ毎日、川崎市のフリースペース「たまりば」に顔を出す。「今の方がずっと楽しい。学校のように型にはまらなくていいから」
九七年度、不登校の子供は小中学生合わせて十万五千人を超えた。いじめ、対人関係の不適合、子供の耐性の低下……原因として様々な問題が指摘される。
だが、型にはまらない、はまることを拒否する子供たちの増加も背後にあるのは間違いない。そして子供たちが学校に適合できなくなっているのではなく、変化する子供たちに追いつけないのは、むしろ学校の方かもしれない。

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その先生が学校に来なくなったのは六年前のことだ。首都圏のある県で公立中学校の教師になって約十年、脂が乗り始めた時期だった。指導が下手なわけではなく、生徒にもそれなりに人気があった。それがある日突然、学校に来なくなった。しばらくして精神科医の診断書を提出してきた。「きっかけは女性に振られたことらしい」。同僚の教師はこんなうわさを聞いたが、本当の理由は分からない。県の規則では、六カ月連続で休むと「体職」扱いになり、給与が大幅に減ってしまう。だからこの教師は半年の聞に一、二週間は学校に来るが、すぐに姿を見せなくなる。
四月から授業を受け持った年もあるが、生徒たちも事憶は知っている。注意を聞かず、授業は成り立たない。しばらくすると再び登校しなくなった。後には先生の名前が書かれた時聞割だけが残った。
自宅で療養中のはずのこの先生がゴルラコンペに顔を出したこともあった。同僚の目には笑顔でクラブを振る姿が奇異に映ったが、周囲からとがめるような声は出なかった。こうした〃不登校〃気味の教師は同じ市内に何人もいるという。
東京学芸大が三年前から教師向けに開いている電話相談には、年に七十件ほどの相談が寄せられる。その約四分の一は「人間関係」など「心」の悩みに関するものだ。「教師のメンタルヘルス」はいまや、教育界の最大の課題の一つになっている。
同大の小林正幸助教授は「今の教師は指導方法などに関してはみな優秀だ。しかし、理想が高く、生徒の期待にこたえなくてはいけないという完全主義に陥りがち。一方で学校に求められる課題は多縁化しており、期待にこたえられないというギャップが生まれやすい」と指摘する。「小学生の時から学校が好きで教師になろうと思ってきた。だから、学校や勉強が嫌いな子供がいることが頭では分かっても、なかなか本当には理解できない」。三十代のある若手高校教諭はそう本音を明かす。
別の公立高校の男性教師は自主的に大学に通い、教育問題の研究を続けている。雑誌などに文章を発表することもある。授業や校務に支障はないつもりだが、しばしぱ同僚の冷ややかな目を感じる。職員会議で何か提案すると内容を問わず反対される。「先生は研究者だからね」ど露骨な嫌みを言われたことも。この教師によると、「横並び」で「目立たない」のが〃教員社会のオキテ〃だ、「気にしてはいない」というものの、率先して雑務をこなすなどの気配りは今でも欠かさない。
「昔のように同僚と酒を飲みながら教育論を戦わせたり、グチを言い合う機会はほとんどない」。こう話すのは都内の小学校に勤めて一十数年になる男性教師だ。最近は日分の仕事が終わると、あいさつもせずに学校を後にする教師たちが珍しくないという。「若い教員の採用が減り、全体的に活気がなくなってきている」。こんなぼやきも多くの教師が口にした。
閉鎖的な教員社会、同僚間のコミュニケーションの断絶、その中で悩みを抱えたままぼうぜんと立ちつくす教師たち。そんな職員室の光景は、今の学校を象徴しているようでもある。

1998/10/23/金

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1998/10/26/月


「この辺でお引き取り願います」。慰勲(いんぎん)な教頭の口調には、有無を言わさぬ響きがあった。悔しかったが、二年近くほとんど不登校で、留年もしているからと、自分を納得させた。教頭が退席した後、担任に退学届を出し、三十分で面談は終わった。私立の中高一貫校。「いい大学に入って親孝行したい。みんなに負けたくない」。頑張り屋のサトミ(仮名)は、中二のころから猛勉強を始めた。睡眠時間をギリギリまで削り、水泳部の猛練習にも毎日参加した。高一で拒食症になり、体重は二九キロに激減。それでも勉強をやめられない。自律神経失調症と診断され半年間入院したが、高二の夏に退院した時には登校しようとしても体が言うことを聞かなくなっていた。
昨春、高校へ入学したタカシ(同)は「新しい世界が開けた」と感じた。それが、一年で退学。成績不振で進級困難だったことと、いじめがあるクラスに嫌気がさしたことが理由だったが、相談した時の担任の「ああ、そうか」とあまりに軽い口調に腹が立った。
二人は今、通信制高校の卒業資格が得られる「サポート校」に通う。大都市を中心に急増中の、高校をはじき飛ばされた生徒向けの学校の一つで、居心地は良い。前の高校でつらい体識をしながら、「就識にも困るから、高校は卒業しておきたい」と話す二人は、「せめて高校ぐらいは……」という社会の無言の〃圧力〃を容赦なく感じる。
マサル(同)は県立高校一年生。高校へ進んだのは「何となく」だが、「将来は居酒屋をやりたい。高校を出ないと、志望の調理師専門学校に入れない」という事情もあつた、彼の高校はいわゆる底辺校。「中学の成績が1と2ぱかりの子が入る」とある教師。中退者が多く、新入生約二百人のうち、三年後に卒業したのは半数だけだった年もある。遅刻、欠席は当たり前。まともに授業は聴けない。机の上や床に座り込む。ベランダを走り回る…。
中学時代から、喫煙や生活の乱れなどが続いている生徒が多い。同じことをしても義務教育の中学は卒業でき、高校では自主退学になる。「矛盾ですね」と別の教師。担任は連日連夜、生活指導で生徒の親との電話連絡に追われる。教師たちの奮闘ぶりは並大抵ではない。
「高校は事実上の義務教育。かけ算の九九ができない子でも入学して来る。教科書は一通りやるが、理解度より関心や意欲、態度を評価したい。人間関係を学べたらそれでいい」という声も聞いた。卒業生の半数は大学、短大、専門学校に進む。
九七%を超える進学率の陰で、毎年十万人以上の中退者が生まれ、偏差値の輪切りによる序列化が進む高校。「義務教育でないことで発足した高校が事実上、義務教育化して、矛盾が生まれた。高校以外の進路の選択肢を奪ったうえに、入学者の多様化に対応したカリキュラムの工夫など受け入れ態勢が追い付いていない」。都立高校校長OBの中野目直明創価大教授は指摘する。
「東大だ、甲子園だと、目標が明確な高校は幸せだが、そんな高校はわずか。せめて中退者を一人でも減らしたい。高校教育とは何なのか、考えない日はない」。マサルの高校の校長は深いため息をついた。


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「教室の窓ガラスが全部割られ、まるで戦場のようになった。廊下を歩いていて後ろからはさみを投げつけられたこともある。それでも『警察に』という発想はわかなかった」。東京都内の中学校教師、佐々木哲夫さん(仮名)はこう言って、数年前を振り返る。佐々木さんの学校は当時、周辺の不良グループの頂点に立つ「番長校」だった。備品を壌す、校内でたばこを吸う、教師を殴りつけるといった”事件”は日常茶飯事。しかし、110番したことはない。「警察を呼んだ瞬間に、生徒との信頼関係が崩れてしまう」
佐々木さんの受け持つ女子生徒が犯罪彊査に絡んで警察に保護されたことがある。生徒自身は犯罪とは無関係だったが、容疑者の子供を妊娠しており、生徒の両親は保護者としての対応をしなかった。「中絶させて施設に入れるしかないな」。こう言う警察の担当者に佐々木さんは激しく反発した。結局、生徒の引受先は見つかったが、佐々木さんは「事件処理を第一に考える警察の姿勢と、生徒の将来を考える学校の生徒指導は基本的に違う」と思ったという。
神戸の連続児童殺傷事件や栃木県黒磯市の女子教諭刺殺事件に象徴される少年事件の凶悪化……。新たな子供の「荒れ」が指摘される中、文部省の協力者会議は二月、学校は”抱え込み意識”を捨て、警察などとの連携を強化すべきだとする報告をまとめた。
こうした提言に対する現場の受け止め方は複雑だ。佐々木さんのように文部省の考え方に明確に反対する教師の一方で、「警察との連携はもはやタブーではない」(首都團の小学校教師)とはっきり言い切る声もある。実際、生徒指導担当の教師と警察が定期的に会合を開き、意見交換をするようなケースは増えつつある。東京都内の公立中学校。「荒れてはいない」と教師は言うものの、茶髪、ピアスは当たり前、たばこの吸い殻が見つかることもある。校内暴力がピークを迎えた80年代と違うのは、教師が注意しても「何で怒るの」と不思議そうな顔をすることだ。「何かに反抗するのではなく、『やりたいからやる』というのが今の子供。何を考えているのか分からない」と教師は言う。
「以前の生徒なら、ナイフを手にしてもまさか本気で刺したりはしないだろうと思うことができた。だが今は、正直言って生徒が怖いと思う時もある」。別の教師の口からはこんな言葉も漏れた。変ぼうする子供たちの心と向き合う教師たちは、従来型の生徒指導に限界を感じ始めている。

日弁連子どもの権利委員会副委員長で少年事件を多く手がける斎藤義房弁護士は「警察との連携強化」には反対の立場だが、一方で「今の学校があらゆる問題を抱え込み過ぎているのは事実」とも指摘する。「教師は教育の専門家という意識が強く、人に相談することを『恥ずかしい』と思いがち。しつけや生徒指導に関してはもっと家庭に返すべきだし、児童相談所などの機関にも協力を求めていく必要がある」
「学校はどこまで責任を持つべきか」「警察との連携は”逃げ”ではないのか」。昔ながらの「学校万能論」が否定されつつあるなか、教師自身も答えを出せないでいる。

1998/10/27/火

揺らぐ学校/読者から


十月下旬に九回にわたって掲載した連載企画「揺らぐ学校」に対し、読者から多数の投書や電子メールが寄せられた。教師に対する親の不信感、逆に家庭でのしつけへの教師の疑問などが交錯した読者の声の一部を紹介する。

目立ったのは「学級崩壌」(第一回)と「もう一つの不登校」(第四回)への反響。規律を守れない、あるいは学校生活そのものに耐えられない子供の存在などを指摘した内容に対し、我慢や耐性といったものをどうとらえるかを巡り、様々な意見が寄せられた。生徒に殴られたこともあるという高校教師は「幼児からの自由放任教育が原因。好き放題にしてきたのが、学校で規制をかけられればおかしくなる」と電話で主張。「高校では教師に向かって机が飛ぶ。耐性は小さいころから身につけないと」と強調した。
一方、「自分の子供の担任も、授業参観中に子供が勝手に席を立って歩いても、注意せずに淡々と授業を進めている」(主婦32)という、無策な教師への不僑の投書もあった。このほか「学校の勉強が実社会でどう役立つのか、という現実感のなさが学級崩壌の背景の一つでは」(女性、22)ど指摘する声や、「集団・社会に規則等は必要。大人は『規則にはこういう意味があり、守ることで本当の意味で成長する』と責任を持って説明する義務がある」(自営業、52)と、対話の童要性を訴える手紙も。
子供自身の意見として、「先生は厳しくていい。でも、先生はたとえ怒る理由があっても、暴力教師ど呼ばれたくないから怒らないのだど思う」(中学男子、12)とするアムステルダムからの投書もあつた。

「もう一つの不登校」を巡っては「先生の話を聞くことなどはしつけの問題。教育は元々型にはめるもので、それなくしては子供のせつな的な快楽性や暴力性ばかりが強調される」(小学校教師)などと、学校の性格上型にはめることは避けられない、とする教師からの反発も相次いだ。一方で、「生徒たちの心は”新米”世代でも理解できないほど急激に変化しているように感じられる」(中学教師)との告白もあった。
教師からの反響には同僚教師への不満もあった。定時制高校の教師からは「手当が出るからとか、クラブ活動などの余計なことをしなくてすむどいう理由で定時制に赴任する教師も多い」との指摘も。
教師志望の女性(20)からは「(定数が限られる中では)私たちが採用される可能性は低い。今の学校を変えるには今の教師たちが立ち上がらなければ」との叱院(しった)激励が寄せられた。

親や地域住民側の反響には根強い教師不信もにじみ、「ひとりぼっちの敦師」(第五回)の”不登校教師”に対しては「不登校を続ける教師を雇用し続ける公立学校の体質に憤りを感じた」(会社員、40)とのファクスが届いた。
中学受験のストレスで学校生活に支障を来す子供もいることを指摘した「12歳のストレス」(第三回)には「すべての子供が受験ストレスを感じるわけではない」どの声も。今春長男が受験した主婦(45)は「塾の友達は同じ目標を持ち、励まし合える仲間だったようだ。むしろ学校の方がストレスだったのでは」と記した。
企画が「学校」をテーマとしたことに対し、「学校より家庭が問題では?」との投書もあった。横浜市の会社員は「子供のころは多くの不自由があったが、それは何でも自分勝手にはいかないことを教えてくれた親の愛情だと大人になって知った。正すべきは学校以上に親だ」と指摘した。
元教師の会社員(36)のように「来年息子が小学校に入る。教育現場に対して歯ぎしりする思いと不安を感じる。どうしたらいいのか、という解決に向けてのシリーズも展開してほしい」との声も寄せられた。

1998/11/10/火曜日