各種(講演・研究会等)記録

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平成11年度 福祉教育研修会

平成11年12月8日(水)

教育ホール


1. 開会の言葉
2. あいさつ
3. 橘女子高等学校の実践発表

インドでのボランティア体験

橘女子高等学校3年 松村 未来


私は今年の夏,インドヘ行きました。それは,高校1年生の時に何気なく見ていたテレビで報道されたマザー・テレサに感動したことから始まります。その後社会科の授業でマザー・テレサについてのレポートを書き,彼女の無償の愛に共感し,私はいつか彼女の活動の原点であるインドヘ行ってみたいと思うようになりました。この私の夢をさらに現実へと近づけて<れたのが高三にある社会科卒論という授業でした。私は迷わずテーマを「マザー・テレサ」にしました。その学習の中で発見したのがボランテァの募集でした。私は彼女が生きた街へ行こうとすぐに決心しました。
しかし,親がすんなり認めてくれたわけではありません。現地の状況やツアーの申し込みなどすべて自分で調べて,両親を説得しました。
インドでは,まず貧困の現実を目の当たりにして驚き,とまどいました。最初に行った「神の愛の宣教者会」の総本部でもあるマザーハウスと呼ばれる所には,マザーのお墓があり,やっと会えたという思いで涙が止まりませんでした。
ボランティアで行った所は,タヤ・ダンという小さな障害者の子供達の施設で,今最もボランティアが不足しています。もう一つはカリガート,日本語では死を待つ人の家といわれています。ここには重症の人が多く,人の死について考えさせられる所です。
この様な経験の中で,各国のボランティアと共に施設に通い,同じ行為をする事で言葉が通じなくても,お互いの心が分かりあえたような気がしました。


チャンゴ・プクの演奏を通してのボランティア活動

橘女子高等学校3牟 田中 舞


私が福祉活動に興味を持ちはじめたのにはいくつかの出会いがありました。
一番最初は小学校の卒業前に,在校生に向けて言った指文字のrサヨナラ」です。今考えると,手話とは言えないような,たった五文字の指文字。この出会いが私の世界を大きくかえたように思います。
この指文字を習うまで,私は世の中に耳の不自由な人がいるという事,手の指が言葉に変わるという事を知らなかったのです。もっとたくさんの言葉を手話で表してみたいと思いました。
二つ目の出会いは,私が入学した学校に,創造の時間があったことです。この創造の時間とは,各自,自分でテーマを決め,一年間取り組み,発表をするというものです。私はこの時間を使って和太鼓を練習し,その紹介を手話で発表することにしました。手話の勉強では,聾学校を訪ね,聾唖者のお友達もできました。また,その和太鼓の練習は,地区センターなどでの発表につながりました。そこでの,おじいさん,おばあさんが喜んでくれた顔が忘れられません。
三つ目は,高等部に進学し,高2で「異文化を知る」という,選択授業をとったことです。この授業は韓国の伝統楽器であるチャンゴ・プクの演奏を通して,韓国の文化歴史について,学ぷものです。実際に韓国の学校に行き交流もします。和太鼓と比べると,音が違う,リズムが違う。私にはこの違いがおもしろいのです。国際交流と言うと難しいようですが太鼓への興味によってその道が開けたようです。
このように,私にとっての福祉活動や国際交流は,学校での学習を土台に自分の趣味を生かしやってこれたと思っています。障害を持っている人・持たない人・若い人・お年寄り,そして国の違う人,みんな同じ地球に住む人間だという事,そして共に生きているという事を今,実感しています。

*チャンゴ・プクは共に韓国の伝統的な太鼓です。


4. 講演

「今,学校が問われている 子供・先生のメンタルヘルス

社会の『心』のバリアフリー 〜 各種相談活動を通して〜」

講師 精神医療ユーザー&サバイバー

広田 和子 氏


現在、精神医療を受けているは34万、180万が通院している。
「精神科」というと、社会の誤解や偏見があり、そのために「神経科」に行っている人もおり、それも嫌という人は、「心療内科」に行っている。ただ、言っておきたいのは、精神科に通院している人の犯罪率は低いということだ。だが、放火については残念ながら1割程度ある。

「精神医療ユーザー」とは、精神医療の利用者および利用経験者である。
「コンシューマー」は世界的に使われている言葉でいわゆるユーザー。1960年代から公民権運動が始まりその一連の運動の終わりに障害者への社会運動が展開された。公民権→女性→ユーザー(消費者)運動→障害者となる。このコンシューマーという概念はアメリカで生まれた概念で権利を全面に出しているものといえる。
次に、「サバイバー」というのについて。日本には1600余りの精神病院があり、自分の意志で入院している人が多いのにもかかわらず、その7割の病院には鍵と鉄格子がある。(どなたか、精神病院に行った人がいますか? なんとなく静かで・覇気が無いような)。そうですね、多くの精神科病院は覇気なく、様々な人権問題が起きています。中には死亡事故もあります。そうした精神病院から生き残って社会に生還できた、それで「サバイバル」と言うようにしている。そういう現状があるので、もし、精神科入った人がいたとしたら、その人は決して誇らしげにに語ることはないだろう。

精神障害者とは、厚生省で言うところでは、精神の病で入院している患者34万人と通院している183万人の患者で、合わせて217万人である。いまや18歳以上は50人に一人いるというということになる。
一方、国連のとらえかたは、幻聴、幻視、幻触、幻味などの幻覚、妄想、不眠、無気力などの病気を持っていて、そのために生活しずらい。(お水をもらえますか?)私自身も薬を飲んでいるので、口が乾く、疲れる、この講演の(ように話しをする)場合(この薬の副作用で)14時間の睡眠が必要で、今日も電車の中で横にならざるを得ないという状態です。日本はこの薬の面も遅れていて、薬による副作用が出るのです。
また、退院しても社会に出ていく場所が無いために入院を続けている人がいて、社会的入院といいます。厚生省の基準ではその3分の一がこれにあたるでしょう。でも、欧米並みに改善されれば半分に減るだろう。精神病院に入院していると、鍵と鉄格子の閉鎖社会になっているために患者は浦島太郎並みになってしまうのです。思春期に発病すると社会経験の体験が不足するのです。切符を買う場合、以前は、どこそこまで何枚と言えば駅員が対応してくれましたが、そのころ入院した人が今退院したら、券売機の前でどうしたらよいか呆然としてしまうことでしょう。こうした生活のしずらさがあるのです。
私は精神分裂病だが、1300人に一人の発病率です。特に思春期に発病すると退院後の生活が難しくなります。
さらに国連の見解によると障害者は社会的な不利益を持つとしています。そのために国連は、その障害者に対して支援しようとしています。日本でもそうするようになってきました。つまり私は国連からも政府からも支援されているということになります。

ところで、私は、やはり学校だと思います。こうした講演会を持つような対応をしてくれた(横浜市の)教育員会に新たな思いがある。

私の経験だが、小さいときに、私の髪は茶色っぽかった為にいじめられた。そのときに母に無理矢理に連れられて学校に行ったときに、1年の先生は私を、「よくきてくれたね」、と言って抱きしめてくれ、それで学校に行くことができた。2学年、3学年のときは、貧しくて給食費も払えなかったが、先生は、紙でもいいから(集金)袋に入れて出してくださいと、さりげない配慮してくれた。そのさりげない配慮に感謝している。
昔は放課後に先生が一緒に遊んでくれた。児童のエネルギーを遊びのほうに向けてくれた。その後、1983年、出社拒否になって米軍基地でディスコを踊っていた。他の人と同じことをしていないと、個人主義が進んでいない日本では、おかしいと言われるだろう。そんなとき1982年12月24日に自衛隊に行き、パーティをやるべきだと言いに行った。それはある自衛隊員からスパイですか、と言われたのがきっかけだったが、米軍のようにパーティをやるべきだ言いに行ったために、治安に触れたようで、尾行がつくようになった。あるとき、米軍基地に入ったところ、横須賀警察署員から声をかけられ、お迎えにきました、と言われた。ということで、パトカーで横須賀署に行った。当時の私はあまり知識がなく聞かれるまま答えていった。その日は弟が迎えにきた。どうやら話をしている間に私の経歴を調べられたらしい。当時は仕事もしていない、結婚をしていない、という状態だけで政治的な活動をしていなかったのがわかったらしく放免された。しばらくしてから精神科に行ってみないかと声をかけられた。たまたま肉親に精神病院に入院していた人がいて、その人を見舞いに行くといつも外にいて、薪割をしたりしていた。叔父は自分から進んで精神病院に行った人で、何年もタクシーの運転手をしていた人なので、当時のわたしは生活に疲れた人が行くところと思っていたので入ってみた。ところが時期が変わっていて、その施設の変わりように驚いた。鍵と鉄格子の閉鎖社会で、おまけに薬漬けでもあったのだ。
そんな中で、一緒に病院にいた人に不登校の中学生がいて、不登校で精神病院に行くのかと驚いた。それが不登校について考えるきっかけになった。
私は、注射の医療過誤で薬を飲まないと眠れない体になってしまった。今は毎日14錠も飲んでいる。医師のインフォームド・コンセプトが進んでいないのだ。
当時のカルテを見ると、注射を打つ必要はなかったという。「精神分裂病」という病名が付いていたために打たれてしまったのだが、私はアレルギーだから注射を打たないでくださいと言ったのだが・医療ミスである。

私は93,4年頃から就労しているが、気がつくことは、相談というが、コミュニケーションがとれないことが多いようだ。中には相談をしたいのか話しをしたいのかわからないようなものもある。それでも話しを聞くのだが、話をしながら相手に共感し、共有できるような相談を「ピュアカウセリング」と称している。私は(会社に勤めていた頃)アポインターという仕事をしていたので、相手が何を話したいのかを聞きとることに慣れていたのだろうか。今は心の福祉センターで(821ー6060)働いている。
相談される方の中には精神科のお医者さんもいたりします。また相談される方の中には、自分はこんなにがんばっているのに周りに認めてもらえないとか、浮いてしまったとかいうのもあります。もっとも私自身も患者の立場で、患者仲間から浮いているところもありますが。
話し相手がいなかったら、地域の交番(安全センター)へ行くとよいでしょう。私はこのことを県警に申し入れるつもりです。直接対面しての相談を受けるときは、交番の前で待ちあわせをし、交番で話をする。意外と警官も親切に対応してくれて、交番で話をするのも手であると思う。
生徒のことで困ったら児童相談所へ行くとよい。しかし、紹介したら是非その相談所できちんと対応してくれたか確かめるようにしてもらいたい。「どうでしたか」「で、どうしました」と聞き返すのです。共有するようにしてもらいたい。
親御さんに直接**に相談してはというとショックに思う方がいるので、そうした場合は各保健所にある医療相談室に行って相談するように薦められるとよいでしょう。もちろん、後で「どうでしたか」というフィードバックが必要です。

今、みている(教えている)子供さんの可能性を信じてもらいたい。可能性は人との出会いから生まれると思う。私自身が良い例と考えてみてもらえば。私も多くの人との出会いから今の私になることができた。
アメリカから日本を見てみたら・・・アメリカは日曜はショップは休み。でも、精神相談所は365日、毎日開いている。そこが日本と違うところだ。神奈川にもようやく1つできたところだ。でも、とても遅れていると言える。
どこにいても結局は人間性だ。肩書きや立場ではなく、人間性です。**と**の出会いが大切なのです。

心の健康チェックだが、
食事が美味しくいただけるか
睡眠がとれるか
入浴が楽しめるか
喜怒哀楽があるか・喜びよりも怒りなどが大切ではないかと思います。

では最初に言ったとおり、質問にうつりましょう。どなたか・質問、感想、悩みでも。


Q**小学校 **先生
どこから病気で、どこから健康か
A 厚生省では、実際に病院にかかっている人を病気としている。

Q **小学校 **先生
昨年、1年生を受けもったが、児童が席に座らなかったりと、大変な思いをしたが、保護者は「先生がちゃんとやってくれていないからではないか」、とわかってくれない。そして、自分の子供の実態をなかなか認めてくれない。こうしたお母さんを納得してもらえるようなことは・・・。
今日、話を聞いていて、「コミュニケーション」、「開いていく?」、など・・・私も出したほうがいいのかなと、・・・。
A よくわかります。今は日本では責任を持たない。アメリカのように自己決定、自己責任というのが浸透しているが。日本では親が責任転嫁しているし、・・・・。拒絶されたり怒られた経験がない、そのために責任転嫁が見られている。先生は大変です。教員のメンタルケアについても教育委員長にお話しをしたことがあるのですが、委員長はじっと私の顔をみてから、「だから生徒の話しをじっくりと聞いて・・」、というのですが、(私の話しは)そんなことではないのですがねえ。
**先生、よく話をしてくださいました。

時間になりました。5時までにここを空けなければいけないということですので、これで終ります。

16時57分 講演終了


※ その直後、3人ほどの方が直接にケアを受けていた。お一方は、途中まで出口に向かったが思い直したようにステージの方に向かっていった。教員も病んでいる、それも深く。そう思う場面だった。