一 大岡小学校学校長挨拶
二 司会より本日の論点を提示
視点
子供に期待する能力
本校(大岡小)では、6年間で学ぶ内容を8つのカテゴリーに分類し。5つのわく組みはすべて8つのカテゴリーをもとに行われる。
評価基準は、期待する資質・能力育成の共通土台として設定する。これをもとに、学びの看取り、深まりなどを作成をしている。新しく開発する単元のもとにもなっている。そしてこれを、子供、保護者、教職員3者の理解で進めていく。
三 講演
奈須正祐氏の講演
今、東大の学力低下に関するプロジェクトに関わっている。大学の問題である。確かに大学生の学力は現実にある面では下がっている。他方、コンピューターではわれわれより進んでいるし、ある面のものの見方では上がっているといえるかもしれない。何を学力というかが問題でもある。ただ、従来の考え方では下がっているといえる。しかし、見方を変えると、教養水準があがっているのかも知れない。
何を目指すのかという、何を子供につけさせたいのかというのをはっきりさせていかないと、生き生きのびのびが危なっかしくなっていく。
戦後の教育改革の中で、子供の経験主義が唱えられここでも学力低下が言われたが、そのときどんな面でどのようにと具体的に低下していることを明確に示すことができなかったのが問題であった。
このあたりで、重松先生がおやりになった評価の研究で、子供の巣立ちを看取ることであるが、結局、やり残しになって亡くなられた。学年系統、授業分析などで、一人一人の授業の中でのすだちを看取ることをおやりになった。
学力って何なのかをはっきりとさせることである。学力論は評価論であり、評価論は、教育課程論でもあると思う。学びの履歴を作成すること。の手引き年度最初の計画を4月にたて、学びの履歴を加えながらその総集されたものとして3月に「学びの履歴」が完成するようにしてはどうだろうか。この学びの履歴を考えれば、評価というのは、一人一人の教育課程であり、教育そのものである。
お母さんが子供につけさせたい願いもあるだろう。子供の願いもあるだろう。こういった願いの具体的なもの、それが授業である。したがって実態としての授業そのものが大事であると考えている。
生き生きは大事なことであるが、学びの質も大事である。一部の人はまだ教え込むことの必要性を考えていらっしゃるようだが、おさえつけて教え込んでも、本当の意味で子供の力にはならないと思う。また、生き生きしてればいいのというものでもない。それでは、「はいまわる経験主義」におちいりがちだ。
学力をめぐって大事なことをもうひとつ。
人間性も大事だが、読み書きソロバンが大事という人がいる。かつてアメリカでも同じで、Back To Baseということが言われた。昔にかえれ、ということかも知れないが、それがいきすぎると科学も否定されてしまうかもしれない。実際にアメリカでは19世紀の教科書まで復刻されるような事態もおきたという。
いま必要なのは、どういう学力、どんな項目でどんな力を伝えたいかを明確にすることだろう。
知性とはなにかについて考えたい。
芸術は余裕があればすればよい、という考えがあるが、それはちがうのではないかと思う。体と心を2つにわける、知識・体験を分ける、等々。こうした2者を対立させて考えているが、このように対立させること自体が間違いではないかと思う。
ギリシャのプラトンは知性を昇華して考え、感情や感覚によっらない純粋思考を知性とよんだ。これがヨーロッパの概念のもとになっているといえる。しかし、感情をともなわない思考はありうのだろうか。感情や感覚は知識と一体となり、セットとして考えられるものではないか。ハーバード・リードやアイズナーの論を読むとよい。ものをとらえるのは認知である。
音楽の授業で、よく、情景をもとに音にしてみようというのがあるが、私は好みとしては嫌いです。本質的なものが欠落していくような感じがするからです。一方では体の身体的活動でしかとらえられない知性もある。
評価論は学力論・知識論に通じるものです。「生き生きのびのび」もいいのですが、それでどんな力をつけるのかというのが本質であり、そこを抜かしていてはいけない。その意味で、いまのところ、何で、どんな力をつけるのかといった議論が充実していないので弱いなと思う。
司会が講演の要約をし、お礼を述べる。
高浦勝義氏 講演
ポートフォリオについて。いろいろと評価について言われているが、評価については今年中に、なんとか結果をださないといけないかと思う。
この話の前半で、ポートフォリオについてのイメージをもってほしい。
話の後半はそのねらいの決め方についてとか、総合的な学習の時間からみての評価について考えてみたい。
評価について。3つくらいのパターンの評価があると思う。
ひとつは、「指導した後に評価」。「指導 即 評価」、つまり「指導〜評価一体化(教師中心か)」(「指導と評価の一体化」)、「学習と評価の一体化(やや子供中心)」というものがある。ポートフォリオはどちらかというとこちら(学習と評価一体化)だろうか。
知識がまた問題で、大学で試験をすると落ちる。どうしてこんな教育をしてきたのか。長年培ってきた知識というのも、たとえば旋盤などの知識も役にたたない時代になった。(※実際は、かなり高度な加工技術は手作業が要求される。記録者
注)。では、知識とは何か。
関心意欲が測定できないからネグレクトしていくのか。そうとは思いません。私たちは教科で態度形成していないかというとやっているでしょ。
これまでいろいろな問題が出てきて、そこから出てきたのが、観点別の評価でしょう。私は、今の観点別は良いのではないかと思っています。ひとつのことを学習しのみ込むということは、他の4つの観点も生きていることなのです。
生活科等では、指導をする過程で資料を集めたが、いろいろな資料をたくさん集めた結果使いようがないということになりがちでしたね。学習の状態を先生が「めあて」をもって細かく書き込んでいますが、それは、教師が自分の指導をチェックするためでもあるのです。教師が子供のどういうことを書くのか、記録用紙のある子供の欄に「しっかりと調べる」と書いたとしたら、子供がしっかり調べる過程でどういう資料を使うのか迄を想像することが大事です。
ポートフォリオというのは入れ物です。子供が教師の思いにしたがってどういう活動をしたか、という学習の履歴です。
よく今日のことについて書きなさい式のことをやりますが、子供からは「また書くの」という言葉が出るかもしれない。そんなときは、子供がポートフォリオの意味がわかっていないからです。教師にとっては「指導と評価」という考えがが強いはずなのです。先生が一生懸命に考えてやっている評価を、子供があたかも先生いなったかのように学習のめあてを作ったというようにし、チェックしつついっしょに作っていくのです。そのために活動の視点や計画の立て方などを指導しておくのです。
もうひとつ大事なことは、子供に書いてもらった資料を授業の中で使うことです。こうすることでいい加減なことを書いてはいけないと子供は考えるでしょう。
目標、ねらい、評価の方法をあらかじめ子供が知っていて学習にはいることが大事です。何が目当てか、何ができるとよいか、を子供が知っていることです。先生が持っているものを開陳しながらやっていくのです。
今日の授業では・・・。朗読で、、もっと上手になりたい点は、とカードに子供が書くことで、朗読を聞き取るめあてができる。これが先生のそれと近ければよいが、それはともかく、子供の視点がそれでできる。授業で、朗読の練習が始まったが、それは、その人の気持ちで練習したのかもしれない。それを気付きというのかもしれない。そこで、またカードに書いてもらう。そのときに「また書くのか」ということになるかもしれないが、新たに目当てができたり確認できたりすることもあるでしょう。
もし、先生の目当てと子供の目当てがちがっていたら、授業がちっともわからんとううことになるだろう。
目当て、成果、などをセットしたもの。時々モニターしたり、相互の相談のうえではずしたりができる。
ポートフォリオというのは、要するに補助簿を丁寧につけていくと思えばよいのです。ポートフォリオというのでわからなかったことは、先生が考えていることをお自分の目当てとしてどう組み込んでいくのかが難しかった。そういったイメージをもつといいだろう。
司会
評価観を変えていく中でその延長で考える。こどもの学びをどうとらえるか、学習の学びを評価をどう一体かするか。
では質問や意見を。
四 質問・討論
○単元開発でどういうところに興味をもっているかという掘り起こし、その気にさせる、こだわりを継続発展させるには。
長いスパンで考えて。いろんな場面で勉強するが全部が全部ということでなく。こう考えてはどうか。観点のひとつが動けば他の4つも動いていると。
自分の活動を展開する子をめざす。よくわからないから意欲が無いと考えるのではなくて、次に何をしていけばわからないから、点があがらないと考えたい。点が低いから学習意欲がない、と考えるのではなく、何をすればいいかがわからないからではないか。まあ、長続きするよう。自己評価していけるようにしてみてはどうでしょうか。
もうひとつ。
生活科の読み直しをしてはどうでしょう。
子供に書いてもらう質問の項目で、めあてがまじめにやりましたか、と聞いている項目があったとしたら、その項目をなぜ設定したのか、そこから何を読み取ろうとしたのか、点数をおつけるとして自分ならその反応に何点つけるか、という視点でもう一度読み直してほしい。
○書くということで。子供が書いてよかったということを感じることで書くことのよさがわかる。これまでの資料で、書いてよかった、という資料があったら。
加藤こうじさんと安藤さんが書いた本の中で事例がある。私は3回か4回もよみ、十分に行間をよみとったつもりで今考えているが。
学校場面以外では子供は自分の行動をモニタしながら動いている。自分で考え、自分で動いている。そのことを書いて、と言ったら、多分いっぱい書くだろう。学校の外では毎日、問題解決しているはずです。それがなぜか学校にくると忘れてしまうのです(笑い)。
社会、家庭、学校でやっていることなど内容を見直しをする。自分の生活では生き生きしている。普段着の子供を出すように。
奈須氏
活動するなかで、よくあることですが、最初に考えたことを忘れてしまう。最初に考えたこと、毎回考えたこと追求したことを記録しておく。奈良では学校に入ったその日から日記を書くことを指導するが、こうした、書くことをすすめたい。最初は穴うめ式でもよいから。ぼくの今日を記録することがめあてなんだが。内省することから、教科での自分を自覚するようになる。その時の自分と対話るようになる。
追求するときに途中で袋こうじに入ることがある。そのときにポートフォリオを出し、最初の記録から、目当てやすること等を確認することで、どこがちがうかを言葉に定着することを教師が手伝うようにするのです。
書いてあっことで振り返る、自分探しができるように、過去と現在、未来をつなぐものが必要でしょう。
高浦氏
今日の授業で、お願いしたいこととあった。この中で、もういちど振り返ることができる。足りなかったこと、失敗したこと、やろうとしたことが変容していくことが見えてくる。そういう目で先生方が書かせていない。セーフリクレクションの資料である
奈須氏
社会か見学に行ったとします。インタビューをしに行ったが混んでいてできなかった。自分としてはこういうつもりで行ったがインタビューができずにだめだった。そういう報告で教師も子供も満足するのではなく、つまり現状認定をするのではなく、こうこうこういう状況だけれど本当にこれでいいのかということを考えるようにするのが大事でしょう。そして、そのことを記録していくのです。
見学後の授業で「トラブルがなかったか」というはつもんがありましたが、トラブルの意味することに、教師と児童にすれちがいが見られたようです。そのときのことをきちんと再現するようにさせる、そんな助言が生きてくるのです。どう解決したかを記録していくように習慣づけるのです。考えたことを子供がどうすればやるか、を考える。のです
奈須氏
そういう意味で日記は良いのでは。教師も日記をかくといいですよ。じぶんが考えていること、変容、変容のきっかけになったことがよくわかる。子供にやらせるからには自分もやるくらいでなければ。
高浦氏
アメリカでは先生もやっている。アメリカではこれをティーチング ポート・フォリオという。
自分をモニタするときにどういう観点からモニタするか。最低、共通に振り返るためのものが必要だが、それが大岡小学校の4つの観点かと思う。
17時47分 終了
話言葉というのはそのまま記録したのでは意味が通じないので、一部脚色。