1 今、なぜ「横断的・総合的な学習」なのか
@ 人間の成長にとって欠かせないもの
ヒトは母体の中で、生命の発生の過程から三十数億年の進化の過程を10か月に短縮して産まれるといわれている。そして、人類の進化とともにもたらされた人間の知恵の営みとしての文化・学問の発展の過程を、子どもたちは何年かに短縮して学ぶことになる。
こんな話が残されている。「『奇跡の人』ヘレン・ケラーの師、サリバン先生は指文字で数多くの言葉を学習させたいと考え、触覚で物の姿を教えたが、視覚と聴覚がまだ健常だった頃の実体験と結びついた言語「WATER」という名前を思い出すまではなかなか成功しなかった。」
このことは、子ども達を取り巻く家庭・地域・社会・自然などのすべての環境と彼らの思考を結びつける様々な言語が、実体験と結びついていなければならないことを示している。
A 教育の役割は総合的な人格形成にある
かつて、子どもたちは学校外で多くの事象や現象に触れ、様々な情報が実体験とともに周りにあった。「驚き」「喜び」「不思議」といった様々な感性の働きとともに、教科への関心の高まりがあり、総合的な人格の育成に教科学習を中心とした教育が大きな役割を果たしてきた。
今日、子どもたちの家庭や、社会環境までもが、言葉や映像・実験・演奏などの準備された間接体験で満ちあふれている。かって得難かったものが、今日得やすいがために、教育的な価値を見失いがちである。学習の中に「発見」「工夫」の喜びを形成し、子どものおかれた学習環境を最大限生かし、総合的な人間の形成を図ることが学校の今日的役割であると考える。
B 「横断的・総合的な学習」提唱の意味はどこにあるのか
「横断的・総合的な学習」はまず中央審議会答申で提唱された。そこでは、国際、情報、環境、福祉などをテーマとして掲げ、現代社会におけるさまざまな問題と関連させ、今後の教育における方向性を同時に示している。それはあらたな視野、即ちグローバルな視野に立ち、科学のさらなる進歩・発展を目指し、人類と自然の新たなかかわりを探ることでもある。
「横断的・総合的な学習」の主たる目的は、人間の存在する地球と地球を取り囲む宇宙を含んだ大自然と人間のかかわり、人間と人間とのかかわりを絶えず意識しながら、子ども自らが広い視野に立って、ものごとを見つめ、問題を見いだし、考え、行動を起こさせることにある。
C 「生きる力」を培うための「横断的・総合的な学習」
また一方、中央教育審議会は「生きる力」の育成を提唱している。それは、「変化の激しいこれからの社会に生きる力」とされているが、その一つには、変化の激しい社会に埋没し、自己を見失いがちなことへの対応も暗に示している。主体的な学びの姿勢、一人一人の存在を確かなものにし、「生きる力」を模索することにある。
そこで、「横断的・総合的な学習」とかかわって同時に課題となっている各教科のあり方についてまず述べることとした。
(1)「横断的・総合的な学習」と国語科における学習
@国語科指導でねらいとする表現力の育成とは
小学校の国語科は、日常生活に必要な言語能力を育て、豊かな言語感覚を養っていく教科である。とりわけ今日においては、思考力や判断力とともに、ことばによる表現力の育成が重要な課題になっている。
表現力の育成とは
ア自分やものごとをしっかり見つめる力
イ表現しようとする意思
ウ話したり書いたりできる能力
・・・・を育てること
国語科における表現力の育成とは、子どもが、自分やものごとをしっかり見つめ、表現したい内容を持ち、目的や相手をはっきりさせて話したり書いたりできるようにすることである。そのために現行の学習指導要領は「理解」と「表現」に分かれている領域の指導事項を一体的に捉えて、子どもの主体的な活動を組み込んだ国語科の授業づくりを求めている。これは、従来の国語科授業が文学作品の詳細な読み取りに偏重してきた結果、国語嫌いの子どもや、自分の考えを目的や相手に応じて適切に表現することのできない子どもを生み出したのではないかという反省からも、強調されていることである。
表現単元学習をとおしての「理解」と「表現」の一体的な学習
A表現単元学習によって子どもの意欲と主体性を引き出す
「理解」と「表現」の一体的学習の一つとして、国語科において表現単元の学習と呼ばれる学習活動が取り組まれるようになってきた。たとえば、教科書の説明文を学習するとき、自分の興味のある題材について調べ学習をし、自分の考えを入れて説明する活動を取り入れる。説明文として文章表現したものを読み合って相互評価したり、図や絵にまとめ直したりして発表会を行うことができる。大切なことは発表会のあと、また、次の課題を持つということである。こうして、また、次の疑問や課題が生じると、課題設定に始まる学習の循環が螺旋的に発展していく。
このような表現単元の学習は、自ら書いたり、話したりする活動をせざるを得ないので、子どもの興味・関心に基づいた意欲や主体性を引き出すことになる。また、自分の課題に従って学習していくための計画を自分でつくり、その時間の終わりには自己評価をして、次時の活動を明確にするという過程を繰り返すことにより、学習がその子自身のものになり、学び方をも学ぶ。さらに、学習活動の中で情報交換の時間を設けたり、発表会を適切に運営したりすることによって、内容に関する交流と同時に、言語技能の諸側面についても子どもたちが相互に評価をし合うことができる。
重要なことは、そのような学習活動の中で、指導者は、国語科としての目的と指導内容を明確にもち、意識的に指導していくことである。
横断的・総合的な学習」によって、国語科における指導も改善が求められる。
横断的な学習の道をとるにしても、総合的な学習の道をとるにしても、これらの学習は、テーマ(主題)があることと、学習活動が子どもの意欲や思考の流れにそって展開されることに特徴があるが、これは国語科においても取り入れられなければならない視点である。今回の実践事例は、「総合的な学習」の実施によって、国語科の授業スタイルや指導方法の改善が一層迫られることをも明らかにしている。
(2)社会科にとって総合的な学習とは何か
@ 社会科学習とのかかわりでどう考えるか
教育課程審議会答申での教育課程と授業時数に関する資料によれば、第3〜第6年の週3時間、年間時数105が、第3学年70、第4学年85、第5学年90、第6学年100となり、トータルでは420が345となり、18%減となる。一方、新設される「総合的な学習の時間」は、第3学年105、第4学年105、第5学年110、第6学年110であり、合計430時間ほどとなり、これまでの社会科の時数よりも多い。
さらに先に触れたように、国際、情報、環境、福祉、人権の各テーマは、社会科の課題解決型指導において踏み込んできた領域である。社会科を主なる研究教科とし、子どもの生活に密着した多様な学習材の開発に努力してきたと自負する者にとっては、「総合」は魅力あふれる実践領域である。ここに、落とし穴がありはしないか。系統主義がとってきた配列内容重視の立場を引き込んでしまえば、失地(削減時間)の代替地を「総合」に求めようする安易な妥協点にたどり着いてしまう。この道は、教科としての社会科にとってマイナスのみならず、「総合的な学習」についてその本来の趣旨を生かすことにならない。
Aこれからの社会科のあり方と総合的な学習
この半世紀の社会科は、子どもの人格形成に直接かかわる教科として、それに携わる者に絶えずその責任が自覚されてきた教科である。同時に、時代の流れの影響を受け、指導内容が形作られてきた教科といってよい。人格形成の課題と学年に応じた指導内容をどう組み込んでいくかのジレンマが系統主義と経験主義、教科主義と生活主義の対立をつくり、指導内容中心と育成目標中心のゆらぎの幅をつくってきた。
今日、社会科学習に問われていることは、「何を教えるか」から「どんな子どもを育てるか」への重点の置き換えである。言葉を換えれば、社会科を内容教科として見るのではなく、目的教科としてとらえ、学習方法の工夫改善や新しい教材開発に取り組むことをめざすことにある。そこで求められている資質や能力は、1)直面した問題に対して主体的に的確な判断力を持って対処できる資質や能力であり、そこで働く知識や理解は個々の集積としてではなく、体系的、構造的な知識や理解力であり、2)学び方を学び、学習技能を豊かにし、学習成果を情報として交換できるコミュニケーション能力の高まりであり、3)自らの目的を持った学ぶ意欲の高まりなどである。
この立場に立つならば、子どものトータルな人格形成に社会科教育が果たすべき役割を明確に自覚することができる。さらに、総合的な学習領域においても社会科学習で身につけた学習技能をどう生かすかの展望が見えてくると考える。
B「横断的・総合的な学習」と表現力の育成
これまで、表現活動を狭く理解する立場からは、表現活動とは資料活用の出口としての発表会などを指し、二次的なものととらえられてきた。また、育成すべき資質や能力を細分化してとらえ、達成状況を個別のフィルターを通してとらえる傾向があった。これからの表現活動の指導の観点は、重層的にとらえ、表現力が育成される過程を、思考力、判断力が育成されていく過程と重なり合うととらえることが妥当と考える。活動の具体を図に示すと下図になる。
−−− 活動の具体 −−−
A 話し合い、発表、討論、ディベートなどの・・・言語による
B 見学カード、学習カードなどの・・・・・・・・文字による
C 買い物地図づくりなどの・・・・・・・・・・・図や絵を使った
D 立体模型地図づくりなどの・・・・・・・・・・ものづくりによる
E 劇化やごっこ活動などの・・・・・・・・・・・身体を使った
F パソコン、カメラ、ビデオなどの・・・・・・・情報機器を活用した
表
現
活
動
(3)総合的な学習と算数科とのかかわり
@算数科における表現力の育成
「紙の上に再現できる」ことが学力か
過去の算数指導といえば、「計算ができる」「角度を求めることができる」「面積を求めることができる」といった「計算する、技能を獲得する」ことであり、学力とは、子どもたちが過去に学習した内容を、どれだけ忠実に紙の上に再現するかに重点がおかれていた。
このような学習では、子どもが算数におもしろさを感じることは少ないであろうし、算数を学習する意欲を失わせ、ひいては算数嫌いを増やしていくだけでしかない。このような状況から抜け出すためには、知識詰め込み・技能重視の算数指導から、子どもが考える楽しさ・学ぶ喜びを感じる学習指導へと変革していく必要があろう。
事象から数学的抽象性を感じとらせる表現へ
算数・数学はもともと抽象的な内容が多い。したがって、身の回りのいろいろな事象の中で、各自の体験を通して疑問をもち、数学的な課題を見つけ出すことがまず必要となる。
その後、子どもの思考の中では、視覚、触覚などの感覚に裏付けられた言葉や図などを通して子どもなりの数学的イメージを自分の頭の中に描きこむという作業が行われる。すなわち、事象の中に数学的な何かを感じ、そして、一般的な表現をより数学的なイメージとして表現するという2段階の「表現活動」が行われているのである。「あれ?おかしいな」「この方法でいいのかな」「これだな」というつぶやき、ノートに乱雑に描かれた絵や図、そして一見問題とは関係がないような言葉のすべてを「子どもなりの表現」ととらえ、その表現に潜む「数学的本質」を、教員の支援及び子ども同士の数学的なコミュニケーション(表現)を通してより深化させ、そして、それらの表現活動を通して、数学の世界・抽象の世界へと入っていくのである。
「表現」は相手に分かりやすく伝えるというコミュニケーションだけでなく、各自が自分の考えや思考過程を自分なりに整理し、数学的イメージをより確かなものにすることであり、友達の考えを聞き、よさを取り入れることで自分の考えをより確かなものとするために、子どもの表現力の育成は欠かすことのできないものである。
A総合的な学習と算数科との関連
今日的な課題に数学的表現は必要不可欠
総合的な学習の時間として、国際化、情報化、環境問題、高齢社会への対応等があげられるが、そのすべてにわたって、今以上に数学的な考え方が必要になってくると考えられる。すなわち、異文化理解で他国の文化や風土を学習するとき、ゴミの量や二酸化炭素、ダイオキシンなどの有害物質の空気中に含まれる量を調べ、その増減を予測するとき、また、福祉の現状や将来の年齢構成を調べるときなど、調査した資料を目的にそって整理し、他者に効果的に伝えるためには、統計的な考え方や表・グラフに表すなど数学的に事象をとらえる力と数学的表現力が必要となる。将来の予測を考えるなら、見通しを立てる意味でも、さらに関数的な思考力も要求される。
思考力と表現力が結びついてこそ総合的な力
このように、総合的な学習において、その内容を深めるためには、数学的な思考力と表現力は不可欠なものである。また逆に、算数・数学を生きたものとするためには、子どもが数学的な側面に目を向けていくことができるよう配慮していかなければならない。
今回示されたテーマの多くは、数学的手法を用いることにより、さらに、内容や表現方法を深めることができると思われる。
(4)「横断・総合的な学習」と理科とのかかわり
@総合的な学習と理科
中央教育審議会答申で示されている「総合的な学習」の内容のうち、自然体験については、従来から理科の学習の中で重要な位置をしめているものである。にもかかわらず、今までの教科の授業ではさまざまな制約もあって十分に扱われていたとは言えない。また、近年の生活環境や生活様式の変化によって、子どもが、日常生活のさまざまな場面や遊びのなかで、ありのままの自然の姿や自然界の現象を体験する機会は非常に少なくなっている。環境教育の面では、理科からのアプローチとして、身の回りの自然環境や現象を調べることによってさまざまな問題意識を持たせることができた。また、その解決策を科学的に考えさせることもしてきた。しかしこれも、環境保全のための態度の育成という点において、教科の中だけでは満足のいく十分な学習成果が得られない。
A自然体験は総合的な力
ここで、これらの課題の解決の一つの糸口として、理科から、総合的な学習へ積極的に乗り入れることが必要であり、その核として「自然体験」と「環境」を位置づけることを提案したい。
「自然体験」においては、理科の学習として、きまった観察を目的とするのではなく、子どもの興味・関心に応じて自然の中で活動させることにより、自然と肌で触れ合うようなゲーム的な取り組みや自然の中で遊ばせるような取り組みが必要であり、それらを通して自然のしくみについて気づかせることが重要である。このような、教科の限られた時間ではできないことが、総合的な学習では可能になる。また、飼育・栽培・ものづくりなどの活動を観察の手段とするだけではなく、それらを通して生命の大切さを学ばせ、さらには勤労生産的な活動の喜びを味わわせる場とすることが可能である。さらに、よりよく育てるには、よりうまく作るにはどうすればよいかを、考えさせることによって、問題解決能力の育成にもつながる。
Bフィードバックと積極的な乗り入れを
「環境」においては、理科の枠をとりはらい、地域の環境にはたらきかけることにより、社会科や家庭科との教科間連携が図れるばかりでなく、人として生きる権利にもふれた学習が可能である。
〔積極的な乗り入れ〕→
理 科
自然体験
環 境
総合的な
学 習
←────〔フィードバック〕
「総合的な学習の時間」におけるさまざまな活動には、理科の(理科にかぎらず各教科の)学習で獲得した基本的な知識や、科学的な思考の方法が生かされるのは当然のことである。さらに、総合的な時間で身につけた、自然事象に対する先行経験や自然への興味関心や問題解決能力は、教科としての理科にフィードバックして教科の学習に対する子どもの姿勢を変え教科の目的の達成にもつながるであろう。
(5)「横断的・総合的な学習」と体育科における学習
−−− 知識・技能獲得的な結果重視を越えて −−−
@「強制された学び」からの脱却
これまでの体育授業では、技能を中心に教え、それを評価してきた傾向がみられた。この技能は「学んで結果的に得た力」であって、いわば「見える学力」であった。運動技能やルールを教員が教え込み、子どもがそれらを受け身で学んでいく傾向がややもするとあった。このような授業では、自己選択の機会が減少し、「強制された学び」にもなりかねない。
教員からの一斉指導で、子どもたちを共通にゴール(到達目標)に向けてしまうことで、結果的に「できる子」と「そうでない子」をつくってしまったのではないか。あるいは、授業の内容が理解できなくて、子どもにとって学校が楽しいところではなくなってしまったのではないか。
A主体的な学習活動の確立へ
「横断的・総合的な学習」は、知識・技能獲得的な結果重視の教育から、子ども主体の教育として学習課題解決への追求活動が主体であるプロセス重視の学習活動をめざしている。
子どもが、自ら進んで考えたり工夫したりしながら主体的に学習活動を展開していくような授業づくりには、それぞれの運動のもつ楽しさや喜びに触れるような活動を重視することも欠かすことができない。活動がおもしろい、楽しいという気持ちが主体的な活動を可能にするエネルギーになるからである。特に、子どもが、今もっている力で、運動が楽しい、運動ができるようになったなどのそれぞれの運動の楽しさや喜びに触れる活動を十分に提供することが求められる。
B仲間と豊かにかかわる活動を重視
人と人が身体ごと触れ合うことや、互いに向き合い、たくさん語り合うことなどは、人間として不可欠であり、仲間と同じ空間で過ごす「学校の役割」が大切である。本事例(冊子参照)における、器械運動は、個人的な運動であることから、一人一人の挑戦する技に違いが生じることがある。このような場合でも、挑戦する技のレベルの高い低いはあるが、一人一人の力に合った技への挑戦という見方をすれば、お互いの活動は同じような意味があり、それぞれの挑戦や頑張りを認め合うことも可能になってくる。
このような運動場面での多様な仲間とのかかわりの中で、勝った喜び、負けたくやしさ、相手をたたえる気持ち、仲間の失敗を認める思いやりなどを体験することが、仲間と豊かにかかわる活動の楽しさと大切さを感じ取り、仲間と共に次の目標やめあてに向かって主体的に取り組むことに結びついていくと考えられる。
C自らの学習方法と表現方法の発見にねらいを
学習の過程を重視した表現活動を行った事例では、マット運動という題材を基に、特別活動において「マット運動を学習するのは、なぜだろう」という題で、討論会を実施している。
お互いの意見を出し合う中で他人の意見を尊重し、自分の意見を人に正しく伝えることのできる能力(言語表現)を育て、そして、体育の授業において、自分たちのできる技能を把握し(身体表現)、自分たちで「めあて」を設定している。また、図工の授業で、そのめあてとする技を、クロッキーで絵画表現している。さらに、これらのことを基とし、体育の授業で「めあて」学習を推し進めている。すなわち、副読本、学習カード、VTR等を活用しながら自分たちの決めた「めあて」に向かって、お互いが身体表現と言語表現の能力を高め合いながら学習を進めている。
体育科を中心に据え、特別活動と図工科をクロスさせる教科横断的な学習を通して、学んで得た知識・技能が、生活に生かされるという「認識」と「行動」の統合が図られており、総合的な学習の優れた実践例を提示していると言える。
(6)「横断的・総合的な学習」と図画工作科とのかかわり
@表現を通して
これまでの教育実践の多くは「表現」を、子どもが獲得した知識や、また、感情を示す方法としてや他者とのコミュニケーションの道具としてとらえてきた。子どもは学びとったこと、感じとったことの結果を「表現」し、その表現の喜びを味わうものである。この「表現の喜び」の質的内容は、身体活動の喜びであり、創作活動の喜びであり、子どもにとっては獲得したものを示せる喜びと考えられる。「表現」が、学習結果の表現であるならば、これまでのテストや学習ノート等とともに「表現」が評価資料となる。加えて表現リテラシーも評価の対象となるであろう。
図画工作科が目標とする「表現の喜び」は、手を動かし、身体を使って描画材料や素材と意味なく遊ぶことであり、描かれた色や線、並べられたり組み立てられた素材に意味付けをして表現欲求と結びつく楽しさや喜びである。学習の「結果」としての「表現」だけではなく、学習の「過程」としての「表現」活動に意義を見い出そうとしている。
学習指導要領に示されている図画工作科の目標が「表現および鑑賞の活動を通して…」とあるのは、この教科の性格を示しているとともに、表現に長年係わってきた実践やH=リードらの研究をもとに「表現」それ自体の性格も示している。
A表現する子ども
表現する子どものなかで起きている活動の一つは、子どものレディネスが、制作する身体を制御するばかりでなく、身体の活動が脳の活動を活性化させ、様々な知識や能力を結び付けたり分化させたりしながら新しい概念を構築していく変化である。
同時に自己評価の活動も行われている。表現されたものを見つめる子どもは最初の鑑賞者であり、表現されることで、自己の感性や想い、個性を客観視しているのである。
また、自己教育力の育成の源とも言える。「気づき」「想像」「試行」の表現が、より確かなものを求める欲求を呼び起こしたり、新たなことを思いついて試そうとする行為を起こさせる。このような表現欲求は表現技術等の基礎的な能力の獲得欲求をも生み出している。
B豊かな情操を養う
人間感情の一種を指す「情操」は、よさや美しさ、優しさなどに向かう最も人間らしい意思や感情などのことである。子どもが学習する全ての事柄は、子どもが本来持っている、自分でいろいろなことをしてみたい、確かめたい、楽しみたい、喜びを味わいたい、より良く生きたいなどの人間の基本的願望に働きかけ、実現させていく力となるとき、豊かな学力となる。図画工作科が目標とするところは、造形的な創造力や思考力、判断力のみに止まるのではなく、「情操」を養うこととしている。すなわち、ものごとの本質やよさ、美しさなどを深く感じとったり、それらを目指して自ら行動する豊かな学力の獲得を目標なのである。
このように、学習活動の全過程にわたって、表現を通して豊かな情操を養うことを目標としてきた図画工作科の教育方法は、横断的・総合的学習を実践するに当たって、研究されるべきであろう。
H=リード(Hebert Read,1893-1968,英) 造形に関する批評活動と教育理念の構築につくし、今日まで、多くの造形教育家に思想的影響を与えつづけた。