1999年(平成11年)11月28曰(日曜日)
新学習指導要領の目玉である「総合的な学習の時間」に対し、現場には様々の期待と不安が交錯している。日本総合学習学会会長を務める上野健爾京大教授に、「総合的な学習の時間」の課題を寄稿してもらった。
新指導要領は、新たに導入される「総合的な学習の時間」の狙いは、
@自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる
A学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする
ーーことであると述べている。この狙いは教育そのものが本来目的とすべきものであり、「総合的な学習の時間」を従来の教科学習の時間を削減してまで作らなければならない現実は、教育の荒廃の表れといえよう。
事実、最近の大学生の多くはこの二つを身に付けずに大学へ入学しており、.大学教育が十分に行えなくなっている。大学生の学力低下の本質はここにある。最近相次いだ、東海村の臨界・事故も、JR西日本のトンネルのコンクリート亀裂の点検漏れも、H2ロケットの失敗も、「自ら考え、主体的に判断」できなくなっている多数の大学生の存在と無関係とは思えない。
希薄な新指導要領
生徒が中心になって主体的に学習していく「総合的な学習の時間」は、今までの初等・中等教育になかった新しい試みではあるが、問題点も大きい。ほとんど何の準備もないままに、来年度から試行的に導入されることになっており、現場での戸惑いは大きい。
さらに、これに追い打ちをかけているのが、新指導要領による教科学習内容の希薄化である。新指導要領はゆとりの教育をうたい教科内容を厳選したが、授業時間も大幅に減少し、基礎学力の低下を招きはしないかと深刻な疑問が提出されている。生徒が主体的に学ぼうと思っても、それを裏付ける基礎学力がなくては自ら学ぶことは不可能で、基礎学力の充実なくしては「総合的な学習の時間」は死んでしまう。
「総合的学習の時間」が従来の教科学習と根本的に異なるのは、授業の内容や組み立てに関し地域や学校の特色を生かし各学校の主体性に任せる点である。また、点数によらない生徒の評価も求められている。これは、これまでなかった試みであり、ここから初等・中等教育の新しい流れが出てくることが期待される。
しかし、ただでさえ多忙な教育現場で、人的にも資金的にも十分な援助がないまま学校の主体的な取り組みばかりが強調されても、こうした試みが十分に成果をあげるとは言い難い。荒廃の背景に安易さところで、現在の教育の荒廃を知育偏重に陥ったせいであるという論評をよく見る。だが、私には現在の荒廃は知育がきちんと行われていないことに起因するように思えてならない。知育とは事実を教え、暗記させ、テストで良い点をとらせる教育を行うことではなく、考え方の道筋を生徒一人ひとりが学び自分のものとすることにある。しかし、現実にはテストでよい点数をとることのみが教育の成果と見なされ、生徒自らが考える努力は推奨されない。生徒たちは驚くほど本当の学問に飢えている。真の学問は、生徒一人ひとりの魂に語りかけ、興味をわかせ、学問に対する畏(い)敬の念さえ抱かせる力をもっている。教科の持つ真の学問的背景を忘れ、安易な教育が行われていることこそ教育の荒廃なのである。
このような観点からは、「総合的な学習の時間」の導入は、「自ら学ぴ、自ら考え、主体的に判断する」先生であるか否かを生徒の前にはっきりと表させるリトマス試験紙の役割をするであろう。生徒は先生を恐ろしいほど冷静に見ている。「自ら学び、自ら考え、主体的に判断する」先生でないと生徒が判断すると学級は崩壊するであろう。生徒に「自ら学び、自ら考え、主体的に判断する」ことを要求する前に、先生が自らそのことを実行する必要がある。「総合的な学習の時間」では先生の学力の充実こそがまず必要とされる。それと共に,分からないことは分からないと生徒にはっきり言える先生でなければならない。学問に不誠実であることは教育に対しても不誠実ということである。
私は「総合的な学習の時間」は実は先生の学習の時間でもあると考えている。先生は、自己の専門を基礎にして、そこから生徒と共に、しかも生徒以上に深く広く学ぶ必要がある。
このように考えれば、「総合的な学習の時間」の導入は混迷する教育に新しい光を投げかけるだけの力を持っているといえるであろう。しかしながら「総合的な学習の時間」が、生徒の基礎学力の不足から、ともすればイベント的、お祭り的な時間に終わることが最も心配される。例えば、環境問題の学習と称して学校近くのゴミを拾い、それでよしとすることなどがその最たるものである。ゴミを拾うことだけでは解決できない重大な問題があるからこそ環境問題なのである。
こうした事態を少しでも緩和し、「総合的な学習の時間」を意義あるものにするために、日本総合学習学会が昨年発足した。二十七日、二十八日の両日、東京大学数理科学研究科(駒場キャンパス)で第一回年会を開催している。
会員の活動の発表を通して、これからの総合学習のあり方を皆で考える会合にしたいと期待している。特に、小学校から大学の先生までが一堂に顔を合わせ、専門分野を越えて議論し、助け合うことのできる場を提供することができることは画期的な試みといえ、こうした試みの中から、教育再生への新しい動きが芽生えることを期待している。
今、全国の小中学校の大きな関心事の一つが、「総合的な学習の時間」をどのように自校で展開するかであろう。教師向けに総合学習の解説本が相次いで発売され、公開実験授業を行う学校には数多くの見学者が訪れる。「環境」をテーマにした総合学習の実験授業に取り組ん.でいる公立中学教師は、
@予想以上に生徒の興味・関心や問題意識は高い。これをいかに高めながら個人のテーマに沿った学習計画を自ら立て問題解決を進める力を養っていくか
A創意工夫を生かした授業とするには、教師と地域の連携が欠かせないBテーマに対し、個々の教師が問題意識を持つとともに、研修や研究が必要
C図書館などの整備推進
ー-などの課題を感じ取っているという。ただ実際には、学校の中で総合学習に熱心なのは「担当」になった教師だけで、一般の教師の関心はそれほどではないという話もよく聞く。前出の教師も「実際に授業を進めてみると、担任教師の姿勢の違いなどによるのか、他の授業に比べて学級差が大きいように感じる」と言う。新指導要領への移行措置で、準備の整った学校は来年度から総合学習が始まるが、「総合学習は教師の力量を問われる」という指摘が早くも現実のものとなりつつあるのかもしれない。
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