IT革命走る大企業2
「第二の三菱商事を作る気はない。三菱商事を超える会社を作る」。三菱商事の往々木幹夫社長はこう宣言する。来年4月に設立する情報技術(IT)分野の戦略子会社「アイ・ティ・フロンティア(ITF)」のことだ。三菱商事の株式時価総額は約1兆3千億円で商社トップ。往々木社長は「5年後にはITFがこれを抜き去る」と確信する。子会杜で最大級の100億円の資本金を与え、社員数は三菱商事の半分の3000人強。無限の可能性を込めて社名から「三菱」を外した。
結節点に活路
三菱商事を異例の子会社作りに走らせるのは、電子商取引の増殖だ。通産省などの調査では企業間電子商取引の市場規模は2003年に68兆円で、あらゆる商取引の2割強を占める。三菱商事はこの激変をチャンスと見て、ITFとの二頭立て経営で攻める。
「クリック・アンド・モルタル」--電子商取引はパソコンをクリックするだけでなく、(米国でモルタル造りが多い)倉庫や店舗など現実の産業基盤と連動して初めて完結する。2700人の情報技術者を抱えるITFは三菱商事の倉庫や物流などの資産や金融ノウハウと電子商取引を結びつける。
三菱商事は近く運送金杜約50社を組織化、トラック1万5千台の輸送能力を確保する。ITFが運送指令システムを構築、電子市場と運動した物流体制を整える。1700億円出資したローソンの7400店舗を電子商取引に活用する仕組みも作る。
「ネットとリアルの二重構造の結節点で商社の総合力を発揮する」と小島順彦常務は力を込める。ITFは電子商取引が仲介業者の中抜きを加速、商社が消えるという見方に対する三菱商事の回答だ。だが、ビジネスを動かす頭脳にあたるITFが主導権を握るのは間違いない。三菱商事はIT時代を前に、ITFへの脱皮を探ることになる。
三菱商事より過激な"企業解体"に活路を見いだしたのが日商岩井だ。電子商取引に必要な通信インフラやシステム開発の担当部門を「ITX」として4月に分離。その時価総額は日商岩井を大きく超えるとされる。帝人、船井電機などが出資、日商岩井は株式売却益でリストラを進める。
鉄の秩序崩す
伊藤忠商事-丸紅、三井物産-住友商事---。商社の合併・再編を予想する声は強い。だが、現在の業界秩序の延長上にある再編はもう時代遅れだ。三菱商事や日商岩井の動きは一総合商社をいったん溶かしてしまう大きな力が働き始めたことを示す。
電子市場が変化を迫るのは商社だけではない。1901年の官営八幡製鉄所の操業開始から100年。日本の鉄鋼大手と自動車や造船など主要企業は、価格やシェアが固定した直接取引を続けてきた。この国内秩序が崩れてきた。
「取引成立」。8月15日朝、香港の中心部にある高層ビルの一室で歓声があがった。できたばかりの鋼材の電子市場、ライブ.スチールで台湾の鋼材問屋が新日本製鉄製のシームレス(継ぎ目無し)鋼管を二百トン買い付けたのだ。
ライブ・スチールには新日鉄系の日鉄商事が五〇%出資する。新日鉄にとって電子市場を使った初の鋼材輸出だった。この2週間前、新日鉄は韓国・浦項総合製鉄との包括提携を発表。浦項にライブ・スチールヘの参加を申し入れた。
カギ握る戦略性
浦項製品はすでに部品メーカーを通してトヨタ自動車の乗用車に採用も始まった。「ひも付き」という直接取引は日本勢が独占するが、問屋を通した「店売り」市場では浦項がトップに浮上した。電子商取引の普及はこれまでの鎖国体質を一気に崩す。新日鉄と浦項の「世界1、2位連合」が生産分業など大胆な協力に進むのは時間の問題だ。
日本型取引慣行は、仲介業者が複雑に絡み合いながら在庫を持つ流通システムだった。これが「安全」「安心」な取引を保証したが、コスト高を招いた。電子商取引は重装備のシステムを猛烈な勢いで解き放つ。電子市場での勝者を目指して、いかに大胆に自らの事業構造を変えていくか。その戦略性とスピードが厳しく問われている。
2000/10/28/木
IT革命走る大企業3
「本社まで一気に"中抜き。だ」---ソニーの全額出資子会社でビデオカメラなどを生産するソニー幸田(愛知県幸田町)は年内に独自のホームページを開設、パソコンの増設メモリーやデジタルカメラの交換レンズなど約二千品種のネット販売を始める。
顧客窓口を設置
ソニーは今年一月、流通経路の中抜きを狙ったネット直販会社のソニースタイルドットコム・ジャパンを設立。「ウォークマン」や「バイオ」など人気商品の販売を開始したが、ソニー幸田は競い合うように工場直販に乗り出す。「モノを作るだけの工場では利益が外部に流出する。スマイルカーブをハット(帽子)カーブに変えたい」。菅野二二夫社長はこう話す。スマイルカーブとは部品の設計から開発、生産、販売、顧客サービスまで商品化の各過程の利益水準を曲線グラフで表したもの。半導体、液晶、CCD(電荷結合素子)など基幹部品の利益率は高いが、組み立て工程ではぐっと低くなり、販売・物流・サービスでまた利益率が上昇する。
基幹部品が製品差別化のカギとなり、開発情報を握る部品メーカーが組み立てメーカーよりも優位に立った。売れ筋情報や顧客情報を持つ流通業者に組み立てメーカーは従わざるを得ない。こうして組み立て工程の利益は部品メーカーや流通業者に流出していった。
ソニー幸田は販売・顧客・技術情報を握ることで工場の利益をかさ上げし、スマイルカーブを反転させようという作戦だ。これまでも着々と手を打ってきた。
「スイッチを押してみてください」。工場内に約三十人のオペレーターが並ぶ。五年前、本社機能からコールセンターを移した。毎月一万件を超す問い合わせから最新の消費者ニーズをつかむ。この情報を生かすため、製品や部品の開発部隊も工場内に移した。ネット直販進出で、設計、生産から販売、顧客サービスまでの業務が完結する。
「もうかる工場」
「ソニーが目指す情報技術(IT)時代の工場像だ」。「生産基盤の復権」を掲げて今年六月に就任した安藤国威ソニー社長は来年四月、ソニー'幸田を中心に国内十三工場をまとめた生産統括会社を設立する。ソニー幸田をモデルに、各事業部門から工場を独立させ、「もうかる工場」に切り替える。
世界最大のノート型パソコンメーカー、東芝の青梅工場(東京都青梅市)。受注した翌日には出荷できる体制に挑み始めた。汎用メモリーやプリント基板などを入札方式でネット調達するシステムも十月に稼働。海外四工場を禾ットで結び生産状況をリアルタイムで遠隔監視し、最速の出荷ラインを探し出す。
「青梅が情報の交差軸になることで、司令塔の価値を高める」(岩田順一工場長)。デジタルカメラ市場でトップを争うオリンパス光学工業。今年度の出荷計画は前年度比七割増の二百五十万台だが、自社生産するのは二割だけ。大半を三洋電機に生産委託するが、部品設計から組み立てまでの価値の連鎖はがっちり握る。
例えばCCD。オリンパスが機能に関するアイデアを出し、最大手のソニーと共同開発する。新製品の設計情報を開示し、開発資金の一部を負担する見返りに最先端の四百万画素のCCDの独占供給を受ける。
企業の壁超え
レンズや制御用半導体など他の基幹部品メーカーと三洋の工場をネット化、開発や生産の最新動向をもとに毎日の生産量を調節する。変化の激しい市場で常に最先端の部品調達と新製品投入の先陣を切るには、自前主義を捨てて他社工場を自社工場のように機能させる最適協業の価値連鎖の中心点で情報を握る企業が優位に立つ。
「モノ作りは現場に聞け」。カイゼンの積み重ねは日本の製造業の強さの源泉だったが、付加価値の高い戦略情報はどんどん工場外に流出してしまった。どうもうけるのか。ITを駆使した工場再生計画がようやく動き出した。
IT革命走る大企業5
2000/10/1/日
「情報技術(IT)のインフラ整備に大胆な規制緩和策は欠かせない」「議論は必ずIT政策に反映させてほしい」--。九月二十日朝、首相官邸で開かれたIT戦略会議。民間企業トップらは口々に森喜期首相へ注文をぶつけた。
台湾・韓国抜く
ITで日本の競争力復権を--。今の日本は、米政府が一九八○-九〇年代に、自動車、半導体など基幹産業の失地回復を狙い次々と諮問委員会を作ったのに似ている。だが米国復活劇の主役は政府ではなく、民間企業の血のにじむような構造改革だった。
「日本のIT革命でも大企業が旗振り役になるべきだ」。今井賢一スタンフォード大教授は主張する。1Tの本質は経営速度や組織を一変させること。一部だが「新しい経営」をめざす潮流が見え始めた。
「価格競争力で台湾、韓国を追い抜いた。来年中に世界最大の半導体工場になる」。半導体受託生産、日本ファウンドリー(千葉県館山市)の坂本幸雄社長は自信満々だ。ウエハー生産コストは「国内メーカーの二分の一」(坂本社長)。市況回復の追い風はあるが同社の強さは突出している。
同社の前身は新日本製鉄子会杜の日鉄セミコンダクター。細かい案件でも親会杜への根回しが必要で、流れに乗り遅れた結果、赤字決算が続いていた。
社長交代で一変
九九年一月に台湾UMCの傘下に入り米テキサス・インスツルメンツ出身の坂本氏を社長に据えて全権をゆだねると経営は様変わりした。坂本社長は台湾本社とネットで情報交換し、本社出張は二-三カ月おき。その分生産現場に集中できるようになった。
工場の1T化も極めた。分列みの生産データを基に一日二回、社長主宰の会議を開く。昨年度八十億円の経常赤字は今年度七十六億円の黒字に転換し、売上高経常利益率は約二〇%で、国産各社の二倍。全社員がストックオプション(自社株購入権)の恩恵を受け、株式含み益は工場社員が六百万円、課長では一億円に達する。
だが日本企業にとって変化は容易ではない。世界経済フォーラムの二〇〇〇年度版国際競争力報告で、日本は二十一位(前年十四位)と地盤沈下が続く。米国では八○年代に「フォーチュン500」の企業が三百二十万人を解雇。スリム化と財務改善を通じて柔軟な経営体質を獲得した。九〇年代半ば以降の1丁革命も当初「ドット・コム」と呼ぶ新興企業が主役だったが、その後は製造や金融など「オールドエコノミー」の企業がIT武装で好景気の立役者となった。
日本の大企業は競争力回復を主導する覚悟ができているだろうか。日立製作所は九月中旬、光通信用部品事業を切り離し、米投資会社クラリティー・グループとの来合弁会社として再出発する決断をした。日立は「自前主義」を捨て、なりふり構わず米国流の経営に助けを求めた。ITという巨大市場で振り落とされないためだ。
同事業の年間売上高は百七十億円で黒字化しているが、競合化杜は年率三五%で成長する。「社内の資源にこだわると潜在成長力を殺しかねない」(庄山悦彦社長)。焦る日立を狙っていたのがクラリティー代表のデビッド・リー氏だ。
眠る事業の種
「最適の経営を持ち込めば花開く技術は多い。日本企業には"宝"が眠っている」。リー氏は今年二月に共同事業化を提案し、半年で最終合意に達した。
「IT革命は競争条件を一変させる。痛みを伴う構造改革を恐れては生き残れない」とNECの西垣浩同社長は指摘する。古い経営モデルを脱ぎ捨て"e企業〃に変身できるか。産業競争力の強化は経営者の果断なリーダーシップにかかっている。
おわり
IT対応へ政府の改革を
・日本は情報技術(IT)革命をバネにした新たな国造りを迫られており、その推進には民間の努力とともに政府部門の抜本改革が必要だ。
・特に情報通信分野への投資や関連企業育成への財政支援を重視する予算の改革、国のIT戦略を省庁横断的に統合する新機関の設置など組織の改革と、自由競争を最重視する意識・制度の改革の3つは急務だ。
日本アイ・ビー・エム最高顧問
椎名武雄
29年生まれ。慶応大、バックネル大卒。政府の電気通信審議会通信政策部会長
2000年(平成12年)5月23曰(火曜日)
米国も財政でITを積極支援
IT革命が津波のごとく押し寄せているいま、農業革命、産業革命に匹敵する社会変革が進んでいる。この変革の最大の特徴は、十年前には全く予見できなかった新たな機器やサービスの市場が急速に成長していることである。モバイル市場を見れば、この3月に移動電話の加入契約数が固定電話の加入契約数を上回り、しかもその一割はインターネットに接続可能という。デジタルカメラなど、いわゆる情報家電市場の成長も目覚ましい。
音楽配信、電子認証、都市銀行のインターネットによる振り込みといった新サービスの導入も活発である。こうした動きは社会を大きく変ぼうさせる可能性を秘めており、新しい国造りを進めるために活用すべきである。
第二の特徴は、昨年以降米国の「ITスクウェア(2000年以降の情報通信基木政策)」をはじめ韓国、香港などが続々とITの基本戦略を発表し、人材育成や社会組織改革が地球規模で加速している点である。この一月、米国で全公立学校のインターネット接続が発表されるなど具体的な成果も出始めた。
こうした国際的な潮流に乗り遅れずに、新たな山場における日本の競争力を高めるとともに、社会経済全体を、ITを十分使いこなせる構造に変革していくことが、IT革命をバネに国を明るい将来に導く道だと考えられる。そのために、政府における「予算」「組織」「価値観」の三つの改革を提案したい。
公共事業をはじめとする政府予算のあり方を抜本的に見直し、情報通信分野に予算を重点配分することの必要性が、既に様々な場で繰り返し指摘されてきた。しかし、政府の行動原則の一つとされる「民間主導」に対する誤解が、改革を妨げているように見える。
誤解の一つは「情報通信は民間主導。従って国の財政支援は基本的に不要」というものである。
確かに技術革新のスピードが極めて速い情報通信分野で、サービスや技術の開発・向上は、民間部門が自由競争の中で主導していかなければならない。しかし、これは戦略的に重要な分野への国の財政支援を否定するものではない。「日本の産業の国際競争力強化」が急務の政策課題として大きく注目されるなかで、その必要性はむしろ高まっているとさえ言える。
「情報通信の最先進国である米国でも民間主導が原則であり、政府の財政支援はないしという誤解もある。昨年一月、米国政府が発表したITスクウェアは冒頭で「インターネット、WWWブラウザー、高速ネットワークなどは、政府支援の研究から生み出されてきた」と明言したうえ計画推進のため、約1800億円の予算措置も盛り込んだ。現在の米国の情報通信産業の力の源泉であるインターネット技術は、米国政府による財政支援の最大の成果の一つなのである。
統合戦略機関と独立の評価委を
IT関連市場の先行きはなお混とんとしており、優れた機器やサービスを他に先駆けて投入し、実績を蓄えられれば、だれでも勝利者となりうる。今こそ、国は予算改革を断行し、次の三点に絞って、財政資源を集中投入すべきである。
第一は、新しい市場を加速度的に発展させるため、リスクが高く民間のインセンティブが働きにくい公共分野(教育、医療、環境、行政サービスなど)で、政府自らが率先して大規模な情報化プロジェクトを推進することである。
第二は、こうした市場に優れた機器やサービスなどを先駆けて投入し、実績をつくろうと意欲的に取り組む先行者に対し、人・物・資金を予算面から、バラマキ型でない方法で戦略的に支援することである。技術やサービスのデファクトスタンダード(事実上の標準)化を進め、市場で主導権を握るには、技術やサービス自体の優劣もさることながら、実績が最大要件となることは当然である。一方新技術・サービスの立ち上がり期には、実績作りのための多額の資金を要するが、リスクは大きくためらう経営者も多い。変化の激しい分野では、こうした判断の遅れが致命的となるケースも少なくない点を考えると、国際競争力の強化に向け、国の財政支援が最も重要な段階にあるといえる。その際、より厚く支援すべきは、巨大な施設や設備ではなく、いわゆる「ソフト」開発にあたる優れた人材育成の分野であることは論をまたない。
第三は優れた先行者となり得る企業家や、技術、サービスを使いこなせる人材への投資である。国民一人一人の情報リテラシー(活用力)向上は、新社会の形成に不可欠である。各国が教育分野の情報化を国家目標の一つとして掲げて推進する中で、日本も学校へのインターネット導入、指導者のリテラシー向上に、全力を傾けるべきである。予算の改革と並んで重要なのが「組織」の改革である。それは政府内での情報通信担当部門の統合といったことだけを意味しているのではない。無論、政府内で情報通橋にかかわる組織相互の連携は重要で、すでに、高度情報通信に関連する多くのプロジェクトについて、省庁横断的な協調体制がとられ始めている。それをさらに一歩進めて、民間企業に倣い、全省庁を横断する統合的な戦略立案や支援企業の評価、フォローアップを担う新機関の設立が求められる。
もっとも、それまでに解決すべき基本的な問題がある。まず、実効ある予算改革のためには、少なくとも情報通信政策を遂行する政府機関で、支援すべき分野と優れた先行者の的確な認知が重要になる。
それには ・ネットワークとその上に展開するアプリケーションやコンテンツ(情報の内容)などを網羅する専門知識の蓄積 ・技術・サービス開発の担い手となる民間との双方向の情報交流 ・支援策の効果などに関し、例えば外部の専門家で構成する独立の評価委員会などを設け、公正かつ的確な評価を進める----ことが不可欠である。
予算改革には一刻も早く着手すべきだが、情報通信に関する政府の知識、情報収集及ぴ評価の現状などを併せ考えると、一面、十分な改革の効果が得られないのではないか、との不安がぬぐい切れない。
通信と放送の融合へ制度検証
また情報通信分野の変化の激しさを考えれば、情報収集、政策の決定が十分迅速に進み、効果が速やかに浸透することも重要である。こうした観点からすれば、行政組織相互や、国民と行政組織の間の情報の送受をネットワークを介してすべて電子化する「電子政府」の実現についても、最重要課題の一つとして取り組むべきであろう。
日本が国際的な流れに乗り遅れず、ITを十分使いこなせる社会経済構造に変革していくには、物質的で画一的な価値観の上に形成された工業社会の成果は享受しつつも、それを、高度情報社会の構成員として共有する価値観に改めていくことが欠かせない。集団内の和や定められた目標へのまい進など、工業社会で重んじられた価値観が、ネットワークの進展により、個性の尊重、創造性の発揮などに置き換えられる。すでに企業では、採用・評価・給与・昇進などの面で新たな価値観に基づく制度を導入しつつあるが、政府も、こうした価値観の変革に基づく制度刷新に努めるべきである。
行政も産業保護・育成の姿勢から、自由で公平な競争が機能するようなルール策定・監視のスタンスに自己変革し、透明性を高めることが欠かせない。急いで改革すべき制度の一例として、いわゆる「通信・放送融合」に対応した規制改革が指摘されることが多い。通信及ぴ放送分野におけるデジタル化の進展や伝送技術の飛躍的向上などに伴い、通機と放送の中間領域的なサービスなど、現行制度が想定しない様々な技術の活用形態が出現していることは事実である。
こうした新たな形態の実体を正確にとらえ、技術革新の利益を利用者に早く還元するため、規制改革の必要性を含め現行制度の不断の検証と見直しが必要であることはいうまでもない。
情報通信のハード面の制度改革に加え、いわゆる利用分野の規制緩和も重要である。デジタル情報化への対応が鈍い著作権保護法制や、ITが生み出した新たな資産であるソフトウェアの資産価値を十分評価できない会計制度など、見直すべき制度は多い。
政府の自己改革と制度改革は待ったなしである。
自治体に改革迫るIT
2000/7/9/日
編集委員 中西崎史
明けても暮れても情報技術(IT)。この国の政治家も呪文(じゅもん)のように唱える。森第二次内閣もIT革命の旗を掲げたが、一方で建設相の引き受け手が一時不在で組閣に手間取るという前代未聞の事態になった。
●ネットで工事入札
ITと公共事業。経済構造改革の対極に位置するかに見えるが、神奈川県横須賀市で結びつける試みが始まっている。毎週初め、市のホームページで発注工事を示し、落札企業が決まった時点で、入札参加企業全部の社名、入札価格もホームページで公開。
これまで、市の掲示板に工事内容を張り出していたが、企業担当者が名刺交換を含めて接触する場ともなり、談合の土壌になるとして、インターネットに限定した。結果もネットで流すことで、談合による不自然な価格の動きがないか、関心のある市民も含めてチェックしやすい。その結果、入札参加企業が増え、年間数十億円のコストダウンが期待できると市の担当者は説明する。
井熊均著『電子自治体』(日刊工業新聞社、二〇〇〇年)も公共事業がネット改革で変わると指摘。工事を決める前からネットで情報を公開し、電子会議室で広く意見を求め是非を議論する。審議会などに諮問する際はネットで音声、画像も含めて完全公開、コンサルタントの報告書ももちろんだ。公開すれば行政側に立った安易な審議や報告はできなくなるとみる。
自治体で入札結果のネット公開が広がれば、比較もしやすくなる。不明朗な発注をすれば例えば「なぜわが市の焼却炉はA市よりこんなに高いのか」という声もあがる。
公共工事や調達を巡る汚職や談合疑惑は各地の自治体で起きており、防止策の一つがネット化による透明化だろ一う。地方財政再建のためにもコスト削減は急務だ。榎並列博著『自治体の1T革命』(東洋経済新報杜、同)によると、「電子政府」という言葉も米国より四年遅れで日本の政府公式文書に登場した。霞が関で一人一台パソコンが配備され、各省庁の公表資料の多くがホームページを通じてどこにいても参照できるようになったが、日常的に見えやすいのは住民に身近な自治体のIT化だ。
千葉県市川市は首都圏のコンビニ約千七百店の情報端末(タッチパネル)を使って行政情報の閲覧のほか、公民館の利用予約を始めた。単身世帯が三六%で、都内勤務者が多数を占めることから、コンビニに目をつけた。住民の大半がネットを使用するまでの間は、コンビニとネットを併用する。
榎並氏は米国の自治体の事例をいくつか紹介しているが、雇用関連を含む各種情報提供のほか、税金や駐車違反の罰金、自動車登録の更新手続き料金などの支払い端末がスーパーなど各所に設置しているという。日本では先進的な市川市もこれからだ。
●米は民主主義と連動
同氏はまた米国の情報自由法誕生(六六年)から電子情報自由法への改正(九六年)までをたどりながら、「情報の自由=民主主義」という意識が米国民に深く根付いていたことが、電子政府に突き進んだ背景と指摘する。
住民がいちいち情報開示請求せずともITを使って財務データなども詳細にオープンにする、情報を流通させ住民の意見を取り入れ自らを改革する。民間に移すべき仕事は移し、窓口業務などを縮小、福祉や環境などへ職員が異動する。これらの分野にもIT化の波は押し寄せる。全体として、筋肉質の自治体に生まれ変わるきっかけとなろう。
目的、思想が不明確なまま、ITと叫んでみても好ましい電子政府・自治体ができるわけではない。
羅針盤2k0904
野口悠紀雄
影響の深刻さへの認識が不足
インターネットを通じて音楽を交換できる「ナップスター」というソフトが論議を呼んでいる。米国で利用者が爆発的に増加した。コンパクトディスク(CD)の売り上げに影響すると危機感を募らせた米国レコード協会と米国音楽協会が訴訟を起こしたが、ナップスターが仮決定延期の申し立てを行ない、現在、膠着(こうちゃく)状態にある。
個人から見れば、無料で音楽が手に入るのだから、願ってもない。しかし、こうした状況が続けば、音楽産業そのものが壊滅してしまう。ナップスターをブロックしても、類似のソフトが次々に現れる。事実、個人間で直接にファイル交換を行うため、チェックが非常に難しい「グヌーテラ」というソフトが登場した。こうして、米国では、「情報技術(IT)時代に音楽産業が生き残れるか?」という真剣な議論が起こっている。
伝統的な情報関連産業がITによって行き詰まった例は、他にもある。ブリタニカ百科事典は、昨年の秋から、ネット上でだれでも無料で利用できる公共財になってしまった。つまり、有料の百科事典は、消滅してしまったのである。米国では、多くの経済データは、ウェブで無料で入手できる。もはや、こうした情報に対価を支払う人はいないだろう。日本でも、地図やレストランガイドが、ネット上の公共財になりつつある。
こうした問題は、これまでむ潜在的には存在していた。情報そのものは、ゼロの限界費用でいくらでも複製できるから、原理的には、ナップスターのようなことは起こり得たのだ。事実、ナップスターは、「CDの個人間貸借と同じことだ」と主張している。印刷物の情報も、コピーすればいくらでも増やせるのだから、「情報や知識を売る」という経済行為の基盤は、原理的には脆弱(ぜいじゃく)だったのだ。
従来の技術だと、コピーに要するコスト、時間、手間などは決してばかにならなかったし、紙代も必要だった。したがって、「情報を売る」産業が消滅する事態にはいたらなかった。しかし、これは、「技術が未発達だったから、存立しえた」ということに他ならない。ITは、コピーのコストを飛躍的に引き下げることにより、従来は潜在的でしかなかった問題をグロテスクに拡大して、われわれにつきつけているのだ。
音楽のつぎに個人交換の対象となるのは、映像だろう。そして、コンテンツ供給産業一般が、危機に陥るだろう。音楽家が消滅すれば、もの書きも消滅するかもしれない。
ウェブ上の教育が普及すれば、私立学校も存立しえないだろう。
こうして、知的所有権に関する基本条件が大きく変わるかもしれない。多くの知的労働者が、生活の糧を失うのだ。影響は非常に広範に、かつ非常に深刻な形で、生じる可能性がある。
日本では、皮肉なことに、通信回線のスピードや通信料がネックになって、米国におけるような深刻な影響が生じていない。したがって、ナップスター問題に対する危機感も薄い。つまり、IT革命が始まっていないから、のんきな顔をしていられるのである。
IT革命が「革命」であるからには、社会構造が根本から揺らぐ大変革が生じるはずだ。これまでの延長線上で皆が幸福になれると思ったら、大間違いである。現代版ラッダイト運動が起こっても、不思議ではない。
「IT革命で日本を活性化」といっている人たちは、IT革命が本当に革命であることを認識していないのであろう。
(のぐち・ゆきお 経済学者、過去の掲載分はhttp://www.noguchi.co.jp/で読むことができます)
ITと日本の戦略3
2000年(平成12年)11月6日(月曜日)
・政府は情報技術(IT)の国家戦略づくりを進めている。インフラ面では、超高速・大容量の光ファイバー網を早く家庭に接続し低料金を実現する必要がある。そのための規制緩和なども不可欠になる。
・それにも増して重要なのは、ITで日本の強みをいかに伸ばし国際競争力を高めるかという点で、それが本来の戦略だ。この面ではもの造りの優位性を最大限生かす工夫が求められる。
NEC特別顧問 鈴木枠弘
国際社会経済研究所主任研究員
原田県
新たな環境を創る社会改革
日本はIT革命で米国に数年遅れていることは知られている。最近ではアジアの「ネットタイガース」と呼ばれるシンガポール、台湾、香港、韓国も、日本の先を行きつつある。
韓国では、通貨危機で国民の問に国家存亡の危機意識が生まれ、IT革命を遂行し社会の構造改革を進める以外に活路はない、との認識が、現在の急激なIT化をもたらした。ケーブルモデムやADSL(非対称デジタル加入者線)といった高速広帯域サービスの普及率は既に米国を抜き、世帯比率で世界一になったともいわれている。
たしかに日本は、ネットタイガースより人口と経済の規模が大きく、変化の速さに対応できない面をもつ。しかし、それにも増して、日本では、失うものが大きいという保守性や、変化を良しとしない既存勢力の存在、国民の危機感の欠如が、IT革命の進展を妨げている。
IT革命とは、自律分散型のコンピューター・ネットワーク・システム、すなわちインターネットを中心とした技術体系が、冷戦構造崩壊後の市場主義、グローバル化の世界的潮流を背景に、新たな社会環境(制度、物的インフラ、意識構造、価値観など)を創(つく)り出す社会改革なのである。
たとえば、政治面では、選挙民が仲介者を経ずに直接意思表示を行う直接民主主義の新しい可能性も展望され得るし、非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO)などが従来の国家の枠組みを超えた力を持つようにもなる。
.産業面ではリーディング産業となる知識・サービス産業(ニューエコノミー)の新しい物的基盤が形成され、既存の法体系では律しきれない様々な新しいビジネスやサービスが生み出される。
また従来の経済・生産活動(オールドエコノミー)の仕組みも大きく変わる。距離や時間を超越し、国境を超えて情報と資本が自由に交差し、流通のあり方を変え、生産の効率性を飛躍的に高め、よりスピーディーでよりフレキシブルな経営が可能となる。
ここでは、国家の枠組みは弱まる方向に動くが、その半面、他のつながり(民族、宗教、地域・コミュニティーなど)が影響力を増して行こう。
その結果、IT革命は、それまでの産業社会とは社会経済全体のあり方や仕組みが大きく異なる情報社会(高度情報通信ネットワーク社会)を生み出すのである。
日本は今、以上のようなIT革命の前提となる制度面をも含めたITインフラの構築段階にある。ここでの目標は次の三点である。
都道府県にはIT担当副知事
一つめは、高速広帯域インターネットの普及である。音楽、映画といった魅力あるコンテンツ(情報の内容)の提供には高速広帯域のネットワークが必要である。
たとえば、2時間の映画(DVD)をダウンロードするのに現行のISDN(毎秒64キロビット)だと約125時間、今話題のADSL(毎秒600キロビット)でも約13時間かかってしまう。この意味でADSLは、過渡期的な存在といえる。インターネット放送で、高画質の動画像が自由に行き来するような段階では、各家庭にギガ(1ギガは10億)ビットレベルの光ファイバー網を接続したいものだ。そうなれば、2時間の映画も、ほんの数秒程度で取り込めてしまうのである。
二つめは、定額・低額の通信料金である。少なくともギガビツトレベルの接続で、使い放題で月3000円以下が条件となる。こうした環境の実現は、原則として民間主導、市場原理のもとで行われるべきだ。政府は電子政府や教育の情報化(ミレニアムプロジェクト)などの実現、ネットワークヘの新規参入者にとって公平な競争条件が担保されるような市場形成のための制度づくりを急ぐべきだ。
下水道管などの民間開放や、すでに電話会杜や電力会社によって敷設されている光ファイバー網の他業者への開放も、当然必要となろう。
三つめが、規制改革である。電子取引や電子政府の実現を阻む法律・規制の撤廃と新しいルールの整備のほか、放送と通信の融合、著作権、個人情報の保護などに関連する法体系の見直しが必要である。これらが達成されてはじめて、ITが本格的に社会を変える力を持つこととなる。したがって、電子政府が実現される2003年までには、これらのインフラ構築を完了させるよう、最大限の努力が官民でなされるべきである。
一方、今後特に努力が求められるのは、地方におけるIT革命の促進である。そのために、たとえば、各都道府県にIT担当の副知事をおき、企業で言えばCIO(最高情報責任者)のような役割を与えて、行政の情報化はもちろん、その地方の特質を生かす総合的な地域情報化を、住民とともに進める必要があろう。
このほか、今後IT分野で政府が進めるべき政策として、以下の三点がある。
一、研究開発とデータベースの整備。臨場感通信(バーチャルリアリティー)、人間にとって使いやすい技術(ヒューマンインターフェース)、暗号などの分野の研究開発と人材育成を急ぐべきである。また、情報公開、教育の情報化などに対応した、公的文書、学術・文化資料、教材などのデータベース化も欠かせない。
二、安全保障の情報化。米国の「核の傘」から「情報の傘」へという東アジア軍事戦略の転換とRMA(軍事における情報革命)に対応し、防衛面でもITの利用を高度化し、組織の変革も含む大胆な取り組みが進むことが望ましい。
三、国際協力。アジア諸国のデジタルデハイド(情報化が生む経済格差)解消への協力が重要だ。また、特に麻薬取引やテロなどの凶悪国際犯罪への国際的な取り組みが必要である。
米英型モデルの追随だけでなく
本来ITは、手段・ツールに過ぎない。まず国家戦路を実現するためのツールとなるインフラを構築すべきことは前述の通りだが、手段と目的とは異なる。日本が21世紀にどうあるべきかを明確に示し、そのためにITをいかに利用するかを示すのが、本来の恵昧でのIT戦略であろう。
IT時代のあるべき社会に関しては、先の主要国首脳会議(沖縄サミット)の「IT憲章」で、「情報社会のあるべき姿は、人々が自らの潜在能力を発揮し自らの希望を実現する可能性を高める社会」であるとされた。
また、今年3月末に閣議決定された規制改革の原則には、「経済社会の抜本的な構造改革をはかり国際的に開かれた自己責任原則と市場原理に立つ自由で公正な社会」が示されている。しかし、これらは、正しい目標ではあるが、抽象性が高く、日本固有の戦略目標とは言い難い。
ここで、戦略目標を経済的国際競争力の強化に置くならば、金融取引が異常に発達した米英型資本主義モデルに追従するだけでは、決して米国を凌駕(りょうが)できないだろう。企業が国際競争を勝ちぬくには、米国モデルという「国際標準」を受け入れざるを得ない面はある。
しかし、国は、その歴史、国民性など異なる条件下にあり、市場主義、自由主義という原則の下、日本の特質に合った、日本の強みを生かした戦い方とIT戦略を持たなければならないだろう。
日本の強み、比較優位の一つは、もの造りにある。長年増ってきた製造ノウハウをIT化で強化し、新たな付加価値を生み出すモデルを創造しなければならない。また、日本の生産活動の底辺を支える中小企業の国際競争力の強化も必要だ。そのための中小企業のネットワーク化、市場と生産のグローバル化を促進するIT戦略が創造されなければならない。
技術的な日本の比較優位性は無線にあり、iモードなどの携帯端末を利用した個人の情報力強化も日本の新たな強みになるかもしれない。
もう一つの強みは、勤勉で優秀な国民性にある。今後は、IT時代に即した学力と感性をもった人材づくりが欠かせない。
ITと日本の戦略4
2000年(平成12年)11月7日(火曜日)
・日本で情報技術(IT)革命を推進するうえで最も重要なのは人材の育成で、基礎学力の向上が欠かせない。
・「ゆとり教育」で日本の中学の数学の授業時間が短縮された1980年代前半に、米国では教育水準向上に全力が傾けられたことなどを考えても、従来の日本の対応には疑問がつきまとう。政府は基礎学力の低下に歯止めをかける対策を急ぐべきである。
京都大学教授
西村和雄
インドは若年の技術者が多い
最近、ソフトウエア技術などで躍進著しいインド、フィリピンなどアジア諸国では、IT関連の技術者に若年層が多いと言う。しかも、そうした業種で働く若者の比重という点で、日本は、水をあけられているとも聞く。
ソフトウェア技術者は、年をとると一線に残れなくなる、数学者や音楽家についても、若いときに才能を伸ばさないといけない、と言われてきた。子供のときから数学教育が重視されているインドが、コンピューター技術者を多く輩出していること、そして、そのうち若年の技術者が多いこととは単なる偶然ではなかろう。
インターネットの普及とは、それまで情報面で立ち遅れていた国でも、低価格で世界の情報、それも学術・技術の情報が瞬時に手に入ることを意味する。図書館や大学が少ない国と、大量の図書を購入できる豊かな国との利用可能な情報量の差がなくなる。むしろ、ITで遅れた日本は不利な立場にあるともいえる。
今後はインターネットに接続できる携帯電話の普及と、ゲーム機の技術をテコに、日本がITで米国に追いつくことも期待されるが、懸念は、他国で情報化を可能にしてきたと思われる教育水準の向上が、日本ではみられない点である。
米国では83年に、それまでの科目選択性を広く認めるカフェテリア教育を批判する「危機に立つ国家」が出版された。これは米教育省の下で、卓越した教育を求める国民会議が作った報告書で、3000万部のベストセラーとなった。ちなみに、翌84年にはAT&Tが分割されている。
その後も米国は教育水準の向上に努め、92年には一つしかなかった、地域が運営に責任をもつチャータースクールが、最近では1700校に増えた。学力が向上しなければ、住民が校長以下の先生を入れ替えることもできるのである。
同時に93年から、ゴア副大統領の提唱で、情報ハイウエーの建設が始まっている。米国では教育水準の向上と、規制緩和と情報化による経済回復が、同時に進行していたことになる。
中国では66年からの文化大革命が77年に終結し、大学入学統一試験の実施が決定された。鄭小平氏は混乱した教育を正常化することに取り掛かるべく、教育を最重要課題として位置付けた。更に、82年からは私費留学生の海外留学を認めた。その後厳格な評価を伴う教育を行い、学力が大きく向上している。
論理性などは幼いうちが重要
他のアジアの主要国・地域をみると、韓国、香港、台湾は元々の教育水準を維持している。シンガポールや韓国の高校の数学の教科書を日本の教科書と比較すると、日本は一学年から二学年遅れている。また「インターネット白書2000」によると、インターネットの普及率では、シンガポール28.7%、香港26.7%で、日本は14.1%である。
中国が教育を正常化したころ、日本では共通一次試験を実施し、国立離れが始まった。米国で「危機に立つ国家」が出版された年には、日本ではすでに「ゆとり教育」が始まっていた。
日本の中学生の数学の授業時間が、先進国で最も少なくなるほど削られてきた。その次の94年の指導要領では、高校生の科目選択性が拡大され、科目内容は統一性を失い、学力低下をもたらす一因ともなった。
さらに、次回の2002年からの新指導要領の下での数学と理科の総授業時間数は、米国の半分、オーストリアの4割となる。
私と戸頼信之慶応大学教授が、88年から3年間にわたり日本の大学生の数学の学力を調査した。その結果「分数ができない大学生」と言われるほどの学力低下が明らかになった。
この20年間の学力低下については、入試センターの全国学部長アンケート、朝日新聞杜の全国学長アンケート、日本数学会大学数学基礎教育ワーキンググループの大学教官100人アンケート、東大工学部による81年から4回にわたる大学二年生後期での数学力調査、河合塾による95年と99年の学力テストの結果の比較分析、鹿児島県教育委員会による高校入学試験問題での調査、国立教育研究所による理数調査報告書の調査をはじめ、客観的なデータは多い。
幼児を育てるときに、今後の成長のためには、好き嫌いなく食べて栄養のバランスをとらせるのが通常ではないだろうか。学ぶことも同じであり、人間には明らかに、子供のうちに広く学習して身に付けておかなければ、二度と獲得できなくなる知力がある。
算数や数学の基礎の中にも、子供のうちに身に付けなければ、一生獲得できないものがあり、それが、数えること、計算すること、証明で養われる何段階にもわたる論理性、そして立体図形の形を頭の中で構成する三次元の感覚などである可能性は否定できない。
インドにIT技術者が豊富であることを、インド人が数学思考に向いているととらえて済ます向きもある。ゼロを発見したのがインド人だからである。しかし、運命論に傾き、教育の役割を否定するのは無謀である。インドの子供は、九九の暗唱を九×十九まで習う(ちなみにシンガポールでは十二×十二まで習う)。これも教育である。
米で数・理は大プロジェクト
米国ではこれまでの一クラス20数人から、さらに18人という小人数クラスに移行しつつある。そして、数学、理科教育の改善は、国家プロジェクトとして行われている。クリントン大統領は、98年3月16日の発表で、政界、財界、教育、科学の分野の指導者を招集して、教育水準の向上を呼びかけた。
大統領は、地方公務員や財界指導者、大学、学校、教師、保護者、生徒に対し、数学と理科の学力向上のために立ち上がるよう呼びかけ、高いナショナルスタンダードを掲げ、そして四年生にリーディング試験、八年生には数学試験を行い、全員がそのナショナルスタンダードに達することを全米各州に要請した。
それにこたえて、米国の産業界も「成功のための公式 学生の数学、理科の成績向上を支援する財界指導者のためのガイド」を発表し、「変化の激しい経済の中で成功を収めるには、論理的知識や技能が不可欠となる。仕事の知識内容が高度化しつつあり、教育こそが競争力を保つための重要な要素である」と訴え、企業が採用する際に学業成績を考慮に入れ始めた。
日本も、世界の流れに逆行する教育から、20人クラスへの移行、自学自習教科書の導入、大学入試における英数国の必修化に加えて、「読み、書き、そろばん」といわれる基礎学力を重視する当たり前の教育に戻すべきであろう。これの対策は、一刻も早く講じる必要があり、これから調査をして、対策を考えるのでは遅すぎる。
ゆとり教育と多様化入試が始まるまでは、日本人も数学が得意と言われていたし、米国の大学にいるアジアからの留学生の中では、日本人はインド人とともに卓抜していた。今や、その日本人の位置は、中国や韓国からの留学生にとって代わられている。それでも教育さえ本来のものに戻すのなら、日本でも人材を育てるのが可能なはずである。
学力の養成がされず、今、日本の大学生の学力が落ちているのなら。取り返しがつかないことになる前に、日本を救いたいと考えるのが当たり前であろう。
戸頼信之教授、上野健爾京都大学教授、渋川幸彦名古屋大学教授、和田秀樹精神科医と私がインターネット(www.naee2002.gr.jp)で行っている、二〇〇二年からの新指導要領の実施中止を求める署名運動には、大学生、主婦、会社員、経営者に加えて、霞が関の省庁からも多数の署名と賛同のコメントが寄せられている。
6月に、大阪工業会が、理数科教育の充実を求める提言を出し、8月には文部省の内部から「ゆとり教育亡国論」を著す人も出て、10月には通産省の外郭団体である地球産業文化研究所が、新指導要領の実施中止などを求める提言を発表した。今こそ、行政の側からも、瀬戸際で日本を救うさらなる動きが出てくることが望まれる。そのときに、日本でもIT革命が可能になるであろう。
このシリーズおわり
IT革命が迫る制度改革
電子政府
1
政府が行政上の手続きや業務をインターネットなどを通じてできるようにする「電子政府」の構築に向けて動き出した。急速に発達する情報技術(IT)を行政の現場でも活用し、業務効率を高めようとしている。ただ、IT本来の力を十分に発揮させるには、書面主義や省庁間の壁が残る旧態.依然とした「お役所仕事」では限界がある。IT社会実現を掲げる政府は自らも大胆な制度改革を迫られている。
データの検索容易に
首相官邸などに放射性物質を含む鉱物「モナザイト」が郵送される事件が起きた六月。同物質の輸入経路や核開発疑惑がある国への輸出の有無などを調べるため、記録書類の山と格闘していた通産省職員の頭に「貿易管理オープンネットワークシステム(JETRAS)がもっと早く始動していたら、モナザイトに関する過去のデータを一発で検索できていたのに」という思いがかすめた。
JETRASは軍事目的転用の恐れがある製品の輸出入申請手続きをすべてパソコン通信でできるようにした「電子政府の先駆け」とも呼べるシステムだ。今年四月からネット経由で使えるようになった。以前は東京・霞が関の通産省まで申請に出向き、約二時間待たされることもあっ.た企業側の評判は上々だ。大日本印刷は過去の申請データを保存して検索可能にするなど業務改善に役立てた。通産省も数年前からシステムを導入していたならば、モナザイト騒ぎも迅速に解決できたはずだ。
このように電子政府は行政手続きを劇的に効率化する力を秘めている。「2003年度までに電子政府の基盤を築く」。小湖恵三首相(当時)は昨年十月、最先端技術の開発をめざす「ミレニアム・プロジェクト」(千年紀事業)の中で宣言した。計画では有価証券報告書の提出や国税申告などの手続き電子化も盛り込んだ。実現には書面提出などを義務づけた現行法令を改正し、ネット送信や電子署名でもいいようにする作業が必要だ。
具体的な目標示さず
こうした作業は今後、政府のIT戦略会議の場で進む見通しだが、電子化に伴う審査期間の短縮や公務員数削減などの行政効率化の目標は示されていない。民間からは「サービス向上も含めて具体的な目標設定が必要」(日立総合計画研究所)との声があがる。
ITの導入だけでは業務効率化できないことを象徴するのが、職員一人一人にパソコンを与えても「紙離れ」できないでいる霞が関の現状だ。ある省庁の若手職員は構内情報通信網(LAN)が張り巡らされているのに、パソコンで文言を作成した後、必ず紙に打ち出して整理する。「国会議員や閣僚らへの説明には紙がいる。そうなると、彼らに説明する省庁幹部も紙で報告を受けたがる。結局、役所から紙を追放できない」
霞が関と対照的なのは米国の取り組みだ。同国は電子政府の構築と並行して、政府機関での紙による文書作成業務を二〇〇三年までに撤廃することを義務づける法律を一九九八年に成立させた。政府機関での事務連絡などはすでに電子メールが当たり前だという。
大蔵省方式で再入力
日本では、各省庁が独自に情報システムの構築を進める省庁間の壁も効率化を阻む。大蔵省は「予算編成支援システム」を使って各省庁の会計課と文書をやり取りしているが、システムが逢うため他省庁のLANとは直接接続できない。各省庁の会計課は大蔵省のシステムに合わせて入力し直さなければならない。
企業の税関への申請手続きを電子化する大蔵省の「通関情報処理システム」と、同じく貿易業務関連の通産省のJETRASもつながっていない。通産省から電子申請で輸出許可をもらった企業は、許可証を紙に打ち出して税関に持っていく必要がある。両省は接続に向けて調整中だが、見通しはまだついていない。
電子政府の構築は欧州各国やシンガポールなども積極的。経済のグローバル化で、効率的で質の高い行政サービスを提供しないと優良企業を引きつけられないとの焦りが背景にある。
日本でも電子政府実現に向け、中川秀直官房長官がIT担当相を兼任することになったが、早くも「内閣で一番忙しい人を任命したのは間違い」(通産省幹部)という声が出ている。各国を上回るようなIT時代にふさわしい行政サービスを提供していかないと、政府が企業に見捨てられてしまう日も遠くない。
2000/7/27/木
2
インターネットで公共工事の入札に参加を申請できる---。こんな制度が一九九九年から神奈川県横須賀市で国や他の地方自治体に先駆けて始まった。入札参加者が増え、競争が進むなど成果を上げつつある。
書類処理の手間省く
ネット入札申請の仕組みはこうだ。横須賀市が毎週月曜日に工事の予定情報を同市ホームページに掲載。建設会社はこの画面から入札参加申請書をプリントアウトし、必要事項を記入してファクスで市に送る。その後、希望価格を言いた入札書も郵送する。市は立会人のもとで開札し、.落札業者と落札金額を決定。結果はただちにホームページに載せ、翌日には全参加業者の名前と希望価格も公表する。
この間、業者は市役所に一度も行かずに済む。市側も入札関連書類の処理の手間を省けるようになった。
横須賀市の試みが成功しているのは、情報化投資を積極的に進めたことに加え、「談合防止のために入札制度を改革したのが大きかった」(林功二・同市財政部契約課長)。市が入札へのネット利用に先行して九八年に導入したのが「工事受注希望型指名競争入札」だ。指名入札とはいうものの、市が工事ごとに請負条件を公表し、それを満たすすべての企業が入札に参加できる仕組みで、一般競争入札と実態は変わらない。情報開示で入札の透明性を高めたことが、談合に傾きがちな業者への抑止力となった。
入札制度の変更とネット活用の相乗効果は数字にも表れている。新制度導入前の九七年度には工事一件ごとの入札参加業者は九杜だったのが導入後の九九年度には二十四杜に増え、競争が激しくなったことで工事の落札価格も下落。九九年度には市が工事のために想定していた予算のうち三十一億円を使わずに済んだ。
透明性や競争性を高めるための制度改革も伴った時、情報技術(IT)の活用は最大の効力を発揮する----。横須賀市の例からそういう教訓が引き出せる。
年に約十兆円の公共工事を発注する建設省も、入札へのネット活用に意欲的になっている。同省は入札手続きへの部分的な活用にとどまる横須賀市の方式を大きく前進させ、公共工事の各段階の手続きをすべてネット上で済ませたい考えだ。二〇〇一年度から一部の工事に導入し、二〇〇四年度には同省直轄の公共工事の入札を完全電子化させようとしている。実現すれば世界でも初めてとなる。
WTO協定、導入阻む
だが、この構想には意外な制度面の障壁が待ち受けていた。世界貿易機関(WTO)の政府調達協定は七億五千万円以上の公共工事の一般競争入札や契約について「テレックス、ファクスなどを利用する」としており、電子入札を認める明確な規定がないのだ。
大型の公共工事の受注を目指す大手ゼネコン(総合建設会社)はネット入札への準備を進めているが、WTO協定がそれを許さない。WTOでは、協定見直しへの動きは盛り上がらないままだ。一方、WTO協定の対象外となる小、中規模の工事の場合、インターネットに不慣れな受注側の中小企業が電子入札に対応できない。
ある大手ゼネコンの幹部は「建設省の工事だけ電子化しても効率化のメリットは小さい。公共工事の約三分の二を占める都道府県や市町村の工事すべてを国と同じ様式、手法で愛発注できるようにしなければ」と力説する。市町村の入札制度はばらばらだ。これを電子化とともに全国共通の制度に変えれば「建設会社の本社からでも、ネットを通じて全国各地の情報収集や入札参加などが可能になる。各地に支社・支店を置く必要性はなくなり、リストラも進む」」(建設アナリスト)との見方もある。
「地方に倍々の事情」
だが、自治体の姿勢がこれを阻む。多くの市町村では、いまだに競争原理が働きにくい指名競争入札制度や地元企業を優遇する地域要件などを残している。建設省は二〇一〇年までに自治体発注分も含めてすべての公共工事の電子化を目指しているが、ある市の土木部長は「地方には個々の事情がある」と公言してはばからない。
横須賀市の試みが例外的でなくなり、全国の自治体に競争的な入札制度の導入が広がるかどうかが、ネット入札の将来を左右することになりそうだ。
3
膨大な情報を抱え込む中央省庁。経済再生には「霞が関」を日本全体のシンクタンクや電子図書館に衣替えし、その情報を民間が有効活用できる体制を整えることがカギとなる。インターネットはそのための起爆剤になり得るが、政府の今の取り組みぶりでは民間のニ-ズに到底対応できそうにない。
利用者の不満募る
「十日前の官報がホームページ上で読めない。何とかならないか」---。大蔵省印刷局にこんな苦情が相次いでいる。英米独仏などに続いて、同印刷局が官報の無料ネット配信サービスを始めたのは昨年秋。午前九時ごろには中央官庁の人事や新しい法令が見られ、月に十二万人以上が利用するほどの人気となっている。ただ、サービス内容が中途半端で利用者の不満が募っている。
日によっては三百ページを超すデータが詰まった官報。しかし、ホームページには、ある単語に関連する情報を探し出す検索機能がないうえ、掲載するのは過去一週間以内に発行された官報に限られる。期間を長くすれば、紙の官報が売れなくなる恐れがあるからだ。
官報以上に二-ズが多い商業登記簿や不動産登記簿のネット配信はこれからようやく始まる。法務省は九月下旬にも登記情報の閲覧をオンライン化するが、配信できるデータはかなり限定されそうだ。全国約八百五十カ所の登記所のうち登記簿を電子化しているのは約四割しかないためだ。企業が取引を始める際には、相手先企業の登記を調べるのが常だ。遠隔地であれば、登記の確認作業を地方支店に頼んだり、登記簿の郵送を依頼したりする。ネットで閲覧できればこうした手間は不要になるが、政府が情報技術(IT)の活用を怠ってきたツケが企業に負担を強いている。
行政が持つ地理関連データの有効利用を目指す「地理情報システム(GIS)」構想も、実現への足取りは鈍い。GISは建設省、国土庁や自治省などがばらばらに作成・蓄積した河川や道路、住居などの地図や関連データを統合管理する計画。政府内の重複投資を減らすだけでなく、民間にネット配信し、利用してもらうことも目指している。
このほど七府県での実証実験開始が決まったが、民間が最も望んでいるデータの開示に行政は慎重な姿勢を崩さない。例えば建設省開運の道路台帳。紙での閲覧は今もできるが、「ネット公開する計画はない」(道路防災対策室)。
電子化の義務なし
来年四月には情報公開法が施行され、行政情報の多くは請求があれば政府は開示義務を負う。電子データも作成していれば開示対象となる。しかし同法には、紙の記録を電子情報に変える義務はない。施行合によると開示申請や開示も原則紙で、ネットでの開示に対応していない。米国が一九九六年に電子情報自由法を制定し、同年十一月以降に作成した行政情報を一年以内にネットなどを使って開示するように義務づけたのとは対照的だ。
情報公開制度で国に先行した地方自治体だが、利用者には司法の壁も立ちふさがっている。各地の住民が知事交際費などの情報開示を求めた裁判では、提訴から十年以上経た今も審理中の案件が少なくない。那覇市が防衛開運施設の情報を住民に開示しようとしたことに国が差し止めを求めた上告審でも、最高裁は四年もの間判断を下していない。被告・那覇市側の代理人を務める三宅弘弁護士は「早く司法判断を下さないと情報が腐ってしまう。ネット時代の情報公開法を議論すべきだ」と指摘する。
1下草命推進へ公約
行政情報のネットによる素早い公開を義務づけ、国民からの開示請求を行政が拒否した場合には、裁判所がその是非を迅速に判断する---。そんな「ネット情報公開法」が求められている。
森喜期首相は二十八日の所信表明演説で、IT革命を推進するため規制改革や法整備を早急に行う方針を公約した。しかし、「官」のためだけに都合の良い制度改革であっては意味がない。情報公開制度の充実を,含め、「民」にとって役に立つ改革こそ最優先課題として求められている。
この連載は吉田透、三宅伸吾、瀬能繁、桑原健が担当した。
2000/7/29/土
IT革命が迫る制度改革23
特許など知的所有権の紛争処理に取り組んでいる工業所有権仲裁センターは今月十九日、インターネットのホームページに接続する際に入力しなければならない.「ドメイン名」を巡る紛争の取り扱いを始めた。
ドメイン名紛争処理
ドメイン名はネットが生んだ新しい知的所有権だ。企業は自社名やサービス名と同じものを取得しておかないと、消費者がホームページを見つけにくくなり、販売や宣伝が不利になる。ドメイン名の登録は早い者勝ちで、有名企業の名前が入ったものを第三者でも取得できる。このため紛争が起きやすい。日本では「jaCcs.co.jP」のドメイン名を巡ってカード会社のジャックスと富山県の企業が係争中だ。米国では個人が企業名の入ったドメインを先行取得して、高値での買い取りを持ちかける問題も頻発している。
仲裁センターは多くの日本企業が使う「jP」で終わるドメイン名の紛争処理に乗り出すことにした。申し込みなどには電子メールを使い、資料も郵送を認めるので、当事者は原則として東京・霞が関の同センターを訪れなくてもよい。判定はニカ月半以内に下る。
サービス初日には早速、福岡県のあるコンピューター関連会社の社員が「商標登録している自社名を他社のドメインに使われている」として訪れてきた。
実績不足で利用低調
仲裁センターの判定は「裁定」と呼ばれる拘束力の弱い措置で、不満なら裁判所に訴えることもできる。ただ、同センターの宍戸喜一弁理士は「専門家が中立的な立場から判断を示す新サービスは有効な解決手段になる」と強調する。
裁判所以外での紛争解決は「裁判外紛争処理(ADR)」と呼ばれる。裁判に比べて煩雑な手続きが不要なため、低コストで短期間のうちに判定を示せる。裁判所の判決のような強い拘束力はない代わりに、迅速な問題解決を目指す場合に有効だ。しかし、普及は遅れている。
一方、知的所有権を巡る紛争を裁判で解決しようとすると、判決が出るまで平均二年ニカ月かかり、費用は数億円にのぼる。ベンチャー企業にとって大きな負担だ。中小企業の技術開発を支援する三和ベンチャー育成基金(東京・大手町)の五十嵐伸吾総務部長は「特許訴訟の判決を待たずに、体力が尽きて倒産した企業もある」と話す。
「最新の技術動向が分からない裁判官や弁護士に不安を覚えることが多い」。ある大手電機メーカーの役員は現行の裁判の別の問題点も指摘する。幅広い訴訟を受け付ける裁判所と達い、弁理士や技術者を活用して専門性を高めることができる紛争処理機関に期待する声も増え始めている。
ただ、知的所有権に関する本格的な紛争処理機関は工業所有権仲裁センターしかない。同センターが扱ってきた紛争も一九九八年四月の開業から約二年半で十二件にとどまる。センターでは知名度の低さや、実績不足から企業の信頼を勝ち得ていないことが原因だとみている。
高い信頼性獲得カギ
企業の関心を裁判外紛争処理に向ける上で参考になるのは米国の制度。九八年に制定した「連邦ADR法」はすべての民事訴訟に関し、・裁判外の紛争処理に移行できる規則を設けること・当事者に紛争処理機関の利用の検討を命じること---を裁判所に義務づけている。裁判で争わなくても解決できそうな紛争は外部処理機関に回し、効率性を,高めようという考え方だ。
日本にも、裁判官が弁護士らによる調停にゆだねる制度があるが、調停人を選ぶのは裁判所であり、紛争当事者が専門知識の豊富な人を選ぶことはできない。裁判所が仲裁センターの利用などを働きかけることもない。梅本吉彦・専修大教授は「米国には仲裁に関する膨大な蓄積がある。高い信頼性がないと、裁判所も安心して任せるとは言い出せない」と指摘する。
日本の裁判外紛争処理が米国のように定着するには、実績を積み重ね、中立性や秘密保持でも一定の評価を得ていく必要があろう。しかし、情報技術(IT)を巡る知的所有権紛争の解決手段として今後大きな可能性を秘めているのは確かだ。より使いやすく効果的な制度を作りあげるために、政府や法曹界、産業界などの議論や協力がカギを握っている。
2000/10/27/金
IT革命が迫る制度改革24
知的所有権2
「情報技術(IT)をどう使うのか、もっと具体的に書き込んでほしい」--。今年六月、東京・霞が関の特許庁を訪れた個人発明家の畠山英一氏は審査官から特許の出願内容の修正を求められた。出願の中身はベンチャー企業の資金調達手法に関する発明。複数のベンチャー企業が持つ特許を信託財産にし、特許使用料や株式公開による利益などを見込んだうえで証券化する仕組みだ。
米は4年前に方針
IT技術を利用した事業手法を対象にするのがビジネスモデル特許。畠山氏の発明もその一つで、投資家への情報提供や信託契約の効率化のためにインターネットなどを使う。ITの利用方法が不明確だとの指摘を受けた畠山氏は出願内容を修正し、特許成立の日を首を長くして待っている。
技術だけでなく、新しい事業手法のアイデアにも価値を認めるビジネスモデル特許。情報化社会を迎え、この新種の特許が国際競争力に弾みをつけるとみた米政府は、早くも四年前にビジネスモデル特許を認める方針を明確に打ち出した。
日本でも、「ビジネスモデル特許が事業戦略の重要な基盤」(凸版印刷の石田正春取締役・法務本部長)という認識が広がりつつあるが、特許庁の対応ぶりは心もとない。スピードが勝負を決するIT時代に、基本政策の決定や審査が追いついていないのだ。
先週、特許庁は遅ればせながら「ビジネスモデル特許の対応方針」をホームぺ-ジ上で公表。新種の特許を正面から認めたうえで、ITを使っていても「対象事業分野の専門家が容易に思いつくものは権利にならない」と出願ラッシュに歯止めもかけた。
方針の内容について、大手企業の特許部門など専門家の間では評価する声が多い。だが、個人発明家や一部の中小企業の間では、混乱も起きている。ITを利用しない事業手法でも特許になると解釈して出願した例がかなりあるとみられるが、新方針ではこれらが特許として認められる可能性はほぼなくなるためだ。せめて二年前に、特許庁が今回の方針を示していれば、無駄な出願は大幅に減っていたはずだという見方が関係者の間で有力だ。
審査期間20ヵ月前後
特許審査のスピードアップでも壁にぶつかっている。「迅速審査の目標の達成は断念せざるを得ない」。特許庁は三年前に「ファースト・アクション(FA)12」計画を作った。発明者が出願後に審査を請求してから審査官が「拒絶」や「特許成立」などの判断を下すまでの期間を、当時の平均二十二カ月から今年末までに米国並みの十ニカ月に縮める構想だった。
現在の審査期間は十九カ月前後で、当初より三カ月しか短縮していない。目標が達成できなかったのは「審査件数が予想以上に増えたためだ」という。ビジネスモデル特許に関しても審査期間は二十カ月前後。特許庁は激変するIT関連の実業の世界から距離をおいたままだ。
要員・組織とも不足
審査が手間取る一つの理由は、審査客数の不足だ。ビジネスモデル特許の審査を主に担当する特許庁の計算機応用課には、十人の専門審査官しかいない。彼らは金融などの専門書を片手に発明の「新規性」などのチェックに日々追われているが、増え続ける出願に対応するには限界がある。一方、日本よりも三倍多い審査官を抱える米特許商標庁は、ビジネスモデル特許の審査を強化するために、実務経験のある経営学修士号(MBA)取得者などを審査官に採用するなど、柔軟な対応を示している。
特許庁は来年度の予算要求でビジネスモデル特許専門の「電子商取引課」の新設を求めているが、公務員数削減の流れのなかで認められる保証はない。
ビジネスモデル特許の保護を国家的なIT戦略として強化する米国に対抗するため、適切な制度改革を迅速に実行できるのかどうか。この点に日本の国際競争力の将来がかかっている。
2000/10/28/土
ITが動かす競争政策 下
2000/4/12/水
日本電信電話(NTT)グループの「解体」に向けた議論が静かに始まっている。
大臣に決断促す
政府が保有珠をすべて売却、NTTドコモを切り離す。接続料引き下げや電柱など施設の開放を進める見返りに、東西地域会社の業務範囲の拡大を認める--。郵政省はこんな通信改革の青写真を描く。
「競争刺激策を真正面から導入しないと米国に追いつけません」。第二次森喜期内閣の発足した四日。就任直後の平林鴻三郵政相への「ご進講」で、郵政省幹部は大臣に決断を促した。
現行のNTT法や電気通信事業法は事業者の競争を促すよりも事業認可などに主眼を置き、統制型行政の側面を色濃く残す。同省は「安価な通信料金や高速インターネットを普及させるには従来の発想を根本から変える必要がある」(電気通信局)と判断。業務規制を通した業者保護行政から「競争促進」「事後監視」型へ、通信政策の転換を模索し始めている。
一九九九年のNTT再編では、持ち株金杜の傘下に二つの地域通信金杜と長距離・国際事業会社をぶらさげた。郵政省とNTTの”十五年戦争”後の妥協の産物だったが、地域通信網を独占する状態は相変わらず。長距離、携帯電話市場もNTT勢が過半を押さえ、「競争創造という点からはあまりに不十分」(田村次期慶大教授)な実態だ。
再編無効の報告
競争政策を担う公正取引委員会もようやく動きだした。公取委のある委員は完全な競争関係にあるはずの固定電話と携帯電話の問題に着目。今年三月、専門誌への寄稿で「固定電話の雄のNTTが携帯電話の雄であるドコモの過半株を持って支配することは競争制限になりうる」と強調した。
これに呼応するように、六月中旬には公取委の研究会が「昨年のNTT再編は競争促進効果を発揮しなかった」と断じた報告書を公表、完全な分離・分割を求めた。
米国は通信分野でも司法省が競争促進の監視役を果たし、八四年にAT&Tの分割という構造問題に切り込んだ。日本の通信市場も八五年の民営化以降、独占禁止法が原則適用になったが、これまで公取委は沈黙気味。二〇〇一年一月の省庁再編で、公取委は郵政省とともに総務省の傘下に入る。業者行政からの脱却を探る郵政省と競うように、公取委もその存在意義を強調するのに躍起だ。
NTTグループ内部からも競争促進を求める声が上がる。「NTTからの分離が設立時の経緯だ」。ドコモ躍進のけん引役である大里公二会長は再々編支持を表明。完全分離となれば、新生ドコモと日本テレコムなどの事業者が足並みをそろえ、NTTの地域電話会杜に接続料引き下げを求める構図も出てくる。
参院選をにらむ
とはいえ、巻き返しも速い。郵政省の政策転換の動きが表面化すると、NTTは日米間で交渉の難航する接続料引き下げ問題を巡り、自民党郵政族に即座に根回しを開始。「二年間で二二・五%引き下げ」を目指していた郵政省に、「三年で二二・五%下げ」案の提示をのませた。七日開かれた自民党通信部会の幹部会。中堅議員は「接続料を下げる原資があるなら、うちの選挙区のような地方でも、使い放題のインターネット定額制を入れろ」と主張した。参院選を来年に控え、党内には再編よりも利益誘導に傾斜する声も出てくる。野党も同じだ。NTT労働組合の.、支持を受ける民主党議員は電気通信局長ら郵政省幹部を訪ね、「大幅引き下げはNTTの経営に深刻な影響が出る」とクギをさした。
企業合併を緩やかに認める米国も、通信分野では"巨人。の台頭を阻止し、活発な競争を促す。昨年のNTT再編は「巨大NTTを通じて国際競争に伍す」狙いがあったが、今もこの論理が通用するのかどうか。利用者の視点でも、使い勝手の悪い通信インフラは情報格差を生み、個人や企業の国際競争力に障害となりかねない。
情報技術(IT)を経済新生の柱に掲げる森内閣。電子政府、ネット教育、電子商取引---。「国際水準」の通信基盤をどう確立するかが日本の将来のカギとなる。NTT解体か、それとも別の競争政策でIT立国を目指すのか。日本に立ち止まる余裕はない。
(経済部 三宅 伸吾)
ITとビジネスモデル
田中直毅
21世紀政策研究所理事長
情報技術(IT)関連企業の経営者の層間(みけん)のしわが深くなっている。主要国首脳会議(沖縄サミット)でIT憲章が採択され、またIT戦略会議が発足しても、それは変わらない。将来の利益を急拡大させるような事業を構築せよ、といかにせきたてられても簡単に算段などはつかない。
日本でIT関連の要素技術に一日の長を誇る企業は多い。では楽観的になれるのだろうか。事実は逆で、株式交換を通じて外国の企業に吸収されてしまうとの懸念が深いのではなかろうか。最良の防衛策は、株価水準を高くして企業の時価総額を増大させ、買収当事者にとっての費用を高くすることだろう。
ところが、ここで原点に戻ることになる。投資家に高株価を納得させるには、将来の利益拡大を確信させる材料を提示せねばならないからだ。ビジネスモデルの構築がIT関連経営者の課題とされる。だが彼らはおそらくうめくように「企業が闊達(かったつ)に動けるような制度の創設というエコノミックモデルの構築が先だ」と言うのではないだろうか。
書籍・CDのインターネット販売大手の米アマゾン、ドット・コムは累積赤字のため債務超過に陥った。しかし、エコノミックモデルには磨きがかかった。リスクキャピタルを提供した株主は、たとえ100%減資になったとしても、悪い想定が現実になったにすぎない。株主責任とは減資を受け入れることなのである。
経営者にとって破産はつらい。しかし、大胆な試みを通じていったんビジネスモデルを構築すれば、経済社会のソフトインフラをつくり上げたことになる。このため破産しても、新しい資本役人が予想され、新しい土俵から再挑戦が開始されるだろう。経済社会にとって、意味ある挑戦だったと総括されれば、経営者には次の機会が与えられるはずである。
これに対して日本のIT関連企業が株主資本を食いつぷしたとき、米国と同様な意味づけは可能だろうか。経済的規制が依然として障害となり、消費者が評価するような低価格や簡便さをまず提示できそうもない。
たとえばアマゾン・ドット・コムと同様の物流システムを構築しても、消費者の支払価格は安くはない。ということは売り上げの伸び率予想に多くを期待できず、要するにビジネスモデルは成立しない。経済的規制の撤廃というエコノミックモデルが先行せねばならないのだ。
たとえ企業が破たんしても、経済社会に新しいソフトインフラが残るならば、企業の墓碑に思いを込めることもできる。「供養」代わりに経営者に次の機会をあっせんすることもできよう。しかし破たんしたあとにソフトインフラとして数え上げるものがなければ、泡まつが消えただけとなる。魂も浮かばれない。
日本の資本市場は投資に対する収益率を期待するあまり、ビジネスモデルの成立だけを言い募りすぎたのではないか。そして結果として企業経営者を追いつめている。残ったのは高値で売り抜けたインターネット長者だけ、という構図は高齢化した日本には過酷すぎるだろう。まず馬車の前に馬を置くことから論じるべきなのだ。
ITと経済新時代
ITと経済新時代1
2000年(平成12年)7月12目(水曜日)
東京大学教授
西垣通
・情報技術(IT)革命が衝撃的で画期的なのは人々の日常生活を変革する点にあり、それは生産・消費のあり方など近代産業社会の本質を変える。
・放送と通信の融合によりテレビでは、生産(供給)者と消費者の「対話」が加速し、商品やサービスが大量生産・販売を通じた両者間の一回限りの取引対象から、継続的な個別取引の「場」を形成する要素に変質する。また携帯端末を通じ、活動場所の選択が自由になり「空間の再編成」が進む。
・ただIT社会では、既存価値の崩壊など危険も多く防止の努力が要る。
変化を体現するiモードとBS
産業革命に匹敵する「IT革命」が起きつつあるという。政府は「IT戦略会議」の設置を決め、主要国首脳会議(沖縄サミット)では「IT憲章」を採択する方針である。まさにIT旋風といった雰囲気だが、これは米国の空前の好景気が、IT関連産業からもたらされたためだろう。インフレなき経済成長が半永久的に続くというニューエコノミー論が半ば公式に認められている今、日本がこれに続きたいという願望が現れても不思議はない。
とはいえ冷静にみれば、これは少々不思議なことでもある。未来学者のアルビン・トフラーはすでに二十年前、情報革命を「第三の波」と呼んで予見していたし、「情報化社会」という概念にいたっては、さらにはるか以前から存在していた。すなわち単に「コンピューターが社会を変える」ということなら、とくに新味はない。意地悪な見方をすれば、かつてのニューメディアのように、さほどの衝撃を与えることなく、忘れられてしまう可能性も皆無ではないのだ。
では、IT革命でいったい何が変わるのか--。今回のIT革命の本質は「生活」の変化にある。この点が、かつての大型コンピューターによる産業形態の革新とは抜本的に異なる点だ。つまり、安価なマイクロプロセッサー技術がオフィスのみならず家庭の隅々にまで浸透していくことによって、一般大衆の日常生活がガラガラと音を立てて変わっていくと予想されるのである(トフラーは部分的にせよ、この変化を指摘している)。
鍵(かぎ)を握るのは言うまでもなくインターネツトやマルチメディア、さらには通信と放送の融合だ。この点で、昨年から今年、さらに来年にかけ、変化を感じさせる二つの事象がはっきり出現しつつある。第一はiモードなどインターネットに接続できる携帯電話の爆発的普及であり、第二は今年十二月から始まるBS(放送衛星)デジタルテレビ放送である。すでにiMac(アイマック)をはじめ、若者や主婦の感性に訴える新たなタイプのパソコンが登場してはいた。だが、それでもパソコンはやはり家電としては比較的高価であり、知識がないと使いこなせない機械である。これがいわゆるデジタルデハイド(情報化による経済格差)の問題を生む一因だった。
しかし、電話やテレビなら話は別である。すでに日本の携帯電話の総台数は六千万に迫っている。次世代携帯電話が登場する来年からは通信速度も四十-二百倍に高まり、きれいなカラー動画のやりとりも可能になる。そうなれば近々、一般大衆が携帯電話からインターネットに接続することはごく普通になっていく。ネクタイを締めたビジネスマンから厚底サンダルのギャルヘと、インターネットユーザーの重心が移っていくわけだ。
生産者と消費者共通の「場」形成
テレビが変わっていく影響はさらに大きい。デジタル化によって、画面が鮮明になったり、チャンネル数が増えるだけでなく、放送局との「対話」が可能になる。やがて光ファイバーなどによる大容量回線が整備されれば、一般視聴者がインターネット経由でテレビ放送局の作った番組を随時楽しむようになるかもしれない。いわゆる「通信と放送の融合」である。
このとき何が起きるか。大量生産した商品をテレビ広告で宣伝して売りさばくという基本路線が崩れていくのである。近代的な産業社会のメカニズムそのものが変質していくと言ってもよい。もはや「みんなが見ている番組」など存在しないし、視聴率すら無意味になっていく。国民的なアイドルを起用して消費者の欲望に火をつけ、マスの需要を喚起するという生産者の戦略は時代遅れとなってしまうのである。
代わって生産者に求められるのは「魚群を狙う」ことだ。つまり、大ざっぱに網をかけるのではなく、広い大洋のあちこちを回遊している魚群を狙って的確に誘導していく戦略が重要となる。
たとえば、歌謡番組で中国語の語学教材を広告してもほとんど効果は無いが、中国留学を舞台としたドラマにうまいコマーシャルを挿入すれば効果は上がるはずだ。
大切なのは、ここで生産者と消費者の間に対話が始まることである。すなわち、消費者は語学教材を使って中国語を学びながら、再びインターネットで生産者にアクセスし、質問や感想をのべる。その結果、生産者からはそれに応じた新たな教材、または中国語教室や中国旅行への誘いが提供されるかもしれない。
このようにして、生産者と消費者はデジタルインフラを介してつながり、対話をかわし、かけがえのない固有の経験を共有しあうことになる。もはや商品やサービスは売り切り、買い切りではなく、生産者と消費者が参加する持続的な「場」を形成する要素へと転化していく。
こういう関係は近代以前には一部の富裕な特権階級だけに許されたものだったが、IT社会ではそれが一般大衆に開かれていくのである。電子商取引や電子マネーは、単なる決済方法の変化ではなく、こうした新たな社会背景の下で大きな役割を果たすものなのだ。
既存の価値観の崩壊など犠牲も
また、携帯電話によるインターネット接続は、対話だけでなく「モバイル(移動)」というまた新たな変換要素をもたらす。これまで、インターネツトヘのアクセスはオフィスか自宅というのが原則だった。だが携帯電話によって、電車の中だろうと喫茶店だろうと、どこからでも制限なくインターネットに接続し、情報を送受信することが可能になる。このことは、単に便利だというにとどまらず、新たな「空間の再編成」を意味するだろう。
情報化が叫ばれながら、これまでの都市空間は相変わらず工業社会の理念で組み立てられていた。いや、さらに農業社会の名残を引きずっていたと言っても過言ではない。現在の道路の大半は江戸時代の道路を受け継いたものであり、車と人で混雑している情景は、農業社会の空間に工業社会の製品が無理やり割りこんだという印象を与える。
今の都市空間は、農業社会の空間を工業社会向けに整備してできたものだ。工業社会では、工場やオフィスなど生産の場は居住の場と分けるのが普通である。現に工業用地域と住居用地域とは区分されている。しかし、IT社会においては、情報や知識の生産が主流となり、それは普通の住宅やマンションでも可能な場合も多い。たとえばゲームソフトの開発には、住宅地の小さな工房で十分だ。いやそれどころか、「モバイル」はさらに自由度を高める。自宅から出て、どこか気に入った美術館とか盛り場などに出向き、そこの雰囲気を「入力」してプログラムを作り、携帯電話で発注元に納品する、といった仕事のやり方も可能となるのである。
一方これに応じて、都市空間そのものも、色々な仕掛けを用意できるかもしれない。映像や音楽など多様な情報が街の情報端末からあふれたし、訪問するたびに違った街になりうる。生産と消費の場が、微細かつ動的に入り交じっていくのがIT社会なのである。
以上のように「対話とモバイル」はIT社会のキーワードとなる。そこでは、個々の生産者、消費者の自由が比較的許され、刺激に満ちた経済・文化活動が繰り広げられていくだろう。
ただし、あえて言えば、IT社会とは決して楽しいだけのものではない。産業社会の管理的抑圧は消えるかわりに、既存の価値観は崩壊する。社会的連帯は失われ、競争が激化し、脱落への神経症的な不安が渦巻く無秩序社会になりかねない。インターネットセキュリティー(安全)向上をはじめIT社会の危機管理は極めて大切だが、その実施はたやすいものではない。
IT革命は経済発展のみの面から楽観的に論じられがちだが、革命には必ず大きな犠牲が伴う。犠牲を巖小限に抑える方策はどこにあるのか。何とかその方策を見いだす努力の必要性も、また銘記しておかなくてはならないのである。
ITと経済新時代2
2000年(平成12年)7月13日(木曜曰)
米国際経済研究所シニアフェロー
キャサリン・マン
ハーバード大卒、MIT博士。米連邦準備理事会、米大統領経済諮間委員会、世界銀行などを経て現職。
・情報技術(IT)革命による経済変革のカギを握る電子商取引を拡大するには、通信や金融、物流などサービス分野の基盤強化が重要だ。各国の政策当局はこうしたサービス分野について競争促進のための制度改革を包括的に進めないと、相乗効果は出ない。
・国際的な取引の拡大に対応するには税制の見直しが必要。各国は国際協調を通じ所得に課税(法人税や所得税で)する体系を整えるべきだ。税以外の分野でも市場重視の改革が重要だ。
コスト削減が経済成長を促す
インターネットと電子商取引は、熱狂にあおられた面もあるが、その急速な進展ぶりは歴史的なものである。起業家は新しい市場を拓(ひら)き、既存企業は生産販売の新戦路を武器に事業再構築を進め、消費者は国境を超えた取引を増やしている。電子商取引が生むマクロ経済面の効果はどれくらいで、そのために国家は何をしなければならないのだろうか。
電子商取引は資源効率を高める。それはより高い生産性を生み、より高く持続可能な経済成長を促す。こうした効果は米国のようにインターネット経済を主導する国だけでなく、電子商取引を導人し始めた国も享受できる。
効率を高めるうえで重要なのはインターネットを介した企業間取引(BtoB)取引であり、それは電子商取引の大半を占める。
現在、電子商取引の売上高の八割近くがこの企業間取引で、近くこの比率は九割を超す。商品はそれ自体だけでなく、サービス、情報、そして納期、引き渡し場所まで包含したものだという新概念が広がりつつあるのに沿った動きである。
BtoB取引のコスト削減効果は大きく、それは製造、非製造業に広範に及ぷ。ゴールドマン・サックスのスタッフによる推定では、その効果は航空宇宙、鉄鋼・製紙、通信、メディア広告などの分野で10%、電戸部品・機械、林産品、貨物運送などの分野では20%以上に達する。このくらいのコスト削減効果が日米英独仏の主要五カ国に十分浸透すれば、それだけで各国の国内総生産(GDP)は毎年約0.25%増加するという。
国連貿易開発会議(UNCTAD)も、先進工業国と発展途上国の双方について、これとは異なる手法で調査をしているが、同じ結果が出ている。途上国でもサービス部門の改革などを通じもっとITを導入しやすい環境を整えれば、同様の利益を享受できるわけで、電子商取引は決してゼロサムゲームではないということだ。
ただし、これには政府が正しい政策を推進するならば、という条件が付く。目のくらむような速度でネットワーク化が進むなかで、情報は重要性を増し、効率的で相乗効果を発揮できる基盤(インフラ)などが必要となる。そのためにいまほど知識や技能、起業家精神、そして柔軟な思考が求められている時はない。
通信・金融・物流包括的な改革を
まず重要なのは、通信、金融、物流といったサービス分野のインフラ強化に向けた規制緩和などの競争促進策である。通信は企業、個人のインターネット活用頻度に直接影響する。外国企業を含め通信サービス業者間の競争は市内電話料金を大幅に下げ、それが消費者の「ネットサーフィン」を活発にし、ひいては新しい情報や商品、ビジネスチャンスの開拓を促していくのである。
金融仲介業者の役割も大きく、例えば金融部門が決済などの取引を迅速かつ確実に処理できれば、地方の企業がグローバルに活動できる土台が固まる。
物流チャンネルもまた安全・確実で簡便な取引を可能にする。金融、物流の両部門が強化されてはじめて、買い手と売り手がインターネット上で出会い、円滑に取引できるようになる。運送業者間の競争が活発なほどメーカーが生産拠点を地方に分散しやすくなるのもそういうことだ。
裏返せば電子商取引によって、通信、金融、物流など各サービス分野問で相乗効果がしっかり出ているかどうかが判明する。また電子商取引は生産-流通の付加価値連鎖の拡充にも大きく寄与する。
それだけに、こうした分野すべてでインフラの強化を同時、包括的に進めることが不可欠である。一部門のインフラを強化するだけでは、その国の国際競争力の向上は望めない。サービス部門の包括的なインフラの基盤強化は一刻を争う問題だ、という認識が不可欠である。インターネットや電子商取引がもたらす将来のメリットヘの期待は誇大広告の面もあるが、一方で、伝統的な行政介入の弊害を是正しない限り、真のメリットも享受できないという厳しい現実を直視すべきだろう。
第二に、政府は先手先手を打ってこの新たな状況を生かしていくべきである。民間企業がビジネスの手法を変えるように、インター.ネットと電子商取引は、政府に行政サービスや事業の見直しを迫る。それは税金の徴収とその再分配をはじめ、公共サービスに広く当てはまる。
インターネットには、役所司土や役所と国民とのコミュニケーションを活発にし、公共サービスの提供をより円滑にさせる効果がある。政府調達は今後さらに透明で競争的な仕組みに改善され、それによるコストの節約分は納税者への還元や別の事業費に回せる。
望ましいのは法人税と所得税
税制への影響はとくに大きい。電子商取引により税務コストの低減が可能になるだけではない。政策(立法も含め)当局はグローバルな情報とネットワークに基づく電子商取引の本質への認識が甘く、税制はほとんど見直してこなかった。
しかし現在は、大半の税制が国内取引だけを念頭に置いていた分、グローバル化する経済活動に追いつけていない欠陥が急速に目立ってきている。すでに、こうした不備により国内の電子商取引と国境を超えた電子商取引とで税務上の取り扱いに格差が生じており、納税などの面で企業や消費者に余計な手間をかけさせている。
政策当局は電子商取引の普及を見込んだうえ、それに対応可能な租税・関税の包括的なシステムを構築する時期にきている点を銘記すべきである。その際、課税の対象はより広く、簡素なもの、つまり、取引でなく所得にすべきだ。そして究極的には、課税の源泉価値は企業ではなく人に求められていくはずだ。
各国は国内の税制変更と国際協調により、薄く広く課税する低率の法人税と累進的な個人所得税で課税するようできる範囲で足並みをそろえるべきだし、それは可能だ。こうした税制により社会的により公平な仕組みができ、税務面でもいまより負担を減らしていける。
第三に、電子商取引の普及にはシステムなどへの信頼が不可欠で、それには売買契約などに関する明確な法的枠組みが必要になる。市場が切れ目のないグローバルなものなっていくにつれ、各国の権限の及ぶ範囲は一段と重複していこう。それだけに、国ごとに規制などがばらついているほど、ネットワークの効果とグローバルで効率的な市場に根差す電子商取引のメリットは損なわれていく。
ただ、すべての国がすぐに単一の規制や制度に合意できると考えるのは非現実的だ。むしろ、異なる規制や制度の相互運用を目指すべきである。相互運用性は規格などが各国共通だということを意味しない。そこでは民間などが国ごとに異なる規制の橋渡しを進める(あるいは廃止を呼び掛ける)ことが重要になる。肝心なのは、政府介入が民間の革新的な活動のインセンティブをそいではならないということである。急速に技術革新が進む下では、国の目標を達成するための政策手段として市場重視のアフロ一チが、規則主導のアプローチよりも優れているのである。
発展途上国も含めインターネットや電子商取引の普及は、所得、教育などの水準に左右されることは間違いない。しかし、大事なのはその国でのアクセス回数の拡大ではない。あるコミュニティーのなかで、公民権を持たない人を含め、いかに多くの人々をコミュニティーに貢献できる主体に変身させるかということである。
そうした精神をはぐくみ、企業活動やコミュニティー活動への参加者が増えるように民間の協力を促すことこそが、デジタルデハイド(情報化が生む経済格差)縮小に向けた政府の役割である。
個人や企業がこの新しいグローバルな環境にとけ込めるかどうか、そしてそのメリットをフルに享受できるかどうかは、民間の自主性だけでなく政策当局の姿勢にもかかっている。
ITと経済新時代3
2000年(平成12年)7月14曰(金曜日)
・情報技術(IT)革命はマクロ経済の動向を大きく左右する。日本が少子高齢化による労働人口の減少をITで補うには国内でのIT関連投資の拡大が必要で、投資が米国などに逃げないための制度整備などを急ぐべきだ。
・通貨や物価などへの潜在的影響も大きい。貿易財と非貿易財の生産性格差が円高傾向を生んできたが、ITで非貿易財の生産性が改善し円高傾向が収まる可能性がある。そのために非貿易財産業の一段の規制改革が必要だ。
労働人口減でも成長力を維持
主要国首脳会議(沖縄サミット)では、世界で急速に進むIT革命が中心議題となる。日本でも、首相の諮問機関として「IT戦略会議」が新設されるなどITが急速に政策課題の中心に据えられつつあるが、IT革命のマクロ経済への影響については必ずしもはっきりしないのが現状である。ここでは、日本が直面するマクロ経済の課題に対して、ITがどんな解決策を提示できるのかを考えてみたい。
まず考えられるのは少子高齢化への対応である。特に、日本経済にとって最大の心配は労働人口の減少で、潜在成長力に対して明らかにマイナスに作用する。ITにより労働人口の減少をどこまで補えるかが鍵(かぎ)になる。この点、IT先進国の米国では、九〇年代後半になって全産業ベースでの生産性上昇が確認され、日本でもIT投資に伴う生産性向上に期待がかかる状況にある。米商務省が六月初めに発表した「デジタルエコノミー二〇〇〇」は、米国の非農業部門の生産性の伸びが七三-九五年の1.4%から、九五-九九年には2.8%に倍増したと報告している。こうした分析は、労働人口の減少にもかかわらず1Tによる生産性上昇によって潜在成長率をプラスに維持できることを示唆するだけに、日本にも心強いものである。ただ日本についてIT投資の効果を判断する場合、ITシステム投資がもつ既存の投資とは異なる側面にも注意を要する。
IT投資は有形固定資産の積み上げという従来の投資と異なり、企業自らは軽装備のまま、ITシステムの開発や運用を外部へ全面委託する形をとることが多い。外注が日本国内にとどまる限り、企業のIT投資はリース産業などの伸びに振り替わるだけだが、ITシステムを例えば米国からネット経由で利用できることになれば、日本企業が導入するシステムは米国からの輸入となる。
現在は大幅な経常収支黒字が続く状況にあり、短期的には輸入増はむしろ歓迎される面もあるが、少子高齢化に伴い経常黒字が急速に縮小することを考慮すれば、高度のITシステムを内装化するための受け皿作りが是非必要である。
再三の円高圧力沈静の契機にも
第二は、ITの円相場への影響である。これまでの日本の成長は、輸出産業で技術革新が進み、国際競争力が増し、それが貿易黒字を発生させるという形で実現してきた。
しかし貿易黒字の増大は、円相場を上昇させ、それが輸出産業の国際競争力を奪ってきた。円高に対処するため、輸出産業はさらに生産性の向上に励み、再び輸出競争力をつけるが、それがまた円高を招くというイタチゴッコが長期間続いてきた。この結果、円相場に明確な上昇トレンドが発生したのである。
この悪循環の仕組みは、経済学者の問ではバラッサ=サミュエルソン仮説で説明されている。それは「貿易財産業での生産性伸び率が非貿易財産業での生産性伸び率に比べて高い場合には、その格差分だけ円高が進む」というものである。
貿易財産業の生産性が上昇すると、価格が低下する一方、貿易財産業の支払う賃金が上昇する。貿易財産業と非貿易財産業の間の賃金格差は広がらないとすると、非貿易財産業でも賃金は上昇の方向に動く。ところが、非貿易財産業では生産性が上昇していないため、賃金の上昇分は非貿易財の価格に転嫁され、この結果、非貿易財の貿易財に対する相対価格は上がる。
貿易財の価格は内外で一致している(貿易財について購買力平価が成立している)から、非貿易財の相対価格の上昇は、日本の物価水準が海外に比べて高くなることを意味する。このとき為替相場は、非貿易財の相対価格上昇による物価全体の押し上げ効果を打ち消す方向(円高)に動く。このメカニズムで重要な部分は、貿易財産業での賃金上昇が非貿易財産業に波及することである。日本ではかつて、春闘において横並びで賃上げが決まる傾向が強く、それが賃金の波及に一役買っていた可能性がある。しかし今後は、個々の労働者の賃金決定において業績や生産性に見合った賃金という考え方が広がる中で、非貿易財産業の賃金が他産業との横並びで決まるとは考えにくい。
ただ他方で、企業間や業種間での労働力の流動性は急速に上昇する傾向にあり、中長期的には労働移動を通じて賃金上昇が波及するメカニズムが強まろう。今後は、これまでとはやや異なるかたちで、バラッサ=サミュエルソン仮説が成立すると考えられる。
この仮説のポイントは、円高の悪循環が発生するのは貿易財産業の生産性そのものに原因があるわけではなく、非貿易財産業との対比でそれが高過ぎるところにあると主張している点である。確かに、これまでは、日本の非貿易財産業の生産性の伸びは低く、一方で貿易財産業の生産性上昇は顕著であった。
しかし、.将来は変わる可能性がある。ITの技術特性からすると、IT革命の恩恵はモノ作りの現場よりも、むしろ情報のやりとりで成立する非貿易財産業にこそ強く表れるとみるのが適当である。将来は非貿易財産業の生産性が画期的に上昇する可能性がある。
例えば、非効率の代名詞とされてきた流通業でも、規制緩和の流れとITの普及により、高い生産性を実現する企業が出てきている。金融業でも、金融ビッグバン(大改革)への対応を迫られる中、異業種の参入や合併などを機に、IT投資を積極化させる動きがみられる。さらに、米国ですでにみられるように教育や医療の現場でIT活用が本格化する可能性もある。
また、ITは、これまで非貿易財と分類されてきたサービスを、貿易財に転化させる。例えば、全世界の学生を相手にするインターネット大学は、教育サービスを貿易財に変える可能性を秘める。そうなれば、既存の教育システムの効率性も向上しよう。
非貿易財産業の生産性上昇により円高トレンドが是正されることは、貿易財産業にとって望ましいことである。ただ、メリットはそれだけにとどまらない。価格決定権移り物価の概念変化円高はこれまで日本の経済政策運営に大きな影響を及ぼしてきた。例えば、ニクソンショック後の過剰流動性、プラザ合意後のバブルは、いずれも円高が国内企業に及ぼす影響を政府や日銀が強く懸念した結果発生した面がある。また、効果の不確実な為替介入に多くの労力と資金を投入するのは先進国では日本だけだが、これも円高恐怖症の影響である。ITにより生産性格差が縮小すれば、こうしたじゅ縛から逃れ得る。
もちろん非貿易財産業の生産性を高めるのは容易ではない。しかし、IT革命により非貿易財産業の生産性を上昇させる技術的な環境が整いつつあるのは疑いもない事実である。したがって、いま必要なのは、非貿易財産業での徹底した規制撤廃による競争促進策であり、同時に、従来ITとなじみの薄かった教育や医療分野などの公益分野をも巻き込んだIT活用のための教育や参入規制の見直しなどが求められよう。
第三には、物価の概念および金融政策への含意である。IT革命は、これまで生産者物価、卸売物価、消費者物価といった具合に分けて把握、分析できていた物価の概念の見直しを迫っている。「摩擦のない市場」である電子商取引の普及は、価格の調整費用を下げる。一方、消費者が価格決定権を握るウェートが高まるため、物価情報は複雑化する。
つまり、標準化された規格品型の商品は電子商取引市場で一物一価が速やかに成立する一方で、個々の消費者ニ-ズに即したオーダーメード型の商品の価格は消費者間で大きくばらつくことになる。
その場合に、何をもって物価と定義するのか、それをどうやって計測するのか、金融政策の目標をどこにおくべきか、といった点について新たな視点から検討する必要が出てくるであろう。
IT革命の衝撃は大きく、マクロ経済への影響にも十分配慮した政策対応を考える時期にきているのである。