古典を読む

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「国富論」

 

森口 親司 帝塚山大学教授(もりぐち・ちかし)33年生まれ。大阪大学名誉教授。專門は数量経済政策・世界経済諭

 

あらゆる国民の年々の労働は、その国民が年々に消費するいっさいの生活必需晶および便益品を本源的に供給する資源であって、この必需品および便益晶は、つねにその労働の直接の生産物か、またはその生産物で他の諸国民から購買されたものかのいずれかである。

      岩波文庫版(大内兵衛・松川七郎訳)冒頭

 

人間的迫力が古典の条件

緑陰で古典をひもとくことは、夏休みを知的に過ごす最も「古典的」な伝統である。静かな緑陰がなくても、クーラーのよく効いた蓄斎で、自然環境もののCDソフトを鳴らしながら古典を読むのも悪くない。だが貴重な知的充実の時を過ごすのにふさわしい経済学の古典とはどれだろうか。私が思うに古典の条件は二つある。まず何よりも、読んで面白いものでなくてはならない。豊穣(ほうじょう)な知識があふれていて、ぺージをめくるごとに、しばらく目をつぶって想像力が飛翔(ひしょう)するのを楽しむことができるもの、いわば「原典に接する悦(よろこ)ぴ」があるものでなくてはならない。

古典のもう一つの条件は、経済社会の発展の方向を明快に示すビジョンを持つだけでなく、発展をはばむ制度的な障害や俗論を痛烈に攻撃する著者の人間的迫力に満ちたものでなくてはならない。この第二の条件を満たさなくてはならないのが経済学(ボリティカル・エコノミー)の特質である。経済学の古典はその意味で論争の書であり、時代の制約と潜在的な力を予感させる歴史的ドキュメントである。

以上二つの条件を満たす書物は、「古典」としてそれが誕生した時代の制約を超えた普遍性を獲得する。それが現代および近未来の課題と取り組む私たちに栄養とエネルギーを与えてくれるのである。アダム・スミスの『諸国民の富の性質と原因の探求』(一般的な略称は『国富論』あるいは『諸国民の富』)はまさに第一級の古典であろう。私自身久しぶりに接してみて改めて知的興奮を覚えている次第だが、さて若い読者諸氏が『国富論』に取り組んだとして同じような感想が得られると期待できるかどうか、これを保証するのは難しい。

学生時代に岩波文庫で初めて読んだときの印象は、「なんていろいろなことが書いてあるのだろう」ということだった(正直な話、細部の情報の洪水におぼれて最後まで通読できなかった)。ギリシャ・ローマ時代の経済から、植民地・米国の歴史まで、1700年代の英国における肉と白パンの相対価格の推移に関する議論と時系列データの付録など、今でいう数量経済史のフィールドワークが豊富にあって驚かされた。

スミスに始まる古典派経済学を体系的に理論化したとされるジャン・バプティスト・セーは、スミスの大著を評して「……政治経済学の…諸原則をごちゃまぜにしたものにすぎない。(ただ)それは見事な例証や非常に面白い統計的観念に支えられ……教えられるところの多い思考も混じっている」と述べている。自分の理論的な功績を誇るために先達の業績を軽視するのは、世の傲いとはいえ、よくない傾向である。

辛口で自分以外の経済学者を見下す癖(へき)のあるガルブレイスは「膨大でまとまりのない諭述である」と言う。しかし、これも言い遇ぎであって、国富論は「膨大」ではあるが、まとまりのある書物である。スミスと同時代の英国の歴史家ギボンは、スミスの大著を「最も深遼な思想を最も明快な言葉で表現している」と述べている。

 

分業による発展総合的に見通す

ギボンの言う「最も深遼な思想」とは何か。それは、工業力を飛躍的に発展させた「分業」という技術革新(シュンペーターの言うイノベーション)のもたらす経済社会の発展の行く先を、総合的に見通したことだ。

分業の進展によって(そして市場の拡大によって)国富としての年々の生産物は成長する。人々の職業が分化し、多くの専門職が生まれる。これとともに人々は勤勉と正直とがベスト・ポリシーであることを学習する。これは特に技術の向上に専念する産業家ないし企業家にあてはまるが、単純作業に従事する労働者が無知や愚鈍に陥るのを防ぐために公共資金による教育の「強制」、つまり義務教育が必要だといろ。

レッセフェール(自由放任)の下での「私利の追求」は自由競争を通して社会の調和の取れた発展をもたらすという「見えざる手」の理諭は、グラスゴー大学の「道徳哲学講座」の教授であるアダム・スミスの思想的根幹である。「見えざる手」論のアイデア源とされるマンデビルの『蜜降(みつばち)物語』は、個人の悪徳が社会的善をなすことを風刺的にうたう詩編である。マンデビルのシニカルな論調に対して、スミスはこれを百八十度転換してポジティブで楽観的なビジョンに置き換えた。

スミスのビジョンは、多くの実証的な検討や先達の学者の議論から帰納的に導かれたものであって、セーの言う「見事な例証」が大切だ。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』や通産省の「産業ビジョン」のように格好よく時代を先取りする表現でうたわれたものではない。スミスの肉声は、豊穰な議論の詳細の中にある。

実際、国富論の中に我々が見いだし目を奪われるものの多くは、経済史の古今東西にわたる史実や、英国や欧州諸国の税制、教育制度、植民地・米国の現実についての詳細である。産業資本主義が発展する英国にとって窮屈だったのは、同業者組織のカルテル行為、遅れた大学教育(「腐敗している」とまでスミスは述べている)、それに歪(ゆが)んだ税制と公債発行に頼りつつ要らざる介入を行う政府である。

それぞれの詳細を議論する中に、スミスの精神の躍動が感じられる。俗論を攻撃し、時代遅れの大学教育を批判するスミスの舌鋒(ぜっぽう)は鋭く、口の悪さも相当なものである。それはまさに緑陰での読書にふさわしい。

 

今でも新鮮な大学改革諭

『国富論』はその出版された1776年に先立つ25年間にわたってのアダム・スミスの思索と読書の成果である。思索はスミスと同時代に活躍した人々との交流によって刺激された。蒸気エネルギーの発見者であるジェームス・ワットはスミスの友人であり、当時英国に滞征していたベンジャミン・フランクリンとの交流から新大陸での経済発展について教えられたという。

しかし、蒸気機関の発明と応用(スチーブンソン)と繊維産業での技術革新(カートライト、ハーグリーブス、アークライト)に始まる第一期産業革命は、『国富論』以後にその本格的な姿を現す。スミスの分業と予定調和論の世界では、家内工業式のピンエ場での分業がモデルであって、まだダイナミックな技術革新はその主役でない。1800年代に入ってからの技術革新は、大量生産と収穫逓増をもたらし、自由競争から次第に独占への傾向をあらわにしていく。独占資本主義の発展と労働者の集団的行動が主役となる「マルクスの時代」を経た後、さらに第二次世界大戦後の冷戦下における資本主義と社会主義との間の体制間競争を経て、西欧文明(日本を含む)の国々は福祉国家に到達した。そして福祉国家が生み出す適徳的退廃の多くの例を、今日私たちは目の前に見ている。『国冨諭』後220年の現在は「脱福祉国家」の時代であり、市場経済の活性化を図るためのディレギュレーション(規制緩和)を唱える人々にとってスミスはその守護神である。

スミスの原典にあたって、レッセフェール哲学を200年前の歴史的文脈の中で理解しておくことは、有用である。なお驚くほどの現代との共通点を読者は見いだすはずである。大学改革論は今なお新鮮で痛烈だ。

21世紀初頭の歴史的文脈では、スミスにおいて完全に欠落していたものもある。たとえば地球環境的制約と私利追求との調和がそれだ。アダム・スミスはそれでもなお、人類の新しい道徳哲学をどう構想するかについて、私たちの想像力を働かすためのエネルギー源となるだろう。

1997/8/4/

カール・マルクス

 

資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現れ、個々の商品はこの冨の成素形態として現れる。したがって、われわれの研究は商品の一分析をもって始まる。岩波文庫版(向坂逸郎訳)冒頭

 

福岡正夫

関東学園大学教授 24年生まれ。慶応義塾大学名誉教授。専門は経済理論

 

階級的憎悪を「搾取」で説明

カール・マルクスの『資本論』は経済理論、歴史、社会学、プロパガンダの独創的な混成物であり、「労働者階級の聖典」としで長らく資本主義体制の不正を憤る人のよりどころとなってきた。

本来マルクスは、歴史を弁証法的な過程として捉(とら)える方法をまずへーゲルから学ぴ、ついでフォイエルバッハの唯物論哲学に従って、歴史の推進力を普遍的絶対糟神ではなく物質的な条件に求める立場に移行した。

しかし、より実践的で社会的志向の強かったマルクスは、フォイエルバッハの抽象的思弁の世界には飽き足らず、ほどなくフランス社会主義者の影響によって、社会の弁証法的発展の行きつくす先は私有財産の廃止された自由の状態であり、これを実現すべき歴史的使命の担い手こそプロレタリアートであるとの見解に到達した。

この過程で注目すべきは、マルクスが本格的に経済学の研究に手を染めるより前に、すでに彼のプロレタリアートによる私有財産否定の図式は明確に出来上がっていたということである。つまりある論者が喩(たと)えて言ったように、ドイツの哲学が一階、フランスの政治思想が二階とすれば、英国の経済学は彼にとって既定の構造を改変しないかぎりでの三階の必要工事だったのである。

だから、マルクスがリカードを経済学の師と仰いだとしても、それは彼が虚心坦(たん)懐にリカードの学説をそのまま継承したという意味に解すべきではない。シュンペーターは「リカードの教えが釣り針から糸、錘(おもり)に至るまで、すべてがマルクスによって鵜呑(うのみ)にされた」と書いたが、実はそのようにして飲み込まれた素材は、マルクスの堆珊(るつぼ)の中で元来リカードが考えも及ばなかったような独自の目的に役立ちうる形に鋳(い)直されたのである。その目的とは、リカードの労働価値説を自らの史的唯物論と融合して、プロレタリアートのブルジョワジーに対する階級的憎悪が、前者の後者による搾取によって説明され正当化されることを暴露し論証することであった。

『資本論』におけるマルクスの議論は、次のように概括できる。まず彼によれば、すべての商品の価値は、それをつくるのに必要な直接およぴ間接の労働量に等しい。ここで間接の労働量とは、直接労働(「生きた労働」)とともに生産に用いられる資本財の中にすでに体化しでいる労働(その意味において「死んだ労働」)の量をいう。どの商晶も、そのような自らのうちに凝結している労働量の大きさに従って交換されるというのが、彼の労働価値説である。

すると労働力そのものもまた市場で取引される商品の一種にほかならないから、やはりこの労働価値説の適用を受け、労働力の価値はそれを再生産するに要する生活資料(消費財)の中に含まれている労働量ないしは労働時間数によって規定されることになる。

ところが資本主義体制の下にあっては、資本家は労働者を、その労働力の価値を超える労働時間にわたって働かせることができ、そのために労働者のつくり出す価値は必ずそれをつくるのに用いられる労働力の価値を上回る結果となる。この超過部分がいわゆる剰余価値であって、それが資本家階級の取得する利潤の源泉にほかならない。

 

価値と価格の二重計算体系

資本家はそのような剰余価値を絶えず増殖する衝動を持ち、そのために彼らの剰余を投資に回して、生産規模を拡大していく必要に駆られる。ところが資本蓄積が進行して労働力需要が増えていくと、賃金率が高まり利潤率が押し下げられる傾向が生じるから、資本家たちはそれを抑制するために労働節約的な生産方法を導入する。その結果、産業予備軍と呼ばれる相対的過剰労働力のプールが形成され、賃金は再び低下して労働者の生活を窮乏状態に引き戻してしまう。

このような資本主義の不可避的な運動法則は、繰り返されるにつれて次第にそのモメンタムを増し、失業の累増に伴って大衆の窮乏化が深まると同時に、資本の蓄積・集中により社会の物質的生産力はますます飛躍的に増大していく。

資本主義体制には、こうした大衆の購買力不足と過剰生産との矛盾が基本的に含まれているわけであり、結局それが恐慌の発生という形をとって顕現化せざるを得ない。そして貧富の差の拡大、矛盾の激化とともに、そのような恐慌も次第に深刻の度を加え、ついにそれが堪え難い段階に達したときに革命が爆発して、資本主義体制は崩壊するというのである。

こうしたシナリオを語る本書の膨大なぺージは、憤りに満ちてはいるが、不思議と冷徹な論理に貫かれている。その叙述の晦渋(かいじゅう)さは、弁証法もさることながら、著者の価値・価格理論の適用法が他のいかなる古典派の先輩ともまったく違っていることに由来するものであろう。

つまり彼は価値と価格との二重の計算体系を持ち、それが資本主義の欺購(ぎまん)的粉飾を剥(は)ぎとって、その悪を暴いてみせる上で不可欠であるとされている。要するに、価格が価値からいかに離反しようが、労働を価値形成の実体とみなさなければ、表皮の下に潜む「本質」を理解することはできないと主張されているのである。

しかし、そのような主張を、現代経済学の立場から素直に承認するわけにはいかない。なぜなら、かつてサミュエルソンが辛辣(しんらつ)に言ったように、「真理はつねに誤謬(ごびゅう)プラス乖離(かいり)として表される」のであって、真理から乖離を取り除いたものが「本質」である保証は毛頭ないからである。

 

社会主義崩壊決定的な打撃

『資本論』は、それを一行も読まない人、あるいはその難解で回りくどい推論を分かりもせずに読んだ人によっても、盲目的に崇拝され、また憎悪されてきた。しかし客観的な事実について見る限り、すでに世紀の変わり目ごろから、上記の分析から導き出される諸法則、なかんずく労働者階級の窮乏化や利潤率の長期趨勢(すうせい)的低下の法則などは、すべてあてはまらないことがだれの目にも明らかになった。

ついでに生じたロシア革命や中国革命は、いずれも『資本諭』に反する革命の見本であり、また六〇年代の反体制運動も、工場労働者ではなく学生・進歩的文化人・女性らを主体としたもので、『資本論』のマルクスならぬ初期マルクスが彼らの典拠となった。さらに加えて、マルクス自身が重視した経済的理由に基づき、旧ソ連の経済が社会主義体制から資本主義体制へと逆の転換を遂げた事実は、彼の教義の適切性に対して決定的な打撃を与える出来事であった。

にもかかわらず、『資本諭』に現在なおクラシックの地位を与えうる理由があるとすれば、それは何であろうか。かつてEH・カーはそのマルクス伝の中で、恐らく後世の読者はマルクスが当時の資本家に「収奪」の罪を着せたことは正しかったと言うであろうが、それは経済学的な考慮ではなく道徳的考慮に基づいた判決であると述べた。

確かにマルクスがこの断罪を支持しようとして用いた経済学的分析は場違いであり、『資本論』は、薯者の予言者的な義憤の調子が無味乾燥な経済学談議の進行をさえぎるがゆえにこそ偉大な著書なのだ、と論ずることには一理あるかもしれない。

今日では、こく一部の專門家を除けば、何びとも、マルクスが労働価値説と剰余価値論の粉飾の下に提示した一連の経済学的誤謬のゆえに『資本論』を読むのではない。本書の中でその値打ちを持ちこたえている部分は、前世紀の中ごろのイギリス労働者階級が、男も女も子供も彼らの雇い主のために利潤を稼ぎ出している恐るべき生活条件の迫真的描写である。

このようなリアリズムが思弁にとって代わり、道徳的義憤が経済学的分析に勝るところで、『資本論』がふたたび不死鳥として甦(よみがえ)る日が来るであろうか。

1997/8/5/火 経済教室より

3

マックス・ウェーバー

 

さまざまな種類の信仰が混在している地方の職業続計に目をとおすと、通常つぎのような現象が見出される。…−近代的企業における資本所有や企業家についてみても……教育された従業者たちについてみても、彼らがいちじるしくブロテスタント的色彩を蔚びているという現象だ。岩波文庫版(大塚久雄訳)冒頭

 

猪口孝       東京夫学教授 44年生まれ。前国連大学上級副学長。専門は政治学・国際関係論

 

「進歩」前提の近代社会科学

近代社会科学という単純化された考えは次の三個を不可欠的な条件として要求していた。近代社会科学は進歩を前提としていたとされる。近代社会科学は実証による法則化を企図していたとされる。近代社会科学は価値に距離を置く作業を要求するとされる。

ここで進歩とは、社会がいわば一直線に良い方向に展開していくことである。ここで法則化とは、自然科学においてなされているとされる因果的な関係の一般的な確立の杁み重ねである。ここで価値からの距離とは、いわば客観主義に立った価値判断からの禁欲を要求することである。

実際、私が大学生だった三十年以上も前(一九六〇年代前半から中葉)の記憶をたどってみると、日本社会においてマルクス主義が次第に魅力を減退していく過程にあったし、同時に米国流の社会科学が着実に浸透し始めていた。進歩は「所得倍増計画」が象徴していた。実証の必要はマルクス主義的教条に対する懐疑の増大から強調されていった。価値判断からの禁欲は計量経済学のようなテクノクラティックな方法の隆盛において前提とされていった。

そもそも近代社会科学はあまりにも長い歴史を無理して圧縮した産物ではなかろうか。それも恐らく米国流の社会科学が、とりわけいわゆる新古典派経済学がその型を人々に押しつけてしまったのではなかろうか。ポール・サミュエルソンの経済学がアダム・スミスからの雑多な経済学思潮を強引に総合した時、ダニエル・ベルの社会学がカール・マルクスの幻影に反駁(ばく)した時、そしてロバート・ダールの政治学が米国型民主主義に理論武装を与えた時、米国流社会科学による文化的覇権の確立はなされ、三世紀余りにわたる紅余(うよ)曲折と歴史的文化的なニュアンスをもったさまざまな社会科学的思潮が忘れ去られてしまった。

米国流社会科学では、田舎に置かれたキャンパスで  社会とはかなり隔絶された専門職業的な競争原理の下で、大量の学者の仕事が匿名のレフェリーの集合的な判断によって優劣の区別がつけられ、その累積によって学者の評価が決まり、学派形成が思潮と派閤の混在した中でうねりながら展開していく力学がある。その中で米国流社会科学は大河となった。

言うまでもなく、米国流社会科学は異質なものを寛容するのであり、異端的な思想をも多く育てているが、そこのけ、そこのけ、おうまが通る、という感じを与えるオートセントリツクな展開のうねりは否定できなかった。

マックス・ウェーバーはその実像が複雑であったために、米国で受容された時には、文化的覇権に調和するように、進歩、実証的法則化、そして客観主義に合うように、そのプロフィルが描かれたのではないだろうか。実際のマックス・ウェーバーは十九世紀第四四半世紀から二十世紀前半にわたった欧州の行き詰まりを敏感に感じ取り、身体、精神どもに欧州の、したがって文明の矛盾を反映した知的作業を行ったに違いない。欧州の苦悩、文明の矛盾を体現したのがウェーバーと言ってよいのかもしれない。

 

行動律する宗教や信念

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を例に、どのような議論をしたかをみてみよう。資本主義の精神というものがあるとすれば、プロテスタンティズムが合理化した世界像こそがそれではないか。その世界像とはプロテスタンティズムの倫理に沿って生きれば、必ずや神に報われるはずだという信念があり、それが世俗社会において資本主義を隆盛させる帰結をもつ。

プロテスタンティズムの倫理とは、勤勉、質素、恭順、そして廉直などである。出発点はキリスト教のカトリツク派とプロテスタント派、そしてユダヤ教の三個の信者の教育程度と所得水準を関連させる。ユダヤ教は当時のドイツ社会でみられた差別を克服するためにユダヤ教徒が教育向上に意を注いだために、一般化からはずされる。カトリツク派とプロテスタント派を比べてみると、後者が教育程度も所得水準も高い。

ここでマックス・ウェーバーは心の整理が世俗世界に予想もしない帰結を持つことを議論するのである。プロテスタント派は働き者だから、カトリック派は怠け者だから、という議論ではなく、それぞれが心の中で整理する世界像が人々の行動を律し、それが所得水準を向上させ、集合的に資本主義が隆盛しやすくなるというのである。

ここで重要なのは宗教であり信念であり人生観である。それはプロテスタント派にとっては合理的な世界像ではあっても他の人々にとっては非合理であり、非合理的なものが規定する社会に直面しなければ社会科学たりえないという強い立場が表明されている。

社会学的に所得水準と教育程度を集団ごとに比較実証するところは米国流実証主義に調和するが、人々の心の整理、合理化された世界観、非合理的な信念の資本主義への意図せざる帰結という段になると、無味乾燥、平板明快な実証社会学にとどまらない。社会の矛盾が心の敏感な人に移されて、発達した時に個人の自殺になるというデュルケイムや、価値の意味を否定し無へと傾いていった二ーチェや、幼少期の性的欲求から行動を理解していったフロイトなどの同時代人が置かれ、格闘していた課題に向き合っていたことを示唆している。

 

課題の重み自ら背負う

実際、進歩というよりは不確定性から来る運命、実証主義というよりは深層における世界像の構築、そして価値からの自由というよりは価値の相対化による苦悩といった側面も明白に浮かび上がっている。マックス・ウェーバーは苦悩する時代を背負った心だったのではないだろうか。日本のマックス・ウェーバーと時に呼ばれた村上泰亮も大社会科学者ということのほかに、自ら背負った課題の重みを自覚していた点でも、それに直面する時の知的廉直とエネルギーをふんだんに示す著作の点でも、苦悩者だったという点でも、共通しているのではなかろうか。その遺作、『反古典の政治経済学』の英文版(スタンフォード大学出版社刊)の書評(「パシフィツク・アフェアーズ」誌)を終えて改めてそのことを痛感する。

進歩を高らかにうたい上げるWW・ロストウの著作の翻訳が村上嚢免の最初期の仕事である。ケネス・アローから流れる「個人の選好と集団の選択」という論理計算のような分野での仕事が三十代の仕事のひとつだったし、そのような抽象的な仕事に飽き足らずに、価値選択と政策行動の分野に向かったのも三十代から四十代のことである。

さらに日本社会の運命的な力学解明の努力としての『産業社会の病理』『文明としてのイエ社会』そして『反古典の政冶経済学』といくにつれて、初めからの実証主義は減退することのないものの、それでは掴(つか)み切れない、解明し切れない心の苦悩、心のひだ、世界観の衝突、組織原理の対立といったものがより前面に出てくる。

最後の著作では相対主義が章によっては前面に出ており、その苦悩が議論を複雑にしている。二十世紀の時代精神の表現ともいえる進歩主義的史観に対ずる反発と反論も章によっては明快に表現されている。とりわけ政策問題としての米国による日本批判に関連するいくつかの章では米国の文化的覇権を背景にした単純な議論に対する反論が興味深く展開されている。

大社会科学者は往々にして、時代の苦悩を内化し、それを言葉で表現し、それで世界を切ろうとして、さらに苦悩することになるのではなかろうか。ウェーバーも村上泰亮もこのような二重の苦悩に耐えながら、それに直面する勇気ある社会科学者だったといえよう。

1997/8//水 経済教室より

4

J.A. シュンペーター

 

垣野谷祐一

国立社会保障・人口問題研究所長

32年生まれ。一橋大学名誉教授。専門は経済理論・経済政策

 

社会事象は一つの統一的現象である。その大きな流れから経済的事実をむりやりに取り出すのは、研究者の秩序を立てる腕である。

岩波文庫版(塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳)冒頭

 

動態理諭示し資本主義説く

「戦時を除き、貧乏な生活を送っている国民は、私的企業体制を知らない人たちである」(シュンペーター)。それでは、なぜ資本主義は人類に豊かさをもたらすのであろうか。

経済学の教科書は、市場経済の特性は競争メカニズムとそれによって達成される資源配分の効率性にあると説いている。これは新古典派経済学の基本的命題である。

しかし、シュンペーターによれば、このような見方は経済一般の論理を均衡的にとらえた静態的な見方にすぎない。特殊な制度としての資本主義の特質は、既存の均衡秩序を破壊する絶えざる企業者のイノベーション(革新)である。革新は古いものを破壊し、新しいものを創造することであって、彼はそれを「創造的破壊」と呼んだ。「創造的破壊」こそが資本主義の本質であり、これがシュンペーターの名前と結びつけられている経済観である。

シュンペーターのレトリックはいう。「静止的な封建主義経済は依然として封建主義経済でありえようし、静止的な社会主義経済は依然として社会主義経済でありえようが、静止的な資本主義というものは言葉の矛盾である」

一九一二年にドイツで刊行された『経済発巖の理論』は、シュンペーターの不朽の著作である。この書物の中で、シュンペーターは、一定の与件の下で年々同じ規模で繰り返される静態経済や、資本や労働の増大によって年々同率で拡大する成長経済と違って、企業者の革新活動に基づく経済発展のダイナミズムを説明し、新古典派の静態理諭に連結されるべき動態理諭を提起した。

二十世紀初頭の経済学の課題は、十九世紀末に確立された新古典派経済学を拡充して、現実の経済変動を解明することであった。たまたま同じ一八八三年に生まれたケインズとシュンペーターはまったく違った方向に問題を設定した。

ケインズは新古典派経済学を完全雇用の理論と見なし、インフレや失業の発生を説明するために有効需要の理論を展開した。新古典派は資源の完全利用を仮定した上で、最大産出量を生む資源配分のあり方を扱ったものであるが、ケインス は需要の変動が現実の産出量や雇用の大きさを決定するという論理を明らかにした。

それに対して、シュンペーターは新古典派経済学を静態の理論と見なし、動態の理論を展開することによって現実の変動を解明しようとした。彼はインフレや失業といった景気変動は技術革新の群生がもたらす結果であって、資本主義の動態を理解するためには長期的な経済発展の視野が不可欠であると考えた。

シュンペーターの思想を把握するためには、『経済発展の理諭』のすべてのぺージを我慢強く読む必要はない。その書物の第二章「経済発展の根本現象」(岩波文庫版で約九十ページ)を読めば十分である。この章は、イノベーションを指導者的人間類型によって説明する絢燗(けんらん)たる叙述を与えている。

彼は経済だけでなく政治、文化、道徳などを含む社会のあらゆる分野について、受動的な「適応」の行動と能動的な「革新」の行動とを分け、適応と慣行の支配する静態の世界と、革新が作用する動態の世界とを対比する。

 

発展を担う企業者精神

新しいことを行う人間は少数者であり、慣行的行動を取るに過ぎない平均的な多数派の人間類型とは異なる。人々は新しいことを行う際、常にさまざまな危険や抵抗や逡巡に直面する。これらの困難を克服して創造的なことを行う人間は、先見性と独創性に富み、決断力と実行力に溢(あふ)れた少数の人に限られでいる。革新の導入に成功するならば、彼らはリーダーシップ(指導者精神)によって新しい軌道を設定することになる。

このような指導者の一般理論に基づいて、その特殊例として、経済の世界における革新者が「企業者」と呼ばれ、経済の世界におけるリーダーシップが「企業者精神」と呼ばれた。

シュンペーターの経済発展論は三つのキーワードを持つ。第一に、発展の本質は「革新」であること、第二に、発展の担い手は「企業者」であること、第三に、発展を可能にする手段は「資金」であること。

彼によれば、資本主義を最も資本主義的たらしめるものは、利潤追求でも市場機樗でも私有制度でもなく、信用機構である。金融システムが硬直的に管理されたり、国営化されている状態は、資本主義にとって致命的な阻害要因である。経済における革新は技術革新に限らない。シュンペーターによれば,革新の内容は新しい財、新しい生産技術、新しい販路、薪しい供給源、新しい組織を含む。『経済発展の理論』の中では、イノベーションという言葉の代わりに、「新結合」(ニュー・コンビネーション)という言葉が使われている。新結合は、さまざまな可能性を組み合わせる独創性、創造性、指導性を指す広い意味合いを持つ。

『経済発展の理論』の第二章に感銘を覚えた読者は、第一章の付録に戻るのがよい。そこではシュンペーターは、古典派以来の経済学がいかに静態的であったかを論じている。彼の得意な分野は経済学の歴史であって、彼は『経済学史』や『経済分析の歴史』という名薯を書いたが、第一章の付録はその分野への簡潔な手引となろう。

さて、シュンペーターのイノベーション理論の今日的な意義は何であろうか。第一に、彼の理論は五十年を周期とする長期波動の分析的枠組みを与えた。彼自身のちに『景気循環論』において資本主義の発展過程の実証分析を行ったが、産業革命以後、世界は@一七八O年代〜一八四〇年代A一八四〇年代〜一八九〇年代B一八九〇年代〜一九四〇年代C一九四〇年代〜一九九〇年代----の四つの長期波動を経て、現在第五の長期波動の上昇局面にあることが知られている。第五波動の原動力は情報通信技術の革命である。

資本主義の生命の鼓動は景気循環となって現れるものであって、今日の日本を襲っている長期的な停滞や成熟に関する悲観主義は、シュンペーター理論に照らして考え直すべきであろう。日本は国際的に見て、この波動に参加することに後れを取っているのだから、追いつきの仕事に早く乗り出さなければならない。

 

活力を殺す介入と規制

第二に、シュンペーターは「資本主義・社会主義・民主主義』というもう一つの古典的な書物において、資本主義の終焉(えん)を論じたが、このことの意味はわれわれにとって一層重大である。

資本主義の経済的メカニズムそのものは革新を原動力として常に再生し、新しい局面を切り開いていくが、社会や政冶の側からの介入と規制が資本主義の活力を殺してしまうというのが、その書物の反語的な問題提起である。今日、世界の国々は肥大化した公的部門を財政改革や行政改革によって整理しようとしているが、その試みの理論的基礎を与えるものこそ、シュンペーターの理論である。

彼の理論は二つの方向の課題を示唆している。一方では、産業分野における革新の担い手の出現を促進するように、規制を廃止し、民間活力の導入を図らなければならない。問題は単に「官から民へ」で解決されるのではなく、重要なことは「規制から革新へ」の道を開くことである。その点でビッグバン(金融大改革)の役割がかなめとなる。

他方では、革新と指導者の役割は経済の領域だけに限られるのではない。時代に応じて各領域の社会的要請の大きさは変化する。今日、さまざまな改革の実行を求められているのは、政治ではないか。政治におけるリーダーシップとは、慣行と旧弊にさいなまれている社会機構を創造的に破壊する政冶力である。

われわれにとってのシュンペーター理論とのかかわりはこの一点に尽きると言ってよい。

盛夏の中、涼を求めて企業家精神のロマンスの世界をたずねた読者は、こうして現実の行革の世界に呼び戻される。これが古典の機能というものであろう。

1997/8/7/木 経済教室より

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ケインズ

 

金森 久雄

日本経済研究センター会長 24年生まれ。環日本海経済研究所理事長。專門は景気諭・財政論など

 

私は本書を、一般という接頭語に力点をおいて、「雇用・利子および貨幣の一般理諭」と名づけた。このような題名をつけた目的は、私の議諭と結諭の性質を、同じ問題に関する古典派理諭のそれと対比しようとすることにある。

東洋経済新報社版(塩野谷祐一訳)冒頭

 

経済常識覆す マクロの視点

私は一九四八年に通産省(当時は商工省)に入ってすぐ、ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を読んだ。このころは外国の本を輸入することも難しかったが、幸い戦争中日本で出した海賊版があったからだ。少しもわからなかった。

四九年には塩野谷九十九氏の翻訳の戦後版が出た。それを読んでも霧の中にいるような心持ちであった。そのうち東洋経済から鬼頭仁三郎という非常にシャー プな若い学者の文庫本の解説が出た。五〇年には、D・デイラードどいう学者の『JM・ケインズの経済学』というわかり良い解説書が出た。その後も今日まで、ケインスの解説書や研究書は大分読んだが、以上の三年間が、私のケインズ経済学の習得期間であった。

私はケインズ経済学から三つの重要な点を学ん      だ。第一は経済をマクロ的に捉(とら)えるということだ。なぜ私が「般理論』 をなかなか理解できなかったかというと、私が大学で習った伝統的な経済学と違って、経済を全体として捉えるマクロ理論だったからである。伝統的経済学は生産論、交換論、分配論などと別々に扱っていた。そこで生産の総額は支出の総額に等しくそれはまた分配の総額に等しいというマクロ経済学の基礎である三面等価がわからなかった。これがわかると霧は半分ぐらい晴れた。

マクロ理論によると、それまでの経済常識が全く誤りであって、経済に対する見方のコペルニクス的転換が必要なことがわかった。私が習った経済学では、利子が下がれば貯蓄は減るはずであった。確かに個々の人は金利が上がれば貯金をするだろう。しかしケインズのマクロ理論によるとまったく違う。利子が下がれば投資が活発化し、国内   総生産(GDP)が増加する。その結果、貯蓄も増加することになるのだ。

現在では、大学でもマクロ経済学を教えているのだろうが、財界の理論家や大蔵省の人など、昔ながらのミクロの常識論で経済を考えているのは不思議である。設備過剰になると投資を抑制すべきだと主張する。財政が赤宇だと増税や公共投資抑制政策をとる。投資抑制が景気を沈滞させ設備過剰を一層ひどくしたり、増税や公共投資の減少がGDPを減らし、税収減を招き、かえって財政の赤字を拡大させるというマクロ的な反作用をほとんど考えない。

ケインズ理論を知らない人は、病人を暖めてやるべき時に、冷水を浴ぴさせる医者のようなもので、しばしば日本経済に大きな災厄をもたらした。

『一般理論』から学んだ第二は、経済は自由に任せておいたのでは需要不足で失業が起きたり、過熱してインフレになる、マクロ的な有効需要政策によって調整しなければならないという点だ。これは普通の人には分かりやすい主張だ。だが專門の学者は、失業があれば、賃金が下がり、雇用は回復するはずだ。失業は労働組合の力で賃金を上げ過ぎたか、労働者が働こうという意思がないために発生するので、非自発的失業などというものはあり得ないと反対した。

 

有効需要諭で不況を克服

しかしマクロ的に見れば、賃金が下がれば、需要が減少し、雇用が減り、失業が一層激しくなる恐れがある。現代の経済では、貯蓄を行う人と、投資を決定する人は別である。貯蓄超過・投資不足の結果、有効需要不足で失業がおきやすい。ケインスは、不況の時には、財政・金融政策を使って育効需要を増やさなくてはならないと言った。戦後の日本でも、十一回の不況があったが、たいていケインズ理諭に従って需要を増やし早めに不況を克服した。

だがケインズ理論に反して失敗したこともある。その一つは一九六五年である。この年は不況で税収が減り、財政欠陥が生じそうになった。そこで大蔵省は各省に、支出を一割カットしろと命令した。不況の時に支出を減らすのだから、ケインズ理論とは逆だ。景気は一段と悪化し、日本経済は危機状況に陥った。この時には、夏に福田赴夫氏が蔵相となり、赤字国債を発行して財政支出を増やすというケインズ型政策を断行して危機を離脱した。

いま一つの失敗例は、七八年暮れ以降の大平内閣のもとでの財政均衡第一政策だ。財政赤字の拡大を心配した大蔵省は、財政支出に天井を設けて厳しい抑制政策を実行した。公共投資は七八年から八五年まで漸減した。この結果、景気は八○年二月から八三年二月まで三十六カ月という戦後最長の不況になった。税収が伸びず財政再建という目的も実現できなかった。国際収支の黒字不均衡が拡大し、日米経済摩擦が激しくなった。この失敗は八六年、前川リポートによる内需拡大というケインズ政策によって救済された。戦後の日本においで、反ケインス政策は失敗し、ケインズ政策は成功した。

ケインズ理論を学んで有り難かった第三は、それが経済の分析や政策の決定に役立つ道具を提供してくれたことである。「一般理論』は、消費性向、費本の限界効率、乗数など、分析に育用な武器庫である。消費性向を調べれば、労働者の所得が増えた時どれぐらい消費が増加するかが予測できる。乗数がわかれば、投資が増えた時GDPがどれほど伸びるかを推計できる。その上、ケインズの弟子のアメリカ・ケインジアンたちは潜在成長力、需給ギャップ、完全雇用財政赤字といった有益な経済政策の武器をつくった。最近の日本の経済政策では、財政の赤字削減という点を重視するあまり、せっかくケインズ経済学が鍛えてきた分析や政策の道具を活用していないと思う。

 

成長の問題は手が回らず

「一般理論』は六十年以上も前に書かれた本であるから、現在の経済を考えるためにはいろいろ不足な点がある。それは「一般」という名前がついていても、どこにでも適用できる理論というのではなく、一九三〇年代の最も重要な失業問題の解決を頭において書いた本なのだ。所得分配、コストインフレ、国際経済といったことについてはあまり論じていない。

一番の間題は、「一般理諭』が設備を一定とした静態理論で,成長の問題を扱っていない点だ。これは不思議に思われるが、三〇年代は大失業時代で、いかにして有効需要を増やすことによって失業を減らし、完全雇用を達成するかということに頭がいっばいで、さすがのケインズも成長問題までは手が回らなかったためだろう。

成長の問題にはケインズの弟子であるRF・ハロッドが取り組み、四八年に『動態経済学序説』、七三年には『経済動学』というその拡大修正版を著した。これは「般理論』を成長の理論に適用したものだ。

その着想は簡単である。設備投資の増加は一方で生産力を増やし、他方では需要を伸ばす。成長が持続するためには、生産力と需要との両者の増加が等しくなくてはならない。その条件を明らかにしたのが、ハロッドの成長理論だ。現実の経済の理解のためには、ケインズの『一般理論』とハロッドの両方を合わせて読まなくてはならない。

ハロッドは「物理学や化学では、だれでも、ちゃんと基礎的な勉強をしなければわからないと考えているのに、経済学では、向こう見ずの素人が勝手な理屈を言う」と嘆いた。ケインズもハロッドも知らずに経済評論や経済政策を行うのは、無免許の人が高速道路で運転するようなものだ。

大経済学者はビジョンとツールとを合わせて持たなくてはならない。「一般理論』が経済分析のための優れた武器庫であることは前述したが、ビジョンは何か。中央集権的な計画経済、温情的な福祉主義経済、価格メカニズムにすべてをゆだねる自由放任経済のどれとも違う。ケインズは経済の発展、選択の自由、生活の多様性の守護者としての個人主義を強く信じていた。

『一般理論』は、個人主義を基礎とする自由社会実現のために賢明なマクロ政策が必要だと主張したのである。

1997/8/8/