増える企業内いじめ
職場いじめ。最近、よく耳にする言葉だ。上司や同僚によるいじめや、過度のからかいが、時には人を死に追いやる。家族にすら相談できない人がほとんどだが、残された家族として、なぜあの時という思いが残る。ここに紹介する男性は、昨年弟が自殺した。その原因が社内でのいじめであると分かったとき、自ら立ち土がった。
「僕は合掌しない。一つは、あいつは親より先に死んだ親不孝者だから。もう一つは、すべて解決したときに、ちゃんと合掌してやりたいから」。埼玉県久喜市に住む会社員(薬品会社勤務)、沢田輝一さん(32)は、弟の真幸さん(享年28)の遺影が飾られた仏壇の前でこう語る。
真幸さんが勤務していたのは、県内の印刷会社。午後2時ごろ出勤し、夜中の3時ごろ帰宅するのが常だったが、昨年6月20日、珍しく午前零時半ごろ帰宅した。
沢田さんの寝室は、2階の真幸さんの真下にあたる。いつもは気を使って、静かに階段を上る真幸さんだが、その日はドン、ドンという大きな帝を立てて階段を上っていく。自分の部屋に入っても、その音はやまない。「足踏みしてるみたいで、2階の床が披けるんじゃないかと思いました」。そして、午前3時「会社に行ってくる」と言い残し、愛車に乗って家を出た。
その日昼ごろ、真幸さんは、社内の輪転機にコードをかけ、自らの命を絶ったという。「病院で死に顔を見ても、涙
も出ない。ただ鷲きだけでした」。だが、職場での同僚たちによる真幸さんに対する〃いじめ〃の実態が明らかになるにつれ、驚きが怒りに変わっていった。
真幸さんは91年3月に入社、当初は楽しく勤務していたようだが、3年前にコンピューターを搭載した新しい輪転機が入ってきてから、真幸さんへの風当たりは変わった。「元来まじめな性格で、人より早く出社し、必死に使い方を覚えた。でも、徒弟制度的な風土で上下関係の強い職場だっただけに、ひがみを持たれたのでは」と沢田さん。95年1月、優良社員として表彰されたことが、いじめに拍車をかけた。
病欠しようとして、直属の上司に電話をすると「顔を見て判断するから、とにかく来い」と言われた。出社しないで休むと翌日、激しく叱責(しっせき)される。一人だけ、午前5時まで残業させられたりもした。「おれ、ひとりぼっちなんだよな」。こんな言葉を家族にもらすようになったのも、そのころだ。
上司や同僚から金を貸してくれと頼まれ、後日、返済を求めると、逆に開き直られるという経験もあった。こうした一連の出来事は、すべて母親のヨシ子さん(57)にしか打ち明けていなかった。
亡くなる1カ月前、真幸さんは気分転換に、パチンコいこうと沢田さんを誘った。いつもの店より遠い店に行こうとドライプした。途中真幸さんは自分の通っていた高校に寄ろうと言い出した。「こんなに学校って小さかったっけ」と、いつまでも学校を眺めていた。もしかしたら、何かのサインだったかもしれない。「でも、最後まで心配かけちゃいけないっていう思いが先行したんですよね」。
「子供のころから、二人の息子には〃倒れてまだ止むなへ我慢して立ち向かえと、ことあるごとに言ってきた。今となっては、これが悪かったのではという反省もあります」と、電気設備工事会社の役員を務める父親の久利さん(68)はつぶやく。いじめの事実を会社に伝えると、7月に調査結果を出してきた。結果は、「好意を持っていた女性とのコミュニケーションギヤップを苦にした自殺」−−。「一人で女性の話をすることもあった。でも、死ぬほど悩んでいた女性がいたとは思えない」と沢田さん。
昨年10月に東京管理職ユニオンや女性ユニオンが行った「職場いじめ110番」に連絡、ユニオンに加盟し、会社の責任を問うビラまきなどの活動を始めた。
「職場いじめ110番」には千件を超える相談が殺到した。仕事を与えない、閑職に追いやる、過大なノルマを押し付ける、暴行など、内容は多岐に渡り、深刻な例も少なくなかった。自殺した人の遺族や、自殺未遂者からの相談も十数件あった。
いじめに対し、最も身近にいる家族ができることは何か。最悪の事態を防ぐにはどうすればいいのか。難しい問題だが、シグナルを見落とさない、本人が周囲に相談できる雰囲気を作るなどいくつか考えられる。
いじめを生む風土を変えるため、企業自身が具体的な手を打つ時期にも来ている。
(生活家庭部 岩城 聡)1997/3/16/日 掲載記事
職場いじめ
「職場いじめ」。リストラのあらし吹きすさぶ中、中高年社員を退職へ追い込む嫌がらせを指す言葉として話題になった。しかし、春から夏にかけてのこの時期目立つのが、新入社貝、異動、転職者など新参者に対するいじめだ。もしいじめのターゲットにされたら、どう対応すればいいか。防衛手段を考えてみた。
まずは、職場いじめの実態から−−。「一番つらかったのは、朝、あいさつしても、だれも答えてくれないことでした」。大阪府に住むK氏(23)は一年前を振り返る。昨春、大学を卒業後あるスーパーに入社。五月に配属された店舗では、店長ら男性社員三人の嫌がらせが待っていた。初日から三十分早く午前6時の出社を命じられた。出勤簿に時間を記入したが、翌日見ると「7時半」に書き直されていた。品物の陳列の仕方が悪いと、客の前でも激しく叱責
(しっせき)された。アルバイトやパートの人も一緒に飲みに行った時、「今日は、Kのおごりだ!」と言
われ、6人分の飲み代を払わされたこともある。やがて、体がSOSを発し始めた。一日中頭痛が統いたり、気持ち悪くなったり、朝も起きられない。遅刻が続き、また怒られる。今春、K氏は辞表を提出した。
都内の大手都市銀行で働く二十代後半のS氏は、実直な性格。自分もしっかり仕事をする代わりに、部下にも厳しかった。営業部門から総務部に異動になった直後、まず女性社員からの嫌がらせが始まった。自分だけお茶をいれてもらえず、書類をわざと乱雑に置かれる。皆が話をしている輪に加わろうとすると、クモの子を散らすように去っていく。ついには、「自分だけいい格好するなよ」という発信元不明の電子メールが届いた−−。
成城墨岡クリニック(東京・世田谷)には、毎年この時期「職場いじめ」とみられるトラプルが原因で体調を崩した患者が、月に20人ほど来院する。
墨岡孝院長によれぱ、職場いじめには二種類ある。一つは企業のリストラの手段として、過酷なノルマを押しつけたり、退職を強要したりするケース。もう一つは、単純な〃仲間外れ〃。「最近は前者のいじめは一段落。代わりに新入社員や異動で新しく職場に配属された人に対する感惜的ないじめが目立つ」と話す。学校でみられる生徒同士のいじめのように、無目的かつ幼稚化している。こうしたいじめは元々あったが、リストラによる人員削減に加え、能力主義の徹底で職場の人間関係がギスギスしてきたことと関係があるようだ。心に余裕がなくなり、注意をすべき上司もおらず、いじめが発生しやすい土壌ができていると指摘する専門家もいる。
人によっては忠告や注意をいじめと受け取ってしまうケースもあり、行き過ぎた被害者意識は禁物だが、もしそのターゲットにされた場合、どうすればいいのか。経験者や専門家の話からは、次の4つの対応策が挙げられる。
@言語化してみる
妻、友人、知人などにいじめの事実をとにかく話す。言葉にすることで、自分の気持ちやいじめの状況を客観的に見直せる。スーパーに勤めていたK氏の場合、いじめを受けて一カ月後から,小さなノートを持ち歩き、いつ、だれに何を言われ、その時自分はどう思ったかを記録し始めた。「相手のいじめのパターンや性格が読めてくる」。しかも、メモしているところを店長補佐が目にし、急に態度が優しくなるという、意外な効果もあった。
A自分を責めない
「いじめを受けている人は『何か自分に落ち度があるはずだ』と、自らの性格ばかりを責めてしまう傾向がある、こう語るのは、昨年未「大人のイジメ克服マニュアル」を出版した国際通信社(大阪)の中黒靖編集長。いじめによる被害者は、本来相手を責めるべきなのにその気持ちが自分に向き、精神的に深く病んでしまうことがある。
B自らトラブルを
「職場いじめ110番」などを行っている東京管理職ユニオン(東京・板橋)の設楽清嗣書記長が勧めるのがこの方法だ。いじめの張本人をつきとめたら「私のことをよく思っていらっしゃらないようですが、何か問題があれば言って下さい」とはっきり伝える。相手が否定したら「それならよかった。私の勘違いなんですね」と謝っておく。
「だれがその嫌がらせをしているか知っているということを相手に知らせると共に、職場内で問題が起きていることを、周囲の人にも知らせておく」。時にはトラブルをこちらから起こす勇気も必要だ。
Cがんばらない
「上司や親に相談しても、『だれでも通る道。いつか自分のためになる』などと言われ、思わずがんばってしまう人が多い」とは、企業のメンタルヘルス相談などを行う精神科看護職のボランティア団体「東京ナーシングサポート」の未安民生事務局長。「こんな会社、いつでも辞めてやる」と開き直ることや、一人で抱え込まず「だれかに助けを求めたっていいんだ」と精神的な余裕を持つことが気分を楽にしてくれる。
1997/5/26/月 日経夕刊掲載記事
いじめと闘う
職場いじめから抜け出すには
逃げずに怒りを開放せよ
「いじめ」は学校だけの問題ではない。企業社会の中にも陰湿ないじめは〃生息〃している。その標的とされたサラリーマンは心のバランスを崩し、人生を狂わされることも少なくない。先月実施された電話相談「職場いじめ110番」の結果を踏まえ、京都造形芸術大学教授の野田正彰氏(精神科医)にこの問題を論じてもらった。
東京管理職ユニオンや女性ユニオンなどが行った「いじめ110番」では、1032件の相談があった。仕事を与えない、閑職に追いやる、無視、過大なノルマを押し付ける、悪口、暴行、性的嫌がらせなど、人間が考え出す卑劣な行為のすべてが寄せられていた。
いじめの結果、多くの人が退職、解雇、配置転換させられている。大人がやっていることは、子供が学校でしていることとまったく同じである。子供にしろ、大人にしろ、人間が考え出すことはこの程度か、と情けなくなる。
1980年代の中ごろから、学校でのいじめがひどくなった。あの時、子供たちは大人の真似(まね)をしているだけだと振り返るべきであった。大人のいじめと子供のいじめの違いは、目的が比較的はっきりしているか否か、でしかない。大人は社員を解雇するため、追い出すためにいじめている場合が多い。子供はいじめそのものを自己目的化しているが、それは将来の大人社会に入るための準備のようでもある。
内包し、バネに
職場のいじめは今に始まったことではない。日本の軍隊では、「たるんでいる」のを「しぼる」と称して少し軍隊生活になじんだ者が新兵をいつも殴っていた。富国強兵を急ぐ近代日本は、いじめを発展のバネに取りこんだ社会であったと言えよう。
いじめによって批判的に考えることを許さず、ひたすら同調を強いた。成人に達するまでに必ず大小はあっても幾つかのいじめを体験した国民は「くやしさ」「みじめさ」を反発力に頑張ることが求められた。それは戦後の経済成長期にも同じように使われた。暴行は少なくなったものの試験で競争を煽(あお)り「くやしさ」「みじめさ」を焼き付け、その反発力を競争心に変えることが求められた。決してやさしい社会ではなかった。
和よりも尊敬を
いじめを内包する社会の反対は和の社会ではない。和、つまり上の命令や権威のもとでの同調は、いじめと手をつないでいる。いじめのない社会とは、それぞれが尊敬される社会であり、人々の努力が他人との競争に向かうよりも
自分自身の可能性や限界に同かう社会である。またルールが暖昧(あいまい)で、多数者の側(いじめる側)が悠意(しい)的にルールを唱えることのできる社会ではなく、構成員みんなにルールが明確になっている社会である。学校でのいじめも職場のいじめも、前記とは違う状態にあることを伝えている。
それでは、いじめに直面した者はどうすればよいのか。
いじめは瞬間ではない。ある程度の持続する時間がある。時間の経過のうちに、「いじめ」−「いじめられ」の関係が固定化され、いじめられる側は理不尽な要求や暴力の前で委縮させられ,言う通りにさせられる。言う通りになれぱ、いじめる側のゆがんだ怒りを引き出し、さらにいじめられる。いじめられる側の怒りは内向し、うっ屈する。うっ屈した怒りは自己破壊的になりやすい。
相手を呑んで
それを断つためにまず「いじめ」−「いじめられ」の関係の成立の経過を整理しなければならない。いじめられ始めたら、日々、何があったかを記録に付けることである。正確な記録はひとり言やぐちより役立つ。記録が少したまれぱ、相手のやり方、考え方を分類する。同時に、いじめられた時の自分の反応の癖に気付く。敏感すぎないか、反省をしてみるのもいい。このような作業によって、「いじめ」−「いじめられ」の関係性から抜け出し、いじめている側より広い視野に立つことができる。けんかに勝つとは、相手よりも広い視野に立つということだ。相手に呑(の)まれるな、相手を呑め、より高い立場で。
ここまで来れぱ、いじめと闘うことは単なる反発ではなく、社会を良くすることのひとつだと思えるようになる。こうして、うっ屈した怒りは、開放された怒りとなる。理解してくれる人々の支援を受けて闘うことも、裁判を起こすことも、卑劣な職場に要求を出した上で去っていくこともできる。
精神的に逃げてはいけない。いじめによって人は傷つくのではなく、いかにいじめを受けとめたかによって人は傷つくのである。
1996/11/10/日 掲載記事