知の戦略的重要性

1999(平成11)528(金曜日)

産業・消費構造が犬きく転換する中、ヒト、モノ、カネ、.備報に続く第五の経営資源として「知」の戦略的重要性が高まっている。供給サイドから顧客サイドにシフトした経営へと革新を図り、顧客が満足する新しい価値を持った製品やサービスを生み出すためだ。

情報通信技術を基盤に全社的な顧客対応力を強化する上でも、知的資産の有効活用が欠かせない。

特集では、情報知識社会の扉を開くことでグローバルに市場競争力を高めようとする企業の姿を迫った。

 

2つの経営問題

市場競争を勝ち抜くために、無理して情報化投資とリストラという手段をとったにもかかわらず、思ったより業績が上がらずに悩んでいる企業が多い。そういう企業は、二つの問題を抱えている。まず、一人一台のパソコン、イントラネット、グループウェアなどを導入してもなかなかオフィス業務の生産性が向上しない、いわゆる「生産性パラドックス」の問題だ。次に、リストラで仕事のやり方を熟知しているベテランがいなくなり、業務が滞る、いわゆる「コーポレート・アルツハイマー(企業痴ほう症)」の問題である。

これらの問題だけでなく、従来からの経営課題、例えば社員能力の向上、効率的・効果的な研究開発、顧客満足度の向上などにかかわる諸問題の解決策として、最近ナレッジマネジメントが脚光を浴びている。ナレッジマネジメントとは、経営資源としての知識をいかにして獲得・創造・蓄積・活用するかについての新しい経営手法・理論である。その理論的基盤を作ったのは、一九九五年に「The.Know1edge-CreatingComPany(邦訳『知識創造企業』)で、組織的知識創造の理論を世界に発信した(国立)北陸先端科学技術大学院大学・知識科・学研究斜長の野中都次郎教授である。

企業や地域や国家の競争力の源泉として知識が注目されるようになってきたのは、九〇年代に入ってからである。野中教授が『知識創造企業』の母胎となった『知識創造の経営』を世に問うたのが九〇年であった。この年にはアルビン・トフラーが『パワー・シフト』で、「知」がグローバルな経済・経営や政治・軍事での力関係の変化に決定的な役割を果たしている、と論じた。経営学の大御所ヒーター・ドラッカーも、『ポスト資本主義社会』(九五年)で、資本主義の後に来る「知識社会」では知識が「ただ一つの意味ある資源」であると主張した。

ナレッジマネジメントの背後には、このような知識の重要性への共通認識がある。

 

五感通じた『暗黙知』

そのように重要な資源である知識とはいったい何か。データや情報とどう違うのか。

データは、POS(販売時点情報管理)やアンケート調査結果の数字の羅列のようなものであり、生のままでは意味を持たない。データを分析することによって出てきた意味が情報であり、さらにそれが我々のすでに持っている情報体系としての知識に変化をもたらすことで、我々の判断や行為のよりどころとなる。

情報が行為によってひき起こされたフローとしてのメッセージであるのに対して、知識はその行為すなわち経験の反省を通じて蓄積されたストックとしての情報体系であり、それは善悪などの価値観や好き嫌いなどの情念と強く結び付いている。

知識は、本の中だけにあるのではなく、脳を中心とした我々の体の中にも存在している。たとえば酒造りの杜氏(とうじ)などの熟練職人のノウハウは、五感を通じて獲得された個人的な身体知・経験知であり、言葉や数値で表現しにくいので、「暗黙知」と呼ばれる。しかしその暗黙知も、科学的方法を使って言語化・数値化・図表化することにより、かなりの程度、客観的・明示肘な「形式知」に変換できる。

形式知の典型は、教科書やマニュアルに載っている知識である。形式知を自分で体験することで体化し、暗黙知に逆変換することもできる。

 

知識インフラの整備

形式知は、言語化・数値化・図表化されているので、情報技鯛岬扱うことができる。したがって、ナレッジマネジメントで最も取り組みやすいのは、情報技術による既存の形式知の共有・活用だ。組織の各部署が持っている明示的な形式知を知識べ-スに編集し、(人事などの機密情報を除いて)組織全体で共有・活用するのである。あるいは、社員一人ひとりが個人のホームページで自分の形式知を社内に公開したり、電子メールで形式知を互いに交換し合ってもよい。

既存の形式知の共有・活用と同時に、全社釣な運動として、個々の社員の暗黙知を形式知に変換して組織知にすることにも取り組むべきだ。知.識は人に教えても無くならない。かえって他の人の知識と異種交配して増殖する性質を持っている。そういう意味で、同じ組織の中では自分の持っている暗黙知、特に自分の体験から得られたノウハウを、積極的に公開して共有することが重要だ。

例えば、営業でトップの成績を上げている社員のノウハウをだれでも使える形式知に変換し、会社全体の売り上げ向上につなげるのである。典型的な暗黙知である熟練工のノウハウを長期の合宿などで次世代に伝えていくことや、顧客やサプライヤーの暗黙知を直接対話や体験の共有によって組織に取り込むことも、ナレッジマネジメントの重要な課題である。

そのためには、知識の提供に対して適正な見返り、例えばそのノウハウに提供者の名前を冠して名誉を与えたり、あるいは報奨金や昇進などでこたえる公正な評価システムを整備しなければならない。知識は信頼があってこそ流通する。それに加えて、トップを含む社員一人ひとりが知的になる努力も必要だ。もちろん、その知性は行動力を伴わなくては単なるスノビズムになってしまう。つまり、知行合一(わかりやすく言えば知的体育会系)の企業文化を育(はぐく)まなければならない。

そういったハードな情報シ、ステムとソフトな制度・文化は、知識創造のためのインフラであり、その構築にはトップの強いリーダーシップとコミットメント(絶対やり遂げるという強い意志)が欠かせない。トップは「我が杜はどのような知識をいかにして創造するか」を「ナレッジビジョン」によって宣言し、そのコミットメントを全社員に浸透させなければならない。

実務的な知識インフラの構築.醸成は、強大な権根を委譲したトップ直属のいくつかのプロジェクトチームにまかせればよい。そのようなプロジェクトチームを率いるミドルは、豊富な体験・語い(ボキャブラリー)表現能力でコンセプト創造をリードし、部下が暗黙知を形式知に変換するときの産婆(さんば)役を果たせなければならない。

 

警環から創造へ

ナレッジマネジメントの目標は、あくまで新しい知識の創造であって、単なる「知識管理」ではない。創造プロセスは管理を嫌う。企業がやるべきこと、またできることは、ハードとソフトの両面の知識インフラを整えることなのだ。日本企業は情報技術の利用という点では米国企業に後れを取ったが、知識・情報の共有や組織的知識創造については、ずっと以前から手法(例えば職能横断的プロジェ.クトチーム)として実践してきた。したがって、その経験を生かしたハイテク・ハイタツチのナレッジマネジメントを確立できれば、日本企業はより進化した「知識創造企業」として復活するだろう。

1999/5/28/