老人に変装してみて
「八十五歳の私はドアを開けるのがとても怖かった」−−。日本ウエルエージング協会の招きで来日した米国の工業デザイナー、パトリシア・ムーアさん(44)は二十代のころに老人に変装、北米の街を百以上も訪れた珍しい経験を持つ。時間を見つけては老人になり、人々の対応ぶりや街の設備を観察。ぞの活動は三年間にわたった。そこから見えてきたものは何かを聞いた。(間き手は生活家庭部・村樫裕理子)
店貫の態度が−変
−−なぜ老人に変装しようと思い立ったのか。
「老人に興味があった。子供のころから祖父母と同居していたからだろう。就職でニューヨークに出た時に、騒がしくて忙しい街に驚いた。まず感じたのは、祖父母には暮らしにくいところだな、だった」「次に自動車をデザインしていて、ふと『祖父がうまくこれを使えるだろうか』と疑問に思った。当時、工業デザインには製品を高齢者に使いやすくするといった発想は全くなかった。家具や設備、包装までそうだ。それ以降、高齢者と製品がどうかかわっているのかに関心を持つようになった」
−−老人に変装して街の様子を調べるのは、面白い手法だが…。
「年をとることを理解するには、実際に年をとってみなけれぱわからない。それは周囲からどのように扱われるか、という問題も含まれているからだ。俳優が老け役を演じる映画や、白人が黒人に変装しそのライフスタイルを調査したという米国の社会学者の研究などからも、手段として変装は可能だと思った。ただ特殊メーキャップを施し、動きにくくするため手足にテープをぐるぐると巻き、その上から厚手の衣服を着るなど、一回の準備に四時間かかるのにはまいった」
−−年をとるとは、どんなことだと感じたか。
「まず肉体的な衰え。変装初白、自宅の四階から階段を下りるだけでくたくただった。老いが周囲の寛大さや優しさの対象になることもあった半面、大抵の場合は無視され、みじめな扱いを受ける対象なのだということが、はっきりした。知人も多く出席する会に老人姿で潜入した時、だれも私のことを振り向かず、まるで壁紙のように扱われている気がした」
「老人姿と本来の姿で同じ店に行ってみると、店員の態度が全く違うこともあった。老人に店員はいらいらし、愛想よく話し掛けることはない。釣り銭をごまかそうとする人もいた」「高齢者の経済状況によっても態度は異なる。九タイプの老人に変装したが、裕福な老婦人に変装した時には皆、親切で尊敬心も払ってくれた。でも、みすぼらしく貧しい高齢者は邪魔者扱い。その落差は想像以上だった」
偏見が理不尽さ生む
−−理不尽な扱いはどこから生まれるのだろうか。
「間題の多くは老人に対する見方を変えることで解決するはずだ。幼児は何の偏見もなく『おばあちゃん』と老人姿の私に呼び掛けてくれた。でも子供の年齢が上がるにつれ、老人は気難しく、かかわると厄介に巻き込まれるという警戒心が強くなっていく。マスコミの老人の扱い方もそれを助長してきたと思う」
「不条理な扱いをされ、いつもなら抗議するのに老人の私はできなかった。高齢者自身も『自分は厄介者で若い人ほどの価値はない。なるべく迷惑をかけないようにするので怒らないで下さい』と無意識に哀願し、自ら卑下しているところがあるのではないか」
−−とはいえ、米国では近ごろ高齢者パワーは強まっている。
「若さと力の象徴たったヤッピー(都市に住む若い専門職)が影を潜め、状況は好転している。クリントン大統領も全米退職者協会に加盟するなど、ベビープ−マ−(米国の団塊世代)が五十歳になって高齢者の数が増え、彼らの主張も取りあげられるようになってきた」
「ビジネスの観点から高齢者に目を向け始めた企業も多い。丘を上り下りする高齢の良距離ランナーが『ジヤスト・ドウ・イット(ただ行動あるのみ)』と決めるナイキのCMは評判がいい。一方、固定的な高齢者イメ−ジを演出しないようディズニーは怖いおばあさんや魔女を作品に登場させないと約束した」
意思決定者も体験を
−−変装体験をもとに提唱しているユニバーサルデザインの核となる考え方は。
「年をとることは、何かができなくなることではなく、機能が違ってくること。だから一通りにしか使えないのではなく、各人の二ーズに応じていかようにも使える、というのがユニバーサルデザインの考え方。それは大幅なデザインの変更を伴うものではないし、高齢者用と称して機能優先で味気ないデザインにする必要もない」
「最近、日本でも疑似老人体験が盛んになっている、が、特に意思決定をする社会の中枢にいる人に体験してもらいたい。自分と違った機能をもつ人の視線で世界を見ることでアイデアも生まれてくる。高齢者も含め、たれもが生きやすい社会をつくるにはそんな新しい発想が求められている」
1996/12/10/火 掲載記事