教育関係のスクラップ
子どものいじめは、日本だけの問題ではない。イギリスでも年間に十数人の子どもがいじめを苦に命を絶っている。子どもに救いの手を差し伸べようと、二十四時間の電話相談を行う民間団休も活動中だ。先ごろ現地を訪れた、教育ジャーナリストの保坂展人氏にリポートしてもらった。(1996年 日経新聞記事)
親でも先生でもない第三者。かつて子どもの周囲にはそんな大人が存在した。それは近所のおじさん・おばさんであり、親せきのおじ・おばであり,年上のいとこであった。
東京都は道徳授業を地域住民へ公開する取り組みを進めている。保護者らとの意見交換を通じて授業の質を高めようとする試みだ。
深刻化するいじめ問題対策を検討してきた文部省の協力者会議が,二年間にわたる議論を終え,このほど最終報告をまとめた。初めて実施した大規模なアンケート結果などを踏まえ,いじめられた子供の緊急避難的欠席や転校を認めたほか,いじめた生徒にも出席停止を求めるなど踏み込んだ内容となった。同会議の主査を務めた坂本昇一・聖徳大教授に,報告のポイントとその意昧について執筆してもらった。
子どもの発達と問題行動<子どもの健全な発達>動物学者ポルトマンによると人間は生理的に約1年早産で生まれると言う。子どもは母親の胎内から生まれると根本的不安を感じて泣く。この泣くことはひとりでは生きていけない乳児の周囲の人に対する保護と養育を求める信号行動である。
日経新聞に連載されたコラムであるが、このサイトのほかのページと重複がある。多くは散逸しており、ここには50回分程度を掲載した。この連載は、新聞の連載終了後に本になっており、詳しくはそちらを参照されたい。
最近の不登校生は、明磯な理由が見えにくい「なんとなく不登校生症侯群」の子供たちが増えていると、東京・渋谷のフリースクール「高崎学園」の高崎南史代表は指摘する。その背景を高崎さんに寄稿してもらった。
森田洋司・大阪市立大学教授らのグループが「児童生徒のいじめの生成メカニズムとその対応に関する総合的調査研究」をまとめた。森田教授に研究成果などについて寄稿してもらった。
いじめって、いじめを許す自分って何だろう。生徒一人ひとりが心の根っこを掘り下げる試みに、三十時間をかけた中学校がある。東京都杉並区立東田(ひがした)中学校の一年生。子どもたちにとって、いじめは最初、遠いできごとだった。それがアンケートをとってみると、被害者、加害者とも過半数に上っていた。気づかなかっただけで、いじめは実は身近にあったのだ。生徒らは、作文を十二回書き、読み、話し合う。その半年余りの軌跡を二回に分けて報告する。
いじめ問題の解決のためには、家庭、学校、地域社会が連携して地域を挙げた取組を行うことが重要である。このような取組を推進するため、文部省においては、(下表1)のような「地域を挙げたいじめ根絶運動の参考例」を掲げ、各地 方公共団体における自主的な取組の展開を促している。
オハイオ州の小さな町ザネスビルにあるパイオニア小学校では、深刻ないじめ問題をかかえている。私はいじめ対策に取り組み始めた同校の6年生のクラスを取材した。教室の黒板の横には星条旗が、後ろにはバスケットボールのリングが。備えつけてあり、いかにも 米国らしい。
神戸逮続児重殺傷事件を機に、子供たちによる動物虐待の問題がクローズアッブされている。やり場のない怒りをウサギや猫などに向ける子供に、専門家は何を見るのか。いくつかの角度から検証してみた。
チンパンジーが仲間に「集団リンチ」を加えることはこれまで知られていなかった。人間社会の「村八分」などの起源を、この辺りにさかのぽることがで書ると見る西田敦暖は、五月に名古屋で關かれる日本アフリカ学会で研究成果を発表する。
「このごろの小学一年生は落ち着きがない」「どうも様子が変だ」。教育関係者の間から、こんな声がもれてくる。授業中でも堂々と遊びをする子、気に入らないと友達に平気で暴力をふるう子。度を過ぎた一年生のわがまま行動に問題を感じ、対処法の研究を始めた教師グループさえある。この”小一プロブレム(間題)”は、小学校への不適応症状との見方もあるが、果たしてその実情は。
ベストセラー「他人をほめる人、けなす人」(草思社)の薯者、フランチェスコ・アルベロー二氏が来日した。身近にいる不可解な人々の深層心理や行動を分析したこの本の人気は、裏返せば高まる人間不信の表れか……。百万部を超えるヒットの理由、若者観、理想の上司・部下像などを同氏に聞いた。1998/4/25/土
「17歳の犯罪」が社会間題化するなど、自分の感情を抑えきれずに暴走する中高生たちが目につく。いわゆる「キレる」子どもたちの増加だ。彼らはなぜ、セルフコントロールできないのか。その背景と対応策について、教育学の視点から東京大学助教授の汐見稔李氏と、精神科医の立場から衆議院議員の水島広子氏に論じてもらった。(2000/9/20/水)
「本当に書きたいことを書いてごらん」----。作文という昔ながらの手段で、最近の子供の「荒れ」や「ムカつき」がどこからくるのか探ろうという試みが注目を集めている。時にはナイフ事件など生々しいテーマについても書かせてみる。学校の型通りの授業では優等生的な作文しか書かない子供が、自分の殻を破って「キレて」しまいそうな自分の心を原稿用紙にぶつけることもある。学校で、町の作文教室で、子供がどんな叫ぴをあげているのか探ってみた。
1998/5/29/金
日本の家庭は子どものしつけに、かねて、そして今でも熱心に取り組んでいるのか。青少年の犯罪が起きるたにび組上(そじょう)に上がる現代教育のしつけについて、教育評論家の小宮山博仁氏に寄稿してもらった。(2000/7/21/金)
「このクラスの子は、覇気がない。自発的に発言する子が少ないんです」−−ある担任教師はこんなふうに予どもたちを批判する。しかし子どもたちの間には担任教師への不満がたくさん潜在していた。「どんどん進むため、授業がわからない」{いつも前にいた学校の子と比較して嫌みを言う」「答えを問違ったりすると、いろんなことをしつこく言われる」。
ふだんは明るい子供が、急に取り乱して教師の手に負えなくなる---。こんな「パニック」に陥る小学生が最近、学校で目立つという。いわゆる「キレる」「荒れる」とは別のタイプで、教育関係者の多くも戸惑い気味だ。
いつまでも親元を離れず、援助を受けて優雅に暮らす「パラサイト(寄生)シングル」。困った若者の代名詞として否定的に語られがちだが、実は親の態度がそう仕向けているとの指摘もある。親子関係に関する調査を続けている明星大学人文学部の岩上真珠教授(家族社会学)に報告してもらった。 2001/6/13/水
「八十五歳の私はドアを開けるのがとても怖かった」−−。日本ウエルエージング協会の招きで来日した米国の工業デザイナー、パトリシア・ムーアさん(44)は二十代のころに老人に変装、北米の街を百以上も訪れた珍しい経験を持つ。時間を見つけては老人になり、人々の対応ぶりや街の設備を観察。ぞの活動は三年間にわたった。そこから見えてきたものは何かを聞いた。(間き手は生活家庭部・村樫裕理子)1996/12/10/火 掲載記事
日本の小、中学生は諸外国に比べ友人関係が希薄---。文部省は四日、子供の道徳観や家庭でのしつけなどに関する五カ国比較調査をまとめた。それによると、友達同士の人間関係に関して、「いじめを注意した」「けんかをやめさせた」など、積極的な行動をした経験のある子供の比率が、諸外国に比べ低いことが分かった。同省は都道府県教育委員会に調査結果を配布し、家庭教育の支援などに活用してもらう考えだ。
1998/6/8/月
子供たちの非行・問題行動の背景には、規範意識が崩れ、善悪の判断ができていないことがあると指摘する大阪大学の秦政春教授に寄稿してもらった。
新聞に掲載された、読者からの教育に関する相談とその回答
ナイフを使った中学生の殺傷事件が相次いで発生する中で、中央教育審議会の小委員会が、家庭のしつけの重要性に言及した座長試案を公表した。再び荒れ始めた子供たちに、大人社会の困惑が広がっているが、真の問題解決には、家庭の教育力を高める勢力とともに、現在の学校制度に対する大胆な改革も必要なのではないか。
青少年の不登校は単なる怠けではない。ほとんどが「学校に行きたいが、行けない」という葛藤(かっとう)に苦しんでいる。彼らは心理的な面も含めた何らかの援助を必要としているのである。今回は、不登校の中で比較的よく見られるタイプについて話したい。それは神経症的なタイブというべきものである。
うそは政治家や企業トップの專売特許ではない。最近の子供たちは、さほどの罪悪感も持たずに様々なうそを駆使するという。背景には人間性よりも、要領よくいい成績をあげればよしとする社会の風潮が関係しているとの指摘も。子供のうそとそれをめぐる親や大人たちの対応について考えてみた。
ほかの子をたたく、ものを投げる---。いわゆる「キレる」状態の子どもは、保育園の時期から見られるという。背景は何か、親や周囲はどうすべきか。北九州市立大学文学部の楠凡之(くすのき・ひろゆき)助教授=臨床教育学=に寄稿してもらった。
「子供の心が見えない」。大人たちの嘆きをよそに、子供の心の荒れは思わぬ形で噴出することがある。こうした荒れは暴力事件などで表面化しやすい少年だけでなく、少女たちにとっても同じことだ。二十五年にわたり、作文を通して子供の心を見続けてきた国語作文教育研究所所長の宮川俊彦氏は「最近の少女たちは心に砂漠を抱えている」と分析、その深刻さは少年以上かもしれないと指摘する。
十日まで東京学芸大で開催された日本心理学会大会で、「二十一世紀の教育改革−心を育(はぐく)む場としての学校を求めて」と題した公開シンポジウムが行われた。子供の荒れやいじめの間題を中心に「二十一世紀の学校像」を探る試みで、二時間半にわたり、心理学にとどまらず「学校観」をめぐって幅広い議論が交わされた。
長いこと子どもたちを撮っている私だが、ファインダーからのぞく日本の子の顔つきは、時代とともにずいぷん変る。定点観測をしてきたつもりはないが、最近になってつくづくそう思う。
自分の能力やオ能を過大に評価しがちな子供たちが増えているという。自信を持つこと自体は悪くはないが、その根拠が客観的に見てあいまいなのが特徴だ。多くの場合は徐々に等身大の目己像を取り戻していくが、中には現実の自己像とのギャップに苦しむ例も。”目信過剰症侯群”と呼べる問題が広がっている。
児童虐待や少年の非行など家族をめぐる事件が絶えない。二〇〇三年、これからの家族はどこに向かっていくのか。昨年注目を集めた小説「晴子情歌」で、家族のひとつの形を描いた作家の高村薫さんに、現代の家族問題への視点を聞いた。
少年による凶悪犯罪、小学校での学級崩壊など、子どもの問題が深刻化している。原因を巡っても様々な議論が交わされてきた。教育評論家の尾木直樹氏は、問題を理解し解決する一つのカギは、子どもたちが大人や社会から受ける「必罰」にあると主張している。先ごろ同名の本を著した氏に、心罰とは何か、語ってもらった。
「子供の通学カバンに付けられる盗聴器はありますか」。東京・秋葉原のあるディスカウントショップで最近、携帯用盗聴器を買い求める女性の姿が目立っている。いずれも三十歳代の母親で、我が子のカバンにそっと盗聴器を忍ばせて、下校時の子供の素行を監視するのが目的だ、
子どもたちの感情表現が単純化している。代表例が「むかつく」という言葉。腹立ち、イライラなど不快感の多くをその一言で片づける。また快・不快両極端の表現しかできず、中間の感情がすっぽり抜け落ちているのも特徴だ。家庭や集団の中で、子どもたちが感情表現の訓練をする機会が減ったことが背景にある。
若者の顔は均一化している。それも、しょうゆ顔などといった骨格面のみならず、表情までもがみな似通っていて、変化に乏しいのだという。「表情レス」若者が増殖しているらしい。
(教育課程審議会 答申)
2000/12 答申等
−教育を変える17の提案− 平成12年12月22日 教育改革国民会議
学習内容を三割削減し、総合的学習の導入や選択制の拡大を盛り込んだ新学習指導要領が二〇〇二年度(高校は二〇〇三年度)から実施される。学習内容を削減し過きだという批判も根強い新指導要領について、文部省の寺脇研政策課長に話を聞いた。
十年後には大学の全入時代が到来する。天野郁夫国立学校財務センター教授は、これまで日本の子供たちの学力が高水準にあった最大の要因は受験競争だったと分析。入試に代わる新しい学習の動機付けや、大学教育改革が必要だと指摘する。
県立高校受験生の一割が、主要五科目の少なくとも一科目で小学校レベルの学力が身に付いていない----。学力低下をめぐる議論が活発になってきているが、鹿児島県教育委員会はこのほど、県立高校の入試結果や校長アンケートなどをもとに、「基礎学力に揺らぎが生じてきている」と指摘した報告書を.まとめた。報告書は「県教委としても、基礎学力の定着に向けた取り組みの弛緩(しかん)を招いてしまったとすれば、率直に反省しなければならない」と述べるなど、強い危機感を示す内容となっている。「基礎学力をめぐる現状と課題----今、足もとを見つめ直そう」と題された報告書は、鹿児島県教委が「基礎学力に関する対策委員会」(九八年十月設置)の議論を基に、今年六月にまとめた。いわば、鹿児島県版「基礎学力自書」で、特に県立高校入試結果の分析が注目される。
日本では学力低下論争が盛んだが、ドイツでも国際的な学力検査を契機に学力低下が社会問題化している。五月から三カ月余、ドイツに滞在した潮木守一武蔵野女子大学教授に寄稿してもらった。
一部の公立小中学校の教室で、今年から"異変"が起きている。文部科学省が指定した「学力向上フロンティアスクール」では、児童生徒の理解に応じた習熟度別学習などに取り組んでいる。子どもたちからも「分かりやすい」と好評だ。ただ、習熟度別のクラス分けに親や子どもの「見え」が絡むことも。教え方への関心も高まり、教師の意識改革も問われている。
「うちの子は小学校の成績が悪くてしようがない」と嘆く親をよく見かける。子どもの方も自分は「できない子」と思っている例がある。こんなとき、親はどう子どもとかかわっていったらよいのだろうか。全国学校教育相談研究会幹事で、束京の品川区立杜松小学校教諭・岡村克志氏にアドバイスしてもらった。
「何のために学校に行くの?」「受験勉強が将来、どんな役に立つの?」「何のために勉強をするの?」。子供のころ、大人に間いかけても、「就職するときに有利だからし「将来、役に立つから」「そんなことを考えずに勉強しろ」などと言われるだけで、納得できないまま勉強をやらされた記憶がある。
従来、国語の勉強は英語や数学などの後回しになりがちで、参考書もあまり売れないとされていた。東京・千代田区の三省堂書店神田本店でも一昔前はそうだった。ところが、学習参考書担当だった関根俊郎さんが四年ほど前に、国語参考書の売れ行きが伸びて.いるのに気付いた。
「じゃないですか」とは本来、確認や主張の意味を持つが、今の用法は断定回避が主。若者がよく使うが、年齢の高い層にも広がっている。そこには、自信喪失、人付き合い下手といった現代人の抱える問題が深く関係している。
言葉の輝きがあせる時、それを使う人々の活力もまた衰える。日本語の空洞化の先に日本人らしさの揺らぎが重なって見える。
過当たりの時間数が減少するために算数の時間を14%も減らされ,それにともなって内容は3割も削減されることになった。与えられた範囲の中でよりよい算数教育をするように考えたい。そのことを教育課程審議会のまとめに述べられていることに即して考えてみたい。
新学習指導要領の目玉である「総合的な学習の時間」に対し、現場には様々の期待と不安が交錯している。日本総合学習学会会長を務める上野健爾京大教授に、「総合的な学習の時間」の課題を寄稿してもらった
総合的学習の時間 調べない生徒・右往左往の教師 日教組の教研集会リポート 2003/2/14/金 日経新聞夕刊
新学習指導要領の目玉である「総合的学習の時間」に、現場の教師が思わぬ苦戦を強いられている。児童生徒が自ら調べ発見することが求められるのに、周知の事実をさも初めて分かったように生徒が装うこともある。半面、固定教材がなく、教師の興味関心次第で授業が行き詰まる面もある。日教組の教育研究全国集会のリポートから課題を探った。
3年生の算数授業の補欠に行ったときの指導を例に、数の多様な見方、考え方について述べます。
「総合的な学習の時間」では何をするのか。学校現場ではいくつかの教科にわたる合科的活動という程度に捉えられているようだが、教育課程審議会中間まとめは次のように言う。
教科教育は内容を厳選するだけでこのまま維持し、考え方や学び方を学ぶために「総合的な学習の時間」を使うという考えが出てきます。そこでは、自分自身でテーマを決めて学習を進めていくことを通して、学び方を身につけることができるわけです。
インターネットとはどのようなものであり、これを使うとどのような授業実践が可能となるのかを、できるだけ具体的に論じてみたいと思う。
知能全般には問題がないものの「落ち着きがない」「記憶能力が乏しい」など行動、学習面に一部偏りがみられる「学習障害(LD)児」。この間題への無理解から、いじめや不登校を生むケースも多かった。そうした子どもたちに対する教育機関として昨年、東京にLD児専門の指導もする通級学級が誕生した。フリージャーナリスト・塩沢啓美さんからリポートを
クラス担任にはなりたくないー−。子どもとかかわりあうことに、ストレスを感じる教師が増えている。思いもかけぬ子どもの反応に、どう対応すればいいかわからない。さらに、親とのコミュニケーションがうまくとれず、感情的な対立が尾を引くことも悩みを複雑にしている。
今春は六・三制などを盛り込んだ学校教育法が制定されて五十周年に当たる。戦後の六・三制誕生の背景などに詳しい、東洋英和女学院大学の土持法一教授に寄稿してもらった。
広島大学で11月,OECD/CERI(経済協力開発機構・教育研究革新センター)と文部省の共催による,明日の学校教育をテーマにしたセミナーが開かれた。広島大学の二宮浩教授(教育開発国際協力研究センター長)にセミナーの討議内容を寄稿してもらうとともに,来日したOECD/CERIのヤール・ベングソン参事官とデビツド・イスタンス主任に話を聞いた
「校長になりたくない」。公立学校の現場からこんな声が上がっている。東京都などでは降格を希望する校長や教頭が現れた。教育改革の一環で学校は独自色を求められているが、校長の多くは教育委員会、教員、保護者との板挟みに合うばかり。そんな憂欝(ゆううつ)さが敬遠されているのだ。
子供が教師の言うことを聞かず、授業が成立しなくなってしまう「学級崩壌」が全国の学校で進行しつつあるという。東京学芸大学の松村茂治教授は、この問題についでは、子供の変質のみでなく、家庭や学校、社会のあり方についても視野に入れて考えなくてはならないと指摘、集団生活の場としての学校の存在意義・が根底から揺さぶられていると憂慮する
「2001年はIT教育元年」。後世の日本の歴史年表では、こう表記されてもおかしくないほど、教育分野でのIT化は急ピッチで進んでいる。何がどう変わるのか、現状は、課題は…。“進化"するIT教育最前線を紹介する
大胆な厳選(スリム化)、総合的学習の時聞の新設、小学校での英会話----。十八日公表された小中学校の新しい学習指導要領秦には、様々なキーワードがちりぱめられている。これらを紡き合わせると、二十一世紀の教室の様子がおぼろげながら浮かび上がってくる。新しいカリキュラムで「落ちこほれ」や「学校嫌い」の問題は解消し、学校の”教育力”は回復するのか。新指導要領が目指すものと課題を探った
子どもへの口のきき方、しかり方のポイント、通知表の書き方……。書店の教育書コーナーには先生向けの「マニュアル本」がずらりと並ぶ。いじめ問題への対応など現場での実践的な手法が求められていることが背景だが、一方で「それぞれ違った個性を持つ子どもに対して、柔軟な対応ができなくなるのでは」と、懸念する声も出ている。
先日、eラーニングのユーザ企業が数社集まった会合に呼ばれて、人事研修担当の皆さんの貴重な本音を聞く機会がありました。その中で、「果たして日本のeラーニング市場は今後、爆発するのだろうか」という話題になり、ある担当者はこう答えました。
「爆発はしないでしょう。爆発よりも定着が先です」と。
つまり爆発的に普及することを期待するよりも先に、現在、すでにeラーニングを導入している企業が全社的に有効活用し、定着していく道を探ることの方が必要なの小学校の児童と先生ではないかということだと筆者は解釈しました。
「脱脂粉乳がいやだった」「カレーシチューはうまかったな」「昼休み返上でニンジンを食べさせられた」…・・。戦後育ちにとって、学校給食の話題は格好の酒の肴(さかな)だ。世代差、地域差などをあらわにしながら、それぞれの胸中を幼いころの自身の姿が去来する。もう一つの食の原風景なのだろう。
先生の話は聞かずに友達としゃべる、授業中でも教室を歩き回る1-。子どもたちの「学級崩壊」が問題になっているが、実はこれ、親の話だ。現場の教師によれば授業参観などに出席する親の行動は、まさに自己中心。自ら申し込んだはずの市民講座などでも、講義に支障が出るほど。子どもの行動をうんぬんする前に、まずは親たちの意識改革が必要なようで……。
本教育研究大会は、「自ら学び続け、自らを高めようとする子供の育成」〜豊かな心を培い、子ども一人一人が生きる学習の充実を目指して〜を研究テーマにして、横浜市小学校教育研究大会の各教科・道徳・特別活動等の研究部の研究成果を発表する場として開催するものである。
そして、これらの発表を通して、その研究成果を一層広く深く普及して、本市学校教育の向上に資するとともに、市立小学校教職員の資質向上のための研修の場とするものである。
学校は家庭・地域との連携・協働に向けての啓発や働きかけをする役割も担うわけですが,あなたの学校では十分なされているでしょうか。
ある日突然、児童が授業をボイコット。いじめは教師の知らないところで起きる−−小学校の教室で、先生と子供たちの間に〃見えない壁〃があるようだ。だが教師と児童間のコミュニケーションを密にする努力で、この壁を崩すこともできる。その様々な試みを探った。
「話す」教育の重視は、国際化時代を見据えたものという。腹芸の通じない相手に、自分の考えをきちんと伝える能力が、今後ますます求められる。裏を返せば、「子供たちは、おしやべりはできても、意見発表では何を言ってるか分からないことが多い」(東京学芸大学付属世田谷中学校)という実態があるからだ。
調べ学習の機会が増える中、公共図書館の利用を促したり、地域の教育力の活用という観点から利用するケースが多いようだ。子供の本離れが指摘されているが、公共図書館と学校との連携事業は、子供たちに本の面白さを再発見させる機会にもなっている。
日経新聞で2000年に連載した教育特集記事。
学校に子供を通わせずに家庭で教育するホームスクール(在宅学習)。米国では二百万人を超す子供たちが学んでいるといわれるが、日本ではまだまだなじみが薄いホームスクールを広めていこうという民間団体が発足した。不登校の小中学生が十三万人を超すなど「学校不適応」現象が拡大するなか、今後の行方が注目される。
経済協力開発機構(OECD)はこのほど、「エデュケーション・アット・ア・グランス(目で見る教育)」(九六年版)をまとめた。加盟29国の教育事情をグラフや表を使い、視覚的に分析した〃教育白書〃だ。執筆に携わった教育専門家(N・ボタニ氏とA・シュライヒャー氏に先進各国が抱える教育課題などを聞いた。
教育の歴史において、教材は、たとえばコメニウスにあっては世界図絵であり、フレーベルにあっては「恩物」とよばれたおもちゃであった。そこには、制作者の明確な意図がある。意図とは、させたい活動であり、教えたい内容があらかじめあるということである。教材はそのためにしつらえられたものや器具をさす。